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21.新しい恋
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夢の中で、必死に誰かの名前を呼んだ。
それなのに、いくら呼んでも声が喉にひっかかって、音にならない。
声が出ない。そう思った。
でもそれは違った。
誰の名前を呼んでいるのか、わからないのだ。
輪郭だけが、ぼんやりと残像のように思い浮かぶ。
その人の名を叫んで、助けて、そう言いたいのに。
助けて。
その人が、手をつかんでくれたら、きっと大丈夫だから。
けれど、自分が助けを求めているのが誰なのかわからない。
大切な、誰よりも、大切な人なのに。
わからなかった。
◆◆◆
ドアを開けると、ベッドに座った那智が出窓の上のかすみ草を眺めていた。
窓が少し開いて、小さな花弁が風に揺れている。
「那智」
驚かさないように小声で呼びかけると、那智はゆっくり樫野を振り返った。
自分を見つめる那智の顔を見て、とうとうその日が来たことを樫野は知った。
思っていたより悲しくないのは、那智の顔が、はにかみながらも微笑んでいたせいだ。
もう、なにも苦しんでいない、そういう表情だった。
「だれ?」
静かで穏やかな声だった。
誰、と樫野に向かって聞いたあと、申し訳なさそうに那智は言った。
「オレ、病気なんだって。みんな、忘れちゃったらしいんだ。だから、前は知っていたかもしれないけど、名前、わからなくてごめん」
樫野はベッドの側に歩み寄った。緊張して足が少し、震えていた。
「オレの名前は樫野、樫野拓人」
「カシノ…タクト?」
「そう、樫野拓人」
「カシノタクト」
それが意味のある大切な言葉のように、那智はゆっくりと復唱する。
何か真剣に考えているような目をして、それから樫野を見て、懐かしいような眼差しで目を細めた。
「カシノ、なんか、知ってるような気がする。友達、だった?違う?」
生まれたばかりの子供のような無垢な顔で言った。
唇が震えて、樫野はすぐには言葉が出なかった。
那智の中のどこかにまだ自分がいるのかもしれない、そう思うと、涙を堪えることが出来ない。
その日が来ても、那智の前で泣かないと誓ったのに。
「カシノ、なんで泣くの」
那智は、不思議そうに首を傾げて、指を伸ばして樫野の涙を拭うように頬に触れようとする。
「違ってた?友達じゃ、なかった?」
自分の頬に触れてきた那智の手を握って、樫野は首を振った。
「オレたちは、友達とは少し違ってた。オレは、那智とは友達ではいられないくらい、那智のことを好きだったから」
那智は樫野に手を握られたまま、澄んだ瞳で樫野を見つめ返す。
少し困ったような表情をした。
「ナチっていうのは、オレの名前だって、看護士さんが言ってた」
「そうだよ」
「カシノは、オレを好きだったの」
「今も、今だって、那智を好きだよ。きっとオレ、これからも逢うたびに那智に一目惚れすると思う」
意味がわからないのか、首を傾げて何か考えるような仕草をしたあとで、那智は、笑いながら言った。
「オレも、カシノのこと、好き。前もカシノのこと好きだったと思う。だって、カシノにナチって呼ばれると、なんだか胸がドキドキする」
「那智…!」
思わず、樫野は那智を抱きしめた。
変わらない温もりに安堵する。
那智が、自分を拒まないことにも。
記憶を失っても、那智の言葉は自分の心を揺さぶる。
そう、思い出がなくなったのなら、いっそ、逢うたびに恋をすればいい。
毎日、新しい恋をする。
それがたとえ明日に繋がらない想いでも、刹那を惜しむように、真剣に恋をしよう。
きっとオレたちにはそれが出来るから。
それなのに、いくら呼んでも声が喉にひっかかって、音にならない。
声が出ない。そう思った。
でもそれは違った。
誰の名前を呼んでいるのか、わからないのだ。
輪郭だけが、ぼんやりと残像のように思い浮かぶ。
その人の名を叫んで、助けて、そう言いたいのに。
助けて。
その人が、手をつかんでくれたら、きっと大丈夫だから。
けれど、自分が助けを求めているのが誰なのかわからない。
大切な、誰よりも、大切な人なのに。
わからなかった。
◆◆◆
ドアを開けると、ベッドに座った那智が出窓の上のかすみ草を眺めていた。
窓が少し開いて、小さな花弁が風に揺れている。
「那智」
驚かさないように小声で呼びかけると、那智はゆっくり樫野を振り返った。
自分を見つめる那智の顔を見て、とうとうその日が来たことを樫野は知った。
思っていたより悲しくないのは、那智の顔が、はにかみながらも微笑んでいたせいだ。
もう、なにも苦しんでいない、そういう表情だった。
「だれ?」
静かで穏やかな声だった。
誰、と樫野に向かって聞いたあと、申し訳なさそうに那智は言った。
「オレ、病気なんだって。みんな、忘れちゃったらしいんだ。だから、前は知っていたかもしれないけど、名前、わからなくてごめん」
樫野はベッドの側に歩み寄った。緊張して足が少し、震えていた。
「オレの名前は樫野、樫野拓人」
「カシノ…タクト?」
「そう、樫野拓人」
「カシノタクト」
それが意味のある大切な言葉のように、那智はゆっくりと復唱する。
何か真剣に考えているような目をして、それから樫野を見て、懐かしいような眼差しで目を細めた。
「カシノ、なんか、知ってるような気がする。友達、だった?違う?」
生まれたばかりの子供のような無垢な顔で言った。
唇が震えて、樫野はすぐには言葉が出なかった。
那智の中のどこかにまだ自分がいるのかもしれない、そう思うと、涙を堪えることが出来ない。
その日が来ても、那智の前で泣かないと誓ったのに。
「カシノ、なんで泣くの」
那智は、不思議そうに首を傾げて、指を伸ばして樫野の涙を拭うように頬に触れようとする。
「違ってた?友達じゃ、なかった?」
自分の頬に触れてきた那智の手を握って、樫野は首を振った。
「オレたちは、友達とは少し違ってた。オレは、那智とは友達ではいられないくらい、那智のことを好きだったから」
那智は樫野に手を握られたまま、澄んだ瞳で樫野を見つめ返す。
少し困ったような表情をした。
「ナチっていうのは、オレの名前だって、看護士さんが言ってた」
「そうだよ」
「カシノは、オレを好きだったの」
「今も、今だって、那智を好きだよ。きっとオレ、これからも逢うたびに那智に一目惚れすると思う」
意味がわからないのか、首を傾げて何か考えるような仕草をしたあとで、那智は、笑いながら言った。
「オレも、カシノのこと、好き。前もカシノのこと好きだったと思う。だって、カシノにナチって呼ばれると、なんだか胸がドキドキする」
「那智…!」
思わず、樫野は那智を抱きしめた。
変わらない温もりに安堵する。
那智が、自分を拒まないことにも。
記憶を失っても、那智の言葉は自分の心を揺さぶる。
そう、思い出がなくなったのなら、いっそ、逢うたびに恋をすればいい。
毎日、新しい恋をする。
それがたとえ明日に繋がらない想いでも、刹那を惜しむように、真剣に恋をしよう。
きっとオレたちにはそれが出来るから。
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