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七話
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チャイムの音で目が覚めた。
時間を確認すると、十一時を過ぎたばかりだった。
起き上がると、チャイムが鳴り止み、今度は、着信音が響いた。
アラームで、勝手に再起動していた。
寝ぼけながら、仕事部屋に向かい、携帯の画面を見ると、表示された名前に驚きながら、受話ボタンを押した。
「はい」
『もしもし、マコト?』
電話の相手は、貴子さんだった。
椅子に座りながら、驚きの声を出した。
「どうしたんですか?こんな時間に」
『ちょっと、お願いがあるの。これから、雅美(ミヤビ)達預かってくれない?』
「別に、いいですけど」
『よかったぁ。じゃ、お迎えお願いね』
「なぬ!?迎えまで行くんですか?」
『ごめんね?ちょっとトラブっちゃって。パパも忙しいみたいなのよ。仕事が終わったら、すぐ行くから』
電話口の後ろから、声が聞こえ、その声に貴子が返事をして、指示を出している。
キャリアウーマンも大変だ。
『それじゃヨロシク』
「あ!!ちょ…切られた」
ツーツーと、電話が切られた音を聞き、溜め息をついてから、携帯とジャケットを持って、仕事部屋から出た。
リビングに行き、タバコと灰皿を片付け、ジャケットを羽織って外に出た。
車に乗り込み、雅美達の通っている幼稚園に向かって走らせた。
幼稚園前の路上に、車を停め、中に入り、保育士に声を掛けた。
「お世話様です。佐々木雅美と治斗(ハルト)のお迎えに来ました」
「は~い。治斗く~ん。雅美ちゃ~ん。お迎え来たよ~」
教室にいた二人を呼ぶと、保育士の隣に立つ私を見て、雅美と治斗は、急いで、荷物を持って走ってきた。
「マコト~」
「マコトだ」
「はいはい。靴履き替えてね」
抱き付こうとするのを止め、そう言うと、仲良く並んで、靴を履き替えていたが、先に履き終えた雅美が、足に抱き付いてきた。
「マコトだけ?」
「急いでたからね」
雅美の頭を撫でて、治斗を見ると、焦っているのか、靴が、上手く履けずに泣きそうになってた。
雅美の小さな肩を軽く叩き、膝を着いて、靴を履かせてあげると、治斗は、私の首に腕を回して抱き付いてきた。
「あー!!ズルいー!!」
そう言って、頬を膨らました雅美を見て、笑いながら、治斗の背中を軽く叩いた。
「まず、車に行こう」
「は~い」
二人は、元気に返事をして、保育士に向き直り、頭を下げ、声を揃えて言った。
「センセー、さようなら!!」
挨拶をしてから、二人と手を繋いで、車に戻り、ゆっくり車を走らせた。
途中のコンビニで、ジュースとお菓子を買い、玄関の鍵を開けると、二人は、走って中に入って行った。
リビングのドアを乱暴に開け放つ姿に、苦笑いしながら、リビングに向かう。
子供は元気だな。
二人は、テレビを点け、幼稚園向けの番組を食い入るように見始めた。
コップに買ってきたジュースを注ぎ、ローテーブルに置き、コーヒー飲みながら、携帯を開いた。
メール画面を呼び出し、連名で、祐介と龍之介にメールを打った。
貴子さんの仕事が終わるまで、雅美達を預かることになったから手伝って。
送信して、暫くすると、祐介から返信が届いた。
了解。
仕事が終わったら龍之介と行くね。
よかった。
あんな事があって、二人との関係が、壊れていたら、きっと、私は、立ち直れなかった。
でも、二人との関係は、壊れていなかった。
まだ、頼ってもいいのだと思うと、嬉しくて安心した。
「何してるの?」
無意識に、目を閉じて、携帯を胸に抱いていた。
そんな私をカウンターの椅子に乗って、雅美が見ていた。
「ななんでもない」
慌てて携帯を閉じ、ジャージのポケットに仕舞うと、雅美は、首を傾げた。
「なに?」
「お腹すいた」
「さっき買ったお菓子でも食べる?」
そう言って、お菓子を雅美に差し出した。
「うん。ありがとう」
雅美は、お菓子を受け取ると、治斗の所に行き、二人で食べ始めた。
満さんと結婚しても、貴子さんは、雑誌の編集者として、奮闘してた。
雅美が生まれ、翌年に治斗を妊娠した。
その時から、よく雅美を預かっていた。
治斗が生まれ、貴子さんが、仕事に復帰してからは、二人を預かっている。
いつからか、私が、迎えに行くと、喜んでくれるようになって、そんな二人が、家に来るのを嬉しく思うようになった。
荒んだ私の心を解してくれる。
二人は、そんな存在。
これが、自分の子供ならとも思うが、それは叶わない。
哀しい現実が、胸に突き刺さる。
それでも、私は、子供がいる幸せを少しばかり、味わえるだけで満足だ。
お菓子を食べ終わって、暫くすると、番組も終わりを告げ、二人が見るような番組がなくなった。
元気を持て余してる二人は、ソファの上で、跳び跳ねたり、走り回り始めた。
「危ないよ」
そう声を掛けた時、雅美が、背もたれに頭をぶつけ、大声をあげて泣き出した。
「雅美!?」
泣き叫ぶ雅美の前に、膝を着き、その肩を抱き寄せた。
ただ黙って優しく、頭を撫でていると、治斗が、Tシャツの裾を掴んだ。
不安そうな治斗に、顔を向け、優しく微笑んで頷いた。
次第に、雅美が落ち着いてきた。
「大丈夫?」
小さく頷いた肩をギュっと、抱き締めた。
体を離し、顔を見ようとしたが、雅美は、離そうとしなかった。
それを見ていた治斗が、泣きそうな顔になり、その頭を撫でた。
「よし!!公園行こうか」
「行く!!」
「雅美は?」
「行く」
「じゃ、着替えよう」
二人を和室に連れて行き、二人の洋服を入れてた段ボールを取り出し、蓋を開けた。
その中から、二人に、服を選ばせている間に、龍之介と祐介にメールを打ち、近くの公園に向かった。
公園に着くと、治斗は、繋いでいた手を離し、遊具に向かって走り出した。
「マコト~!!」
