頬を撫でる唇

咲 カヲル

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十一話

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生理痛以外で、下腹部の痛みを経験したことがなかった。
しかも、前回よりも強烈だ。
この手のことには、無頓着な私には、どうすればいいのか分からない。

「ばか…どうすりゃいいんだよ」

一人になった和室に、私の呟きは、空しく消えた。
どうすることも出来ないなら、何もしなければいい。
そう思い、寝転がったまま、目を閉じて、痛みが治まるのを待った。

「いつまで、そうしてるんですか?」

目を開けて、横目で視線を向けると、ニコニコと笑いながら、山崎さんが、私を見下ろしていた。
山崎さんを無視して、また目を閉じると、布が擦れる音が聞こえ、頬に柔らかい唇が優しく触れた。
腕に顎を乗せられる感覚に、ゆっくり目を開けた。

「何してんの」

「可愛いなぁと思いまして」

「そう思うなら、手加減してよ」

「すいません。つい夢中になっちゃいまして」

「ざけんな」

「だって、初めてって言うから」

「言うな」

「イヤです。嬉しいので、何度でも言います」

横目で睨んだが、山崎さんは、身を乗り出して、私の頬を唇で撫でた。

「どうして、今までしなかったんですか?」

山崎さんから視線を反らし、風で、ゆったりと揺れる洗濯物を見つめた。

「やりたくなかった。ただそれだけ」

「でも、言われた事はありますよね?」

目を細めて、外を睨むようにして、私は、今までの行為に、嫌悪感を感じて、吐き気がした。

「いないよ」

「嘘ですよね?」

山崎さんの微笑みを横目で見上げてから、目を閉じて溜め息をつき、外に視線を戻した。

「そんな事より、早く自分の欲望を満したい。野生の動物に戻って、自分の子孫を必死に残そうとする。私よりも、自分ばっかり優先する。そんな男の中に、それを求めるような人がいると思う?」

山崎さんは、目を細めて、また私の頬を唇で撫でた。

「ねぇ」

「はい」

「愛って何?」

「お互いが好きだと思えば、愛になると思います」

「好きって何?」

「相手を一途に想う事じゃないですか?」

「例えば?」

「姿が見えなくても相手を考え、出来る限りの事をして、相手の為に何でも必死になって、手間を惜しまないのが、好きだということじゃないのでしょうか?」

山崎さんに、そう言われても、私には、分からない。
無言のまま、庭を睨んでいると、私の後ろで寝転ぶ音が聞こえた。
肩を掴まれ、転がらされて、目の前に、山崎さんのシャツが見えた。
抱き枕のように、抱き寄せられた時、下腹部に痛みが走った。

