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三十四話
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騒ぎを聞き、篠は、急いで、その場に向かうと、ボロボロになった皇牙に、罵声を浴びせた。
『弱ぇな~おい』
『所詮は、半妖ってことだ』
『こんなの育てるなんて、頭おかしいんじゃねぇの?』
急いで、駆け付けた篠は、高らかに笑う妖かし達を殴り付けた。
「皇牙様を育てたのは、俺の両親だ」
偶然でも、篠は、自分の親を悪く言われ、皇牙を傷付けられた事で、沸騰するように、頭に血が上り、その者達を八つ裂きしそうな程、ボコボコにしてしまった。
「俺は、自分を止められなかった。相手が、変わる機会を与えなかった。でも、お前は、自分を止め、アイツに変わる機会を与えた。それは、お前の恩師が教えたことだろ?」
己の感情をも、しっかりと操れ。
そして、同じ生きる者ならば、相手が変わる機会を与えろ。
「…有り難うございます」
修螺は、気持ちが楽になり、安心したように微笑んだ。
「ごめん…皆、怖がらせたよね?」
「これで、離れるようなら、本当の友達にはなれない。俺のように、何があっても、離れない友を作れ」
大暴れし、休学処分を受けた篠から、朱雀達は離れず、学問所で教えられた事を伝え、早く、復学出来るように働いてくれた。
「なら、修螺君には、もういますね」
雪姫と天戒は、暴そうになった修螺を恐れず、その想いを一緒に分かち合おうと隣にいる。
「そうだね。有り難う」
優しく微笑む三人に、篠も、優しく微笑んだ。
「もう行け。あとで、茉から、お灸を添えられるだろうから、覚悟しとけよ?」
「はい」
「お前らも行け」
篠の声に、集まっていた子妖達が、走り去ると、三人は、一緒に歩き始めた。
その頃、修螺に怯み、逃げ出した子妖は、悔しそうに奥歯を噛んで、足音を鳴らしながら、森の近くを歩いていた。
「くそ…くそ…くそ…くそーーーー!!」
子妖は、更に、修螺を憎んでしまい、腹の底から叫んだ。
自分の悪さなど、一つも理解せず、他人のせいにばかりしてる子妖は、月蝶にとって、使える道具となる。
「憎いかい?」
「っ!!誰だ!!」
森から、子供の姿に化けた月蝶が、その姿を現した。
「誰だ!!お前!!そこで何を…」
「憎いかい?半妖の子が」
声を遮り、月蝶が問い掛けると、子妖は、悔しそうに奥歯を噛んだ。
「お前に関け…」
「力が欲しいかい?」
月蝶の言葉が、子妖の興味を惹き付けた。
「力が欲しいかい?絶対的な力を、手に入れたくないかい?」
「絶対的な力…それは、どうやって手に入るんだ」
「知りたいかい?」
「どうやんだって言ってんだよ!!」
「ククク。良いよ?教えてあげるよ。…耐えられるならね…」
「あぁ?!」
「こっちにおいで」
月蝶が手招きしたが、子妖は、その後ろに広がる真っ暗な森に、恐ろしさを感じた。
「どうしたの?怖いの?」
「あぁ?!怖くなんか…」
「なら、おいでよ。絶対的な力、君にあげるから」
月蝶を追い、暗闇に姿を消した。
子妖が姿を消した翌日。
修螺は、一人で、子妖を探そうとしていた。
「修螺」
そんな修螺の前に、雪姫と天戒が現れた。
「一人は、ダメだよ?」
「僕達も、一緒に探します」
「…有り難う」
それから、三人で、里の中や周囲を探していたが、子妖は、見付からなかった。
そして、子妖がいなくなってから三日後。
鈴が鳴り響き、修螺は、急いで斑尾の元に向かった。
「どうした」
「実は…僕を虐めていた子が、他の子を虐めていたんですが、やり過ぎてしまって。五日程前から、いなくなってしまったんです」
斑尾の眉間にシワが寄った。
「阿呆」
「ごめんなさい」
「その子妖が、いなくなったのは、どの辺りだ」
「それが…分からないんです」
「どうゆう事だ」
子妖を見た妖かしに聞きながら、探していたが、何度も、同じ所をグルグル回っていた。
「そうか。あとの事は、我に任せろ」
「心当たりでもあるんですか?」
「もし、お前の強さを目の当たりにし、その子妖が、逆の道を進んだならば…そこからは、我の仕事だ。行け。決して、深追いはするな」
斑尾が飛び立ち、それを見送ってから、里に戻り、雪姫達と合流してから、宛もなく歩き回った。
それぞれの家に帰り、修螺は、密かに、沢山の可能性を考えた。
次の日。
修螺は、誰にも言わず、一人で、最初の証言で得た森に入った。
子妖が、逆の道を選んだのならば、斑尾の仕事と聞かされ、そこから、修螺は、子妖が森に入り、何か悪い事をしようとしてるか、何かに巻き込まれてると考えた。
ならば、自分が助ける。
その強い想いが、森の奥へと向かわせ、微かに、獣のような声が聞こえると、慎重に、その声に近付いた。
蜘蛛の巣のような黒い筋の中央に、子妖は、捕らえられていた。
修螺は、周囲を警戒しながら、黒い蜘蛛の巣に向かった。
「…誰だ」
すぐ後ろから聞こえた声に、修螺は、急いで横に反れるように飛び退き、その姿を探したが、何もいない。
「殺されに来たか」
頬を黒い筋に殴られ、修螺の体が、弾き飛ばされた。
足を擦るようにして、踏ん張ると、子妖の横に月蝶が現れた。
「だが、まだ早い」
月蝶は、子妖の髪を掴み、引き上げた。
正気の消えた瞳。
蒼白い唇。
子妖の顔は、涙とヨダレで、グチャグチャになっていた。
その姿が恐怖を与え、修螺は、小さく肩を震わせた。
「…離せ…彼を離せ!!」
修螺に、情の消えた瞳が向けられた。
「妖かし風情が」
無数の黒い筋が、修螺を襲う。
「小賢しい」
それらを避け、修螺は、子妖に近付いたが、黒い蜘蛛の巣から、現れた筋が、その体を弾き飛ばした。
「串刺しにしてやる」
鋭く尖った黒い筋が、起き上がろうとする修螺に向かったが、その小さな体に突き刺さることなく、地面に突き刺さり、吹雪が、月蝶の視界を奪った。
「…姫ちゃん…」
雪が二人の姿を隠すと、修螺は、雪姫の背中を見つめた。
「どうして」
「助けたいの!!」
「姫ちゃん…っ!!危ない!!」
黒い筋が雪姫を狙い、修螺は、その体に抱き付き、地面を蹴り飛ばした。
転がるように、黒い筋を避けると、雪が止み、二人を視界に捕らえた月蝶は、不気味な笑みを溢した。
「妖かしの分際で、我に歯向かった罪だ。死ね」
二人に、鋭く尖った筋が向かう。
覚悟を決め、目を閉じた二人の前に、哉代が現れ、結界を張り、無表情になった月蝶に向かい、氷の柱と火の玉が放たれ、ぶつかった瞬間、砂煙が舞い上がった。
「大丈夫か?こっちだ」
茉と篠が、二人に駆け寄り、その肩を支えて起こし、茂みに連れて行こうとした時、砂煙の中から、何本もの黒い筋が現れた。
空に向かい、立ち上がった黒い筋は、飛んでいた葵を巻き込んで、四方に分かれ、雨のように降り注ぐ。
周囲に砂煙が立ち込め、視界が遮られると、茉と篠が、弾き飛ばされ、修螺は、雪姫の頭を抱えた。
「ふっ!」
茉達の声に混じり、頭上の修螺から、小さな声が漏れると、生暖かく、粘りけのある液体が、伝い落ちた。