滑り台の一番上に登って、手を振る治斗に、手を振り返し、ずっと手を繋いでいる雅美を見下ろした。
「雅美は遊ばないの?」
雅美は、小さく首を振った。
「まだ痛い?」
雅美は、下を向いて、また小さく首を振った。
「家の方がいい?」
下を向いたまま、また首を振る雅美を見下ろし、私は、治斗に視線を向けた。
楽しそうに、滑り台を滑ったり、砂場で山を作ったり、一人遊びをしていた。
「ねぇ。どこまで空に近付ける?」
やっと、顔を上げた。
雅美が首を傾げるのに、ブランコを指差して言った。
「やってみようか」
雅美の手を引いて、ブランコに座らせた。
「こいでみ?」
雅美がブランコを揺らし始め、私は、その小さな背中を押した。
「しっかり持ってんだよ」
徐々に、押す力を強め、ブランコが高くなると、雅美が叫んだ。
「こわいよ!!」
「前見て!!」
雅美が前を見ると、驚いた顔になった。
「何見える!?」
「お空!!」
背中を押すのを止めて、空を見つめる雅美を見ていると、治斗が、隣のブランコに座った。
「ぼくも~」
苦笑いしながら、背中を押して、大きく揺らすと、治斗は、大きな声で笑った。
ある程度の高さで、押すのを止めて、暫く、二人を見ていた。
ブランコが落ち着き、二人は、ブランコを降りると、滑り台に走り、滑り降りて、私の所に走ってきた。
「追っかけっこしよ!!」
「しよ!!」
「いいよ」
「やった!!マコトがオニ!!」
「マジか」
二人を追いかけて走り回り、日頃の運動不足で、早々に疲れてしまい、ベンチの背もたれに、寄り掛かったまま、息を切らしていた。
「まだぁ?」
「待って」
「つまんない~」
「もうちょい」
「つまんないー!!」
「龍之介が遊んでくれるって」
声のした方を見ると、祐介と龍之介が立っていた。
「なんで、俺なんだよ」
「僕、走るの苦手だから」
「お前なぁ」
「遊ぼう!!」
治斗が、二人に走り寄り、手を掴んで引っ張った。
「分かった。分かったから。そんな引っ張るな」
「僕もなの?」
治斗に連れられ、龍之介と祐介は、遊具の方に行ったのを見送ると、隣に雅美が座った。
「いいの?」
前のめりになって、治斗達を指差して、聞くと、雅美は、ニッコリ笑って頷き、遊んでいる治斗たちを並んで見ていた。
「ママが、太ったって言ってた」
「誰が?」
「マコトが」
「マジかぁ」
「太ったの?」
「内緒」
「え~。気になる~」
「私も気になります」
急に、すぐ近くで声がして、雅美と一緒に振り返ると、背もたれに、手を着いて、山崎さんが立っていた。
「なん…」
「お二人に、連れてきて頂きました」
山崎さんが、指差した先の龍之介と祐介を睨むと、二人は、こっちの事なんて、気にせず、治斗と砂場で遊んでいる。
「だれ?」
隣に座る雅美に聞かれ、私が答える前に、山崎さんが答えた。
「初めまして。山崎燕(ヤマザキススム)です」
「マコトの友達?」
「恋人こうほぉあーー痛い!!痛い!!痛い!!」
背もたれに着いた手に、肘を立てて、押し付けると、山崎さんが、その手からの痛みに騒いだ。
「二度と言わないで」
悶絶しながら、何度も頷く、山崎さんの手から肘を離した。
「お姉ちゃ~ん!!マコト~!!お山作ろう!!」
そんな事をしてると、砂場から治斗に呼ばれ、祐介に手招きされ、私と雅美は、砂場に向かった。
後ろの山崎さんを見て、治斗は、龍之介の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ。彼は、僕らと同じだから」
祐介に言われ、治斗は、山崎さんを見上げた。
「私も、一緒に遊んでいいですか?」
「いいよ」
山崎さんに、答えたのは、雅美だった。
「お兄ちゃん。何作れる?」
「山くらいですかね。あとは、お絵描きくらいです」
そう言って、雅美が、作った山に絵を描いた。
「ぼくもやる!!」
それを見ていた治斗も、山崎さんの近くに山を作ると、その山にも絵を描いた。
それを座って見ていると、龍之介の携帯が鳴った。
「はい。あ~。えぇ。いいっすよ。分かりました。祐介?一緒すけど。あぁ。なら、連れてくっす。はい。はい。了解した」
龍之介は、携帯を切った。
「祐介。ヘルプだって」
「え~」
「大量の客が来たんだと。淳也と二人じゃ回んねぇってさ」
「でも~」
「行きなよ」
私が、そう言うと、祐介の目尻が下がった。
「なんとかなるからさ。行ってらっしゃい」
優しく微笑むと、二人は、走って行った。
視線を雅美達に戻すと、二人は、すっかり山崎さんになついていた。
砂場に飽きれば、手を引いて、遊具で遊び、それに飽きれば、みんなで追いかけっこをしたりして遊んだ。
遊び疲れて、治斗が寝てしまい、帰ることになった。
山崎さんが、治斗をおぶり、私と雅美は、手を繋いで自宅に向かう。
「楽しかった?」
「うん!!また遊ぼう?」
「はい。また遊んで下さい」
「私は遠慮するわ」
「なんでですか?」
「疲れた」
「これくらいで、疲れるなんて。完全な運動不足ですよ?」
雅美が、目を擦り、小さなアクビをした。
「大きなお世…雅美。眠い?」
そう聞いても、雅美は、小さく首を振ったのを見て、山崎さんと視線を合わせ、クスッと笑った。
雅美を抱き上げ、自宅に着いた時には、寝てしまい、和室に、二人を寝かせた。
「可愛いですね」
スヤスヤと、眠る二人を見つめた。
「そうね」
「自分の子供なら、もっと可愛いんでしょうね」
山崎さんの言葉が、胸に刺さる。
「子供は好きですか?」
黙って立ち上がると、山崎さんに背中を向けて、和室から出た。
山崎さんも、和室を出ると、リビングに入って来た。
棚に隠してたタバコを取り出し、火を点け、換気扇を回し、白い煙を吐き出した。
私の隣で、お湯を沸かし始め、マグカップを用意して、インスタントコーヒーの粉を入れると、山崎さんが、私に向き直った。
その視線が痛い。
「結婚しないんですか?」
