黄泉世の護人(モリビト)

咲 カヲル

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十九話

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昔ながらの引き戸を開け、木の香りに包まれると、懐かしさを感じる。

「ただいまーーーー!!」

響かせた声に反応し、奥の方から、ドタドタと、慌ただしい足音をさせながら、嬉しそうに笑う子供達が出てきた。

「おかえりーーー!!」

「ただいま!!皆、元気そうだね?」

子供達に抱きつかれながら、挨拶を交わしているのを季麗達は、驚いた顔で見つめていた。

「蓮」

そこに、淡い色合いの着物を着た年配の女性が、優しく微笑みながら、足早に近付いた。

「おかえり。蓮」

「ただいま。絵弥子エミコおばさん。元気でしたか?」

叔母の笑顔は、とても久々で、とても懐かしかった。

「えぇ。おかげさまでね。そちらは?」

「友人。あと大人が八人と子供が三人。お祭りの間だけ、泊めて欲しいんだけど」

「…分かった。すぐに準備するから」

絵弥子は、季麗達をじっと、見つめてから、優しく微笑んだ。

「でも、今、二部屋しか空いてないのよ。そちらは、蓮の隣の部屋で良い?」

「うん。大丈夫。有難う」

「急に、お伺いしてしまい、すみません」

それまで黙っていた菜門が、頭を下げると、絵弥子は、一瞬、驚いた顔をしたが、手で、口元を隠して、クスクスと笑った。

「良いのよ。蓮のご友人は、私達の友でもありますから。どうぞ、ごゆるりとお休み下さい」

「有難うございます」

誠実な菜門の態度は、安心感を与え、絵弥子は、嬉しそうに目を細めた。

「あとは、布美フミさんにお願いしとくから。先に、お風呂に入ってらっしゃい」

「分かった」

隣にいた菜門の手を引き、外に出ると、その手を離して、建物と外壁の間を通り抜け、裏へと向かった。

「表から入らないのか?」

「離れに行くなら、こっちの方が近いんですよ」

影千代の問いに、苦笑いをしながら答え、通り抜けた先、竹で作られた戸口の前に立った。

「これが離れ。裏に、お風呂もあるから」

戸口を開け、離れの横を通って、裏の石畳を指差した。

「へぇ。外に、お風呂があるんだ」

「夕方から始まるから、今の内に入って来た方が良いですよ?」

「んじゃ、ひとっ風呂浴びて来るか」

「タオルとかは用意しとくから。行ってらっしゃい」

石畳を歩いて行く季麗達を見送り、鍵を取り出して、離れの戸を開けた。
埃の臭いに混じり、懐かしい香りを感じながら、雨戸を開けて回り、暖かな陽射しを取り入れた。
懐かしい家具達は、村を去った日から時間を止めていた。
畳に寝転び、天井を見上げると、当時の記憶が、鮮明に浮かび、目を閉じれば、幼き日々が、昨日のことのように感じる。

「れ~ん」

時代の流れを遡っていると、声が掛けられた。
小さい頃から、聞いている布美の声で、現実に引き戻され、ほんの一時の安らぎを堪能した。

「あらま。こんな所で、寝てたら風邪引くでしょ?」

「うん…なんか、懐かしくて」

「そりゃ分かるけど、早くしないと、間に合わなくなるよ?約束なんでしょ?」

布美は、樹美子との約束を知っていた。

「うん」

「じゃ、さっさと準備しなきゃ。皆、あの姿の蓮を心待ちにしてるんだから」

それは、樹美子の最後の我儘だ。

「…見た事ない子達もいるんだから、しゃんとしなきゃ。ね?」

「そうだね…アレ…出してある?」

「当たり前でしょ?ずっと、この日を待ってたんだから」

「そっか。何処にある?」

「奥の衣装部屋にあるよ」

「じゃ、お風呂入ってから行く」

「あいよ。待ってるよ」

和箪笥からタオルや下着を取り出し、風呂場に向かい、裏の石畳をゆっくりと歩いた。

「…立派になったね…蓮…」

布美の小さな囁きを聞き、何も変わらない村に、安心感が芽生えるが、これからを考えると、哀しみが沸き上がる。
それらを押し込めて、重くなる足を無理矢理、進めて、脱衣所で服を脱いでいると、ヒラヒラと、木の葉が舞い降りて来た。

