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2章 世界で一番嫌いな人
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約束の日はすぐに訪れ、私達はモニャーク家の応接室で向かい合っていた。
今日のレイチェル嬢はいつにも増して顔色が悪くて、時折顔を顰めていた。心配になった私は「頭痛は治りましたか」と尋ねた。
しかし、彼女は別の意味で捉えたらしい。
「いいえ。体調管理がなっていなくて申し訳ありません」
そう謝られた私は、滋養に良いとされているお茶をレイチェル嬢に勧めた。彼女はそれを飲むと顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。元気がでますわ」
彼女のそれが嘘かどうか私には分からない。けれど、いちいち疑って神経をすり減らすのも馬鹿らしい。だから私は「お役に立てて良かったです」と答えた。
それから、ひとしきり雑談を交わして、私はいよいよ本題を切り出した。
「レイチェル嬢は、私とニコラス殿下の婚約を、どう思います?」
「彼には母方の家門が役に立ちませんから。モニャーク公爵家の支持がある事によって」
はきはきと彼女は答えていたけれど、それは私の聞きたい事ではなかった。
「あ! 違います。そういう事じゃなくて……」
慌てて制止すると、レイチェル嬢は不思議そうに首を傾げた。
「家がどうこうじゃなく。私とニコラス殿下、個人の関係についてのあなたの想いを聞きたかったのです」
丁寧に説明をした私に対して、レイチェル嬢は間髪入れずにこう言い放った。
「どうでもいいです」
今まで丁寧な返答をした彼女がばっさりと一言で答えた。これはどう捉えたらいいのか。考えた末に、それは自信から来る発言なのではないかと思った。
それをレイチェル嬢に問うと、彼女は淡々と質問の意味が分からないと答えた。
「えっと、つまり、『あんた達の関係なんてどうでもいいのよ。私の方にニコラス様の気持ちが向いてるんだから!』……みたいな?」
詳しく説明すると、彼女の顔から貼り付いた笑顔が消えた。
「……やめて下さい。私をミランダみたいな女だとおっしゃりたいんですか」
少し低い声に、顔には眉間が寄っていて、明らかに怒っている。私は慌てて訂正した。
「ち、違います! レイチェル嬢があんな人と同じ様な思考回路なわけ、ないじゃないですか!?」
「でも、さっき言ったことは、いかにもミランダが考えそうな事ですよね」
「それは、……ごめんなさい。私が浅はかでした」
私は謝罪すると、恐る恐る彼女を見た。彼女は無表情に近い顔付きで私を見つめている。
私は尻込みしそうになるのを、何とか抑えて、彼女に改めて「どうでもいい」という言葉の真意を尋ねた。
するとレイチェル嬢はふっと笑って答えた。
「言葉そのままですよ。どうでもいいのです。あなた方個人の関係性なんて。それがニコラス殿下の名誉や地位に関わらなければ」
━━彼女は好きでもない人と寝たの?
そんな事はないはずだ。品行方正で清廉な雰囲気を漂わせている彼女が……。
彼女はきっと、嘘を吐いているに違いない。
「何か問題でも?」
棘のある口調だった。変な反応をしたつもりはなかったけれど、何かが彼女の気に障ったらしい。
「……いえ。そういう考え方もあるんですね」
私は苦笑いで誤魔化した。
「私は、嫌だな……。自分の好きな人に別の女がいるだなんて」
私のつぶやきにレイチェル嬢は首を捻った。
その反応が、私の疑問を大きくさせた。
レイチェル嬢は、本当に、ニコラス様を愛していないのだろうか。そして、もしそうなら、なぜ彼の愛人に身を落としたのだろう。
━━考えたって分かりそうもない。
レイチェル嬢は、私とは全く違うタイプの人だから。その考えは、きっと私には想像できないだろう。
だから、目の前の彼女にはっきりと尋ねる事にした。
「レイチェル嬢は、ニコラス様の事が好きだから、今の関係になったんですよね? 愛してるんでしょう?」
言い終わった途端、レイチェル嬢は吹き出した。そして、声を必死に押し堪えながら、顔を歪ませて笑っている。
あまりにも不気味な笑いに、私は呆然とした。
彼女はひとしきり笑うと、それまでの事が嘘のようにすっと表情が消えていった。
「ごめんなさい。おかしくて……。我慢できませんでした」
そう言うと彼女は、いつも通りに穏やかな笑顔を浮かべた。
あまりの変わり様に私が身構える中、彼女は普段と変わらない物静かな口調で言った。
「私個人の彼に対する感情をお話すればよろしいのですか」
「ええ。よければお話してくれませんか」
「大嫌いです」
レイチェル嬢は一拍も置かずに言い切った。
「え?」
驚く私に、彼女は再度、冷たく言い放った。
「大嫌いです」
━━大嫌い?
彼女は私と同じ気持ちなの? それなのに、ニコラス様に処女を捧げて彼の愛人となる道を選んだ?