急に聞かれ、更に辛くなった。
何も言わないでいると、山崎さんは、窓に視線を向けて言った。
「私は、温かい家庭に憧れます。両親揃って、仕事が休みの日は、今日みたいに、一緒に遊んで。そんな家族になれたら…」
「なら、そうなれる人と一緒になれば」
タバコを消して、コーヒーを持って、ソファに座ると、山崎さんも、コーヒーを持って、隣に座り、一口飲んで、ローテーブルにマグカップを置いた。
「私は、マコトさんと…」
「無理」
「子供が産めないからですか?」
山崎さんの言葉に、驚きと恐怖で、言葉が出なかった。
「それだけで、結婚しないのは…」
「何が分かるの」
苦しかった。
辛かった。
それ以上、聞きたくなくて、山崎さんの声を遮った。
「突然、そう告げられた私の…何が分かるの…周りは幸せそうに…大切な人と一緒にいるのに…なんで…私は…そうなれないの…未来のない人間(ワタシ)より、未来のある圭子さんと、そうなればいいじゃない」
「そうゆうことですか」
そう言って、クスクスと笑う山崎さんに腹が立った。
立ち上がろうとすると、腰が引かれ、膝の上に、横向きになって、座り直していた。
持っていたマグカップが取られ、チュっと軽いキスをされた。
「何すんの!!」
山崎さんは、優しい微笑みを浮かべていた。
「彼女とは、ちゃんと別れていたんですよ。それが、彼女は、受け入れられなかったから、話がしたかったそうです」
山崎さんを見つめると、人差し指を唇に押し付けられ、続けて言われた。
「因みに、今回は、受け入れてもらいました」
「なんで…」
「元々、クラブで働いてた人の顧客だったんです。その人を見付けて、押し付けてきました。彼女も、酔った勢いで、私と付き合っていたので、相手が見付かったら、あっさり、さよなら出来ました」
「…うそ」
「本当の事ですよ?それに…」
山崎さんは、ローテーブルにマグカップを置きながら、前のめりになり、顔を近付けてきた。
「私には、マコトさんしか見えてないので」
頭の中が真っ白になり、至近距離の山崎さんを見つめるしか出来なかった。
「ずっと、好きでした」
「ずっとって…」
「小さい頃からです」
「…はぁ!?」
驚いて変な声を出すと、山崎さんは、残念そうな表情で、顔を離し、天井を見上げた。
「小さい頃ってなに?どうゆう事?」
引き寄せられ、山崎さんの肩に、顎を乗せるような形になり、顔が見えなくなった。
「小さい頃、よく、こうしてくれましたよね?」
記憶を逆走し、思い出そうとしたが、全く見付からない。
「分か…」
「小学生の時、近くにショートカットの綺麗で、可愛いお姉さんが住んでたんです。いつも、同じ制服を着たお兄さん二人と一緒でした。そのお姉さんが、声を掛けてくれたんです」
静かに耳元で、話す山崎さんの声に、安心感を覚えた。
「一人なの?って。頷いてみせると、頭を撫でてくれました。それから、よく、お姉さんに声を掛けてもらいました。色んな話をしました。お姉さんと話してるのが、すごく楽しくて、嬉しくて、毎日でも会いたくて、帰り道で待ち伏せしたこともあります。それだけで、幸せだと思いました。でも、授業参観で、周りの子が、親が来たのを喜ぶのを見て、私には、両親が居ない寂しさを思い出してしまいました。哀しくて、虚しくて、どうしようもなかった。あの日、私は、お姉さんの前で、泣いてしまいました。そしたら、こんな風に、抱き締めてくれました。その時、私は、その人に言ったんです。ずっと一緒いようって」
なんとなく、薄らと、中学の時に、そんなことが、あったような気もする。
私が中学なら、山崎さんは、小学生くらいで、年齢差的にも合ってる。
そう考えていると、背中を支えていた山崎さんの手が、滑るように、下ろされ、Tシャツの裾から素肌に触れた。
「ちょ!!」
「でも、お姉さんは、急に居なくなったんです」
首筋に、噛み付かれた。
「ふぃ!!」
変な声が出ると、ヌルッと、舐められる感覚で震えた。
舌が首筋を上り、耳たぶを甘噛みされ、体を捩った。
「ふん…」
耳を舐められ、荒くなった息を鼻から抜いた。
グチュグチュと、濡れる音が頭に響く。
目を閉じ、首を反らし、その唇から、逃れようとしたが、肩を掴んでいた手が、後頭部に移動して、逃げられなかった。
「ふぅ…ん…」
舌が頬を撫で、唇に触れると、チュッチュッと、ついばむようなキスをされた。
唇に痛みが走り、歯茎に舌が触れられた。
きつく口を閉じて、それ以上、舌が、入って来ないようにすると、素肌に触れていた手が、脇腹を滑り、強く掴まれた。
脇腹からの痛みで、隙間が出来ると、舌が絡められた。
熱い息が鼻から抜け、私の理性を削る。
いつの間にか、山崎さんの腕を掴んでいた。
脇腹の痛みは消え、唇が離れると、鼻がぶつかりそうな距離で、山崎さんと見つめ合った。
「ずっと一緒いよう?」
「無理」
「なんで?」
「無理だぁふ!!」
また、脇腹を強く掴まれ、痛む方に、体を傾けると、肩に噛み付かれた。
肩には歯が、脇腹には爪が、食い込んで、痛みに体を捩り、足を動かして、ソファを踏み付けると、お尻が少しずつ移動した。
噛み付かれていた肩から、唇が離れ、山崎さんの太ももの上に、寝そべるような形になると、真剣な顔付きの山崎さんと見つめ合った。
「嫌い?」
「そう言う訳じゃ…」
「なら、ずっと…」
「無理」
「…分かりました」
そう言って、体を離した山崎さんは、続けて言った。
「待ちます。なので、またお世話になりますね」
「意味分かんない」
言ってる事が、理解出来なかった。
混乱してる私とは違い、山崎さんは、冷めたコーヒーを飲んで、ニッコリ笑った。
「あれ?言ってませんでしたか?あのアパートが取り壊しになるって」
「それは知ってる。だから、彼女の家に…」
「行ってないですよ?」
「…はぁ!?今までどうしてたの?」
「マコトさんに、置き去りにされてから、店の事務所で、寝泊まりしてました。でも、追い出されました」