「何してんの?妃乃環」

白い煙を上げながら、半妖の姿の妃乃環が現れた。

「久々に、ご一緒しようかと思ってさ」

「そう。じゃ、皆も、そうなのかな?」

暗がりから、紅夜や慈雷夜達も、その姿を現した。

「バレてましたか」

「雪姫や修螺は、どうしたの?」

「手伝いを終わらせて、お母さんの元に戻りました」

「そう。じゃ、天戒も?」

それぞれが動き始めた時、天戒は、誰にも悟られないように、一人で御堂に向かった。
それを横目で見ていた紅夜が、密かに尾行した。

「あぁ。あの天狗の部下んとこにね」

「そっか。じゃ、皆で入ろうか」

妃乃環達が、頬を薄桃色に染め、嬉しそうに頷くのを確認し、タオルを体に巻き付けた。

「早くね?」

「あいよ」

妃乃環達と別れ、風呂場へと続く簀子を渡る。
周囲には、緑豊かな木々が、生い茂り、露天風呂のようになっている。
簀子が途切れ、石が敷き詰められた所から風呂場となり、それなりに、広い場所なのだが、その声は、響き渡っていた。

「季麗!!てめぇ!!やめろってんだ!!」

その光景を想像して、誰もいないが、クスッと笑ってしまった。
何処にいても、彼等は賑やかだ。
声のする方に向かうと、石造りの浴槽の中で、仁王立ちする羅偉の背中が見えた。

「うるさいぞ。羅偉。静かにしろ」

「俺だけじゃねぇだろ!!季麗も…」

「なんだか、賑やかだね」

羅偉だけでなく、一足先に来ていた朱雀達も驚き、その場に固まったように動かなくった。

「どうかした?」

笑ってしまいそうになるのを堪え、首を傾げると、羅偉は、顔を真っ赤にして、勢い良く、湯船に浸かった。

「なんでお前がいんだよ!!」

「お風呂入ろうと思ったから」

「だからって、今、入らなくても良いのでは?」

「だって、早くしろって言われたんですもん」

縁に屈んで桶に手を伸ばすと、篠に奪い取られた。

「今、出るから、ちょっと待ってろ」

「別に、そのままで良いですよ?」

「きさっ!!」

顔を近付けると、篠の顔が真っ赤になり、焦りながらも、慌てて離れた。
その姿に、耐えきれなくなり、ケタケタと声を上げて笑うと、影千代の眉間にシワが寄った。

「何がおかしい」

「ごめんなさい。皆、必死だから、つい」

「そりゃ、そうなりますよ。急に入ろうとするんですから」

「そうですよね?でも、ホントに、そのままで、大丈夫ですよ」

「いくら蓮花ちゃんが、気にしなくても、嫁入り前の女の子と一緒に入るのは、駄目だと思うよ?それに、見えちゃったら、どうするの?」

「大丈夫ですよ」

「ほう?絶対に、見られない自信でもあるのか?」

「自信ってか、見えないし」

「なら、その布を取れ」

「季麗!!」

焦った菜門が、声を荒げようしたが、構わずに、タオルを取り外した。

「蓮花さっ!!」

止めようとした雪椰の手をすり抜け、タオルは、床に滑り落ち、露になった姿を見て、雪椰と篠は絶句した。

「ね?」

「何故…そんな物を…」

「だって、このお風呂、男女関係ないですから」

「だから、そんな水着を着てるのね」

お湯に浸かる時は、真っ黒の水着を身に着ける。
普段は、タオルなど巻かないで、そのまま入るのだが、肩紐のない水着で、ちょっとしたドッキリを仕掛けてみようと、巻いていた。