「修…螺…」
砂煙が落ち着くと、茉達が、痛みに転がり、修螺の肩が、赤く染っていた。
「まったく。手こずらせてくれるなよ」
唸るような呻き声を出す子妖の隣で、無表情の月蝶が、不気味な笑みを浮かべると、呼子の音が響き渡った。
「まだ抗うか」
助けたい一心で、必死に、斑尾の呼子を吹く雪姫に、月蝶が手を翳すと、周囲の黒い筋が、一斉に向かったが、強い風と光が、それを防ぎ、二人を覆うように、斑尾が降り立った。
「よく頑張ったな」
「修螺が…修螺が…」
泣きながら、修螺の肩を押さえて、震える雪姫に、斑尾は、そっと頬を寄せた。
「落ち着け。落ち着くんだ。いつものように。出来る事をやるんだ」
その優しい声が、不安を削ぎ落とし、雪姫は、懐から布を取り出して、修螺の傷を塞ぎ、止血を始めた。
「ありがと」
弱々しいが、しっかりとした口調の修螺に、斑尾は、小さく微笑み、不気味に微笑む月蝶を見据えた。
「神獣、斑尾。貴様のような妖かしが、そんな小汚い妖かしを庇うなんて。くだらない世になったな」
「貴様が言うな。月蝶」
「所詮は、貴様も妖かしか」
月蝶が手を翳すと、斑尾に向かい、沢山の黒い筋が向かった。
斑尾は、光を放ち、それを防ぐと、下にいる二人に、視線を向けた。
「逃げるのだ」
「厭です」
「修螺が、戦える相手ではない。雪姫を連れて逃げるのだ」
「僕は…僕は、彼を救わずに逃げるなんて、決してあってはいけない」
自分が追い込んだのなら、自分が助けたい。
それが、修螺を突き動かしていた。
「僕がやらなきゃ…僕が狂わせたなら、僕がやらなきゃいけないんです」
強い光を携え、修螺が、斑尾を見上げると、雪姫は、その背中に抱き付いた。
「やめて…行かないで…」
「…姫ちゃん」
「修螺」
背中で泣いている雪姫から、視線を移し、修螺が見上げると、斑尾は、小さな微笑みを浮かべて首を振った。
「それ以上、大切な者を泣かしてどうする。お前を好いてる者を泣かせてまで、その積を背負う必要はない」
「…え…」
修螺の頬に熱が集まり、頬が赤く染まった。
「好き合う者同士。幸せにあれる未来を選べ」
修螺は、優しく微笑む斑尾を見つめ、苦しそうに目を細めた。
「行け」
唇を噛んで、雪姫の手を掴むと、修螺は、茂みに向かって走り出した。
後ろで、眩しい光が放たれ、爆風が二人の足を拐う。
修螺は、雪姫を抱え、痛む肩も気にせず、茂みの中に飛び込んだ。
爆風で、木々の枝が折れ、茂みから、大量の葉が散る中、雪姫の頭を守るように抱え、修螺は、必死に、その場に止まった。
暫くすると、爆風が治まり、修螺は、雪姫を抱えたまま、静かに、茂みの隙間から、後ろの様子を伺った。
斑尾の手足に、黒い筋が突き刺さり、白銀の体には、紅い筋が流れ、足元には、血溜まりが、大きく広がっていく。
「堕ちた神獣など、転がってる妖かしと、何も変わらぬ」
周囲に視線を動かし、ボロボロの茉達が気絶しているのを見つめ、顔の見えない子妖の呻き声を聞き、修螺の脈が速くなる。
「妖かしなど、所詮、道具。使えぬ道具は要らぬ」
空に向かい、月蝶が手を翳すと、黒い筋は、空高く立ち上がり、四方に広がり、黒い氷柱のような刺が、下に向いて止まった。
「要らぬ道具など、存在する価値などない。消えろ」
修螺が、雪姫の頭を抱え、目を閉じると、その胸に願いが生まれた。
守りたい。
死なせたくない。
救いたい。
ここにいる全ての命が、失われて欲しくない。
「…死にたくない…」
その願いに、応えるように、修螺の胸元から光を放ち、周囲に広がると、光のベールが、斑尾や茉達を包み、その光に驚き、雪姫が離れた。
「蓮ちゃんの…呼子が…」
懐から引き出した呼子は、更に、強い光を放つ。
「…蓮ちゃん…お願い…助けて…」
息を吹き込むと、呼子は、優しい音を響かせた。
想いに応える呼子の音が、落ち着くと、光が消え、光のベールも消えた。
「小賢しい子妖めが!!」
怒りに任せ、月蝶が黒い筋を二人に向かわせたが、光の矢が突き刺さり、黒い筋は、光の矢と共に弾けて消えた。
次々に放たれる光の矢は、周囲に広がっていた黒い筋に突き刺さり、闇が弾け、周囲に光が散らばる中、二人を背に、月蝶に桜を向けた。
「蓮…ちゃん…」
「守りなさい」
修螺は、呼子を握り締め、雪姫の肩を抱き寄せた。
「生きなさい」
気絶してた茉達が、目を覚ました。
「己を想いなさい」
腹を着け、肩で息をする斑尾は、横目で視線を向けた。
「妖かしも、霊も、道具じゃない。要らない霊など、この世にない」
忌々しそうに、月蝶が、目を細めるのを見つめ、桜を握り締めた。
「この世は、くだらなくない!!」
光の矢を放ち、胸の前で、指を立てると、桜を伝い、力が加わった矢は、太くなり、月蝶を覆った闇に突き刺さった。
視界を遮る程の光が、周囲を覆うと、闇は消え去り、月蝶と子妖の姿も消えた。
「蓮ちゃ…」
「斑尾」
修螺の声を遮り、近付くと、斑尾は、ヨロヨロと起き上がった。
「何故、知らせなかった」
「お前の手を借りずとも、我が一人で…」
「ふざけるな!!」
怒鳴り声が木霊して、周囲の木々を揺らした。
「一人で何が出来た!!怪我だけで済んだが、下手をすれば、死んでいたのだぞ!!分かってるのか!!」
悔しそうに歯軋りをして、斑尾は、目を閉じた。
「変な所で意地を張ってどうする!!お前は…」
「ふざけてるのはお前だ!!」
斑尾の怒鳴り声で、また木々が揺れ、葉が舞い落ちた。
「名を返して回りおって!!我らの…我の想いも無視しおって!!何がふざけるなだ!!お前の方がふざけておるだろ!!どうして…どうして共に死なせぬのだ!!あの時の約束は嘘なのか!!」
互いに、自分を殺して生きた。
これからも、そうして生きるはずだった。
「嘘じゃない」
「ならば!!」
斑尾も、黄泉に還る時まで、生き抜いて欲しい。
「やめろ!!」
両手を合わせ、斑尾の式札を唇で挟み、口から息を吐くと、式札から、蒼白い光が、靄のように抜け出て、宙を漂い、斑尾の体に溶け込む。
ー蓮花!!我は!!ー
「有り難う斑尾…ごめんね?…愛してる…」
薄れる斑尾に向かい、微笑みながら、押し殺していた想いを告げた。
苦しそうに顔を歪め、斑尾は、蒼白い靄と共に消えた。
強制解除。
一方的に名前を返し、式契約を解除した為、斑尾の記憶は見えない。
その想いも、願いも、知る事は出来なかったが、一つだけ分かる事がある。
それは、斑尾と約束した言葉。
「私も…ずっと…一緒に…いたかったよ…」
死ぬまで一緒。
それが、斑尾との約束。
だが、時が流れ、多くの霊と関わり、周囲に愛が溢れ、幸せを願えば願う程、斑尾にも生きて欲しくなった。
「蓮ちゃん…」
「修螺も姫ちゃんも、想いを殺さないでね?」
涙が溢れそうになるのを我慢し、雪姫と修螺に、優しく微笑むと、二人は、悲しそうに目を伏せた。
「私達みたいに…ならないでね?…お願い」
「うん…有り難う。蓮ちゃん」
肩を寄せ合い、額を合わせて、顔を隠す二人を見つめた。
二人がいつまでも、一緒に居られる世界を作りたい。