「なんで?」
「問題を起こしたからです」
「どんな?」
「人を殴りました」
「…なぬ!?」
「マコトさんの隣にいた男を覚えてますか?」
記憶を呼び出し、隣で、ライターの火を点けた男の顔を思い出した。
「そいつを殴りました」
「なんで?」
山崎さんが、真顔になった。
「マコトさんの連絡先を教えろって言われたんです。知らなかったですし、知ってても、教えなかったでしょうけど」
「それだけ?」
「知らないって言ったら、マコトさんは、軽い女なんだから、そんな事ないだろうって、しつこく聞いてきたんですよ。それだけでも、イライラしてたんですけど、アイツ、マコトさんは、いいカモだとか、店に通うようになれば、自分が面倒みるとか、印税はどれくらいだとか、なんなら、自分の女にするとか。色々言ってたんですよ。ランク外のくせに。それを延々と聞かされて、気付いたら殴ってました」
山崎さんは、意外と短気なのかもしれない。
「なので、また置いて下さい」
「お兄ちゃん。ここに住むの?」
急に聞こえた雅美の声に、急いで体を起こした。
雅美と治斗が、私達の所に来ると、山崎さんを見上げた。
そんな雅美を見て、山崎さんは、悪戯を思い付いたように笑った。
「そうしたいんですけど、家主さんが、許してくれなきゃダメなんですよ」
「やぬしさんて?」
「この家の中で、一番偉い人です」
雅美と治斗の瞳が、山崎さんをここに置けと訴える。
二人のつぶらな瞳で、訴えられたら断れない。
「…分かった。いいよ」
承諾すると、二人は喜んで、山崎さんに笑って言った。
「よかったね」
悪魔だ。
そう思ったが、愛しそうに、目を細めて、二人に微笑む山崎さんを見て、胸の辺りが、チクチクと痛んだ。
苦しくて、哀しくて、虚しい。
そんな感情を飲み込むように、冷たいコーヒーを飲んだ時、治斗のお腹の虫が鳴いた。
「お腹空いた」
お腹を擦る治斗を見て、クスクスと笑っていると、一緒に笑っていた山崎さんが、立ち上がって言った。
「夕飯作りますね。先に、お風呂にでも入って来て下さい」
「はぁ~い」
治斗は、元気に返事をして、私の手を繋いだ。
「お手伝いしちゃダメ?」
「いいですよ」
ニッコリ笑い、山崎さんが、雅美の頭を撫でると、治斗は、私の手を離して、二人の所に行き、カーディガンの裾を掴んだ。
「ぼくも!!ぼくも!!」
「喜んで」
雅美と治斗に挟まれ、優しく笑う山崎さんを見ていると、胸が苦しくなる。
「マコトさんは、お風呂にでも、行ってきて下さい」
「一人で?」
「はい」
「え~。雅美~。一緒に入ろうよ~」
「や~だよ」
「治斗~」
「や~よ」
「もう。意地悪~」
二人の冷たさに、孤立感を覚えたが、楽しそうな二人を邪魔したくなくて、私は、大人しくお風呂に行くことにした。
リビングのドアを開け、振り返ると、山崎さんが、楽しそうに笑っていた。
静かにドアを閉め、洗面所でTシャツを脱ぎ、鏡に写った肩に、くっきりと、歯形が付いているのが見えた。
「でっかい口」
「だれが?」
鏡を見ながら、歯形に触れて、呟いた言葉に、言葉が返ってきて、驚いて振り向くと、治斗が立っていた。
歯形を隠して、ぎこちなく笑うと、治斗は、首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ。お兄ちゃんが、したぎくらいは、ちゃんとネットに入れて下さいだって」
「分かった。ありがとう」
満面の笑顔で、バタバタと、走る足音を聞いて、手で目元を覆い、大きな溜め息をついた。
洋服をカゴに投げ入れ、言われた通り、下着をネットに入れて、カゴに放り込んだ。
「ぁあ~」
シャワーを浴びてから、浴槽に入り、親父のような声を出して、手足を伸ばした。
暫くボーッとして上がり、長袖のTシャツを取り出したが、シャツとジャージを着て、リビングに向かった。
「おかえり~」
リビングのドアを開けると、ナポリタンを食べている雅美と治斗の隣で、貴子さんがコーヒーを飲んでいた。
「お疲れ様です」
「ホント疲れた」
カウンターに近付き、キッチンの中を除くと、そこに山崎さんは居なかった。
「あれ?あのアホは?」
「彼なら、荷ほどきするって、さっき出てったけど?」
「どこに、寝泊まりするつもりなんだか」
そう呟いて、キッチンに入り、お湯を沸かしながら、マグカップにインスタントコーヒーを入れた。
「にしても、まさか、マコトが家に男を入れるなんて、思わなかったわ~」
「ですよねぇ~」
棚からタバコを取り出しながら、そう答えると、貴子さんは、カウンターに肘を着いて、前のめりになった。
「やっと腹決めたの?」
私は、静かに首を振って否定した。
タバコに火を点け、白い煙と共に、私の中にある蟠りを吐き出した。
「無理ですよ。いつか、彼も私に飽きるだろうし、子供が生めないことに、嫌気がさす。そうなったら、結局、彼は出ていきます。それに、彼、まだ若いから、私なんかより、もっとイイ人が見付かりますよ」
ヤカンの水が沸騰し、白い蒸気を出し始めて、火を消し、マグカップにお湯を注いだ。
「…初めて…この体が憎いと思いましたよ…」
「マコト…」
自分で自分が憎い。
それが、虚しくて、哀しくて、苦しい。
その思いが、悟られたくなくて、唇の端を噛んだ。
貴子さんも、それ以上、何も言わなかった。
タバコを消した時、山崎さんが、リビングのドアを開けた。
この時、山崎さんが、無表情のまま、目を細めていたのを知らなかった。
雅美と治斗が、ナポリタンを食べ終えると、眠そうに瞼を擦った。
「帰ろうか」
そう言って、立ち上がった貴子さんに連れられて帰って行くのに、手を振って、山崎さんと一緒に見送った。
無言のまま、山崎さんと並んで、ナポリタンを食べ、食器を流しに片付けて、何も言わず寝室に向かった。
眠い。
久々に、走り回って疲れていた。
とにかく眠い。