「男の人も、こんな感じの水着が、置いてあるはずなんですけど」

「…あの篭に入ってたやつか」

指で形を描くと、朱雀が呟き、茉や哉代も分かったようで、何度も頷いた。

「ちゃんと説明してなかったですね。すみません」

篠の手から桶を受け取り、お湯を肩から掛け、ゆっくり湯船に入った。

「でも、それだと、体や頭が洗えないのでは?」

「洗う時は、あっちで洗うんですよ」

木で出来たトランクルームのようなところを指差した。

「個室になってて、内側から鍵が掛けられるので、あそこで、水着を脱いで体や髪を洗います。そのまま脱衣所にも戻れます。因みに、左右で、男女が分かれて るので、そこは、気を付けて下さいね?」

何度も頷き、安心したようだったが、不意に、季麗と皇牙以外は、ソワソワと、落ち着きなく、視線を泳がせ始めた。

「後ろ向いてましょうか?」

「何故だ」

「何か、恥ずかしそうだから」

「そう?俺は、別に平気だけど」

睨まれながらも、二人は、ニヤニヤと笑い、その様子を楽しんでいた。

「皇牙。季麗。あまり困らせるもんじゃありませんよ?」

タオルを手にし、雪椰は、顔を赤くしながら、視線を上げた。

「少し、後ろを向いてもらえませんか?」

困った顔の雪椰に、背中を向けると、水の滴る音が聞こえた。
隣に移動し、雪椰は、お湯に足を浸けたまま、下半身にタオルを掛けて縁に座った。

「大丈夫ですか?」

見上げると、頬を赤くしながらも、雪椰は、優しく微笑んだ。

「せっかく、蓮花さんと一緒なのですから、もう少し入っていたいです」

雪人族は、熱に弱いはずなのだが、雪椰だけでなく、羅雪も、湯船から出て、その場に座ったまま、風呂場を出て行かない。

「…無理しちゃダメですよ?」

「はい」

二人は、嬉しそうに笑った。

「蓮花様~」

そこに白夜達が、半妖の姿で風呂場に現れ、朱雀達は驚いていた。

「ここは、妖かしの姿でも、半妖の姿でも、大丈夫なんですよ」

「へぇ。楽で良いですね」

それからは、他愛ない話をしながら、ゆっくりお湯に浸かった。
歪みがあり、大きな溝があった白夜達と朱雀達の間も、だいぶ埋まり、楽しく過ごすことが出来た。

「蓮花様。そろそろ、上がらないと間に合わないよ?」

「そうだね。んじゃ、先に上がりますね?」

タオルを手にして、洗い場に向かうと、その後を追うように、妃乃環達も、ついて来て、一緒になって、洗い場に入った。
妃乃環達に、髪や体を洗われると、少し気恥しいが、とても気持ちいい。

「有難う」

「良いんだよ~。アタシらは、これくらいしか出来ないんだから」

妃乃環達が、想ってくれているのが、とても嬉しい。
全身を洗い流し、脱衣所に向かい、下着を身に付けると、肌着を着付けてもらった。

「じゃ、またあとでね」

妃乃環達に手を振り、真っ直ぐ衣装部屋に向かった。
離れの奥にある衣装部屋で、群青色に、淡い色で朝顔が描かれ、とても美しく、とても綺麗な着物があった。

「どう?綺麗でしょ?」

「うん」

悲しそうに、目を細めた布美に、肩を強く叩かれた。

「ほら。早く着ちゃいましょ」

小さく頷き、弱々しい微笑みを浮かべると、布美も、弱々しい笑みを返して着付けを始めた。
袖を通すと、重たい肩が、更に重くなるのを感じる。
黙って着付けをしてもらい、髪を結い上げ、かんざしで飾り付けると、普段とは、全くの別人になったようだ。