「夜月蓮花…忌々しい。だが、次で終わりだ。覚悟しろ…夜月一族め」
月蝶の声は届く事なく、暗い闇に溶けて消え、紅く、闇に染まった小さな体は、憎しみと妬みで、想像を絶する程の大きな闇へと生まれ変わった。
斑尾と別れ、修螺や茉達を里に送り届け、一人で、光の卵の中で、冥斬刀と力を共鳴させ始めた。
だが、斑尾に注いでいた力は、とても強大だった。
その卵から、抜け出るまで、かなりの時間を費やすことになった。
里に戻ってからの修螺と雪姫は、互いの気持ちを知り、最初は、恥ずかしそうだったが、次第に、恥ずかしさは消え、ただ寄り添い、二人でいる事に浸り、喜びと幸せに満ちていた。
二人の幸福が、伝染するように、里の中には、ただ一つ、子妖が戻らない事以外は、幸福が満ち溢れていた。
そんな時間が流れ、三日後、天戒や他の子妖達と離れ、雪姫と修螺が、手を繋ぎ、ただただ、公園をブラブラと歩いていた時、目の前に子妖が現れた。
「よぉ~」
それは、月蝶に連れ去られた子妖だった。
無事で現れた子妖に、声を掛けようとした修螺の体が、吹き飛び、駆け寄ろうとした雪姫の腕が掴まれた。
子妖は、痛みに顔を歪める修螺に、ニヤリと不気味に笑った。
「コイツは俺が貰う」
「厭!!」
「姫ちゃん!!」
雪姫を連れ去ろうとした子妖に向かい、修螺が走り出す。
子妖が手を翳すと、その背中から、黒い筋が飛び出し、修螺の体を突き飛ばした。
「修螺のクセに生意気なんだよ」
「彼女を…離せ!!」
何度、突き飛ばされても、向かって来る修螺を見つめ、雪姫は、雪を降らせ、その姿を隠した。
「離して!!」
雪を降らせながら、子妖の手から逃れようと、雪姫が暴れると、子妖の影が、黒い筋になり、その頬を叩いた。
「うるせぇんだよ」
涙を浮かべ、歯を食い縛って、叩いても、殴っても、子妖は、ニヤニヤと笑ったまま、その手を離さなかった。
「無駄なんだよ。大人しくしっ!!」
再び、雪姫の頬を叩こうとした時、子妖の目の前に、修螺の右手が現れ、顔の前で、火の玉が放たれた。
その手が離れ、雪姫は、修螺に抱き付き、修螺も、雪姫を抱えて、後ろへと飛び退いた。
「大丈夫?」
「うん。修螺は?」
「大丈夫」
叩かれた雪姫の頬を撫でてから、修螺は、雪に紛れるように走り出した。
「お~の~れ~…修螺!!」
黒い筋が、逃げる二人を追い、修螺は、それを掻い潜り、他の妖かしの視界に入るように、大通りを駆け抜けた。
「しゅーーらーーーーー!!」
妖かし達の目を気にせず、子妖は、黒い筋を振り回し、家々を壊しながら、二人を追い掛けた。
それを見ていた妖かしが、一番近くにあった屋敷に駆け込み、皇牙と篠が、二人を追う子妖を追った。
子妖が通った後は、残酷な程、全てが薙ぎ倒され、叩き壊されていた。
「篠!!皆に伝えて!!」
「はい!!」
篠が、季麗達を呼びに行ってる間、皇牙は、一人で子妖を追った。
「皇牙様!!」
逃げながらも、修螺は、雪姫を隠すように逃していた。
「東の森に向かって下さい。修螺が、そこまで、連れて行くそうです」
「分かった」
「修螺を…修螺を助けて…お願い…」
涙を流して、膝から崩れる雪姫の肩を支え、皇牙は、しっかりと頷いた。
「絶対、助けるよ。だから、雪姫ちゃんは、修螺が戻るまで、屋敷で待ってて?」
頷いた雪姫を残し、皇牙は、東の森に向かった。
その頃、修螺は、遠回りするように、東の森に向かっていた。
「しゅーーらーー」
追って来る子妖の姿は、影に飲み込まれ、大きな蟲のような姿になっていた。
化け物へと成り下がっても、修螺を呼び、追って来る子妖から、必死に逃げ、少し、拓けた所に出た。
黒い筋が、修螺の足に絡まり、その体が、逆さに吊るされてしまった。
「喰ウ」
化け物が、大きな口を開けると、真っ黒の闇が、炎のように揺らめく。
恐怖を感じながらも、必死に、火の玉を放ち、炎の刃で、足の黒い筋を断ち切ろうとしていたが、修螺の体は、闇に向かい、化け物の口に放り投げられた。
「死ネ」
子妖の声が響いたが、飛んできた火の玉と氷柱で、化け物の体が揺れ、修螺は、皇牙に担がれるようにして、そこから突き放された。
「有り難うございます」
「屋敷に向かいなさい」
「雪姫が待ってるぞ」
「はい!!」
背中を向け、修螺は、雪姫の待つ屋敷に向かって、走り出した。
幸せそうな二人は、幸福を与え、里が平和である証だった。
それを傷付ける者は、例え、里の子妖であっても、誰であっても許されない。
「許さねぇぞ」
雷が落ち、火の玉や氷柱が飛び、風が舞い上がり、皇牙の鉤爪に切り裂かれても、化け物は、止まらず、黒い筋となった影で、木々を薙ぎ倒し、季麗達の体を吹き飛ばした。
六人が、ボロボロになりながらも、化け物の影を避け続けていた時、呼子の音が響き渡った。
「蓮花…どうし…」
「止まるな。死ぬぞ」
視線を向けていた季麗に向かう影を弾き、視線も向けずに、扇子を取り出した。
「桜。力を貸せ」
光を放ち、扇子が、弓に変わると、それを見ていた季麗達は、驚きで、目を大きくした。
光の矢が、化け物の胸を貫く。
叫ぶような雄叫びを上げ、化け物が、子妖の姿に戻ると、辺りに黒い靄が立ち込めた。
「…脆い」
そこに現れた月蝶に、季麗達は、睨むように目を細めて、それぞれ、臨戦態勢になった。
「はやり、子妖は使えぬか」
子妖に向かう影を貫き、更に、矢を放つと、月蝶は、それを避けるように飛び退いた。
「何度も、邪魔をしてくれるな。夜月蓮花」
「月蝶。いつまで、裏切りを引きずっている」
幼い頃。
父親の教えを破り、月蝶は、与えられた妖かしを可愛がり、手を掛け、目を掛けていた。
だが、その妖かしは、子供の頃、悪い事をしていた訳でなく、普通に暮らしていたところに、突然、月蝶の父親が現れた。
『どうしましたか?』
『此処に行きたいんだが、迷ってしまって。悪いが、教えてくれないだろうか?』
『良いですよ』
妖かしは、月蝶の父親に騙され、住処から離れた場所で攻撃されてしまい、痛手を負った。
『父上…母上…助け…て…』
『もう遅い。汝、我に仕えよ』
倒されたことで、強制的に、式神契約が結ばれてしまい、両親や一族と引き離されてしまった妖かしは、月蝶の父親を恨んだ。
憎しみと哀しみの闇に堕ち、心優しい妖かしに、復讐だけが生きる全てとなった。
その為、妖かしは、月蝶を利用した。
ある日。
妖かしが、月蝶の正式な式神となる為、一時的に、父親との契約が解除された。
その瞬間、妖かしは、月蝶の前で、父親を殺し、月蝶の母親をも殺し、泣き叫ぶ月蝶を襲った。
『…ど…して…』
冷たく蔑む目で、見つめる妖かしは、血を流す月蝶に向けて、ニヤッと不気味な笑みを浮かべた。
『有り難う。愚かであってくれて』
月蝶の中に、絶望が広がった。
『…誰か…誰かーーー!!』
その妖かしは、駆け付けた陰陽師に捕まり、凶悪な妖かしとして、処罰された。
その時から、月蝶は、変わってしまった。
「たかが、一度の裏切りで、生きる者の邪魔をするな。お前は…」
「貴様に何が分かる!!」