山崎さんには、悪いとは、思いつつ、布団の中に入った。
早々に眠ったが、この日は、いつものように、朝まで寝てられなかった。
時間を確認すると、十一時を過ぎたばかりだった。
起き上がると、チャイムが鳴り止み、今度は、着信音が響いた。
アラームで、勝手に再起動していた。
寝ぼけながら、仕事部屋に向かい、携帯の画面を見ると、表示された名前に驚きながら、受話ボタンを押した。
「はい」
『もしもし、マコト?』
電話の相手は、貴子さんだった。
椅子に座りながら、驚きの声を出した。
「どうしたんですか?こんな時間に」
『ちょっと、お願いがあるの。これから、雅美(ミヤビ)達預かってくれない?』
「別に、いいですけど」
『よかったぁ。じゃ、お迎えお願いね』
「なぬ!?迎えまで行くんですか?」
『ごめんね?ちょっとトラブっちゃって。パパも忙しいみたいなのよ。仕事が終わったら、すぐ行くから』
電話口の後ろから、声が聞こえ、その声に貴子が返事をして、指示を出している。
キャリアウーマンも大変だ。
『それじゃヨロシク』
「あ!!ちょ…切られた」
ツーツーと、電話が切られた音を聞き、溜め息をついてから、携帯とジャケットを持って、仕事部屋から出た。
リビングに行き、タバコと灰皿を片付け、ジャケットを羽織って外に出た。
車に乗り込み、雅美達の通っている幼稚園に向かって走らせた。
幼稚園前の路上に、車を停め、中に入り、保育士に声を掛けた。
「お世話様です。佐々木雅美と治斗(ハルト)のお迎えに来ました」
「は~い。治斗く~ん。雅美ちゃ~ん。お迎え来たよ~」
教室にいた二人を呼ぶと、保育士の隣に立つ私を見て、雅美と治斗は、急いで、荷物を持って走ってきた。
「マコト~」
「マコトだ」
「はいはい。靴履き替えてね」
抱き付こうとするのを止め、そう言うと、仲良く並んで、靴を履き替えていたが、先に履き終えた雅美が、足に抱き付いてきた。
「マコトだけ?」
「急いでたからね」
雅美の頭を撫でて、治斗を見ると、焦っているのか、靴が、上手く履けずに泣きそうになってた。
雅美の小さな肩を軽く叩き、膝を着いて、靴を履かせてあげると、治斗は、私の首に腕を回して抱き付いてきた。
「あー!!ズルいー!!」
そう言って、頬を膨らました雅美を見て、笑いながら、治斗の背中を軽く叩いた。
「まず、車に行こう」
「は~い」
二人は、元気に返事をして、保育士に向き直り、頭を下げ、声を揃えて言った。
「センセー、さようなら!!」
挨拶をしてから、二人と手を繋いで、車に戻り、ゆっくり車を走らせた。
途中のコンビニで、ジュースとお菓子を買い、玄関の鍵を開けると、二人は、走って中に入って行った。
リビングのドアを乱暴に開け放つ姿に、苦笑いしながら、リビングに向かう。
子供は元気だな。
二人は、テレビを点け、幼稚園向けの番組を食い入るように見始めた。
コップに買ってきたジュースを注ぎ、ローテーブルに置き、コーヒー飲みながら、携帯を開いた。
メール画面を呼び出し、連名で、祐介と龍之介にメールを打った。
貴子さんの仕事が終わるまで、雅美達を預かることになったから手伝って。
送信して、暫くすると、祐介から返信が届いた。
了解。
仕事が終わったら龍之介と行くね。
よかった。
あんな事があって、二人との関係が、壊れていたら、きっと、私は、立ち直れなかった。
でも、二人との関係は、壊れていなかった。
まだ、頼ってもいいのだと思うと、嬉しくて安心した。
「何してるの?」
無意識に、目を閉じて、携帯を胸に抱いていた。
そんな私をカウンターの椅子に乗って、雅美が見ていた。
「ななんでもない」
慌てて携帯を閉じ、ジャージのポケットに仕舞うと、雅美は、首を傾げた。
「なに?」
「お腹すいた」
「さっき買ったお菓子でも食べる?」
そう言って、お菓子を雅美に差し出した。
「うん。ありがとう」
雅美は、お菓子を受け取ると、治斗の所に行き、二人で食べ始めた。
満さんと結婚しても、貴子さんは、雑誌の編集者として、奮闘してた。
雅美が生まれ、翌年に治斗を妊娠した。
その時から、よく雅美を預かっていた。
治斗が生まれ、貴子さんが、仕事に復帰してからは、二人を預かっている。
いつからか、私が、迎えに行くと、喜んでくれるようになって、そんな二人が、家に来るのを嬉しく思うようになった。
荒んだ私の心を解してくれる。
二人は、そんな存在。
これが、自分の子供ならとも思うが、それは叶わない。
哀しい現実が、胸に突き刺さる。
それでも、私は、子供がいる幸せを少しばかり、味わえるだけで満足だ。
お菓子を食べ終わって、暫くすると、番組も終わりを告げ、二人が見るような番組がなくなった。
元気を持て余してる二人は、ソファの上で、跳び跳ねたり、走り回り始めた。
「危ないよ」
そう声を掛けた時、雅美が、背もたれに頭をぶつけ、大声をあげて泣き出した。
「雅美!?」
泣き叫ぶ雅美の前に、膝を着き、その肩を抱き寄せた。
ただ黙って優しく、頭を撫でていると、治斗が、Tシャツの裾を掴んだ。
不安そうな治斗に、顔を向け、優しく微笑んで頷いた。
次第に、雅美が落ち着いてきた。
「大丈夫?」
小さく頷いた肩をギュっと、抱き締めた。
体を離し、顔を見ようとしたが、雅美は、離そうとしなかった。
それを見ていた治斗が、泣きそうな顔になり、その頭を撫でた。
「よし!!公園行こうか」
「行く!!」
「雅美は?」
「行く」
「じゃ、着替えよう」
二人を和室に連れて行き、二人の洋服を入れてた段ボールを取り出し、蓋を開けた。
その中から、二人に、服を選ばせている間に、龍之介と祐介にメールを打ち、近くの公園に向かった。
公園に着くと、治斗は、繋いでいた手を離し、遊具に向かって走り出した。
「マコト~!!」
滑り台の一番上に登って、手を振る治斗に、手を振り返し、ずっと手を繋いでいる雅美を見下ろした。
「雅美は遊ばないの?」
雅美は、小さく首を振った。
