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13.療養
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千原那智の突然の休養宣言に、マスコミとファンは騒然となった。
人気絶頂のグループの中心的メンバーの身になにが起きたのか、憶測記事だけが数多く書き立てられたが、事務所は「体調不良による、しばらくの休養」と伝えるだけで、真実は明らかにされなかった。
回復の見込みがないため脱退を発表するという事務所に、しばらく「休養」ということにして欲しいと頼んだのは樫野だった。
那智が自分のことがわかる間は、FakeLipsのメンバーでいさせてやりたかった。
◆◆◆
「圭太、どうしてる?元気か」
「あいつ、来てないの?一度も?」
仕事をやめた那智は神奈川県の海辺の療養所に入院した。
その療養所は病院というより品のいいリゾートホテルのような建物で、静かで空気もよく、理想的な環境だった。
幸い、東京から車で2時間もあれば来られるため、仕事の合間にメンバーは交代で見舞いに訪れる。
樫野は約束した通り、毎日、顔を見せに来た。
肉体的にはどこも悪くない那智は昼間は普段着で、海の見える林に囲まれた施設の庭で過ごすことが多かった。
今も樫野と軽くキャッチボールをして、二人して額に汗を滲ませ、息を弾ませながら芝生に座り込んだところだった。
「うん、圭太だけ、来てない」
圭太はきっとまだ割り切れないのだろうと、樫野は思った。
頭で理解しても、気持ちの上で、那智を許せないのだ。
圭太にとって那智は特別な存在だった。
那智に憧れてダンスをはじめた。
那智と一緒に踊りたくて、練習もした。
圭太の父親は大蔵省に勤める官僚で、圭太の芸能界入りに反対だったが、父親と喧嘩して家を飛び出してきた圭太を叱り、許してもらえるまで何度も圭太の実家に足を運んだのは那智だった。
高校を卒業するまでに成功しなかったら芸能界を辞めるという期限のついた許しを得られたのは、那智の諦めない真剣な説得があったからだ。
「おまえに出会ってなかったら、圭太はきっと今とまったく違う人生を送ったんだろうな。多分将来は髪を七三に分けて霞ヶ関で働いている」
圭太との経緯を思い出しながら樫野が言ったその言葉に、那智は首を傾げる。
その表情から、那智がそのことを覚えていないのだとわかって、樫野は小さく息を飲んだ。
「圭太、怒ってるんだろうな。オレが、約束守らなかったから」
そう言う那智の声は存外に、明るい。
「約束?圭太と、どんな約束してたの」
「どんな約束だったかなあ…覚えてないや」
軽く笑いながら那智は言った。
療養所に入ってからの那智は随分落ち着いている。
自分の病状の進行さえも静観出来るようになった。
「オレがこんなんだから、拗ねてるのかな」
「今だけだよ、きっとそのうち我慢出来なくなって顔見に来るさ」
もう肌寒く感じる潮風が、二人の間をすり抜ける。
「圭太は、まだこれから先、どんどん成長すると思うんだ。あいつには恵まれた体格と、センスがある。きっと、アメリカでも通用するダンサーになれる」
那智が断言した。
「樫野、圭太のこと、頼む。あいつ、目を離すとすぐ練習サボるだろ。才能だけじゃあ、天井は目指せないってこと、教えてやって」
「那智は、圭太に自分の夢を託すつもりなのか」
樫野にそう聞かれて、意外なことを言われたように、那智は笑った。
「それは違う。オレの夢は、FakeLipsだった。望み以上に夢は叶ったんだ。もう、これ以上、望むものはない」
過去を失う那智が、未来までも諦めなければいけないという事実が、樫野にはやり切れない。
望むものはないという那智。
自分たちは、デビューしてからずっと、常に具体的な目標を定めて、目指す場所に向かうように努力してきた。
ヒットチャートの上位を獲ることや、コンサート会場の規模を大きくしていくこと。
言葉にすればなんだか薄っぺらな目標に思える。
本当は、自分も那智もそういうふうに成功したかったわけではないような気がする。
那智はただ、踊りたかっただけなのかもしれない。
心を許せる仲間と。
そして自分もやっぱり、歌って、踊れればそれで幸せだった。
那智と。
誰でもない、千原那智と。
「樫野、風呂入ろうか。ここの風呂、すげえよ。温泉なんだって、ジャグジーもある」
先に立ち上がった那智が、座っている樫野に手を差し出して言う。
笑いながら那智の手を握って、樫野も立ち上がる。
「樫野、ありがとな。来てくれて、ありがとう」
手を握ったまま、那智は改まってそう言った。
握手は二人の間では特別な意味があった。
お互いに想いあっていながら身体での接触を禁じた二人は、相手に触れたいと思ったとき、キスの代わりに手を握ることにした。
「何だよ、急に。礼なんか言うな。オレが来たくて来てるだけだし」
樫野がここに通うのために、ただでさえ少ない睡眠時間を削っていることを知っている。
事務所に無理を言い、仕事のスケジュールも減らしているに違いない。
以前ならそんなことは許さなかったけど、今の那智には、樫野を責めることが出来ない。
