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第三部
【完】翼の折れた天使
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【達也】
「本当に、これでよかったの?ねえ……」
窓辺に立って、降り始めた雨に視界を塞がれた外を見つめる美神君に声をかけた。
空港の側のホテルの一室で、まだ高野君の絶叫が耳の奥に張り付いたまま僕は、何も言わない美神君の背中を見ていた。
「美神君……」
美神君は、肩越しに顔だけを僕の方に向けて、ああ、と短い返事を返す。
「風に舞うたんぽぽみたいだったな」
外を見下ろしながら急にそんなことを言って小さく笑い声をたてる美神君に、僕は驚いた。
「なんのこと?」
「地方のホテルに泊まったときさ、窓から下を見るとファンの子が一生懸命手を振ってたろ。あれ、たんぽぽに似てないか」
「そうだっけ」
今になって、彼女たちをそんなふうに表現する美神君の気持ちが僕には理解出来ない。
「よく覚えてないけど。懐かしい?それとも、彼女たちの裏切りが許せない?」
幻のように消えた彼女たちのことを、本当はどう思っているの。
そう聞いた僕に、
「達也、裏切ったのはオレの方だよ」
美神君は首を振って、あっさりそう言った。
「高野君、すごく傷ついてたよ」
僕は語気を強めて、話を戻した。
「その方が忘れられるだろ」
自分だって充分傷つきながら?
なぜ、好きな人と一緒に生きていくことが出来ないのか、なぜ、こんなふうに別れなければいけないのか、この人の心は全く理解出来ない。
「美神君…」
美神君を背中から抱きしめて、その肩に顔を埋めた。
「辛い?」
「これでいいんだ、達也。本当はもっと早く終わらせるべきだった」
それが出来なかったのは、少しでも高野君の側にいたかったから。
背中から美神君の想いが溢れるように僕に伝わる。
体の一部を失ったような、辛くて悲しくてやり切れない気持ちになる。
「他に方法なかったの?」
「司はこんなところで終わる人間じゃない。司には可能性がある。もっと上を目指せる。司の可能性を邪魔する事務所をオレは許せなかった」
「美神君はどうするの。高野君を自由にするかわりに芸能界から消えるって約束したんでしょう。わざわざ山下さんに近づいて、事務所の脱税の証拠を握って。それで、いいの?満足したの?美神君はもう、芸能界でやり残したことはないの?」
いまさら、美神君を引き止めることは出来ないと知りながら、それでも僕は言わずにいられなかった。
「永い夢を見ているって、司に言われた。達也、オレはもうそろそろ、目覚める時期なんだよ」
本当に、夢から醒めたような声で言って笑う。
そして、僕が挫けたときにいつもそうしてくれたように、僕の手に自分の手を重ねて優しい声で美神君は言った。
達也、いつからか、オレの夢は芸能界で成功することじゃなくなっていたんだ。
馬鹿みたいだけど、願いは単純なことだった。
司の側にいたかった。
ただそれだけ。
オレの夢は、司だった。
◇◇◇
それから間もなくして美神君は僕たちの前から姿を消した。
どこに行くのか、誰にも知らせずに。
高野君と会っても美神君の話はしない。
事務所を出て独立しても、何の圧力もなく変わらずに仕事が入ってくるという意味を彼なりにわかっているのかもしれないし、そうじゃなくて美神君に裏切られたと思い続けて美神君を恨んでいるのかもしれない。
ただ最近の高野君の瞳には、前にはなかった柔らかさがあるような気がする。
相変わらず人を挑発するような尖って色っぽい視線の中に、人を許せる優しさのようなものを感じる。
街中を歩いていて、道路と空き地を仕切る立て看板に見上げるほど大きく写る高野君の顔を見つけて、僕は立ち止まった。
思わず目を奪われる。
美神君もどこかでこの広告を足を止めて見上げたんだろうか、どんな気持ちで。
そう考えながら雄弁なモノクロの瞳を見ていると、なんとなく美神君の気持ちがわかるような気がしてくる。
不特定多数の人間の愛を必要としていたのは、美神君ではなくて、高野君だったのかもしれない。
高野君はより多くの人間から称えられて魅力を増す、希少な人だ。
芸能界というステージから降りたとき生き方を迷うのはむしろ美神君ではなくて高野君かもしれない。
美神君は、そのことを誰よりも知っていたんだろう。
知っていて高野君を守りたかったから、美神君はあんなにも強く、迷いがなかったんだ。
美神君は言った。
人の気持ちは変わる。でもそれを許して、自分が変わらないことで永遠とか普遍とかを信じろ、と。
美神君は自分の気持ちが変わらないと信じられるほど、強い気持ちで高野君を想っていたんだろう。
街を歩いていても、もう誰も僕を振り返って見たりしない。
あの狂気のような栄光は本当にあったことなのか、それとも永い夢だったのか、僕はもう曖昧になりかけている。
本当に美神君は僕の側にいて、生きていたのだろうか。
それが夢ではなかった証拠が欲しくて、今でも人込みで僕は彼を探さずにいられない。
どんなに大勢の人間がいても、彼ならわかるという自信はある。
想う人間と同じ高みに昇ることの出来なかった翼の折れた天使。
けれど今でも美神君は、変わらずに自分の夢を追いかけていると信じているから。
惑わない真っ直ぐな瞳で。
■第三部完■
****************************
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
聖の長い物語はここでおしまいなのですが、
後日談的ストーリーがあります。
『完結編』(前編)(後編)になります。
良かったらそちらも読んでください。
フジキフジコ
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「本当に、これでよかったの?ねえ……」
窓辺に立って、降り始めた雨に視界を塞がれた外を見つめる美神君に声をかけた。
空港の側のホテルの一室で、まだ高野君の絶叫が耳の奥に張り付いたまま僕は、何も言わない美神君の背中を見ていた。
「美神君……」
美神君は、肩越しに顔だけを僕の方に向けて、ああ、と短い返事を返す。
「風に舞うたんぽぽみたいだったな」
外を見下ろしながら急にそんなことを言って小さく笑い声をたてる美神君に、僕は驚いた。
「なんのこと?」
「地方のホテルに泊まったときさ、窓から下を見るとファンの子が一生懸命手を振ってたろ。あれ、たんぽぽに似てないか」
「そうだっけ」
今になって、彼女たちをそんなふうに表現する美神君の気持ちが僕には理解出来ない。
「よく覚えてないけど。懐かしい?それとも、彼女たちの裏切りが許せない?」
幻のように消えた彼女たちのことを、本当はどう思っているの。
そう聞いた僕に、
「達也、裏切ったのはオレの方だよ」
美神君は首を振って、あっさりそう言った。
「高野君、すごく傷ついてたよ」
僕は語気を強めて、話を戻した。
「その方が忘れられるだろ」
自分だって充分傷つきながら?