「まだ痛い?」
雅美は、下を向いて、また小さく首を振った。
「家の方がいい?」
下を向いたまま、また首を振る雅美を見下ろし、私は、治斗に視線を向けた。
楽しそうに、滑り台を滑ったり、砂場で山を作ったり、一人遊びをしていた。
「ねぇ。どこまで空に近付ける?」
やっと、顔を上げた。
雅美が首を傾げるのに、ブランコを指差して言った。
「やってみようか」
雅美の手を引いて、ブランコに座らせた。
「こいでみ?」
雅美がブランコを揺らし始め、私は、その小さな背中を押した。
「しっかり持ってんだよ」
徐々に、押す力を強め、ブランコが高くなると、雅美が叫んだ。
「こわいよ!!」
「前見て!!」
雅美が前を見ると、驚いた顔になった。
「何見える!?」
「お空!!」
背中を押すのを止めて、空を見つめる雅美を見ていると、治斗が、隣のブランコに座った。
「ぼくも~」
苦笑いしながら、背中を押して、大きく揺らすと、治斗は、大きな声で笑った。
ある程度の高さで、押すのを止めて、暫く、二人を見ていた。
ブランコが落ち着き、二人は、ブランコを降りると、滑り台に走り、滑り降りて、私の所に走ってきた。
「追っかけっこしよ!!」
「しよ!!」
「いいよ」
「やった!!マコトがオニ!!」
「マジか」
二人を追いかけて走り回り、日頃の運動不足で、早々に疲れてしまい、ベンチの背もたれに、寄り掛かったまま、息を切らしていた。
「まだぁ?」
「待って」
「つまんない~」
「もうちょい」
「つまんないー!!」
「龍之介が遊んでくれるって」
声のした方を見ると、祐介と龍之介が立っていた。
「なんで、俺なんだよ」
「僕、走るの苦手だから」
「お前なぁ」
「遊ぼう!!」
治斗が、二人に走り寄り、手を掴んで引っ張った。
「分かった。分かったから。そんな引っ張るな」
「僕もなの?」
治斗に連れられ、龍之介と祐介は、遊具の方に行ったのを見送ると、隣に雅美が座った。
「いいの?」
前のめりになって、治斗達を指差して、聞くと、雅美は、ニッコリ笑って頷き、遊んでいる治斗たちを並んで見ていた。
「ママが、太ったって言ってた」
「誰が?」
「マコトが」
「マジかぁ」
「太ったの?」
「内緒」
「え~。気になる~」
「私も気になります」
急に、すぐ近くで声がして、雅美と一緒に振り返ると、背もたれに、手を着いて、山崎さんが立っていた。
「なん…」
「お二人に、連れてきて頂きました」
山崎さんが、指差した先の龍之介と祐介を睨むと、二人は、こっちの事なんて、気にせず、治斗と砂場で遊んでいる。
「だれ?」
隣に座る雅美に聞かれ、私が答える前に、山崎さんが答えた。
「初めまして。山崎燕(ヤマザキススム)です」
「マコトの友達?」
「恋人こうほぉあーー痛い!!痛い!!痛い!!」
背もたれに着いた手に、肘を立てて、押し付けると、山崎さんが、その手からの痛みに騒いだ。
「二度と言わないで」
悶絶しながら、何度も頷く、山崎さんの手から肘を離した。
「お姉ちゃ~ん!!マコト~!!お山作ろう!!」
そんな事をしてると、砂場から治斗に呼ばれ、祐介に手招きされ、私と雅美は、砂場に向かった。
後ろの山崎さんを見て、治斗は、龍之介の後ろに隠れた。
「大丈夫だよ。彼は、僕らと同じだから」
祐介に言われ、治斗は、山崎さんを見上げた。
「私も、一緒に遊んでいいですか?」
「いいよ」
山崎さんに、答えたのは、雅美だった。
「お兄ちゃん。何作れる?」
「山くらいですかね。あとは、お絵描きくらいです」
そう言って、雅美が、作った山に絵を描いた。
「ぼくもやる!!」
それを見ていた治斗も、山崎さんの近くに山を作ると、その山にも絵を描いた。
それを座って見ていると、龍之介の携帯が鳴った。
「はい。あ~。えぇ。いいっすよ。分かりました。祐介?一緒すけど。あぁ。なら、連れてくっす。はい。はい。了解した」
龍之介は、携帯を切った。
「祐介。ヘルプだって」
「え~」
「大量の客が来たんだと。淳也と二人じゃ回んねぇってさ」
「でも~」
「行きなよ」
私が、そう言うと、祐介の目尻が下がった。
「なんとかなるからさ。行ってらっしゃい」
優しく微笑むと、二人は、走って行った。
視線を雅美達に戻すと、二人は、すっかり山崎さんになついていた。
砂場に飽きれば、手を引いて、遊具で遊び、それに飽きれば、みんなで追いかけっこをしたりして遊んだ。
遊び疲れて、治斗が寝てしまい、帰ることになった。
山崎さんが、治斗をおぶり、私と雅美は、手を繋いで自宅に向かう。
「楽しかった?」
「うん!!また遊ぼう?」
「はい。また遊んで下さい」
「私は遠慮するわ」
「なんでですか?」
「疲れた」
「これくらいで、疲れるなんて。完全な運動不足ですよ?」
雅美が、目を擦り、小さなアクビをした。
「大きなお世…雅美。眠い?」
そう聞いても、雅美は、小さく首を振ったのを見て、山崎さんと視線を合わせ、クスッと笑った。
雅美を抱き上げ、自宅に着いた時には、寝てしまい、和室に、二人を寝かせた。
「可愛いですね」
スヤスヤと、眠る二人を見つめた。
「そうね」
「自分の子供なら、もっと可愛いんでしょうね」
山崎さんの言葉が、胸に刺さる。
「子供は好きですか?」
黙って立ち上がると、山崎さんに背中を向けて、和室から出た。
山崎さんも、和室を出ると、リビングに入って来た。
棚に隠してたタバコを取り出し、火を点け、換気扇を回し、白い煙を吐き出した。
私の隣で、お湯を沸かし始め、マグカップを用意して、インスタントコーヒーの粉を入れると、山崎さんが、私に向き直った。
その視線が痛い。
「結婚しないんですか?」
急に聞かれ、更に辛くなった。
何も言わないでいると、山崎さんは、窓に視線を向けて言った。
「私は、温かい家庭に憧れます。両親揃って、仕事が休みの日は、今日みたいに、一緒に遊んで。そんな家族になれたら…」