額から左耳に掛けて、左目に付けられた傷を露にして、月蝶が、髪を振り乱して叫ぶと、黒い靄が広がり、周囲の木々や草花を飲み込み、枯らしていった。
「貴様に!!夜月一族に!!何が分かる!!」
漂っていた黒い靄が、渦を巻いた。
「夜月蓮花…貴様が消えれば、華月の遺志を継ぐ者はいなくなる…消えろ!!」
闇に包まれ、月蝶の闇を感じる。
とても冷たく、哀しみが溢れ、月蝶の心は、完全なる闇に支配されていた。
体を包むように、結界を張り、指先だけで、闇に触れれば、その者の心を感じ取れるようになった。
それが出来るようになったのは、冥斬刀や華月に支えられ、己を鍛える事が出来たから。
こんなにも、深く、淀んだ闇を抱えたまま、月蝶は、何千年も、何万年も、一人で生き続けていた。
月蝶は、もう自身で、闇を断ち切り、終わらせることが出来ない。
指先から力を放つと、光の筋が、波紋のように広がり、闇を絡め始めた。
その光は、外にまで広がり、月蝶は、顔を歪め、右手を翳し、握り潰そうと指を折った。
だが、闇は、縮まるどころか、光と共に膨張していく。
「…終わりにしましょう。月蝶」
闇が弾け飛ぶと、悔しそうに奥歯を噛み締め、月蝶は、更に、大きな闇を生み出し、そこから、真っ黒のトゲを飛ばした。
「来い。紗緒」
冥斬刀、扇の形。
大きな扇になった冥斬刀を振ると、光の波紋が広がり、真っ黒のトゲを弾き飛ばし、強い風が、辺りに吹き荒れた。
「お前も。妖かしも。一つの霊」
「一緒にするな!!」
空に向かい、立ち上がった影から、真っ黒な雨が降り注ぐ。
「紅香」
冥残刀、笠の形。
手から、光の筋が伸び、笠のように広がる光が、雨を防ぎ、立ち上がった影を突き破る。
「皆、同じなのだ」
「違う!!」
影が地面に落ち、ユラユラと、炎のように揺めき、足元に向かって来た。
「孔錫」
冥斬刀、錫の形。
杖となり、大地を叩くと、地面を突き破り、光の波が、揺らめいていた闇を消し去った。
「皆、還るべき世界がある」
「黙れ」
手に影を集め、大鎌の様な形になり、月蝶が向かって来た。
「幸村」
冥斬刀、矛の形。
槍になり、振り下ろされた大鎌を防ぎ、薙ぎ払って、突き出すと、月蝶は、後ろへ飛び退き、大鎌が刀の形になった。
「月影」
冥斬刀、刀の形。
月のように、細く美しい刀に変え、月蝶の刀を防ぎ、鍔迫り合いをするように、顔を近付けた。
「哀しい闇など、何も生まない」
「黙れ」
月影を弾くように、後ろへ飛び退きながら、刀が、グニャリと曲がり、鞭のようにしなって、振り下ろされた。
月影で弾くと、月蝶の影が、大きな玉となり、頭上高くに浮かんでいた。
「闇を生み出しても、お前の過去は、変わらない」
「黙れ」
「桜」
落ちて来る玉に桜を向け、光の矢を放ち、影を打ち消すと、目の前に月蝶が現れ、突き飛ばされた。
後ろへ転がり、足を擦るように止まると、真っ黒なトゲと共に月蝶が、向かって来ていた。
手を翳し、結界を張ると、光と闇が、雷のように走り、砂煙を舞い上げながら、強い風が吹き荒れ、季麗達を吹き飛ばし、草木を揺らした。
「過去に囚われるな。前に進め」
「黙れ!!」
月蝶が、後ろへ飛び退き、本来の姿に変わり、冥残刀を孔錫に変え、地面を叩き、足元に光の波紋を広げ、大きな結界を張り、月蝶を遠くへと押しやった。
「皇牙さん」
皇牙が、茂みから這い出て来た。
「あの子をお願いします」
「え?あぁ。分かった」
風のような速さで、抱えて戻った皇牙の腕の中で、子妖の頬や足、腕などに黒いシミが広がっていた。
「その子妖は、もうすぐ消える」
転がっていた季麗達も、出て来て、子妖を見下ろし、悲しそうに目を細めた。
「今すぐ、里に戻りなさい」
「でも…」
「現実から逃げてはならない」
どんな辛い現実でも、そこから、目を反らし、逃げていては、誰も救われない。
哀しみも、苦しみも、全てを受け止め、分かち合い、前に進む。
そうしなければ、また、月蝶のような者が生まれてしまう。
「今ある現実と向き合いなさい」
季麗達は、子妖を抱え、里に向かって走り出した。
「…生きて…皆…生きて…語り継いで…お願い…」
辛く哀しい世の中で、多くを知り、必死に、生きて、生きて、生き抜いて、沢山の霊達に、生きる全てを語り継ぎ、愛する者の描いた未来を築いて欲しい。
「目覚めよ。息吹をこの手に」
孔錫から、強い光が放たれ、全ての霊を包み込んだ。
それは、月蝶をも包み、その暖かさと優しさに、涙が流れ落ちた。
「何故だ…何故、救おうとする」
「お前も、一つの霊だからだ。月蝶。私は、黄泉世の護人として、お前を送る」
その背に、どんな重い罪を背負おうとも、送らなければならない。
泣いてはならない。
それでも、涙の幕が瞳を覆い、視界が歪む。
「遅い…もう手遅れだ…我は、もう前には進めぬ」
「大丈夫。ちゃんと進める。私と睡蓮が、送るのだから」
光が弾け、新たな冥残刀が現れた。
冥残刀、珠の形。
その名は、睡蓮。
蓮の花の形をした宝玉。
手の上に浮かび、小さな波紋を纏っていた。
「逝こう。黄泉の世界へ。そして、また生まれ来よう。このくだらなくも、素晴らしい世界へ」
腕を前に伸ばし、力を送ると、睡蓮は、足元に大きな花を咲かせ、その体を包み込むように、花を閉じ始めた。
「蓮花!!」
最期の瞬間、別れを告げた皆の姿が見え、嬉しさを宿し、微笑みを送った。
「逝くな!!」
斑尾の叫びも空しく、睡蓮は、花を閉じ、光の波紋を広げ、ヒラヒラと花びらを散らして消えた。
亥鈴達の目に、涙が浮かび、多くの霊が頬を濡らした。
ー有り難うー
ーごめんねー
ー大丈夫ー
ー大好きー
ー笑ってー
花びらが、頬を撫でるように落ちる度、亥鈴達の耳に、沢山の声が聞こえた。
ー生きてー
「蓮…花…」
ー生きて…私の愛しき斑尾…ー
「蓮花ーーーーーーー!!」
風に溶けて消える花びらを抱き、斑尾が、大声で泣き叫ぶ。
そんな斑尾の周りで、白夜や風雅達も拳を震わせ、雷螺や理苑達も肩を震わせ、流青や紅夜達も膝を着き、静かに涙を流した。
気高き妖かし達にとっては、異様な光景だが、斑尾達の姿が、季麗達が、想い描いた未来の姿。
一つの霊が、沢山の霊を想い、その沢山の霊が、一つの霊を支えた世界。
そんな世界が、人の世界も、妖かしの世界も、どんな世界も、交ざり合い、解け合い、分け隔てない世界になり、一つ一つの霊が、沢山の霊を支え合える世界が、この世に広がれば、どんなに悲しく、辛い現実でも、小さな喜びと夢を輝かせることが出来るようになる。
ー私も、彼らも、そして、君も…この世に生きる者は、全て、一つの霊なんだよ?ー
皆、同じで、皆、違う。
だから、胸を張り、前を向く。
そうすれば、心許せる一つの霊と出会える。
そして、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、生き抜かなければならない。
それが、この世に生きる者の存在する本当の意味。
悪者を責めるよりも、弱者を罵るよりも、自分自身と向き合い、ゆっくりでも良いから、未来に進み、大切な者と大切な時を護り、思いやって生きて逝く。
