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赤い瞳は「聖痕」と呼ばれた。
それは、神の祝福を受けし者にのみ与えられる特別な印。奇跡をもたらす聖女の証であり、王侯貴族でさえ頭を垂れる存在。
だが、それは同時に、強大な力を持つ者として、誰かに利用される可能性を大いに孕んでいた。
リアが生まれた時、その真紅の瞳が開かれたその瞬間、産声とともに聖なる光が走ったのだという。
それを目の当たりにしたのが、彼女の実の父であるグレイハウンド侯爵だった。
「この子は、“使える”」
それが、リアを見た彼の最初の言葉だった。
娘の生を祝福するでもなく、未来を想うでもない。彼の瞳に映るのは、これからリアを通して得られるであろう政治的立場と権力、そして己の野望だけだった。
リアの母は、夫のその言葉を聞いた瞬間、寒気を感じた。
この男は、いつか娘を道具として利用し、使い倒すに違いない。聖女として祭り上げ、望まぬ結婚、望まぬ生き方を強い、自由を奪っていくだろうと。
だから、彼女は娘を連れて、着の身着のまま逃げた。侯爵家を出て、娘を守るための道を選んだのだ。
彼女は逃亡の際に、リアの栗毛の髪を黒に染めた。そうする事で、侯爵の追っ手の目を誤魔化そうとしたのだ。
けれど、聖女を示す赤い瞳である限り、追っ手からは逃げ切る事は出来なかった。一度、リアは侯爵の差し金により、暴漢と化した男に酷い乱暴をされそうになった。幸い、勇敢な男の子に助けられた彼女は大事に至らなかったが。その事件を機に、リアの母は魔法薬師からもらった特別な目薬を彼女にさす事を決めた。
その特別な目薬は、瞳を平凡で柔らかな茶色に変える事ができた。それを使ってようやく、リア達母娘は人目を避けることができるようになった。
「リア、あなたは神様から祝福された素敵な子。でも今は、誰にも知られてはいけないの」
母の言葉に、幼いリアはこくんと頷いた。
聖女である事で、自由を奪われるのなら、隠した方がいい。いつも不安そうにしている母を見て、リアはそう思ったのだ。
だから、リアは赤い瞳の事を徹底的に隠した。母の再婚相手である優しい子爵以外には、それを内緒にして。リアはどこにでもいる「栗毛に茶色い瞳の娘」として穏やかに過ごしていたのだ。
親子三人の暮らしはお世辞にも裕福ではなかった。目薬の素材は高価な上、子爵家には先祖が残した大きな借金があったから。
しかし、裕福ではなかったものの、家にはいつも笑いで溢れていて、温もりがあった。
だから、リアはこの日々に満足していた。目薬は長期間使用すると目を痛めてしまうのが難点だったけれど。彼女にとってはそれすらも些細な事だった。
この生活が、永遠に続くものだとリアは思っていた。
だが、17歳の誕生日を迎えてすぐ、王都から一通の手紙が届いた。
差出人は、マレンシア公爵家の若き当主カイルだった。マレンシア公爵家は、田舎暮らしのリアでも知る程の名門貴族だった。
━━名家の当主が私に何の用かしら?