「いっ!!」

山崎さんの胸の所に、頭を押し付け、背中を丸めた。

「痛いですか?」

微かに頷くと、山崎さんが、私の背中を軽く優しく叩いた。
小さな子供をあやすような、その仕草に、私の瞼が、段々と重くなり、瞼を擦った。

「眠いなら寝て下さい」

そう言われ、私は、不意に、目を覚ました時、一人で寝ていた淋しさを思い出した。

「やだ」

山崎さんの背中に腕を回し、顔を擦り付け、その暖かさに顔を埋めた。

「どうしたんですか?急に」

嬉しさと困惑が入り交じったような声色で、山崎さんに聞かれ、私は、恥ずかしさが込み上げた。

「気分」

恥ずかしさを隠すように、可愛くないことを言うと、ちょっと後悔したが、山崎さんが、頭の上で、クスクスと笑うのに、その後悔は消えた。
その変わりに、腹が立ち始めた。

「もう起きる!!」

強く言って、勢いだけで、上半身を起こしたが、下腹部が痛み、吐き気がして、咳き込んでしまった。
背中を擦りながら、山崎さんは、不安そうな顔をして、覗き込んできた。

「大丈夫ですか?無理しないで下さい」

咳が治まり、涙で歪んだ視界で、その顔を見ると、私の胸の奥深くに、押し込んでいたものが溢れた。

「もう…いや…」

顔を隠すように下を向き、呟いた私に、山崎さんは、申し訳なさそうに肩を落とした。

「ごめんなさい」

涙が流れ落ちて、畳を濡らした。

「もう…一人はいや…一人になるのは…いやだよ…」

そう言って、泣き崩れる私を見つめ、山崎さんは、そっと抱き寄せて、何度も、優しく頭を撫でた。

「大丈夫。ちゃんといるから」

もう涙が止まらない。
山崎さんのシャツを掴んで、泣き顔を隠したまま、声を殺して泣いた。
何年ぶりだろう。
思い出せない程、泣かずにいた私は、自分をどうする事も出来ずに、ただ唇を噛んで、肩を震わせるだけしか出来なかった。
山崎さんは、そんな私の頭を日が暮れ、部屋が暗くなるまで、ずっと撫で続けた。

「後は、私がやっときますから」

私が落ち着くと、体を離して、手を握って、優しく言われ、小さく頷いた。

「お風呂。行きますか?」

顔を見られないようにしながら、頷くと、優しく微笑んだ山崎さんに、支えられながら、立ち上がって手を離した。

「歩けますか?」

小さく頷いて、服を胸に抱いて、ヨロヨロしながら、和室から出て、洗面所に向かった。
洗濯カゴに服を入れて、下着を脱ぎ、浴室に入り、浴槽に浸かった。
全く頭が働かない。
体が温まり始めた時、山崎さんが入ってきたが、気付かなかった。
グシャグシャで、濡れていない髪を見た山崎さんは、鼻で溜め息をついて、私の肩を揺らした。
なんだか、色んなものが鈍ってる気がする。
髪の毛の隙間から見上げると、山崎さんが優しく微笑んだまま、手を軽く引っ張った。
浴槽から出て、向かい合うように立つと、アダムとイブのような状態になる。
もうダメな気がする。
山崎さんが屈んで、指先で軽く床を叩くのを見つめ、私は、手を着いて、向き合うように座った。
山崎さんは、困った顔をしながら、クスッと笑って、私の後ろを指差して言った。

「後ろ向いて下さい」

背中を向けると、山崎さんの手が肩に置かれ、ドキンと、心臓が小さく跳ねたが、シャワーを手に取り、お湯を出し始めた。
大丈夫か私。
指先で湯加減を確かめている山崎さんを髪の毛の隙間から、ずっと見上げていた。
なんだか、父親みたい。
山崎さんは、私と視線を合わせると、微笑んだまま言った。

「こんにちはして下さい」

子供に戻ったように感じる。
頭を下げ、床を見つめると、シャワーを掛けられ、お湯が頬を伝って、流れ落ちた。
背中に山崎さんの暖かさを感じながら、床を流れるお湯を見つめた。
頭に当たるシャワーの感覚がなくなると、山崎さんが、私の肩を叩いて言った。

「顔上げてください」

顔を上げると、髪の毛が張り付き、目を閉じた。

「上向いて下さい」

上を向くと、髪が優しく掻き上げられ、目を開けると、山崎さんの顔が、目の前にあった。
優しく微笑んで、シャンプーを手に取り、私の頭をマッサージするように、優しく洗い始めた。
気持ちいい。
目を閉じて、優しくて暖かい山崎さんの手に、安心感が芽生え、強張っていた心が解れていく。

「…気持ちいい」

自然と呟きが漏れ、クスッと笑う声が聞こえ、薄目を開けると、山崎さんの微笑みが見えた。
私の頭から手が離れ、シャワーを掴んだのを見て、私は、頭を下げて目を閉じた。
シャワーの感覚の中に、山崎さんの手のぬくもりを頭で感じ、自然と頬が緩んだ。
シャワーの感覚がなくなり、顔を上げようとすると、山崎さんの手が、頭を押さえた。

「そのままでお願いします」

そう言われ、素直に大人しくしていると、山崎さんの手が、毛先を撫でるように触れ、リンスを始めた。
あったかい。
微笑んだまま、目を閉じて、山崎さんの好きにさせた。
リンスを洗い流し、山崎さんに、濡れた頭を撫でられて、水を切る仕草に、顔を上げて目を開けた。
何も言わずに、微笑み合ってから、山崎さんは、タオル掛けのボディタオルを手に取った。
ポディソープを泡立てると、私の背中を優しく洗い始めた。
なんだか、眠くなってきた。
前に移動しようとした山崎さんに、手を突き出して、タオルを受け取ろうとしたが、山崎さんは、微笑んだまま、私の手首を掴んで腕を洗った。