「ホント…蓮は綺麗だね~…陽翔ハルヒも喜ぶよ」

「…こんなことで、師範が喜ぶなら、いくらでも、着てあげるよ」

貰った着物を師範の為に、着ることが出来ず、その姿を見せられないまま、逝ってしまった笑顔が浮かんで消えた。

「大丈夫。空からちゃんと見てるから」

「布美さん…ごめんなさい…」

「もう気にしないで。陽翔が望んだことなんだから」

「でも…大切な息子を…私が…」

「蓮」

泣き出しそうになり、震える肩を抱き寄せ、布美は、子供をあやすように背中を撫で下ろした。

「蓮のせいじゃないよ。陽翔は、蓮に生きて欲しかったの。だから、自分の命を懸けて守った。私は、それを誇りに思ってるから」

「…あり…がと…布美さん…」

師範は、布美の一人息子だった。
それを小さな狂いから、奪ってしまったが、誰も責めることをせず、逆に、優しく接する。
それは、哀しくもあれば、嬉しくもある。

「しっかり顔を上げて。真っ直ぐ前を見て。その姿を見せてあげて。ね?」

「…は…い…」

綺麗に着飾り、師範の名に恥じないように、胸を張り、涙が零れそうな瞳を向け、小さく微笑むと、布美は、嬉しそうに微笑みながら、何度も頷いた。
脱衣所に向かうと、蓬屋に住んでいる子供が、大きな篭を持って、季麗達を待っていた。

「タオルをお持ちしました。お使い下さい」

篭を床に置くと、頭を下げ、子供は、走り去ってしまい、季麗達は、顔を見合わせてから、彼が置いたタオルを使った。

「季麗様!!」

体を拭き、季麗は、パチンと指を鳴らして半妖の姿になった。

「なんだ。騒がしい」

「そのお姿で外に出るおつもりですか!!ちゃんと人の姿に…」

「蓮花が、半妖でも構わないって言ってたろ」

羅偉も、半妖の姿になっていて、朱雀達は困惑していた。

「ですが…」

「他の妖かし達も、半妖の姿なんだから、俺らが、そうであっても、別に問題ないでしょ」

季麗や羅偉と同様に、影千代や皇牙、雪椰や菜門までもが、半妖の姿になっていた。

「周りも、そうなのに、俺らだけが人の姿じゃ変だろ」

「そうですね」

「その土地土地で姿を変える。私達、妖かしの常識ですよ?」

季麗達の言ってることも分かるが、どうしても、納得しきれず、朱雀達は、顔を見合わせて、考えこんでしまった。
そんな中、哉代だけは、嬉しそうに目を輝かせ、パチンと指を鳴らし、半妖の姿に変わった。

「哉代!!」

「郷に入っては、郷に従えです。妖かしでも、半妖でも、構わないのならば、これでも良いじゃないですか」

哉代の言葉で、朱雀達も指を鳴らし、半妖の姿になり、少し恥ずかしそうに、自分達の姿を確認した。

「変ではないか?」

「大丈夫。いつも通りだ」

そんな朱雀達に、クスクスと笑いながら、季麗達は、離れへと戻った。
時間になるまで、ゴロゴロしたり、テレビを見たり、新聞や本を読んだりして、部屋で過ごしてから、門の方に向かう。
来た時と同じように狭い通路を通り抜け、門の所に着くと動きを止めた。