なぜなら、自分自身が少しでも長く樫野といたいと思うから。
那智は自分の最後の我が儘を、自分自身に許した。
人気絶頂のグループの中心的メンバーの身になにが起きたのか、憶測記事だけが数多く書き立てられたが、事務所は「体調不良による、しばらくの休養」と伝えるだけで、真実は明らかにされなかった。
回復の見込みがないため脱退を発表するという事務所に、しばらく「休養」ということにして欲しいと頼んだのは樫野だった。
那智が自分のことがわかる間は、FakeLipsのメンバーでいさせてやりたかった。
◆◆◆
「圭太、どうしてる?元気か」
「あいつ、来てないの?一度も?」
仕事をやめた那智は神奈川県の海辺の療養所に入院した。
その療養所は病院というより品のいいリゾートホテルのような建物で、静かで空気もよく、理想的な環境だった。
幸い、東京から車で2時間もあれば来られるため、仕事の合間にメンバーは交代で見舞いに訪れる。
樫野は約束した通り、毎日、顔を見せに来た。
肉体的にはどこも悪くない那智は昼間は普段着で、海の見える林に囲まれた施設の庭で過ごすことが多かった。
今も樫野と軽くキャッチボールをして、二人して額に汗を滲ませ、息を弾ませながら芝生に座り込んだところだった。
「うん、圭太だけ、来てない」
圭太はきっとまだ割り切れないのだろうと、樫野は思った。
頭で理解しても、気持ちの上で、那智を許せないのだ。
圭太にとって那智は特別な存在だった。
那智に憧れてダンスをはじめた。
那智と一緒に踊りたくて、練習もした。
圭太の父親は大蔵省に勤める官僚で、圭太の芸能界入りに反対だったが、父親と喧嘩して家を飛び出してきた圭太を叱り、許してもらえるまで何度も圭太の実家に足を運んだのは那智だった。
高校を卒業するまでに成功しなかったら芸能界を辞めるという期限のついた許しを得られたのは、那智の諦めない真剣な説得があったからだ。
「おまえに出会ってなかったら、圭太はきっと今とまったく違う人生を送ったんだろうな。多分将来は髪を七三に分けて霞ヶ関で働いている」
圭太との経緯を思い出しながら樫野が言ったその言葉に、那智は首を傾げる。
その表情から、那智がそのことを覚えていないのだとわかって、樫野は小さく息を飲んだ。
「圭太、怒ってるんだろうな。オレが、約束守らなかったから」
そう言う那智の声は存外に、明るい。
「約束?圭太と、どんな約束してたの」
「どんな約束だったかなあ…覚えてないや」
軽く笑いながら那智は言った。
療養所に入ってからの那智は随分落ち着いている。
自分の病状の進行さえも静観出来るようになった。
「オレがこんなんだから、拗ねてるのかな」
「今だけだよ、きっとそのうち我慢出来なくなって顔見に来るさ」
もう肌寒く感じる潮風が、二人の間をすり抜ける。
「圭太は、まだこれから先、どんどん成長すると思うんだ。あいつには恵まれた体格と、センスがある。きっと、アメリカでも通用するダンサーになれる」
那智が断言した。
「樫野、圭太のこと、頼む。あいつ、目を離すとすぐ練習サボるだろ。才能だけじゃあ、天井は目指せないってこと、教えてやって」
「那智は、圭太に自分の夢を託すつもりなのか」
樫野にそう聞かれて、意外なことを言われたように、那智は笑った。
「それは違う。オレの夢は、FakeLipsだった。望み以上に夢は叶ったんだ。もう、これ以上、望むものはない」
過去を失う那智が、未来までも諦めなければいけないという事実が、樫野にはやり切れない。
望むものはないという那智。
自分たちは、デビューしてからずっと、常に具体的な目標を定めて、目指す場所に向かうように努力してきた。
ヒットチャートの上位を獲ることや、コンサート会場の規模を大きくしていくこと。
言葉にすればなんだか薄っぺらな目標に思える。
本当は、自分も那智もそういうふうに成功したかったわけではないような気がする。
那智はただ、踊りたかっただけなのかもしれない。
心を許せる仲間と。
そして自分もやっぱり、歌って、踊れればそれで幸せだった。
那智と。
誰でもない、千原那智と。
「樫野、風呂入ろうか。ここの風呂、すげえよ。温泉なんだって、ジャグジーもある」
先に立ち上がった那智が、座っている樫野に手を差し出して言う。
笑いながら那智の手を握って、樫野も立ち上がる。
「樫野、ありがとな。来てくれて、ありがとう」
手を握ったまま、那智は改まってそう言った。
握手は二人の間では特別な意味があった。
お互いに想いあっていながら身体での接触を禁じた二人は、相手に触れたいと思ったとき、キスの代わりに手を握ることにした。
「何だよ、急に。礼なんか言うな。オレが来たくて来てるだけだし」
樫野がここに通うのために、ただでさえ少ない睡眠時間を削っていることを知っている。
事務所に無理を言い、仕事のスケジュールも減らしているに違いない。
以前ならそんなことは許さなかったけど、今の那智には、樫野を責めることが出来ない。
なぜなら、自分自身が少しでも長く樫野といたいと思うから。
那智は自分の最後の我が儘を、自分自身に許した。
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