「自分で洗う」

「イヤですよ」

「なんで?」

「座ってるのも辛そうなのに、無理したらダメですよ。何もしないので、洗わせて下さい」

山崎さんの微笑みに、私は、鼻で溜め息をついた。
肩を優しく引かれ、寄り掛かって、山崎さん肩に頭を乗せた。
首や鎖骨、胸、脇腹、下腹部などを撫でるように洗われ、陰部にタオルが当たると、私は、体を捩った。
そんな私を見下ろして、山崎さんは、クスクスと笑い、困った顔をした。

「少し我慢して下さいよ」

そう言われ、私は、息を止めて、拳の作って、体が震えるのを耐えた。
内腿に移り、太ももの裏を洗い、膝に移動して、私が、止めていた息を吐き出すと、山崎さんは、困ったような、微笑みながら言った。

「足洗いたいです」

私は、少し考えてから、膝を外に向け、逆の膝に足首を乗せて、山崎さんに顔を向けた。

「これでいい?」

「はい」

ニッコリ笑って、山崎さんは、私の膝から下を洗い、足の裏を洗い始めて、肩が震えた。

「くすぐったい」

足を引こうとすると、足首を掴んで、不思議そうな顔をした山崎さんが、私の顔の横に、顔を出した。

「足裏が苦手なんですか?」

「みたい」

「脇の下は平気なのにですか?」

私は、自分の足の裏を見つめて考えてみた。

「そういえば、足の裏って、誰にも触らせたことない」

「脇の下だって、触らせないじゃないですか」

「小さい頃かな?抱っこされたり、高い所から、飛び降りたりした時、おじさん、下手だったから、くすぐったくて、我慢してたんだよね」

「おじさん?」

私の体の泡を洗い流しながら、山崎さんに聞かれたが、私は、黙って、立ち上がり、浴槽に入って、天上を見上げるように寝そべった。
山崎さんは、じっと、見ていたが、少し困ったような、微笑みを作って、自分の頭や体を洗い始めた。

「父さんが亡くなってから、一人になることが増えたの」

目を閉じて、唐突に、私が呟くように、そう言うと、山崎さんは、一瞬、動きを止め、私の背中を見つめた。
私が、チラッと視線を送ると、急いで、自分の泡を洗い流し、浴槽に入り、私の隣に座った。
頭に手を回し、引き寄せるのに素直に従い、頭を肩に乗せた。

「父さんが亡くなったのは、私が五つの時。それから、母さんは、私を父方の祖母の所に預けて仕事に出た。そこには、曾祖父もいたんだ。すごく楽しかったよ?でも、私が一緒に暮らすようになって、二ヶ月後に曾祖父が、亡くなり、私と祖母だけになってから、三ヶ月後に祖母が倒れたの。私は、どうする事も出来なかった。幼い頭で、不安を押し込めて、必死に考えて、まだ、生きてた隣のお婆さんに助けを求めたの。祖母は、一命を取り止めたけど、長期の入院が必要になって。母に連絡したんだけど、すぐには、迎えに来れなかったから、その間、父さんの親友のおじさんとおばさんの所に、お世話になることになった」

「龍之介さんのご両親ですね?」

「龍之介たちに聞いた?」

「祐介さんが話してくれました」

私は、溜め息をついて、山崎さんの肩に寄り掛かったまま、お湯を見つめた。

「そう。母さんが再婚するまで、ずっと、お世話になってた」

「なんで、一緒に住まないんですか?」

「長年、離れて暮らしてたから、母さんと馬が合わなくて。再婚相手の清彦(キヨヒコ)さんに相談したの。その時、祖母の退院も重なって、私は、この家で、また祖母と二人で暮らし始めた」