「…なに?」

季麗や皇牙さえも、その頬を赤らめていた。

「馬子にも衣装ってのは、こうゆうのを言うんだな」

「そうだな。ここまで、化けることが出来るなど、コイツは、妖かしなのかもそれないぞ?」

「とてもお綺麗ですね」

馬鹿にして、ニヤニヤと笑う朱雀達と違い、優しく微笑む哉代に、師範の微笑みが重なった。

「…ありがとうございます」

小さく微笑むと、その頬が赤くなった。

「哉代。立場を弁えろよ?」

朱雀の声で、自分の頬が赤くなっているのに気付き、哉代は、視線を落とした。

「すみません。あまりに、お綺麗で…」

「立場ってなんですか?」

そこに現れた理苑に、哉代と菜門の目が細められた。

「立場だなの、なんだの言う前に、門前で立ち止まってる方が問題ですよ?蓮花様。場所取りしときましたよ」

「また爺様方と一緒じゃないよね?」

「そこは、ちゃんと配慮して、斑尾と亥鈴を向かわせときました」

ニッコリ笑う理苑に、ホッと胸を撫で下ろし、季麗達に背中を向けた。

「じゃ、行こうか」

視線だけを向けて、理苑と並んで歩き出すと、季麗達も歩き出した。

「今日の蓮花様は、更に、お綺麗ですね?」

「下手なお世辞」

「本心ですよ」

「馬鹿にしてんの?普段は、そんなこと言わないでしょうが」

軽口を叩く理苑を見つめ、哉代と菜門は、淋しそうな顔をしていた。

「…今、何処って言った?」

「あそこですよ。あの秘密の場所です」

会場となる佐久の寺に向かう石段を登りきると、理苑は、指南所の上を指差した。

「あのさ、いくら、爺様方に見付かりたくないからって、あそこは無理だよ」

「そうですか?屋根に登るくらい、蓮花様なら、容易なことではないですか」

「これで、どうやって登れと?」

キチッと着付けられた着物では、動きを制限され、普段のように動くことなど出来ない。

「大丈夫ですよ」

「なんで」

「こうするからです」

腰に腕を回し、抱き寄せると、理苑は、純白の翼を羽ばたかせた。

「わ!!」

突然の出来事で、理苑の首に腕を回し、抱き付くしか出来ず、屋根の上に降り立つと、季麗達も、屋根に飛び乗った。

「何すんのよ!!」

「お連れしただけですよ?」

「最初に言ってよ!!」

「やけちゃうな~」

理苑とじゃれ合う姿に、皇牙が呟き、季麗達は、何度も頷いていた。

「…それじゃ、貰って来ますね」

「全員分ね」

「そんなに持てませんよ」

「理苑なら大丈夫でしょ」

「まったく…分かりましたよ」

困った顔をしながらも、理苑が、神酒を取りに行くと、葵が、黒い翼を広げた。

「私も行って来ます」

理苑と同じ方に、葵も向かい、その場に座って、二人の帰りを待った。

「蓮花さん」

「なに?」

視線を向けると、菜門は、申し訳なさそうに眉を寄せた。

「理苑さんの事…聞いてはダメでしょうか?」

「私に聞くより、理苑に直接聞いた方が良いですよ?」

「それが、聞いても、教えてくれないんです」

「なら、聞かない方が良いんじゃないですか?理苑が話したくなったら、話してくれますよ」

菜門は、残念そうに目を伏せた。

「理苑は、ちょっと気難しい所があって、斑尾や亥鈴よりも、少し若いから、自分の過去を話しても、何の意味もないと思ってるんです。話せば、斑尾達のように、少しは、楽になるのんですけどね」

遠くに視線を向けると、翼を広げた理苑と葵が戻って来た。

「お待たせしました」

一升瓶からカップに神酒を注ぎ、一人一人に手渡してから、理苑は隣に座った。

「もう少し?」

「そうですね。何か食べますか?」

「ん~。今はいいや」

笑っている理苑を見つめ、菜門は、何度も首を傾げていた。

「…なぁ。まだ飲めねぇの?」

「もう少し待って。今、始まるから」

早く神酒を飲みたい羅偉が、イライラし始めていた時、辺りに火を操れる妖かしや半妖達が、灯篭に明かりを灯すと、提灯の明かりが消えた。
それが始まりの合図で、辺りが静かになる。