「なら、そうなれる人と一緒になれば」
タバコを消して、コーヒーを持って、ソファに座ると、山崎さんも、コーヒーを持って、隣に座り、一口飲んで、ローテーブルにマグカップを置いた。
「私は、マコトさんと…」
「無理」
「子供が産めないからですか?」
山崎さんの言葉に、驚きと恐怖で、言葉が出なかった。
「それだけで、結婚しないのは…」
「何が分かるの」
苦しかった。
辛かった。
それ以上、聞きたくなくて、山崎さんの声を遮った。
「突然、そう告げられた私の…何が分かるの…周りは幸せそうに…大切な人と一緒にいるのに…なんで…私は…そうなれないの…未来のない人間(ワタシ)より、未来のある圭子さんと、そうなればいいじゃない」
「そうゆうことですか」
そう言って、クスクスと笑う山崎さんに腹が立った。
立ち上がろうとすると、腰が引かれ、膝の上に、横向きになって、座り直していた。
持っていたマグカップが取られ、チュっと軽いキスをされた。
「何すんの!!」
山崎さんは、優しい微笑みを浮かべていた。
「彼女とは、ちゃんと別れていたんですよ。それが、彼女は、受け入れられなかったから、話がしたかったそうです」
山崎さんを見つめると、人差し指を唇に押し付けられ、続けて言われた。
「因みに、今回は、受け入れてもらいました」
「なんで…」
「元々、クラブで働いてた人の顧客だったんです。その人を見付けて、押し付けてきました。彼女も、酔った勢いで、私と付き合っていたので、相手が見付かったら、あっさり、さよなら出来ました」
「…うそ」
「本当の事ですよ?それに…」
山崎さんは、ローテーブルにマグカップを置きながら、前のめりになり、顔を近付けてきた。
「私には、マコトさんしか見えてないので」
頭の中が真っ白になり、至近距離の山崎さんを見つめるしか出来なかった。
「ずっと、好きでした」
「ずっとって…」
「小さい頃からです」
「…はぁ!?」
驚いて変な声を出すと、山崎さんは、残念そうな表情で、顔を離し、天井を見上げた。
「小さい頃ってなに?どうゆう事?」
引き寄せられ、山崎さんの肩に、顎を乗せるような形になり、顔が見えなくなった。
「小さい頃、よく、こうしてくれましたよね?」
記憶を逆走し、思い出そうとしたが、全く見付からない。
「分か…」
「小学生の時、近くにショートカットの綺麗で、可愛いお姉さんが住んでたんです。いつも、同じ制服を着たお兄さん二人と一緒でした。そのお姉さんが、声を掛けてくれたんです」
静かに耳元で、話す山崎さんの声に、安心感を覚えた。
「一人なの?って。頷いてみせると、頭を撫でてくれました。それから、よく、お姉さんに声を掛けてもらいました。色んな話をしました。お姉さんと話してるのが、すごく楽しくて、嬉しくて、毎日でも会いたくて、帰り道で待ち伏せしたこともあります。それだけで、幸せだと思いました。でも、授業参観で、周りの子が、親が来たのを喜ぶのを見て、私には、両親が居ない寂しさを思い出してしまいました。哀しくて、虚しくて、どうしようもなかった。あの日、私は、お姉さんの前で、泣いてしまいました。そしたら、こんな風に、抱き締めてくれました。その時、私は、その人に言ったんです。ずっと一緒いようって」
なんとなく、薄らと、中学の時に、そんなことが、あったような気もする。
私が中学なら、山崎さんは、小学生くらいで、年齢差的にも合ってる。
そう考えていると、背中を支えていた山崎さんの手が、滑るように、下ろされ、Tシャツの裾から素肌に触れた。
「ちょ!!」
「でも、お姉さんは、急に居なくなったんです」
首筋に、噛み付かれた。
「ふぃ!!」
変な声が出ると、ヌルッと、舐められる感覚で震えた。
舌が首筋を上り、耳たぶを甘噛みされ、体を捩った。
「ふん…」
耳を舐められ、荒くなった息を鼻から抜いた。
グチュグチュと、濡れる音が頭に響く。
目を閉じ、首を反らし、その唇から、逃れようとしたが、肩を掴んでいた手が、後頭部に移動して、逃げられなかった。
「ふぅ…ん…」
舌が頬を撫で、唇に触れると、チュッチュッと、ついばむようなキスをされた。
唇に痛みが走り、歯茎に舌が触れられた。
きつく口を閉じて、それ以上、舌が、入って来ないようにすると、素肌に触れていた手が、脇腹を滑り、強く掴まれた。
脇腹からの痛みで、隙間が出来ると、舌が絡められた。
熱い息が鼻から抜け、私の理性を削る。
いつの間にか、山崎さんの腕を掴んでいた。
脇腹の痛みは消え、唇が離れると、鼻がぶつかりそうな距離で、山崎さんと見つめ合った。
「ずっと一緒いよう?」
「無理」
「なんで?」
「無理だぁふ!!」
また、脇腹を強く掴まれ、痛む方に、体を傾けると、肩に噛み付かれた。
肩には歯が、脇腹には爪が、食い込んで、痛みに体を捩り、足を動かして、ソファを踏み付けると、お尻が少しずつ移動した。
噛み付かれていた肩から、唇が離れ、山崎さんの太ももの上に、寝そべるような形になると、真剣な顔付きの山崎さんと見つめ合った。
「嫌い?」
「そう言う訳じゃ…」
「なら、ずっと…」
「無理」
「…分かりました」
そう言って、体を離した山崎さんは、続けて言った。
「待ちます。なので、またお世話になりますね」
「意味分かんない」
言ってる事が、理解出来なかった。
混乱してる私とは違い、山崎さんは、冷めたコーヒーを飲んで、ニッコリ笑った。
「あれ?言ってませんでしたか?あのアパートが取り壊しになるって」
「それは知ってる。だから、彼女の家に…」
「行ってないですよ?」
「…はぁ!?今までどうしてたの?」
「マコトさんに、置き去りにされてから、店の事務所で、寝泊まりしてました。でも、追い出されました」
「なんで?」
「問題を起こしたからです」
「どんな?」
「人を殴りました」
「…なぬ!?」
「マコトさんの隣にいた男を覚えてますか?」
記憶を呼び出し、隣で、ライターの火を点けた男の顔を思い出した。