「何も言われなかったんですか?」

「いい機会だったのよ。清彦さんが、海外赴任になって、母さんも、それについて行くことになってたから。学校もあるし。だから、その提案に母さんは快諾したの」

「また溝が深まるだけじゃないですか」

「そんなこと考えるような人じゃない。目先だけの事を追い掛けるだけで、精一杯の人。凄く不器用な人だから」

「なんだか淋しいですね」

「そうね。でも、母さんの優しさは、理解してるつもりよ?いつも、必死で、危なっかしくて、見てるこっちが、ヒヤッとするくらい。だから、清彦さんと再婚して、少し安心したの。これで大丈夫って」

「そんなに理解してるなら、なんで、未だに、一緒に暮らさないんですか?」

「私が、この家に愛着があって、意固地になってる。でも、母さん、それは、幼い頃からの淋しさが、原因だと思ってるみたい。だから、私を結婚させて、家庭に入れば、大丈夫だって」

「そうなんですか?」

「違うよ。私がいなくなれば、こんな古い家、すぐに取り壊されちゃうでしょ?それがイヤなだけ」

「そうじゃない人もいるかもしれないですよ?」

「母さんの紹介する見合い相手って、清彦さんの会社の息子さんばかりで、皆、若い人ばかりで、新し物好きなの」

「なんで、そう思うんですか?」

「結構分かるよ?休日には、必ず買い物に行くとか。ショップ巡りをするとか。好きな食事はフレンチとか。それに、私、基本的にインドアで、必要なければ、外に出るのが億劫なの。家の中で、チマチマ仕事したり。のんびりしたり。祖母といる時間が長かったからか、そっちの方が落ち着くのよ。だから、見合い相手と上手く合わせられないの」

「結構、活発に見えますけど」

「別に、外に出るのが嫌いじゃないからね。誘われれば、運動だってする。月に一、二回くらいなら、喜んで、行くけど、休日の度になると、流石に疲れる。それに、仕事を辞めるのはイヤだしね」

「別に、家にいるのだから、辞めなくてもいいじゃないですか?」

「私の性格。前に話したよね?」

指を立て、山崎さんのに向けると、思い出したような横顔を見て、私は、お湯の中に、手を引っ込めた。

「結婚したら、両立しなきゃダメでしょ?だから、結婚しないの。それに、母さんは、今の私の仕事がイヤみたいだし」

「なんでですか?」

「前に、小説家なんて、根暗で地味で人との関わりを避けてる臆病な人が、するもんだって、言われた事があるの。実際は、そうじゃないけど、母さんは、それを分かってくれない。自分が思ってることが、一番、正しいって思い込んでる。可哀想な人。作家は、色んな事に敏感で、凄く優しくて、思いやりのある人ばっかなのに」

「そうでしょうね」

「まぁ。母さんは、本を読むのが、苦手だから、そう思い込んでも仕方ないのかな」

「マコトさんは?」

「私は大好き。知らない事を知れるし、頭の中で想像するのも楽しいし、何より、一人でいても、誰かが側にいるみたいで、安心するもん」

「その気持ち、凄く分かりますよ」

「本当?」

「私も、一人でいることが多かったので、よく読書してましたからね」

「私の父さんも好きで、清彦さんも、よく読むって言ってたな」

「そんな感じの人の方が、マコトさんには、合うんでしょうね」

「自分でもそう思う」

「なら私が…」

「山崎さんってある意味、チャラいんだよね。ってことで保留」

「保留なんですか!?」

山崎さんが、肩を揺らして、驚くと、お湯が跳ねて、顔に掛かった。
私の顔に掛かった、お湯を慌てて、手で拭う山崎さんの様子に、私は、自然と笑みを溢した。

「そんな驚く?」

「だって、絶対、拒否されると思ってましたから」

山崎さんの肩に耳を寄せ、オデコを山崎さんの首筋に着けて、目を閉じて、私は、呟くように言った。

「色々やってもらってるから、たまには、優しいこと言わなきゃね」

山崎さんは、一瞬、目を見開いてから、鼻で溜め息をついて、お湯の中で、私の手を握ると、私も、その手を握り返した。
恋人のように手を繋ぎ、私たちは、お湯に浸かり、無言のまま、和やかで、暖かい空間に浸り、互いの呼吸だけを感じた。
二人で一緒に浴室から出て、山崎さんは、スウェットに着替え、私は、長袖のTシャツにジャージに着替え、狭い廊下を手を繋いで並んで歩いた。