不審に思いつつも手紙を開封して、中身を確認すると、リアは驚愕をせざるを得なかった。
『俺の妻となっていただけませんか』
その一文から始まる手紙の内容は、常識を逸していた。
「君に愛情を注ぐつもりはない。君はただ、マレンシア公爵夫人であってくれ。生活は保証する。勿論、君の家族も。
結婚の形式を取るだけでいい。私が探している“ある人物”が見つかるまで、時間を稼ぎたいのだ」
それからは、マレンシア公爵家側からの具体的な提案が書かれていた。
婚姻を条件に多額の借金を肩代わりし、実家には援助金を継続的に送るという破格の条件。突き放すようでいて、冷徹なまでに誠実な提案だった。
父と母は激しく反対した。こんな失礼な求婚状があるのかと。
しかしリアは、それを悪くないと思い、自ら引き受けることを望んだ。
「私が犠牲になるわけじゃありませんわ。お飾りの公爵夫人ではありますが、私の自由は保証すると約束してくれていますもの」
リアはそう言って微笑んだ。そして、いつかお飾りの妻の約束を終えたら、また三人で暮らそうと言ったのだ。
最終的に、リアの父母はそれを受け入れた。彼らには、貧乏であるがゆえに、リアに不自由をさせているという後ろめたさがあったから。公爵家で辛い事があったら、いつでも抜け出す事を条件に、二人は娘の結婚を許したのだ。
こうして、リアとカイルの結婚は取り交わされた。
結婚式は、至極簡易的なものだった。
カイル公爵は、式場で書面にサインをすると、すぐにその場を後にした。誓いのキスはおろか、宣誓さえも行わなかった。勿論、花嫁姿のリアを褒めるなんて事は以てのほかだった。
結婚式を終えると、リアは契約通り、公爵家の屋敷の離れに迎え入れられた。
こうして彼女は使用人との最低限の交流だけで生活を始めた。
与えられた生活は、想像以上に自由だった。
読書も、刺繍も、絵を描く事も、花に水を遣る事さえも。彼女は何一つ咎められなかった。それに加えて、子爵家では出来なかった貴族の令嬢としての教養を学ぶ事ができた。
これには、リアはとても感謝していた。お飾りの妻でも、何一つとして不満はなかった。
彼女は、この穏やかな暮らしを守れるならと、契約を遵守し、離れで静かに日々を送っていたのだ。
※
そして、結婚式から3年という月日が経った。
その日は突然、訪れた。
カイル・マレンシア公爵は、早朝にも関わらず、離れにやって来ると、リアの寝室の扉を開けたのだ。
物音で目覚めたリアは、起き上がって彼を見た。
3年ぶりに見るカイルは、鋼のように冷たく、そして悲痛な目をしてこう言った。
「離婚を申し入れに来た」
リアが驚きつつも頷いた時、彼の目が細くなった。
それ表情で、リアは目薬をさしていない事に気づいた。彼女は慌てて俯いて目を隠そうとしたが━━━━
「君の瞳・・・・・・!」
すでに遅く、カイルにははっきりとその瞳の色を気付かれてしまった。
カイルが凍りつくような感覚を覚えた時。リアの深紅の瞳が見開かれ、再びまっすぐ彼を映した。それで、カイルは確信したのだ。
彼女のあの瞳。
それは彼が12歳の頃に出会った“あの少女”の瞳なのだと。
それは、神の祝福を受けし者にのみ与えられる特別な印。奇跡をもたらす聖女の証であり、王侯貴族でさえ頭を垂れる存在。
だが、それは同時に、強大な力を持つ者として、誰かに利用される可能性を大いに孕んでいた。
リアが生まれた時、その真紅の瞳が開かれたその瞬間、産声とともに聖なる光が走ったのだという。
それを目の当たりにしたのが、彼女の実の父であるグレイハウンド侯爵だった。
「この子は、“使える”」
それが、リアを見た彼の最初の言葉だった。
娘の生を祝福するでもなく、未来を想うでもない。彼の瞳に映るのは、これからリアを通して得られるであろう政治的立場と権力、そして己の野望だけだった。
リアの母は、夫のその言葉を聞いた瞬間、寒気を感じた。
この男は、いつか娘を道具として利用し、使い倒すに違いない。聖女として祭り上げ、望まぬ結婚、望まぬ生き方を強い、自由を奪っていくだろうと。
だから、彼女は娘を連れて、着の身着のまま逃げた。侯爵家を出て、娘を守るための道を選んだのだ。
彼女は逃亡の際に、リアの栗毛の髪を黒に染めた。そうする事で、侯爵の追っ手の目を誤魔化そうとしたのだ。
けれど、聖女を示す赤い瞳である限り、追っ手からは逃げ切る事は出来なかった。一度、リアは侯爵の差し金により、暴漢と化した男に酷い乱暴をされそうになった。幸い、勇敢な男の子に助けられた彼女は大事に至らなかったが。その事件を機に、リアの母は魔法薬師からもらった特別な目薬を彼女にさす事を決めた。
その特別な目薬は、瞳を平凡で柔らかな茶色に変える事ができた。それを使ってようやく、リア達母娘は人目を避けることができるようになった。
「リア、あなたは神様から祝福された素敵な子。でも今は、誰にも知られてはいけないの」
母の言葉に、幼いリアはこくんと頷いた。
聖女である事で、自由を奪われるのなら、隠した方がいい。いつも不安そうにしている母を見て、リアはそう思ったのだ。
だから、リアは赤い瞳の事を徹底的に隠した。母の再婚相手である優しい子爵以外には、それを内緒にして。リアはどこにでもいる「栗毛に茶色い瞳の娘」として穏やかに過ごしていたのだ。
親子三人の暮らしはお世辞にも裕福ではなかった。目薬の素材は高価な上、子爵家には先祖が残した大きな借金があったから。
しかし、裕福ではなかったものの、家にはいつも笑いで溢れていて、温もりがあった。
だから、リアはこの日々に満足していた。目薬は長期間使用すると目を痛めてしまうのが難点だったけれど。彼女にとってはそれすらも些細な事だった。
この生活が、永遠に続くものだとリアは思っていた。
だが、17歳の誕生日を迎えてすぐ、王都から一通の手紙が届いた。
差出人は、マレンシア公爵家の若き当主カイルだった。マレンシア公爵家は、田舎暮らしのリアでも知る程の名門貴族だった。
━━名家の当主が私に何の用かしら?