「いよいよですね」

「そうね。樹美子の最後。しっかり観とかなきゃね」

風に乗って、笛や太鼓の音色に混じり、三味線の音色が聞こえ始めると、向かいにある小屋の観音扉が、二人の女の子の手で、開け放たれた。
真っ白な着物を纏い、長い布を被って、顔を隠した人が現れ、女の子達が蝶のように舞う中をゆっくりと歩き出す。
途中、布が、サラリと流れ落ち、その顔が露になり、黒く長い髪を揺らしながら、女は、止まることなく歩みを進め、女の子達が、その布を持ち去った。

「…すげぇ…」

羅偉の呟きも、風に乗る音色に消されてしまい、誰にも聞こえなかった。
十歳くらいの女の子が、二人で舞いながら、女の肩を滑り落ちた羽織を持ち去り、十八歳くらいの女の子が、二人で舞いながら、後ろに並ぶと、三人は立ち止まり、音色も止んだ。

「どうしたんですかね?」

雪椰の囁きは、鳴り響いた三味線の音でかき消された。
力強く、美しく、凛々しい舞いに、誰もが魅了された。

「なんとも妖艶な舞いだ。お前もあれくらいしてみろ」

「蓮花様の舞いは、もっと美しいですよ」

「お前は、観た事があるのか」

「蓮花様は、十八歳まで、あそこで舞いを披露してました」

理苑は、樹美子の舞いに、当時の記憶を重ねていた。

「力強くも、美しく、とても凛々しく、そして、とても儚く、最期は、咲き誇る花が散るようでした」

目を細めた理苑の姿は、哀しみや苦しみで、歪められてるようにも見える。

「蓮花!!」

反対側から飛び乗った佐久が、隣に来ると、耳元に顔を近付けた。

「…魅琴姫ミコトノヒメの役やってくれねぇか?」

「はぁ!?なんで」

「役の奴が来ねぇんだよ。連絡しても出ねぇし。お前以外、他に頼める奴がいねぇんだ。頼む」

手を合わせて、頭を下げる佐久に、着付けてもらった着物を見下ろしてから、溜め息をつき、その場に立ち上がり、手を差し出した。

「ちゃんと、着付けてね?」

佐久は、ニヤリと笑うと、その手を取った。

「任せとけって。んじゃ行くぞ」

佐久に引かれ、御堂に向かうのを見送った理苑が目を伏せた。
その姿は、美しいのだが、消えてしまいそうな程、とても儚い。

「理苑さん…」

そんな理苑に声を掛け、菜門は、唇に力を入れた。

「理苑さんの…」

「ら~い~」

そんな時、完全に酔っ払った白夜が、流青や妃乃環を連れて現れた。

「白夜。また先に飲んだんですか?」

「だってよ~」

そこからは、白夜達が一緒になり、菜門は、何も聞けなくなってしまった。

「蓮花様が出ますよ」

「本当かい?」

「なんで?」

「さっき、魅琴姫役を頼まれたんです」

「なぁ。さっきから、気になってたんだけど、これって、それぞれ、役目があんのか?」

「そういえば、説明してなかったですね。まず、鎮霊祭は、この地に眠るとされる女鬼メキの霊を祀る為、古くから儀式としてやっていたことをお祭りとして、こうして、多くの人に披露するようになったのが始まりです」

樹美子は、その女鬼役であり、その周りで舞っていた女の子達は、それぞれ、女鬼の五歳から十八歳までの幼少期を表現している。

「女鬼が成人を迎えると、時代の流れが一気に変わります」

成人を迎えた女鬼は、同族に愛した男を殺され、その同族達も、人に殺されてしまい、哀しみと憎しみが、渦巻く深い闇へと堕ちた。

「しかし、そこに現れた神、魅琴姫に、二つの選択肢を与えられました」

一つ目は、本来の鬼の姿となり、哀しみを抱えたまま逝くこと。
二つ目は、土地神となり、この地を護り逝くこと。

「女鬼は、最終的に後者を選びましたが、このお祭りでは、演じている人が結末を決められます」

「何故ですか?」

「この世に生きる全てのモノには、命を懸けた選択肢が必ずある。己の未来は己が決める。それを忘れない為に」

もしかしたら、選んだ未来は、哀しいものかもしれない。
だが、後悔してはならない。
哀しんではならない。
逃げてはならない。
他人から、どんな風に見えようが、それを選んだのは、自身であり、誰のせいでもなければ、時代のせいでもない。