「夕飯って、作ったの?」

「あ!!」

山崎さんが、軽く顔を歪めて、短く声を上げた。
そんな山崎さんを横目で、口角を上げて、見上げてから、わざと溜め息をついてから言った。

「あ~あ。やっちゃった」

山崎さんは、苦笑いしながら、手を離した。

「今から作るので」

「やだぁ」

ふざけて言うと、山崎さんは、クスクスと笑いながら、私の短い髪に触れて、顔を近付けて、囁くように言った。

「色々とやらかしてしまいましたから」

和室での事を思い出し、顔が、熱くなり、ムッとしたまま、山崎さんから、視線を反らし、唇を尖らせながら言い返した。

「加減できなくなったくせに」

「そう来ましたか」

「本当の事じゃん?」

「はいはい。すみませんでした」

「投げやりだぁ」

笑い声を廊下に響かせながら、リビングに向かった。

「ご飯は、炊いてあるの?」

「いえ」

「じゃ、カップ麺にでもする?」

「ダメですよ。体に良くないですから」

「でも、今からじゃめんどくさくない?」

「大丈夫です」

「へぇ」

「マコトさんが、待てないだけじゃないですか?」

「じゃぁ、早く作ってよ~~~」

山崎さんが、意地悪な笑顔をしているのを見て、私は、山崎さんの後ろに回り、リビングのドアの前まで背中を押した。

「はいはい。すぐ、作りますよ」

山崎さんは、キッチンに入って行き、私は、リビングのソファーに座って、テレビを点けた。
暫くは、ニュースを見ていたが、いい匂いがしてきて、テレビを消して、カウンターに手を着いて、山崎さんの手元を覗いた。

「どうしました?」

「ん~お腹空いた」

カウンターに頬杖を着いて、そう言うと、クスクスと笑って、山崎さんは、手招きした。
キッチンに入り、山崎さんの隣に立つと、ひじきの煮物を菜箸でつまんで、私に差し出した。

「味見」

私が口を開けると、ひじきの煮物が、舌の上に置かれ、口を閉じ、噛み締めると、懐かしい味がした。

「どうですか?」

「美味しい」

ニッコリ笑って見せると、山崎さんも優しく微笑んだ。
それから私は、山崎さんを手伝って、一緒に夕飯を作り、カウンターに並んで食べた。
食べ終わって、食器を洗う山崎さんの隣で、タバコを吸いながら、コーヒーを飲んだ。
タバコを消してから、コーヒーを飲み干し、洗面所に向かい、歯磨きをしていると、山崎さんも、私の隣で歯磨きを始めた。
歯磨きをしながら、山崎さんに、軽く肩をぶつけると、同じように、私の肩に腕をぶつけた。
何回か繰り返し、山崎さんが、力を少し強めると、私は、よろけてしまった。
そんな私を見て、山崎さんは、ケタケタと声を出して笑った。
私も、笑いながら、山崎さんの腕を軽く叩いた。
じゃれ合いながら、歯磨きを終え、洗面所から出て、和室に向かおうとする山崎さんのスウェットの裾を掴んだ。
目を点にしている山崎さんから、視線を反らすように、うつ向いたまま、頬を赤くしながら、上目で見上げた。

「一緒が、いいんだけど」

ボソボソと呟くように言うと、山崎さんは、目を見開いて黙っていた。
その山崎さんの様子に、段々、不安になり、私は、気付けば、自分の足元を見ていた。
暫くすると、私の頭に、優しく手が置かれ、驚きながらも、不安な気持ちと淡い期待が混ざり合った。
複雑な顔をしたまま、上目遣いで、見上げた山崎さんは、口元を押さえて、横を向いていた。
そんな山崎さんに、私は、首を傾げた。