不審に思いつつも手紙を開封して、中身を確認すると、リアは驚愕をせざるを得なかった。
『俺の妻となっていただけませんか』
その一文から始まる手紙の内容は、常識を逸していた。
「君に愛情を注ぐつもりはない。君はただ、マレンシア公爵夫人であってくれ。生活は保証する。勿論、君の家族も。
結婚の形式を取るだけでいい。私が探している“ある人物”が見つかるまで、時間を稼ぎたいのだ」
それからは、マレンシア公爵家側からの具体的な提案が書かれていた。
婚姻を条件に多額の借金を肩代わりし、実家には援助金を継続的に送るという破格の条件。突き放すようでいて、冷徹なまでに誠実な提案だった。
父と母は激しく反対した。こんな失礼な求婚状があるのかと。
しかしリアは、それを悪くないと思い、自ら引き受けることを望んだ。
「私が犠牲になるわけじゃありませんわ。お飾りの公爵夫人ではありますが、私の自由は保証すると約束してくれていますもの」
リアはそう言って微笑んだ。そして、いつかお飾りの妻の約束を終えたら、また三人で暮らそうと言ったのだ。
最終的に、リアの父母はそれを受け入れた。彼らには、貧乏であるがゆえに、リアに不自由をさせているという後ろめたさがあったから。公爵家で辛い事があったら、いつでも抜け出す事を条件に、二人は娘の結婚を許したのだ。
こうして、リアとカイルの結婚は取り交わされた。
結婚式は、至極簡易的なものだった。
カイル公爵は、式場で書面にサインをすると、すぐにその場を後にした。誓いのキスはおろか、宣誓さえも行わなかった。勿論、花嫁姿のリアを褒めるなんて事は以てのほかだった。
結婚式を終えると、リアは契約通り、公爵家の屋敷の離れに迎え入れられた。
こうして彼女は使用人との最低限の交流だけで生活を始めた。
与えられた生活は、想像以上に自由だった。
読書も、刺繍も、絵を描く事も、花に水を遣る事さえも。彼女は何一つ咎められなかった。それに加えて、子爵家では出来なかった貴族の令嬢としての教養を学ぶ事ができた。
これには、リアはとても感謝していた。お飾りの妻でも、何一つとして不満はなかった。
彼女は、この穏やかな暮らしを守れるならと、契約を遵守し、離れで静かに日々を送っていたのだ。
※
そして、結婚式から3年という月日が経った。
その日は突然、訪れた。
カイル・マレンシア公爵は、早朝にも関わらず、離れにやって来ると、リアの寝室の扉を開けたのだ。
物音で目覚めたリアは、起き上がって彼を見た。
3年ぶりに見るカイルは、鋼のように冷たく、そして悲痛な目をしてこう言った。
「離婚を申し入れに来た」
リアが驚きつつも頷いた時、彼の目が細くなった。
それ表情で、リアは目薬をさしていない事に気づいた。彼女は慌てて俯いて目を隠そうとしたが━━━━
「君の瞳・・・・・・!」
すでに遅く、カイルにははっきりとその瞳の色を気付かれてしまった。
カイルが凍りつくような感覚を覚えた時。リアの深紅の瞳が見開かれ、再びまっすぐ彼を映した。それで、カイルは確信したのだ。
彼女のあの瞳。
それは彼が12歳の頃に出会った“あの少女”の瞳なのだと。
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