ーそうすれば、きっと、君も、護子になれる。この世を護れる人となれる。恐れないで。君は、確かに、私の護子だから…ー
~完~
『弱ぇな~おい』
『所詮は、半妖ってことだ』
『こんなの育てるなんて、頭おかしいんじゃねぇの?』
急いで、駆け付けた篠は、高らかに笑う妖かし達を殴り付けた。
「皇牙様を育てたのは、俺の両親だ」
偶然でも、篠は、自分の親を悪く言われ、皇牙を傷付けられた事で、沸騰するように、頭に血が上り、その者達を八つ裂きしそうな程、ボコボコにしてしまった。
「俺は、自分を止められなかった。相手が、変わる機会を与えなかった。でも、お前は、自分を止め、アイツに変わる機会を与えた。それは、お前の恩師が教えたことだろ?」
己の感情をも、しっかりと操れ。
そして、同じ生きる者ならば、相手が変わる機会を与えろ。
「…有り難うございます」
修螺は、気持ちが楽になり、安心したように微笑んだ。
「ごめん…皆、怖がらせたよね?」
「これで、離れるようなら、本当の友達にはなれない。俺のように、何があっても、離れない友を作れ」
大暴れし、休学処分を受けた篠から、朱雀達は離れず、学問所で教えられた事を伝え、早く、復学出来るように働いてくれた。
「なら、修螺君には、もういますね」
雪姫と天戒は、暴そうになった修螺を恐れず、その想いを一緒に分かち合おうと隣にいる。
「そうだね。有り難う」
優しく微笑む三人に、篠も、優しく微笑んだ。
「もう行け。あとで、茉から、お灸を添えられるだろうから、覚悟しとけよ?」
「はい」
「お前らも行け」
篠の声に、集まっていた子妖達が、走り去ると、三人は、一緒に歩き始めた。
その頃、修螺に怯み、逃げ出した子妖は、悔しそうに奥歯を噛んで、足音を鳴らしながら、森の近くを歩いていた。
「くそ…くそ…くそ…くそーーーー!!」
子妖は、更に、修螺を憎んでしまい、腹の底から叫んだ。
自分の悪さなど、一つも理解せず、他人のせいにばかりしてる子妖は、月蝶にとって、使える道具となる。
「憎いかい?」
「っ!!誰だ!!」
森から、子供の姿に化けた月蝶が、その姿を現した。
「誰だ!!お前!!そこで何を…」
「憎いかい?半妖の子が」
声を遮り、月蝶が問い掛けると、子妖は、悔しそうに奥歯を噛んだ。
「お前に関け…」
「力が欲しいかい?」
月蝶の言葉が、子妖の興味を惹き付けた。
「力が欲しいかい?絶対的な力を、手に入れたくないかい?」
「絶対的な力…それは、どうやって手に入るんだ」
「知りたいかい?」
「どうやんだって言ってんだよ!!」
「ククク。良いよ?教えてあげるよ。…耐えられるならね…」
「あぁ?!」
「こっちにおいで」
月蝶が手招きしたが、子妖は、その後ろに広がる真っ暗な森に、恐ろしさを感じた。
「どうしたの?怖いの?」
「あぁ?!怖くなんか…」
「なら、おいでよ。絶対的な力、君にあげるから」
月蝶を追い、暗闇に姿を消した。
子妖が姿を消した翌日。
修螺は、一人で、子妖を探そうとしていた。
「修螺」
そんな修螺の前に、雪姫と天戒が現れた。
「一人は、ダメだよ?」
「僕達も、一緒に探します」
「…有り難う」
それから、三人で、里の中や周囲を探していたが、子妖は、見付からなかった。
そして、子妖がいなくなってから三日後。
鈴が鳴り響き、修螺は、急いで斑尾の元に向かった。
「どうした」
「実は…僕を虐めていた子が、他の子を虐めていたんですが、やり過ぎてしまって。五日程前から、いなくなってしまったんです」
斑尾の眉間にシワが寄った。
「阿呆」
「ごめんなさい」
「その子妖が、いなくなったのは、どの辺りだ」
「それが…分からないんです」
「どうゆう事だ」
子妖を見た妖かしに聞きながら、探していたが、何度も、同じ所をグルグル回っていた。
「そうか。あとの事は、我に任せろ」
「心当たりでもあるんですか?」
「もし、お前の強さを目の当たりにし、その子妖が、逆の道を進んだならば…そこからは、我の仕事だ。行け。決して、深追いはするな」
斑尾が飛び立ち、それを見送ってから、里に戻り、雪姫達と合流してから、宛もなく歩き回った。
それぞれの家に帰り、修螺は、密かに、沢山の可能性を考えた。
次の日。
修螺は、誰にも言わず、一人で、最初の証言で得た森に入った。
子妖が、逆の道を選んだのならば、斑尾の仕事と聞かされ、そこから、修螺は、子妖が森に入り、何か悪い事をしようとしてるか、何かに巻き込まれてると考えた。
ならば、自分が助ける。
その強い想いが、森の奥へと向かわせ、微かに、獣のような声が聞こえると、慎重に、その声に近付いた。
蜘蛛の巣のような黒い筋の中央に、子妖は、捕らえられていた。
修螺は、周囲を警戒しながら、黒い蜘蛛の巣に向かった。
「…誰だ」
すぐ後ろから聞こえた声に、修螺は、急いで横に反れるように飛び退き、その姿を探したが、何もいない。
「殺されに来たか」
頬を黒い筋に殴られ、修螺の体が、弾き飛ばされた。
足を擦るようにして、踏ん張ると、子妖の横に月蝶が現れた。
「だが、まだ早い」
月蝶は、子妖の髪を掴み、引き上げた。
正気の消えた瞳。
蒼白い唇。
子妖の顔は、涙とヨダレで、グチャグチャになっていた。
その姿が恐怖を与え、修螺は、小さく肩を震わせた。
「…離せ…彼を離せ!!」
修螺に、情の消えた瞳が向けられた。
「妖かし風情が」
無数の黒い筋が、修螺を襲う。
「小賢しい」
それらを避け、修螺は、子妖に近付いたが、黒い蜘蛛の巣から、現れた筋が、その体を弾き飛ばした。
「串刺しにしてやる」
鋭く尖った黒い筋が、起き上がろうとする修螺に向かったが、その小さな体に突き刺さることなく、地面に突き刺さり、吹雪が、月蝶の視界を奪った。
「…姫ちゃん…」
雪が二人の姿を隠すと、修螺は、雪姫の背中を見つめた。
「どうして」
「助けたいの!!」
「姫ちゃん…っ!!危ない!!」
黒い筋が雪姫を狙い、修螺は、その体に抱き付き、地面を蹴り飛ばした。
転がるように、黒い筋を避けると、雪が止み、二人を視界に捕らえた月蝶は、不気味な笑みを溢した。
「妖かしの分際で、我に歯向かった罪だ。死ね」
二人に、鋭く尖った筋が向かう。
覚悟を決め、目を閉じた二人の前に、哉代が現れ、結界を張り、無表情になった月蝶に向かい、氷の柱と火の玉が放たれ、ぶつかった瞬間、砂煙が舞い上がった。
「大丈夫か?こっちだ」
茉と篠が、二人に駆け寄り、その肩を支えて起こし、茂みに連れて行こうとした時、砂煙の中から、何本もの黒い筋が現れた。
空に向かい、立ち上がった黒い筋は、飛んでいた葵を巻き込んで、四方に分かれ、雨のように降り注ぐ。
周囲に砂煙が立ち込め、視界が遮られると、茉と篠が、弾き飛ばされ、修螺は、雪姫の頭を抱えた。
「ふっ!」
茉達の声に混じり、頭上の修螺から、小さな声が漏れると、生暖かく、粘りけのある液体が、伝い落ちた。
「修…螺…」
砂煙が落ち着くと、茉達が、痛みに転がり、修螺の肩が、赤く染っていた。
「まったく。手こずらせてくれるなよ」