「山崎さん?」

下から山崎さんの顔を覗き込むと、何となく、頬が赤くなってるような気がした。
ニヤリと笑い、爪先で立って、山崎さんに顔を近付けて聞いた。

「上目遣いで、ドキドキしたでしょ?」

「いや…その…不意打ちだったので…」

目元を隠して、上を向いた山崎さんを見上げ、自然と微笑んで、私は、素直な気持ちを言った。

「山崎さんの、そんな顔、久々に見たから、ちょっと嬉しいかも」

山崎さんは、指を少しずらし、指の隙間から私を見下ろした。
ニコニコと笑っていると、急に手首を掴まれ、早足で歩き出した山崎さんは、寝室のドアを開けて、布団に向けて私を投げた。

「いっ!!」

布団に倒れ、ドアが閉められると、寝室は真っ暗になった。
慌てて、起き上がろうとしたが、山崎さんが、背中に覆い被さり、私の手首を掴んだ。

「ちょ!!」

「あんな顔されたら、また暴走しますよ?」

山崎さんの意地悪な声色に、今までの楽しい気持ちが萎んだ。

「素直な気持ち、言っただけなのに…」

素直な気持ちを口走っただけで、こんな状況になるのが、少し哀しいような、淋しいような気持ちになった。
そう呟いただけで、山崎は、黙ってしまった。
暫く黙っていると、手首から手が離れ、胸の前で腕が交差して、肩を掴まれた。
首筋に山崎さんの髪が触れ、背中に頬が重なった。

「すみません。マコトさんの顔を見たら、その顔を歪めたいと思ってしまいました」

本当に申し訳なさそうな声で、そう言った山崎さんは、きっと、哀しいような、苦しいような、表情をしていると、見なくても分かった。

「いじめっ子」

「すみません」

「山崎さんって変態でしょ?」

「いくらなんでも、酷くないですか?」

「自分で、変態みたいなこと言ったんじゃん」

「…ごめんなさい」

真面目な山崎さんの声がおかしくて、ケタケタと、声を出し、肩を揺らして笑った。
山崎さんが、背中から離れ、布団の脇に座った。
体を起こして、立ち上がろうとする山崎さんのスウェットを掴んで、じっと見つめると、目が暗闇に慣れ始めた。
暫くして、山崎さんは、根負けしたように困った顔をして隣に座った。

「どうしたんですか?」

優しい微笑みに、優しい声色が混ざり、さっきまでの不安が消えた。

「一緒がいい」

見つめたまま、素直な気持ちを言うと、山崎さんは、照れ笑いしながら、私の頭を撫でた。

「何だか、妹が出来たみたいです」

「ごめんね」

ぶっ垂れながら、膝を抱えて謝ると、山崎さんは、目を細めて、私の肩を抱き、頭に頬を擦り寄せた。

「いいんじゃないですか?たまには」

そう言われ、少し安心した私は、目を閉じて、山崎さんの背中に腕を回した。
クスッと笑った山崎さんに、一気に体重を掛けて、力を入れた。

「ちょ!!わあ!!」

山崎さんを巻き込みながら、布団に寝転んだ。

「何やってんですか」

「寝るの」

「本当に子供みたいですよ」

「いいじゃん。たまには」

「私は、毎日でもいいんですけど」

「たまになの」

クスクスと笑ってから、布団の上を滑るように移動した山崎さんの顔が、目の前に現れた。
自然に見つめ合い、山崎さんが、オデコに唇を寄せてると、チュッと音がした。
静かに目を閉じたのを見て、私も目を閉じた。
安心する。
心地いい。
そう感じれば感じる程、このまま、一緒にれたらと思っていた。
そんな中で、先に寝たのは、山崎さんだった。
不思議な気分でいると、一定のリズムで、呼吸音が聞こえ、細く目を開けた。
目の前の山崎さんの寝顔を見つめ、クスクスと、小さく笑った。
大人っぽいけど、こうして見ると、まだ幼さが残り、年齢相応だと思えた。
まつ毛が長いと思いながら、私は、静かに腕を動かし、山崎さんの髪に触れてみた。
柔らかい。
猫の毛みたいに柔らかくて、ふわふわしている。
いつもは、山崎さんが一方的に触れるか、私が無意識に掴んでるかで、分からなかった。
手以外の触れた感覚を覚えていないことに気付き、山崎さんの頬に触れてみた。
弾力性、ハリ、艶が、申し分ない程で羨ましい。
唇を触れてみると、すごく柔らかい。
山崎さんの唇を見つめながら、触っていると、無性に、キスしたい気持ちが、沸き上がってきた。
顔を近付けて、山崎さんの唇に、そっと、自分の唇を重ねてみると、指先で触れているよりも、ずっと柔らかく感じる。
それだけで、唇を離そうとすると、枕にしていた腕が動き、後頭部を包まれた。
肩に乗っていた腕が、背中に回され、抱き寄せられて、驚くと、隙間から、舌が口内に侵入してきた。
頭が混乱していると、布団に背中を着け、仰向けになった。
唇が離れると、山崎さんが、ニヤリと笑っていた。

