跡取りはいずこへ~美人に育ってしまった侯爵令息の転身~

芽吹鹿

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14獰猛の手

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 囚人のようにハヤセは父の背中を追った。逆らえば何をされるかわからない。自分の意思を介さずとも身体が勝手に動いていたのだ。気は確かかと、何度もハヤセは自己喚起した。

 しかし途切れた意識と濁っていく感覚が交わりあうことはめったにないことだ。


 どうして父が宮殿をうろついていられたのか、どうやって女官の監視の目をかいくぐって来たのかさっぱりわからない。執拗に頭の熱が上がっていくが、この場を打開できるような考えは何も表出してはこなかった。


 そういえば父は帝国近衛団の長だったことをふと思い出す。あるいは、いや多分そのおかげで宮殿の細かい地形も把握していたのだろう。父とはそれぐらい周到な人だ。西日がどれだけ光りを射してこようとも、前方の巨体をはっきりと映すには物足りない。歩けば歩くほど視界は暗くなっていく。そうして気づいた時には、埃まみれの物置き部屋に辿り着いていた。


 父と2人のみ。


 ここは宮殿のどこにあたるのか。どこの廊下を渡ってきたのかは、曖昧にまみれていた。


「はーー」


 前から聞こえるため息がハヤセには永遠のように感じられる。俯き怯えていると、くるりと反転した巨体の風圧。野獣みたいな毛並みからは殺気すら目で見えてくるかのようだ。絶対に直視してはいけない。ハヤセを形成する全組織がそう叫んでくる。


「みすぼらしい……」


 息子を見る父の顔には嫌悪が走っていた。皺を寄せて侮蔑でたっぷりと満たす。


「我が家にいれば安泰であっただろうに。女官になるなど気狂いもいいところだな」


「……………」


「当主の言葉に返事もなしか。おい」


「ぐ……!!あっ!!」


 宙を舞ったかと思った次には、カビの生えた天井を見ていた。自分が倒れていることに最初は意味がわからなかった。だがしかし受け身も取らなかったことで全身から鈍い痛みがしてくると、鈍った頭もようやく異常を感じ取ったらしい。自分がみぞおちを殴られたこと。そして足が軋むこと。


「侯爵の跡取りになれず女官として生きていくか。あっはっは!!何度聞いても酔狂な話だ」


 父が笑いながら近づいてくる。怖い。その表情は血と肉に飢えた猛獣そのものだ。
 逃げなきゃ。でももう腰が上がらない。手とつま先の震えが止まらないから這うこともできない。


「貴様がレイフィールドの面汚しだ。自覚はあるか?」


「父上……それは」


「俺がどれだけ貴様の存在を必死に隠していたか想像もつかんだろう?男のくせに女に化けた?そんな醜聞、レイフィールドには相応しくないことは言うまでもないな」


髪を引かれ顔を寄せ上げられる。


「で?迷惑をかけた謝罪の一つも寄越して来ないのか貴様は」


 腹部にまた重い衝撃が走る。抵抗を。しかるべき自衛をしていかないと、一方的に暴行を受けているだけになってしまう。家を出る前、父の喜ぶ顔。あれが嘘だったのか真であったのか。


 今となってはどうでもいいが、ただ一つだけ心残りがある。
 帝国への出仕をするのだと報告した日。

 あの日に女官になることまで伝えていれば、父は懸命にそれを止めてくれただろうか。


「あ……!!うッ……!!」


「バルッサ含め貴様に与していた人間は全員粛清しておいた。だから安心しろ。お前の成人以前を語りたがる者はもう残っておらん」


 あぁ……。それはご丁寧に。これで侯爵令息ハヤセの陰はさらに深まったわけだ。

 結局、自分はあの屋敷に囚われたままだった。イザベルに導かれた道程も、新しい生き方の根本でさえも、家と完全に縁を切ることには繋がらなかった。屋敷の中にいた記憶がまざまざと描写されていくのは変わらないのだ。


「ずいぶん立派に働いているらしい。だが勘違いするな。貴様の正体はただの出来損ないの女装野郎だ。帝宮にこんなゴミクズをのさばらせておく理由が、俺にはとんと見当たらないな」


 樽のような太い腕がハヤセの首をつまみ取ると、ゆっくりとまた彼の身体が宙に浮かんでいく。


「ぐっ……はッ!!や…………」


 呻きが出る。誰かに助けを送るための喉が圧し潰されていく。ずっと前から血が頭に昇り続けて、視界が霞がかっている。


「生きるか死ぬか、言え。お前はここで自分の運命を決めることができるぞ」


宙づりにされてもなお抵抗の意志は湧き上がってこなかった。手も足も出せず、怖くて泣くことしかできない。呼吸すら許されない。
苦しみの中、ハヤセはイザベルから送られた言葉を走馬灯のように拾い集めていた。


 何にでもなれる。自分はまだどこへでも行ける。まだこれからが、あるだろうか。果たして自分にこれからが残されているのだろうか。


「死んで家の汚点となるか。生きてその身をレイフィールドに捧げるか。選べ」


 死んだ方がマシな気がした。どちらを選ぶことになっても、後悔する結末しか考えられない。
ならばいっそ、死ねるのなら。


「し………!!じ……」


 死にたい。お願いだから、もう昔には戻りたくない。屋敷に籠っていたくないし人に会えないのは辛いし独りは寂しいし自分を見失うのに、これでは生きた心地なんてしない。


 合図もなく首が手放され、ハヤセは元の床にひれ伏していた。身体全体を使って空気を吸入する。


 ぐらぐら振れる頭を抱えて、吹き飛んだ思考を再度しまいこんでいく。生きようともがく自分に悔しくなり涙が滲む。


「がっ……かはッ…………!!」


「生きたい、そう言ったな?言ってくれたな???」


 言っていない。父はわかりやすく期待を裏切ってくれた。どれだけ人の心を踏みにじれば気が済むのだろう。
生かされた。だが決して許されたのではない。


 逆だ。生きて地獄を見ろということを今ここで宣告されたのだ。


「そこまで必死に尽くすというなら貴様を殺すのは止めておこう。ただしこれからはレイフィールドを第一としながら生きていけ。忘れるなよ?俺とクリスの言うことだけが絶対なのだ」


 暗転し眩んでいく視界の奥で父は笑う。
女官は続けて良い。今まで通り宮殿で寝泊まりすることも許す。そんな情けや容赦みたいな台詞が並んだ後に、父は言い放った。


「皇太子を篭絡してこい。今日からそれが貴様の使命だ」
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