唸るような呻き声を出す子妖の隣で、無表情の月蝶が、不気味な笑みを浮かべると、呼子の音が響き渡った。
「まだ抗うか」
助けたい一心で、必死に、斑尾の呼子を吹く雪姫に、月蝶が手を翳すと、周囲の黒い筋が、一斉に向かったが、強い風と光が、それを防ぎ、二人を覆うように、斑尾が降り立った。
「よく頑張ったな」
「修螺が…修螺が…」
泣きながら、修螺の肩を押さえて、震える雪姫に、斑尾は、そっと頬を寄せた。
「落ち着け。落ち着くんだ。いつものように。出来る事をやるんだ」
その優しい声が、不安を削ぎ落とし、雪姫は、懐から布を取り出して、修螺の傷を塞ぎ、止血を始めた。
「ありがと」
弱々しいが、しっかりとした口調の修螺に、斑尾は、小さく微笑み、不気味に微笑む月蝶を見据えた。
「神獣、斑尾。貴様のような妖かしが、そんな小汚い妖かしを庇うなんて。くだらない世になったな」
「貴様が言うな。月蝶」
「所詮は、貴様も妖かしか」
月蝶が手を翳すと、斑尾に向かい、沢山の黒い筋が向かった。
斑尾は、光を放ち、それを防ぐと、下にいる二人に、視線を向けた。
「逃げるのだ」
「厭です」
「修螺が、戦える相手ではない。雪姫を連れて逃げるのだ」
「僕は…僕は、彼を救わずに逃げるなんて、決してあってはいけない」
自分が追い込んだのなら、自分が助けたい。
それが、修螺を突き動かしていた。
「僕がやらなきゃ…僕が狂わせたなら、僕がやらなきゃいけないんです」
強い光を携え、修螺が、斑尾を見上げると、雪姫は、その背中に抱き付いた。
「やめて…行かないで…」
「…姫ちゃん」
「修螺」
背中で泣いている雪姫から、視線を移し、修螺が見上げると、斑尾は、小さな微笑みを浮かべて首を振った。
「それ以上、大切な者を泣かしてどうする。お前を好いてる者を泣かせてまで、その積を背負う必要はない」
「…え…」
修螺の頬に熱が集まり、頬が赤く染まった。
「好き合う者同士。幸せにあれる未来を選べ」
修螺は、優しく微笑む斑尾を見つめ、苦しそうに目を細めた。
「行け」
唇を噛んで、雪姫の手を掴むと、修螺は、茂みに向かって走り出した。
後ろで、眩しい光が放たれ、爆風が二人の足を拐う。
修螺は、雪姫を抱え、痛む肩も気にせず、茂みの中に飛び込んだ。
爆風で、木々の枝が折れ、茂みから、大量の葉が散る中、雪姫の頭を守るように抱え、修螺は、必死に、その場に止まった。
暫くすると、爆風が治まり、修螺は、雪姫を抱えたまま、静かに、茂みの隙間から、後ろの様子を伺った。
斑尾の手足に、黒い筋が突き刺さり、白銀の体には、紅い筋が流れ、足元には、血溜まりが、大きく広がっていく。
「堕ちた神獣など、転がってる妖かしと、何も変わらぬ」
周囲に視線を動かし、ボロボロの茉達が気絶しているのを見つめ、顔の見えない子妖の呻き声を聞き、修螺の脈が速くなる。
「妖かしなど、所詮、道具。使えぬ道具は要らぬ」
空に向かい、月蝶が手を翳すと、黒い筋は、空高く立ち上がり、四方に広がり、黒い氷柱のような刺が、下に向いて止まった。
「要らぬ道具など、存在する価値などない。消えろ」
修螺が、雪姫の頭を抱え、目を閉じると、その胸に願いが生まれた。
守りたい。
死なせたくない。
救いたい。
ここにいる全ての命が、失われて欲しくない。
「…死にたくない…」
その願いに、応えるように、修螺の胸元から光を放ち、周囲に広がると、光のベールが、斑尾や茉達を包み、その光に驚き、雪姫が離れた。
「蓮ちゃんの…呼子が…」
懐から引き出した呼子は、更に、強い光を放つ。
「…蓮ちゃん…お願い…助けて…」
息を吹き込むと、呼子は、優しい音を響かせた。
想いに応える呼子の音が、落ち着くと、光が消え、光のベールも消えた。
「小賢しい子妖めが!!」
怒りに任せ、月蝶が黒い筋を二人に向かわせたが、光の矢が突き刺さり、黒い筋は、光の矢と共に弾けて消えた。
次々に放たれる光の矢は、周囲に広がっていた黒い筋に突き刺さり、闇が弾け、周囲に光が散らばる中、二人を背に、月蝶に桜を向けた。
「蓮…ちゃん…」
「守りなさい」
修螺は、呼子を握り締め、雪姫の肩を抱き寄せた。
「生きなさい」
気絶してた茉達が、目を覚ました。
「己を想いなさい」
腹を着け、肩で息をする斑尾は、横目で視線を向けた。
「妖かしも、霊も、道具じゃない。要らない霊など、この世にない」
忌々しそうに、月蝶が、目を細めるのを見つめ、桜を握り締めた。
「この世は、くだらなくない!!」
光の矢を放ち、胸の前で、指を立てると、桜を伝い、力が加わった矢は、太くなり、月蝶を覆った闇に突き刺さった。
視界を遮る程の光が、周囲を覆うと、闇は消え去り、月蝶と子妖の姿も消えた。
「蓮ちゃ…」
「斑尾」
修螺の声を遮り、近付くと、斑尾は、ヨロヨロと起き上がった。
「何故、知らせなかった」
「お前の手を借りずとも、我が一人で…」
「ふざけるな!!」
怒鳴り声が木霊して、周囲の木々を揺らした。
「一人で何が出来た!!怪我だけで済んだが、下手をすれば、死んでいたのだぞ!!分かってるのか!!」
悔しそうに歯軋りをして、斑尾は、目を閉じた。
「変な所で意地を張ってどうする!!お前は…」
「ふざけてるのはお前だ!!」
斑尾の怒鳴り声で、また木々が揺れ、葉が舞い落ちた。
「名を返して回りおって!!我らの…我の想いも無視しおって!!何がふざけるなだ!!お前の方がふざけておるだろ!!どうして…どうして共に死なせぬのだ!!あの時の約束は嘘なのか!!」
互いに、自分を殺して生きた。
これからも、そうして生きるはずだった。
「嘘じゃない」
「ならば!!」
斑尾も、黄泉に還る時まで、生き抜いて欲しい。
「やめろ!!」
両手を合わせ、斑尾の式札を唇で挟み、口から息を吐くと、式札から、蒼白い光が、靄のように抜け出て、宙を漂い、斑尾の体に溶け込む。
ー蓮花!!我は!!ー
「有り難う斑尾…ごめんね?…愛してる…」
薄れる斑尾に向かい、微笑みながら、押し殺していた想いを告げた。
苦しそうに顔を歪め、斑尾は、蒼白い靄と共に消えた。
強制解除。
一方的に名前を返し、式契約を解除した為、斑尾の記憶は見えない。
その想いも、願いも、知る事は出来なかったが、一つだけ分かる事がある。
それは、斑尾と約束した言葉。
「私も…ずっと…一緒に…いたかったよ…」
死ぬまで一緒。
それが、斑尾との約束。
だが、時が流れ、多くの霊と関わり、周囲に愛が溢れ、幸せを願えば願う程、斑尾にも生きて欲しくなった。
「蓮ちゃん…」
「修螺も姫ちゃんも、想いを殺さないでね?」
涙が溢れそうになるのを我慢し、雪姫と修螺に、優しく微笑むと、二人は、悲しそうに目を伏せた。
「私達みたいに…ならないでね?…お願い」
「うん…有り難う。蓮ちゃん」
肩を寄せ合い、額を合わせて、顔を隠す二人を見つめた。
二人がいつまでも、一緒に居られる世界を作りたい。
「夜月蓮花…忌々しい。だが、次で終わりだ。覚悟しろ…夜月一族め」
月蝶の声は届く事なく、暗い闇に溶けて消え、紅く、闇に染まった小さな体は、憎しみと妬みで、想像を絶する程の大きな闇へと生まれ変わった。