なぜ、好きな人と一緒に生きていくことが出来ないのか、なぜ、こんなふうに別れなければいけないのか、この人の心は全く理解出来ない。
「美神君…」
美神君を背中から抱きしめて、その肩に顔を埋めた。
「辛い?」
「これでいいんだ、達也。本当はもっと早く終わらせるべきだった」
それが出来なかったのは、少しでも高野君の側にいたかったから。
背中から美神君の想いが溢れるように僕に伝わる。
体の一部を失ったような、辛くて悲しくてやり切れない気持ちになる。
「他に方法なかったの?」
「司はこんなところで終わる人間じゃない。司には可能性がある。もっと上を目指せる。司の可能性を邪魔する事務所をオレは許せなかった」
「美神君はどうするの。高野君を自由にするかわりに芸能界から消えるって約束したんでしょう。わざわざ山下さんに近づいて、事務所の脱税の証拠を握って。それで、いいの?満足したの?美神君はもう、芸能界でやり残したことはないの?」
いまさら、美神君を引き止めることは出来ないと知りながら、それでも僕は言わずにいられなかった。
「永い夢を見ているって、司に言われた。達也、オレはもうそろそろ、目覚める時期なんだよ」
本当に、夢から醒めたような声で言って笑う。
そして、僕が挫けたときにいつもそうしてくれたように、僕の手に自分の手を重ねて優しい声で美神君は言った。
達也、いつからか、オレの夢は芸能界で成功することじゃなくなっていたんだ。
馬鹿みたいだけど、願いは単純なことだった。
司の側にいたかった。
ただそれだけ。
オレの夢は、司だった。
◇◇◇
それから間もなくして美神君は僕たちの前から姿を消した。
どこに行くのか、誰にも知らせずに。
高野君と会っても美神君の話はしない。
事務所を出て独立しても、何の圧力もなく変わらずに仕事が入ってくるという意味を彼なりにわかっているのかもしれないし、そうじゃなくて美神君に裏切られたと思い続けて美神君を恨んでいるのかもしれない。
ただ最近の高野君の瞳には、前にはなかった柔らかさがあるような気がする。
相変わらず人を挑発するような尖って色っぽい視線の中に、人を許せる優しさのようなものを感じる。
街中を歩いていて、道路と空き地を仕切る立て看板に見上げるほど大きく写る高野君の顔を見つけて、僕は立ち止まった。
思わず目を奪われる。
美神君もどこかでこの広告を足を止めて見上げたんだろうか、どんな気持ちで。
そう考えながら雄弁なモノクロの瞳を見ていると、なんとなく美神君の気持ちがわかるような気がしてくる。
不特定多数の人間の愛を必要としていたのは、美神君ではなくて、高野君だったのかもしれない。
高野君はより多くの人間から称えられて魅力を増す、希少な人だ。
芸能界というステージから降りたとき生き方を迷うのはむしろ美神君ではなくて高野君かもしれない。
美神君は、そのことを誰よりも知っていたんだろう。
知っていて高野君を守りたかったから、美神君はあんなにも強く、迷いがなかったんだ。
美神君は言った。
人の気持ちは変わる。でもそれを許して、自分が変わらないことで永遠とか普遍とかを信じろ、と。
美神君は自分の気持ちが変わらないと信じられるほど、強い気持ちで高野君を想っていたんだろう。
街を歩いていても、もう誰も僕を振り返って見たりしない。
あの狂気のような栄光は本当にあったことなのか、それとも永い夢だったのか、僕はもう曖昧になりかけている。
本当に美神君は僕の側にいて、生きていたのだろうか。
それが夢ではなかった証拠が欲しくて、今でも人込みで僕は彼を探さずにいられない。
どんなに大勢の人間がいても、彼ならわかるという自信はある。
想う人間と同じ高みに昇ることの出来なかった翼の折れた天使。
けれど今でも美神君は、変わらずに自分の夢を追いかけていると信じているから。
惑わない真っ直ぐな瞳で。
■第三部完■
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最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
聖の長い物語はここでおしまいなのですが、
後日談的ストーリーがあります。
『完結編』(前編)(後編)になります。
良かったらそちらも読んでください。
フジキフジコ
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