「いつから?」

状況を理解した私が、睨んで聞くと、山崎さんは、私の髪に触れた。

「髪を触られた時からですね」

「最初っからじゃん!!」

山崎さんが、ゲラゲラと、大声で笑うのを初めて見た。
その笑った顔は、寝ていた時よりも、もっと幼かった。
涙目になりながら、山崎さんは、鼻で小さな溜め息をついて微笑むと、私の唇を指で撫でた。

「感想は?」

そう聞かれ、私は、顔を赤くして、視線を反らした。

「別に」

山崎さんが、鼻が触れ合う程、顔を近付け、視線を合わせた。
優しく微笑んでいたが、私は、恥ずかしくて、視線を反らした。

「本当は?」

「猫っ毛」

「あとは?」

「まつ毛長い」

「だけ?」

「肌スベスベ」

山崎さんの唇に、頬を撫でられた。
顔を反らして、完全に横を向いて逃げると、唇が耳に寄せられた。

「言って?」

目を閉じて、ドキドキと、心臓を踊らせながら、顔を真っ赤にし、囁くように言った。

「柔か…かった…」

どうしよう。
言ってしまった。
私の中に後悔が生まれ、何をされるのかと不安なような、期待しているような、複雑な思いを抱い。
心臓が爆発しそう。
もうどうにでもなれ。
そう思って、身構えていた私の谷間が重くなり、恐る恐る、目を開けると、山崎さんの髪が見えた。
ギュっと、目を閉じて、次への衝撃を待ったが、何も起こらなかった。

「…山崎さん?」

小刻みに揺れる頭に声を掛けると、顔を向けた山崎さんの目元には、涙が溜まっていた。

「もうしませんよ」

笑いを堪えながら、声を微かに震わせる山崎さんに、私は、穴があったら、入りたいくらい、恥ずかしくなった。

「求められれば、別ですけどね?」

「しない!!求めない!!寝ろ!!」

強く言って、目を閉じ、隠すように、顔を覆った手に熱が伝わり、更に、恥ずかしさが込み上げた。

「ばか」

「すいません。可愛くて、ついつい。それに、触れられるのが、気持ち良かったから」

顔が近付いて、横に倒れると、山崎さんも一緒に倒れ、向き合う形になった。

「ばか」

「はいはい」

目を閉じていると、自分の熱に混じって、腕を回している山崎さんの暖かさが、強く感じられて、なんだか安心する。

「ばか」

「はいはい」

「変態」

「はいはい」

「ムカつく」

「いい加減寝ませんか?」

顔から手を離し、目の前にある山崎さんを見ると、大きなアクビをしていた。
だよね。
いくら、若くても、連続してやれば、疲れるよね。

「もう少し、大切にして欲しいんですけど」

「してますよ」

オデコに頬を擦り寄せて、答えた山崎さんの背中に腕を回し、胸元で囁くように言った。

「私じゃなくて。山崎さんの事だから」

オデコから頬が離れ、私を見つめると、山崎さんは、頬を微かに赤くして、困った顔をした。
腕に力を入れ、互いの顔が見えないように抱き締めた。
この腕の中にいると、自分が分からなくなる。
本気で好きなのか。
この状況に酔っているだけなのか。
どちらにしても、今の私には、答えが出せない。
気付けば、同じリズムの寝息で、太陽が、部屋を照らすまで、ゆっくり、眠っていた。
先に目を覚ましたのは、私の方だった。
目を開けると、山崎さんの寝顔があり、前回とは違って安心した。
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