斑尾と別れ、修螺や茉達を里に送り届け、一人で、光の卵の中で、冥斬刀と力を共鳴させ始めた。
だが、斑尾に注いでいた力は、とても強大だった。
その卵から、抜け出るまで、かなりの時間を費やすことになった。
里に戻ってからの修螺と雪姫は、互いの気持ちを知り、最初は、恥ずかしそうだったが、次第に、恥ずかしさは消え、ただ寄り添い、二人でいる事に浸り、喜びと幸せに満ちていた。
二人の幸福が、伝染するように、里の中には、ただ一つ、子妖が戻らない事以外は、幸福が満ち溢れていた。
そんな時間が流れ、三日後、天戒や他の子妖達と離れ、雪姫と修螺が、手を繋ぎ、ただただ、公園をブラブラと歩いていた時、目の前に子妖が現れた。
「よぉ~」
それは、月蝶に連れ去られた子妖だった。
無事で現れた子妖に、声を掛けようとした修螺の体が、吹き飛び、駆け寄ろうとした雪姫の腕が掴まれた。
子妖は、痛みに顔を歪める修螺に、ニヤリと不気味に笑った。
「コイツは俺が貰う」
「厭!!」
「姫ちゃん!!」
雪姫を連れ去ろうとした子妖に向かい、修螺が走り出す。
子妖が手を翳すと、その背中から、黒い筋が飛び出し、修螺の体を突き飛ばした。
「修螺のクセに生意気なんだよ」
「彼女を…離せ!!」
何度、突き飛ばされても、向かって来る修螺を見つめ、雪姫は、雪を降らせ、その姿を隠した。
「離して!!」
雪を降らせながら、子妖の手から逃れようと、雪姫が暴れると、子妖の影が、黒い筋になり、その頬を叩いた。
「うるせぇんだよ」
涙を浮かべ、歯を食い縛って、叩いても、殴っても、子妖は、ニヤニヤと笑ったまま、その手を離さなかった。
「無駄なんだよ。大人しくしっ!!」
再び、雪姫の頬を叩こうとした時、子妖の目の前に、修螺の右手が現れ、顔の前で、火の玉が放たれた。
その手が離れ、雪姫は、修螺に抱き付き、修螺も、雪姫を抱えて、後ろへと飛び退いた。
「大丈夫?」
「うん。修螺は?」
「大丈夫」
叩かれた雪姫の頬を撫でてから、修螺は、雪に紛れるように走り出した。
「お~の~れ~…修螺!!」
黒い筋が、逃げる二人を追い、修螺は、それを掻い潜り、他の妖かしの視界に入るように、大通りを駆け抜けた。
「しゅーーらーーーーー!!」
妖かし達の目を気にせず、子妖は、黒い筋を振り回し、家々を壊しながら、二人を追い掛けた。
それを見ていた妖かしが、一番近くにあった屋敷に駆け込み、皇牙と篠が、二人を追う子妖を追った。
子妖が通った後は、残酷な程、全てが薙ぎ倒され、叩き壊されていた。
「篠!!皆に伝えて!!」
「はい!!」
篠が、季麗達を呼びに行ってる間、皇牙は、一人で子妖を追った。
「皇牙様!!」
逃げながらも、修螺は、雪姫を隠すように逃していた。
「東の森に向かって下さい。修螺が、そこまで、連れて行くそうです」
「分かった」
「修螺を…修螺を助けて…お願い…」
涙を流して、膝から崩れる雪姫の肩を支え、皇牙は、しっかりと頷いた。
「絶対、助けるよ。だから、雪姫ちゃんは、修螺が戻るまで、屋敷で待ってて?」
頷いた雪姫を残し、皇牙は、東の森に向かった。
その頃、修螺は、遠回りするように、東の森に向かっていた。
「しゅーーらーー」
追って来る子妖の姿は、影に飲み込まれ、大きな蟲のような姿になっていた。
化け物へと成り下がっても、修螺を呼び、追って来る子妖から、必死に逃げ、少し、拓けた所に出た。
黒い筋が、修螺の足に絡まり、その体が、逆さに吊るされてしまった。
「喰ウ」
化け物が、大きな口を開けると、真っ黒の闇が、炎のように揺らめく。
恐怖を感じながらも、必死に、火の玉を放ち、炎の刃で、足の黒い筋を断ち切ろうとしていたが、修螺の体は、闇に向かい、化け物の口に放り投げられた。
「死ネ」
子妖の声が響いたが、飛んできた火の玉と氷柱で、化け物の体が揺れ、修螺は、皇牙に担がれるようにして、そこから突き放された。
「有り難うございます」
「屋敷に向かいなさい」
「雪姫が待ってるぞ」
「はい!!」
背中を向け、修螺は、雪姫の待つ屋敷に向かって、走り出した。
幸せそうな二人は、幸福を与え、里が平和である証だった。
それを傷付ける者は、例え、里の子妖であっても、誰であっても許されない。
「許さねぇぞ」
雷が落ち、火の玉や氷柱が飛び、風が舞い上がり、皇牙の鉤爪に切り裂かれても、化け物は、止まらず、黒い筋となった影で、木々を薙ぎ倒し、季麗達の体を吹き飛ばした。
六人が、ボロボロになりながらも、化け物の影を避け続けていた時、呼子の音が響き渡った。
「蓮花…どうし…」
「止まるな。死ぬぞ」
視線を向けていた季麗に向かう影を弾き、視線も向けずに、扇子を取り出した。
「桜。力を貸せ」
光を放ち、扇子が、弓に変わると、それを見ていた季麗達は、驚きで、目を大きくした。
光の矢が、化け物の胸を貫く。
叫ぶような雄叫びを上げ、化け物が、子妖の姿に戻ると、辺りに黒い靄が立ち込めた。
「…脆い」
そこに現れた月蝶に、季麗達は、睨むように目を細めて、それぞれ、臨戦態勢になった。
「はやり、子妖は使えぬか」
子妖に向かう影を貫き、更に、矢を放つと、月蝶は、それを避けるように飛び退いた。
「何度も、邪魔をしてくれるな。夜月蓮花」
「月蝶。いつまで、裏切りを引きずっている」
幼い頃。
父親の教えを破り、月蝶は、与えられた妖かしを可愛がり、手を掛け、目を掛けていた。
だが、その妖かしは、子供の頃、悪い事をしていた訳でなく、普通に暮らしていたところに、突然、月蝶の父親が現れた。
『どうしましたか?』
『此処に行きたいんだが、迷ってしまって。悪いが、教えてくれないだろうか?』
『良いですよ』
妖かしは、月蝶の父親に騙され、住処から離れた場所で攻撃されてしまい、痛手を負った。
『父上…母上…助け…て…』
『もう遅い。汝、我に仕えよ』
倒されたことで、強制的に、式神契約が結ばれてしまい、両親や一族と引き離されてしまった妖かしは、月蝶の父親を恨んだ。
憎しみと哀しみの闇に堕ち、心優しい妖かしに、復讐だけが生きる全てとなった。
その為、妖かしは、月蝶を利用した。
ある日。
妖かしが、月蝶の正式な式神となる為、一時的に、父親との契約が解除された。
その瞬間、妖かしは、月蝶の前で、父親を殺し、月蝶の母親をも殺し、泣き叫ぶ月蝶を襲った。
『…ど…して…』
冷たく蔑む目で、見つめる妖かしは、血を流す月蝶に向けて、ニヤッと不気味な笑みを浮かべた。
『有り難う。愚かであってくれて』
月蝶の中に、絶望が広がった。
『…誰か…誰かーーー!!』
その妖かしは、駆け付けた陰陽師に捕まり、凶悪な妖かしとして、処罰された。
その時から、月蝶は、変わってしまった。
「たかが、一度の裏切りで、生きる者の邪魔をするな。お前は…」
「貴様に何が分かる!!」
額から左耳に掛けて、左目に付けられた傷を露にして、月蝶が、髪を振り乱して叫ぶと、黒い靄が広がり、周囲の木々や草花を飲み込み、枯らしていった。
「貴様に!!夜月一族に!!何が分かる!!」