「どんな未来も、過去も、ちゃんと自分で選んだミチならば懸命に生きる。それを教える為です」

理苑の説明が終わる頃、三人で舞っていたのが、一人になり、御堂の目の前まで進んだ。
御堂の入り口に光が灯り、淡い色合いの蚊帳が姿を現すと、その中には妖かしの姿の斑尾に寄り掛かり、アカと黒の蝶をあしらった着物を着崩した姿が、薄らと浮かび上がった。

「あれが…魅琴姫?」

「神様って、あんな感じなのか?」

「あれは想像の姿。この地に伝わる逸話から人が考えたんだ。にしても、やっぱ、蓮花様、綺麗だよな~」

「ホント。綺麗だよ~」

「しっかり着付けた蓮花様も、良いけど、あんな風に着崩したのも、色気があって良いよねぇ」

白夜達が、そんな会話をしている中、季麗達は、今まで見たことない姿に驚き、その妖艶な雰囲気に当てられ、頬を桃色に染めていた。

「…逝くならば…愛を手に…逝きたい…か…」

理苑の呟きは、土地神となり、散り逝く女鬼の命と共に星の輝く空へと昇り、静かに消えた。
三味線の音色が止み、舞いの披露が終了した。
それからは、妖かしも人も入り乱れてのドンチャン騒ぎが始まり、無料で振る舞われる神酒に酔い、普段から食べ慣れた味に舌鼓を打つ。
佐久に着付け直してもらい、理苑の所に戻ると、季麗達を巻き込み、白夜達が呑み競べをしていた。

「何やってんだか」

「すみません。止めたのですが」

理苑と共に視線を向けると、白夜達が、楽しそうに呑んでいる様子に、強く言うことが出来なくなった。

「仕方ない。今日は、好きにさせてあげよっか」

小さく微笑むと、理苑も、頬を桃色にして、嬉しそうに頷いた。
二人で、静かに呑んでいると、斑尾が屋根によじ登って来た。

「蓮花…助け…」

「だいぶ、呑まされたのね。大丈夫?」

フラフラと、瓦に這いつくばり、膝元まで来ると、動物の姿になって、足の上に倒れた。

「亥鈴は?」

「爺共と…まだ…呑んでる…」

「置いて来たの?ダメでしょ」

「アイツが…良いと…言ったんだ…」

動物の姿でも、頬が赤くなる程、呑まされた斑尾は、本当に苦しそうだ。

「あとで、ちゃんと謝っとくんだよ?」

「あぁ…」

頭を撫でると、斑尾の表情が、少しずつ和らいだ。

「奥で少し休んだら?」

「…一人は…厭じゃ…」

斑尾の我儘が、幸福感を与えた。

「仕方ないな。一緒に行こうか」

斑尾を抱き上げ、屋根から飛び降りて、御堂の裏へと向かった。
それから、暫くすると、まだ呑んではいるが、ドンチャン騒ぎは、だいぶ落ち着き、静かになり始めた。
白夜達が、寝息を発て始めると、染々と、神酒を味わっている理苑を挟んで、菜門と哉代が座った。