「そいつを殴りました」
「なんで?」
山崎さんが、真顔になった。
「マコトさんの連絡先を教えろって言われたんです。知らなかったですし、知ってても、教えなかったでしょうけど」
「それだけ?」
「知らないって言ったら、マコトさんは、軽い女なんだから、そんな事ないだろうって、しつこく聞いてきたんですよ。それだけでも、イライラしてたんですけど、アイツ、マコトさんは、いいカモだとか、店に通うようになれば、自分が面倒みるとか、印税はどれくらいだとか、なんなら、自分の女にするとか。色々言ってたんですよ。ランク外のくせに。それを延々と聞かされて、気付いたら殴ってました」
山崎さんは、意外と短気なのかもしれない。
「なので、また置いて下さい」
「お兄ちゃん。ここに住むの?」
急に聞こえた雅美の声に、急いで体を起こした。
雅美と治斗が、私達の所に来ると、山崎さんを見上げた。
そんな雅美を見て、山崎さんは、悪戯を思い付いたように笑った。
「そうしたいんですけど、家主さんが、許してくれなきゃダメなんですよ」
「やぬしさんて?」
「この家の中で、一番偉い人です」
雅美と治斗の瞳が、山崎さんをここに置けと訴える。
二人のつぶらな瞳で、訴えられたら断れない。
「…分かった。いいよ」
承諾すると、二人は喜んで、山崎さんに笑って言った。
「よかったね」
悪魔だ。
そう思ったが、愛しそうに、目を細めて、二人に微笑む山崎さんを見て、胸の辺りが、チクチクと痛んだ。
苦しくて、哀しくて、虚しい。
そんな感情を飲み込むように、冷たいコーヒーを飲んだ時、治斗のお腹の虫が鳴いた。
「お腹空いた」
お腹を擦る治斗を見て、クスクスと笑っていると、一緒に笑っていた山崎さんが、立ち上がって言った。
「夕飯作りますね。先に、お風呂にでも入って来て下さい」
「はぁ~い」
治斗は、元気に返事をして、私の手を繋いだ。
「お手伝いしちゃダメ?」
「いいですよ」
ニッコリ笑い、山崎さんが、雅美の頭を撫でると、治斗は、私の手を離して、二人の所に行き、カーディガンの裾を掴んだ。
「ぼくも!!ぼくも!!」
「喜んで」
雅美と治斗に挟まれ、優しく笑う山崎さんを見ていると、胸が苦しくなる。
「マコトさんは、お風呂にでも、行ってきて下さい」
「一人で?」
「はい」
「え~。雅美~。一緒に入ろうよ~」
「や~だよ」
「治斗~」
「や~よ」
「もう。意地悪~」
二人の冷たさに、孤立感を覚えたが、楽しそうな二人を邪魔したくなくて、私は、大人しくお風呂に行くことにした。
リビングのドアを開け、振り返ると、山崎さんが、楽しそうに笑っていた。
静かにドアを閉め、洗面所でTシャツを脱ぎ、鏡に写った肩に、くっきりと、歯形が付いているのが見えた。
「でっかい口」
「だれが?」
鏡を見ながら、歯形に触れて、呟いた言葉に、言葉が返ってきて、驚いて振り向くと、治斗が立っていた。
歯形を隠して、ぎこちなく笑うと、治斗は、首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ。お兄ちゃんが、したぎくらいは、ちゃんとネットに入れて下さいだって」
「分かった。ありがとう」
満面の笑顔で、バタバタと、走る足音を聞いて、手で目元を覆い、大きな溜め息をついた。
洋服をカゴに投げ入れ、言われた通り、下着をネットに入れて、カゴに放り込んだ。
「ぁあ~」
シャワーを浴びてから、浴槽に入り、親父のような声を出して、手足を伸ばした。
暫くボーッとして上がり、長袖のTシャツを取り出したが、シャツとジャージを着て、リビングに向かった。
「おかえり~」
リビングのドアを開けると、ナポリタンを食べている雅美と治斗の隣で、貴子さんがコーヒーを飲んでいた。
「お疲れ様です」
「ホント疲れた」
カウンターに近付き、キッチンの中を除くと、そこに山崎さんは居なかった。
「あれ?あのアホは?」
「彼なら、荷ほどきするって、さっき出てったけど?」
「どこに、寝泊まりするつもりなんだか」
そう呟いて、キッチンに入り、お湯を沸かしながら、マグカップにインスタントコーヒーを入れた。
「にしても、まさか、マコトが家に男を入れるなんて、思わなかったわ~」
「ですよねぇ~」
棚からタバコを取り出しながら、そう答えると、貴子さんは、カウンターに肘を着いて、前のめりになった。
「やっと腹決めたの?」
私は、静かに首を振って否定した。
タバコに火を点け、白い煙と共に、私の中にある蟠りを吐き出した。
「無理ですよ。いつか、彼も私に飽きるだろうし、子供が生めないことに、嫌気がさす。そうなったら、結局、彼は出ていきます。それに、彼、まだ若いから、私なんかより、もっとイイ人が見付かりますよ」
ヤカンの水が沸騰し、白い蒸気を出し始めて、火を消し、マグカップにお湯を注いだ。
「…初めて…この体が憎いと思いましたよ…」
「マコト…」
自分で自分が憎い。
それが、虚しくて、哀しくて、苦しい。
その思いが、悟られたくなくて、唇の端を噛んだ。
貴子さんも、それ以上、何も言わなかった。
タバコを消した時、山崎さんが、リビングのドアを開けた。
この時、山崎さんが、無表情のまま、目を細めていたのを知らなかった。
雅美と治斗が、ナポリタンを食べ終えると、眠そうに瞼を擦った。
「帰ろうか」
そう言って、立ち上がった貴子さんに連れられて帰って行くのに、手を振って、山崎さんと一緒に見送った。
無言のまま、山崎さんと並んで、ナポリタンを食べ、食器を流しに片付けて、何も言わず寝室に向かった。
眠い。
久々に、走り回って疲れていた。
とにかく眠い。
山崎さんには、悪いとは、思いつつ、布団の中に入った。
早々に眠ったが、この日は、いつものように、朝まで寝てられなかった。
0
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