漂っていた黒い靄が、渦を巻いた。
「夜月蓮花…貴様が消えれば、華月の遺志を継ぐ者はいなくなる…消えろ!!」
闇に包まれ、月蝶の闇を感じる。
とても冷たく、哀しみが溢れ、月蝶の心は、完全なる闇に支配されていた。
体を包むように、結界を張り、指先だけで、闇に触れれば、その者の心を感じ取れるようになった。
それが出来るようになったのは、冥斬刀や華月に支えられ、己を鍛える事が出来たから。
こんなにも、深く、淀んだ闇を抱えたまま、月蝶は、何千年も、何万年も、一人で生き続けていた。
月蝶は、もう自身で、闇を断ち切り、終わらせることが出来ない。
指先から力を放つと、光の筋が、波紋のように広がり、闇を絡め始めた。
その光は、外にまで広がり、月蝶は、顔を歪め、右手を翳し、握り潰そうと指を折った。
だが、闇は、縮まるどころか、光と共に膨張していく。
「…終わりにしましょう。月蝶」
闇が弾け飛ぶと、悔しそうに奥歯を噛み締め、月蝶は、更に、大きな闇を生み出し、そこから、真っ黒のトゲを飛ばした。
「来い。紗緒」
冥斬刀、扇の形。
大きな扇になった冥斬刀を振ると、光の波紋が広がり、真っ黒のトゲを弾き飛ばし、強い風が、辺りに吹き荒れた。
「お前も。妖かしも。一つの霊」
「一緒にするな!!」
空に向かい、立ち上がった影から、真っ黒な雨が降り注ぐ。
「紅香」
冥残刀、笠の形。
手から、光の筋が伸び、笠のように広がる光が、雨を防ぎ、立ち上がった影を突き破る。
「皆、同じなのだ」
「違う!!」
影が地面に落ち、ユラユラと、炎のように揺めき、足元に向かって来た。
「孔錫」
冥斬刀、錫の形。
杖となり、大地を叩くと、地面を突き破り、光の波が、揺らめいていた闇を消し去った。
「皆、還るべき世界がある」
「黙れ」
手に影を集め、大鎌の様な形になり、月蝶が向かって来た。
「幸村」
冥斬刀、矛の形。
槍になり、振り下ろされた大鎌を防ぎ、薙ぎ払って、突き出すと、月蝶は、後ろへ飛び退き、大鎌が刀の形になった。
「月影」
冥斬刀、刀の形。
月のように、細く美しい刀に変え、月蝶の刀を防ぎ、鍔迫り合いをするように、顔を近付けた。
「哀しい闇など、何も生まない」
「黙れ」
月影を弾くように、後ろへ飛び退きながら、刀が、グニャリと曲がり、鞭のようにしなって、振り下ろされた。
月影で弾くと、月蝶の影が、大きな玉となり、頭上高くに浮かんでいた。
「闇を生み出しても、お前の過去は、変わらない」
「黙れ」
「桜」
落ちて来る玉に桜を向け、光の矢を放ち、影を打ち消すと、目の前に月蝶が現れ、突き飛ばされた。
後ろへ転がり、足を擦るように止まると、真っ黒なトゲと共に月蝶が、向かって来ていた。
手を翳し、結界を張ると、光と闇が、雷のように走り、砂煙を舞い上げながら、強い風が吹き荒れ、季麗達を吹き飛ばし、草木を揺らした。
「過去に囚われるな。前に進め」
「黙れ!!」
月蝶が、後ろへ飛び退き、本来の姿に変わり、冥残刀を孔錫に変え、地面を叩き、足元に光の波紋を広げ、大きな結界を張り、月蝶を遠くへと押しやった。
「皇牙さん」
皇牙が、茂みから這い出て来た。
「あの子をお願いします」
「え?あぁ。分かった」
風のような速さで、抱えて戻った皇牙の腕の中で、子妖の頬や足、腕などに黒いシミが広がっていた。
「その子妖は、もうすぐ消える」
転がっていた季麗達も、出て来て、子妖を見下ろし、悲しそうに目を細めた。
「今すぐ、里に戻りなさい」
「でも…」
「現実から逃げてはならない」
どんな辛い現実でも、そこから、目を反らし、逃げていては、誰も救われない。
哀しみも、苦しみも、全てを受け止め、分かち合い、前に進む。
そうしなければ、また、月蝶のような者が生まれてしまう。
「今ある現実と向き合いなさい」
季麗達は、子妖を抱え、里に向かって走り出した。
「…生きて…皆…生きて…語り継いで…お願い…」
辛く哀しい世の中で、多くを知り、必死に、生きて、生きて、生き抜いて、沢山の霊達に、生きる全てを語り継ぎ、愛する者の描いた未来を築いて欲しい。
「目覚めよ。息吹をこの手に」
孔錫から、強い光が放たれ、全ての霊を包み込んだ。
それは、月蝶をも包み、その暖かさと優しさに、涙が流れ落ちた。
「何故だ…何故、救おうとする」
「お前も、一つの霊だからだ。月蝶。私は、黄泉世の護人として、お前を送る」
その背に、どんな重い罪を背負おうとも、送らなければならない。
泣いてはならない。
それでも、涙の幕が瞳を覆い、視界が歪む。
「遅い…もう手遅れだ…我は、もう前には進めぬ」
「大丈夫。ちゃんと進める。私と睡蓮が、送るのだから」
光が弾け、新たな冥残刀が現れた。
冥残刀、珠の形。
その名は、睡蓮。
蓮の花の形をした宝玉。
手の上に浮かび、小さな波紋を纏っていた。
「逝こう。黄泉の世界へ。そして、また生まれ来よう。このくだらなくも、素晴らしい世界へ」
腕を前に伸ばし、力を送ると、睡蓮は、足元に大きな花を咲かせ、その体を包み込むように、花を閉じ始めた。
「蓮花!!」
最期の瞬間、別れを告げた皆の姿が見え、嬉しさを宿し、微笑みを送った。
「逝くな!!」
斑尾の叫びも空しく、睡蓮は、花を閉じ、光の波紋を広げ、ヒラヒラと花びらを散らして消えた。
亥鈴達の目に、涙が浮かび、多くの霊が頬を濡らした。
ー有り難うー
ーごめんねー
ー大丈夫ー
ー大好きー
ー笑ってー
花びらが、頬を撫でるように落ちる度、亥鈴達の耳に、沢山の声が聞こえた。
ー生きてー
「蓮…花…」
ー生きて…私の愛しき斑尾…ー
「蓮花ーーーーーーー!!」
風に溶けて消える花びらを抱き、斑尾が、大声で泣き叫ぶ。
そんな斑尾の周りで、白夜や風雅達も拳を震わせ、雷螺や理苑達も肩を震わせ、流青や紅夜達も膝を着き、静かに涙を流した。
気高き妖かし達にとっては、異様な光景だが、斑尾達の姿が、季麗達が、想い描いた未来の姿。
一つの霊が、沢山の霊を想い、その沢山の霊が、一つの霊を支えた世界。
そんな世界が、人の世界も、妖かしの世界も、どんな世界も、交ざり合い、解け合い、分け隔てない世界になり、一つ一つの霊が、沢山の霊を支え合える世界が、この世に広がれば、どんなに悲しく、辛い現実でも、小さな喜びと夢を輝かせることが出来るようになる。
ー私も、彼らも、そして、君も…この世に生きる者は、全て、一つの霊なんだよ?ー
皆、同じで、皆、違う。
だから、胸を張り、前を向く。
そうすれば、心許せる一つの霊と出会える。
そして、どんなに辛くても、どんなに悲しくても、生き抜かなければならない。
それが、この世に生きる者の存在する本当の意味。
悪者を責めるよりも、弱者を罵るよりも、自分自身と向き合い、ゆっくりでも良いから、未来に進み、大切な者と大切な時を護り、思いやって生きて逝く。
ーそうすれば、きっと、君も、護子になれる。この世を護れる人となれる。恐れないで。君は、確かに、私の護子だから…ー
~完~
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