HEAVENーヘヴンー

フジキフジコ

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【第二章】エデンの果実

3.甘い蜜

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「パーティ?」
聞き返した真理に、馨は手にした招待状を折りながら応える。
「そう。真理も行くよね」
「オレは…いいよ」
「夫婦同伴のパーティなのに、オレを一人で行かせるつもり?」
「…けど」
自分がそのパーティに行きたがらない理由を、馨だってわかっているはずなのに。

真理は意地悪な馨を恨めしそうに見上げる。
「大丈夫、ずっと側にいるし、一通り挨拶だけしたらすぐ帰るから」
いつにない強引さで誘われて、仕方なく馨の用意したスーツを着る。
大きな襟の真っ白なシルクのシャツの上に、腰の細さが強調されるような短い丈のジャケットのスーツ。
芸能界を引退してからこんな格好をするのは久し振りで、真理は照れたように顔を伏せる。

「思ったとおり、よく似合う。おいで、髪、セットしてあげる」
鏡の前に真理を座らせて、馨は現役時代と変わらない薄茶色の髪を梳く。

「真理が芸能界を引退してなければ、今日のパーティの主役は君だったかもしれないね」
今日のパーティは年末恒例の、年間を通じてテレビ、映画、雑誌などのメディアで活躍した人に与えられる芸能文化大賞の受賞パーティだ。
芸能界にいた頃は真理も何度か受賞者として参加したことがあった。

「なに言ってるんだよ。オレなんか、そんな才能全然なかった」
「君には華があるから。この世界じゃ才能よりもっと大切なことだよ」
華、と聞いて瞬間に真理は不破を思う。
不破ほど輝いた存在感の持ち主はいない。
アイドルだった頃、「王子」と呼ばれていた馨に対して、不破を「黒王子」と呼ぶファンがいた。
西洋人の血の混じる品の良い「王子」と、野性的な男らしさを持つ「黒王子」は、グループの中でも対照的でありながら、トップを競う人気があった。

「真理」
呼ばれて、はっとして顔をあげた。
鏡に困惑した自分の顔が映る。
馨に触られていながら不破を思っていたなんて。
心に隙がある。
今日のパーティには当然、不破も顔を出すだろう。
こんなときに馨の側で不破に会うことに、真理はたまらなく不安を覚える。
うまく、演じることが出来るだろうか。
「大丈夫、心配しないで」

真理の曇った表情を、遠ざかっていた場所に行くことの不安だと思っている馨は、励ますように言って鏡の中の真理に微笑した。



***



パーティ会場のホテルの豪華な大広間は知っている顔を探すのが大変なくらい大勢の人でごった返していた。
真理は少し安堵する。
これならたとえ不破がいても会わずにすむかもしれない。

馨はすれ違う人に慣れた所作で挨拶しながら、たえず真理を気遣ってくれる。
一流の芸能人や高名な映画監督、テレビ局のお偉方といった華やかな顔触れも、芸能界から退いて久しい真理には無関係でしかなかった。

「水波君じゃないか!」
不意に呼びかけられて振り向くと、現役の頃長く一緒に番組を作っていたプロデューサーだった。
「久しぶりだねえ。君、引退してからちっともこういう場所に出てこないから」
「長谷川さん、言ったでしょう。真理はこういう場所が苦手なんですよ」
困惑する真理を庇うように、馨がやんわりと二人の間に割って入る。
「そう言って有沢君が君を隠すのも無理ないね。芸能界を引退してもう一年は立つだろう?それなのに、ちっとも変わってなくて驚いたよ。いや、前より綺麗になった。なんとも色っぽい、っていうか…」
身体中を舐め回すような不躾な視線に真理は居心地が悪そうに俯く。

そんな真理にお構いなしに、実はね、と長谷川は言葉を続けた。
「有沢君には何度も君の復帰をお願いしたんだけど、フラれ続けていてね。本当のところどうなの?もう一度芸能界でやってみる気はない?あのことならみんなもう…」
触れられたくない傷に触れられそうになって、真理は救いを求めるような目で馨を見上げる。
「困りますよ、長谷川さん。そんな話、今しないでください」
「けどねえ!もったいないよ」
しつこく食い下がる長谷川に馨は肩を竦めてため息をもらす。
長引きそうだから向こうで休んでおいでと、真理の耳元に言った。

しばらく壁際に佇んでいた真理は、人に酔ったのか気分が悪くなり広間を出た。
同じフロアのトイレは避けて、エスカレーターを降りて下の階のトイレに駆けこむ。
手洗いで、水を流しながら突然こみ上げた嘔吐感に身体を震わせた。
馨には黙っていたが、このところ体調がよくない。
抱え込んだ秘密が重荷になって肉体を虐めているのだと思う。
今朝はなにも食べていないので、吐いても胃液しか出てこなかった。
水で口を濯いで落ちついてからも、すぐに広間に戻る気になれなくて鏡を覗き込んだ。
青白い顔が、何が不満なのか寂しい表情をしていた。

息を吐いて、トイレを出ようとして振り返ったとき、入ってきたばかりの人とぶつかった。
「すみません」
「真理!」
驚いたような声で自分を呼んだのは不破だった。
「…不破」
会わないように願っていた相手と、よりによってこんな場所で会ってしまう。
この偶然は誰の仕業なのか、真理にはもう運命に抵抗する気力もない。
軽い眩暈に身体を傾けた真理を胸に抱き寄せて、不破は周囲の目から真理を隠すようにトイレの個室に連れ込んだ。

「真理」
状況よりも、ただ偶然に真理に会えたことを喜んでいる。
そんなふうに不破は真理を呼びながら抱き締める。
同じホテルの中には馨と、そして多分不破の同伴者として杏理も来ているはずなのに。

「…尊」
けれど身体をまさぐりはじめた不破の手を止めることもなく、真理は目的のわかりきった愛撫に身を任せた。
そして現実から逃れるように、ゆっくり、瞼を閉じる。

罪は重ねれば重ねるほど熟して甘い蜜を垂らすエデンの果実のようだ。

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