「やっと、静かになりましたね」

「そうですね」

「彼らは、いつも、こんな感じですか?」

大の字になって、気持ち良さそうに眠る白夜達を見てから、理苑は、鼻で笑い、星を見上げた。

「いつもは、もっと大人しいですよ。今日は、特別だったのでしょう」

カップに口を着け、ゆっくりと傾けると、華やかな香りが鼻から抜ける。

「彼らは、どうなんです?」

「皇牙や羅偉は、あんな感じですが、雪椰や季麗は、騒いで呑むよりも、静かに味わう方です」

「そうなんですね」

静かな時間の流れと美味い酒が、菜門の背中を押した。

「理苑さん。僕、妖かしでありながら、人を守るのが仕事で、それを他の妖かし達に罵られて、苦しんだ事があるんです」

唐突に、自分の事を話し始めた菜門は、当時を思い出してるようで、哀しい顔をしていた。

「それを止めたのは、彼らでした」

皇牙は、半妖である事で馬鹿にされ、季麗は、人間の女性を愛した事で、哀しい経験をし、雪椰は、兄との権力争いで傷付き、羅偉は、養子である事に悩み、影千代は、理不尽な理由で罵られて生きてきた。

「彼らは、人の痛みを知ってます。きっと、理苑さんの痛みも、分かるはずです」

そんな話をする菜門を見つめ、理苑は鼻で、小さく溜め息をついた。

「もし、聞かせてもらえるなら、聞かせて欲しいって思うんです」

理苑は、大きな溜め息が出そうになった。

「でも、やめました」

驚いた顔で、理苑が視線を向けると、菜門は、ニコッと笑った。

「蓮花さんに言われた通り、理苑さんが、自分から話してもらえるようになるまで、待つことにしました」

菜門と哉代の優しい笑みに、理苑の毒気が抜かれ、額に手を当てると、何が、そんなにおかしいのかと思う程、大きな声で笑った。

「参ったな…僕なんて、斑尾や亥鈴に比べたら、本当に、小さい男なんだよ」

砕けた口調になり、酒を飲みながら、理苑は、ゆっくりと自分のことを話し始めた。

「僕は、毎日、毎日…人や悪妖に追い掛けられてた。その理由は、鳥の姿の僕が、あまりにも珍しかったからと、その姿に合わない程の力のせいだった」

カラスやスズメ、鳩やインコなど、この世に存在する鳥は、膨大過ぎて正確な数なんて分からない。
理苑のように、白い鳥だって存在する。
だが、突然変異で生まれた白い鳥でさえ、理苑のように、嘴や足の先まで白いのはとても珍しい。
その為、理苑は、昔から多くの人に追われ、隠そうとしても、隠しきれない妖力が、悪妖を呼び寄せてしまった。
鳥の姿で空を飛ぶと、その姿に人が集まり、その妖力に、悪妖が集まる。
そして、悪妖は、集まった人を襲い、理苑は、哀しみのどん底に落とされた。

「自分のせいで、人が襲われ、救った人は、僕の半妖の姿に怯えて逃げてしまう。僕は、この世に歪みを与えてしまった。それは、僕を臆病にした」

苦しさと寂しさ、悲しさで、理苑は、生きる気力を奪われ、いつ襲われるかという恐怖で、毎日、ビクビクと怯えながら生きていた。

「それでも、僕は、諦めたくなかった。僕が原因なら僕が責任を取る。いつか追われる日々を終わらせて、いつか普通に暮らせるようなる。そう思って、必死になってた」

そんな時、斑尾と亥鈴に出会い、二人が、同じ考えであることを喜び、理苑も一緒になって、華月の手を借り、里が出来ると、追われる日々から解放された。
里に身を寄せた人々も、理苑の姿に驚くことはあっても、捕まえようとする者も、怖がる者もなかった。
里の人々は、理苑に、優しさを分け与えた。
安心して暮らせる場所と仲間を手に入れ、理苑は、とても幸せな日々を送っていた。
だが、その幸せは、長く続かなかった。

「欲深い人間が現れ、里の未来は、大きく変わってしまい、僕は、他の皆と同じように里を出て、また追われる日々に戻った」

そんなある日。
理苑は、人の仕掛けた罠に掛かり、大怪我をしてしまった。
捕まえようとした人が、また悪妖に襲われるのが嫌で、必死になって、罠から抜け出した。
だが、思ってたよりも、その傷が深くて、上手く逃げられず、蓮の葉が浮かぶ池に落ちてしまった。
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