信じられない。私なら、そんな事、絶対にできない。彼と関係を持つくらいなら、死んだ方がマシだ。
そんな私の気持ちが分かったのだろうか。彼女は鋭い目で私を睨み付けた。
「私が好き好んで彼の愛人をやっているとでも? そうならざるを得ない状況だったから、そうしたまでです。彼の事は嫌いで当然です。だって、今の私のこの状況を作ったのは、間違いなく彼なんですもの!」
大きな声を出し、早口で捲し立てたレイチェル嬢は目を閉じて眉間を押さえ込んだ。
こんなにも険しい表情を浮かべる彼女を見るのは初めてだった。今にも壊れてしまいそうな程、不安定な彼女に、私は思わず身を引いた。
今日のレイチェル嬢はいつにも増して顔色が悪くて、時折顔を顰めていた。心配になった私は「頭痛は治りましたか」と尋ねた。
しかし、彼女は別の意味で捉えたらしい。
「いいえ。体調管理がなっていなくて申し訳ありません」
そう謝られた私は、滋養に良いとされているお茶をレイチェル嬢に勧めた。彼女はそれを飲むと顔を綻ばせた。
「ありがとうございます。元気がでますわ」
彼女のそれが嘘かどうか私には分からない。けれど、いちいち疑って神経をすり減らすのも馬鹿らしい。だから私は「お役に立てて良かったです」と答えた。
それから、ひとしきり雑談を交わして、私はいよいよ本題を切り出した。
「レイチェル嬢は、私とニコラス殿下の婚約を、どう思います?」
「彼には母方の家門が役に立ちませんから。モニャーク公爵家の支持がある事によって」
はきはきと彼女は答えていたけれど、それは私の聞きたい事ではなかった。
「あ! 違います。そういう事じゃなくて……」
慌てて制止すると、レイチェル嬢は不思議そうに首を傾げた。
「家がどうこうじゃなく。私とニコラス殿下、個人の関係についてのあなたの想いを聞きたかったのです」
丁寧に説明をした私に対して、レイチェル嬢は間髪入れずにこう言い放った。
「どうでもいいです」
今まで丁寧な返答をした彼女がばっさりと一言で答えた。これはどう捉えたらいいのか。考えた末に、それは自信から来る発言なのではないかと思った。
それをレイチェル嬢に問うと、彼女は淡々と質問の意味が分からないと答えた。
「えっと、つまり、『あんた達の関係なんてどうでもいいのよ。私の方にニコラス様の気持ちが向いてるんだから!』……みたいな?」
詳しく説明すると、彼女の顔から貼り付いた笑顔が消えた。
「……やめて下さい。私をミランダみたいな女だとおっしゃりたいんですか」
少し低い声に、顔には眉間が寄っていて、明らかに怒っている。私は慌てて訂正した。
「ち、違います! レイチェル嬢があんな人と同じ様な思考回路なわけ、ないじゃないですか!?」
「でも、さっき言ったことは、いかにもミランダが考えそうな事ですよね」
「それは、……ごめんなさい。私が浅はかでした」
私は謝罪すると、恐る恐る彼女を見た。彼女は無表情に近い顔付きで私を見つめている。
私は尻込みしそうになるのを、何とか抑えて、彼女に改めて「どうでもいい」という言葉の真意を尋ねた。
するとレイチェル嬢はふっと笑って答えた。
「言葉そのままですよ。どうでもいいのです。あなた方個人の関係性なんて。それがニコラス殿下の名誉や地位に関わらなければ」
━━彼女は好きでもない人と寝たの?
そんな事はないはずだ。品行方正で清廉な雰囲気を漂わせている彼女が……。
彼女はきっと、嘘を吐いているに違いない。
「何か問題でも?」
棘のある口調だった。変な反応をしたつもりはなかったけれど、何かが彼女の気に障ったらしい。
「……いえ。そういう考え方もあるんですね」
私は苦笑いで誤魔化した。
「私は、嫌だな……。自分の好きな人に別の女がいるだなんて」
私のつぶやきにレイチェル嬢は首を捻った。
その反応が、私の疑問を大きくさせた。
レイチェル嬢は、本当に、ニコラス様を愛していないのだろうか。そして、もしそうなら、なぜ彼の愛人に身を落としたのだろう。
━━考えたって分かりそうもない。
レイチェル嬢は、私とは全く違うタイプの人だから。その考えは、きっと私には想像できないだろう。
だから、目の前の彼女にはっきりと尋ねる事にした。
「レイチェル嬢は、ニコラス様の事が好きだから、今の関係になったんですよね? 愛してるんでしょう?」
言い終わった途端、レイチェル嬢は吹き出した。そして、声を必死に押し堪えながら、顔を歪ませて笑っている。
あまりにも不気味な笑いに、私は呆然とした。
彼女はひとしきり笑うと、それまでの事が嘘のようにすっと表情が消えていった。
「ごめんなさい。おかしくて……。我慢できませんでした」
そう言うと彼女は、いつも通りに穏やかな笑顔を浮かべた。
あまりの変わり様に私が身構える中、彼女は普段と変わらない物静かな口調で言った。
「私個人の彼に対する感情をお話すればよろしいのですか」
「ええ。よければお話してくれませんか」
「大嫌いです」
レイチェル嬢は一拍も置かずに言い切った。
「え?」
驚く私に、彼女は再度、冷たく言い放った。
「大嫌いです」
━━大嫌い?
彼女は私と同じ気持ちなの? それなのに、ニコラス様に処女を捧げて彼の愛人となる道を選んだ?
信じられない。私なら、そんな事、絶対にできない。彼と関係を持つくらいなら、死んだ方がマシだ。
そんな私の気持ちが分かったのだろうか。彼女は鋭い目で私を睨み付けた。
「私が好き好んで彼の愛人をやっているとでも? そうならざるを得ない状況だったから、そうしたまでです。彼の事は嫌いで当然です。だって、今の私のこの状況を作ったのは、間違いなく彼なんですもの!」
大きな声を出し、早口で捲し立てたレイチェル嬢は目を閉じて眉間を押さえ込んだ。
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