HEAVENーヘヴンー

フジキフジコ

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【第一章】シャングリラ

3.真昼のホテル

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採光を取りやすく作られた大きな窓から、眩しいくらいの陽光が部屋全体を照らす。
けれどどんなに明るくしても真昼のホテルの部屋には淫靡な空気が漂っているような気がする。

「真理…」
ただ名前を呼ばれただけで背筋に甘い衝撃が走る。
懐かしい声、懐かしい響き。
固く目を閉じて、真理は身体に走る官能的な痺れをやりすごし、振り向きたい衝動を必死に堪えた。
振り向いて彼の顔を見てしまったら、自分がどうなってしまうかわからない。

「真理」
今度はすぐ後ろで呼ばれた。
背中に体温を感じるくらい側にいる。
後ろからそっと腕をつかんだ手は、それでも強引に振り向かせようとはしない。
「………不破」
名前を呼ぶだけでも罪深い気がして後ろめたい。
ただ呼ぶだけならそうじゃなくても、こんなにも愛しさをこめて呼んでしまったら苦しい恋を告白しているようなものだ。

どうして、来てしまったのだろう。
真理は強い後悔に襲われる。
朝、ベッドの中で鳴った電話が、受話器を取る前に不破だと直感でわかったときから、こうなることは予想が出来た。

『会いたいんだ』
受話器の向こうで不破はそう言った。
『おまえが馨と一緒にいること、日本に帰る少し前に聞いたよ。どうしてそういうことになったのかも、だいたい聞いた。でも、どうしても一度おまえに会って確かめなきゃ、オレ、わかんねえよ。頼むから、真理…オレと会って』
強引なところは昔と変わっていない。
それが原因で喧嘩もたくさんした。
けれど、不破のそんな部分も本当はとても好きだった。
『返事はしなくてもいいよ。待ってるから、おまえが来るまで、待ってる』
そう言って不破が告げたホテルの名前と部屋のナンバーは、一度聞いただけで真理の心を他のことが考えられないくらい占めてしまった。

馨を仕事に送りだし、身支度をして不破の待つホテルに来た。
自分がなにをしようとしているのか、わかっているようでわからなかった。
いい訳ならいくらでも出来る。
不破が帰国した限り、一度は会って事情を話して許しを請わなければならないと思っていた。
待っているという約束を反故にしたことを詫びて…そして、さよならを云わなくてはいけない。

そう、自分は、さよならを云うために、不破に会いに来たのだ。

「真理、会いたかった」
「……オレも。不破…」
けれど、口をついて出てきた言葉はそのどれでもなかった。

会いたかった―。

不破は後ろから包むようにそっと真理を抱きしめ、真理の肩に顔を埋める。
「辛い思いをさせて、ごめん」
「なんで…。不破は悪くない。オレが、おまえを信じて待てなかったオレが悪いんだ」
不破は後ろから抱きしめた手で、真理の手首を探る。
左手首にうっすらと残る傷跡に触れ、真理を抱きしめる腕に力を込めた。

「よかった。真理が逝かなくて…」
「不破……」
「オレのためにこんなこと、したんだろ。真理、まだオレのこと、愛してる?」
愛してるかと聞かれて、どうして愛してないと言えるだろう。
けれど言葉にするにはあまりに罪深くて真理は不破の腕の中でそっと頷いて応えた。

「だったら、馨と別れて。オレと一緒になろう」
「それは…出来ない」
「なんで!?」
馨は自分のためにゲイであることをカミングアウトした。
正確に言えば、馨はゲイですらなかった。
同性と関係したのは真理がはじめてだった。
真理は馨の人生そのものを変えてしまった。
女性と恋をして結婚して子供を持つ。
そんな普通の将来を、奪ってしまったのだ。

結果的に、馨のカミングアウトは世間に好意的に受け入れられ今も芸能界での仕事を続けていられるが、別れたりしたら、そのことが馨の仕事にどう影響を与えるかわからない。
男同士の痴情のもつれなんて、良い結果になるはずはなかった。

だいいち、馨と別れたあと不破とのことが発覚すれば馨の仕事に大きなダメージを与えるだけでなく、不破の仕事さえ危なくなる。
1年間もの間、日本の芸能界から遠ざかっていた不破もまた、これからブランクを取り戻す大事な時期だ。
いくら実力があっても、運とバックの力がなければ仕事はない。
そして些細なスキャンダルが命取りになる、それが芸能界だ。
真理も、そんな世界にいたからわかる。
たとえプライベートなことでも、選択を誤まったら、取り返しがつかなくなることを。

けれど馨と別れられない理由は他にもあった。
馨を、傷つけたくないと真理は思っている。
自分を絶望の淵から救ってくれた馨に愛情がないわけではない。
確かに二人は愛しあって、互いに互いを必要と感じ一緒に生きていこうと決めたのだ。
籍を入れたことは、二人の強い決心の証だ。

そう、今は恋人であり、夫である馨を愛していることも真理にはどうしようもない事実だった。
自殺未遂のあとの嵐のような日々を経て、やっと手にいれたこの平穏で幸福な生活を今更捨てる勇気もない。

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