80 / 103
2章 世界で一番嫌いな人
26
しおりを挟む
披露宴が終わると、私はすぐに初夜の準備をさせられた。
身体を洗われて香油を塗られ、ノースリーブで丈の短いネグリジェを着せられた私は、自分の寝室で待つようにと言われた。
白い結婚のために、初夜を何としてでも回避しなければならない。これからの事を思うと嫌な気持ちで溢れ返った。
━━このまま朝までニコラス様が来なければいいのに。
友達と話が弾んで、朝まで飲んでいてくれれば……。そう思っていたけれど、無情にも扉が開かれた。
私は、ベッドの上で身を硬くして、寝たふりを決め込んだ。靴音が近づき、隣りに彼の気配が落ちてくる。
「寝たふりはいいから……」
ニコラス様のつぶやきを無視して、なおも狸寝入りを決め込んでいると、彼はシーツを引き剥がした。そして、ネグリジェの上から胸を揉まれた。
「いやっ!」
私は叫び声をあげて彼の手を振り払った。
「何するんですか!?」
「は?」
ニコラス様は眉間に皺を寄せて私を睨みにつける。
「初夜が何なのか、知らないのか」
「知ってますよ。でも私はニコラス様とそういう事をしたくないんです」
「御託はいい。これは君に課せられた義務だから、さっさと終わらせるぞ」
ネグリジェを脱がせようとする彼の手を叩いた。
「嫌です。絶対に嫌!」
「安心しろ。すぐに終わらせる。痛くもしない」
「そういう問題じゃないんです!」
「うるさいな。いちいち叫ばないでくれ」
彼は面倒臭そうに髪をかきあげる。
「どうして愛する人がいるのに、私とそういう事ができるんですか。私の事なんて少しも好きじゃないくせに」
ニコラス様は鼻で笑った。
「愛なんてなくったって、セックスはできるんだよ。男なんて、そんなものだから」
嘲笑を浮かべた彼は、私の上に覆い被さろうとしてきた。だから、私は衝動的に彼の腹を蹴り上げた。
「っ……!」
そんなに勢いをつけていなかったのだけれど、相当な痛みを与えたらしい。彼は顔を苦痛に歪ませてお腹を押さえた。
逆上され、殴られるかと思った。けれど、彼は、睨みつけるだけで、暴力に訴えかける事はしなかった。
「……もういい」
彼はつぶやくとベッドから降りた。そして、彼の寝室へと続く扉を開けて部屋に入ると、そのまま向こう側から鍵を閉めた。
私はベッドから出ると、こちら側からも鍵を閉めた。体面を重んじる彼が、廊下から回り込んでくることはないはず。これでもう大丈夫だ。
そう思うと、自然と息が漏れた。
※
次の日の朝、朝の支度に訪れた侍女達は、あからさまに困惑の表情を浮かべていた。
ニコラス様が部屋にいない上、シーツにはシミ一つないのだ。初夜が行われなかったのは、誰がどう見ても分かるだろう。
彼女達は、各々の仕事をしつつ、互いに目配せをしていた。
それから、半日も経たないうちに、話が伝わったらしい。血相を変えてやって来た王妃様は、了承もなく部屋に入って来ると、怒鳴り付けて来た。
「どういうつもり!?」
彼女の剣幕に、侍女達は肩を震わせた。
私が何も反応しないでいると、王妃様は対面のソファーに脚を組んで座った。
「弁明の言葉すらないの? 夫に恥を搔かせておいて」
「はい。どうしてもしたくなかったんです」
そう言うと、彼女は酷く顔を歪ませた。
「出来の悪い女だとは思っていたけれど、まさかここまでとはね」
「……」
「あの子の役に立つ行動をできないどころか、穴としての役割すら、満足にできないんですもの」
下品な言葉に顔を歪めると、彼女は嘲笑した。
「あなたには期待していないから、さっさとやる事をやって子供を産んでちょうだい。それも満足に行えないなら、あなたは悲惨な末路を辿るわ」
「……」
「ピンと来てない顔ね。馬鹿だから説明しないと分からない? ニコラスはね、レイチェルに絆されてるの。あの女、見かけによらず、身体を使ってニコラスを支配しているのよ」
「ニコラス様が王妃様よりレイチェル妃を優先する事がそんなに気に入りませんか。それとも、“道具”が思うように扱えなくて不満なのです?」
「今日は随分と生意気なのね。馬鹿の癖に私に噛み付こうだなんて」
「失礼な人に対して尽くす礼節もありませんから。生意気にもなりますよ」
「本当に馬鹿ね。あなたはこのままじゃ、あの女に負ける事が間違いないわ」
「勝つつもりもないので構いません」
王妃様はふんっと鼻で笑った。
「本当に想像力のない子。あの女に負けるという事は、生涯この王宮で幽閉されたも同然の生活を送るという事よ?」
━━その前に何としてでも出て行くわ。
そう思いながら王妃様を見つめると、彼女は甲高い声をあげて笑った。
「ここから逃げられると思ってる? 何か勘違いしていない? 国王陛下が生きている限りあなたとニコラスの離婚を許可しない。陛下が亡くなったとしても、レイチェルはそれを許さないでしょうね」
「レイチェル妃がそんな事をするとは思いません」
国王陛下はともかく、レイチェル妃はそんな事をしないだろうと思った。彼女は無理やり愛人の立場に追いやられた人だから。王太子妃や王妃になれるのなら、家門のためにその身分を手に入れるだろう。けれど、王妃様はそう思わないらしい。
「あの女は生易しくないわ。あなたを王太子妃として可能な限り利用するわよ? あなたを陰で使い倒して、美味しい所だけ持って行って、あなた自身には何の褒美もあげない。あなたが彼女の意向に逆らおうものなら、ニコラスを使って酷い目に合わせようとするでしょうね」
これは、王妃様の妄言だ。私を惑わすためにありもしない事をそれらしく言っているだけ。
そう分かっているのに、心の奥で「そうかもしれない」と思う自分がいた。
身体を洗われて香油を塗られ、ノースリーブで丈の短いネグリジェを着せられた私は、自分の寝室で待つようにと言われた。
白い結婚のために、初夜を何としてでも回避しなければならない。これからの事を思うと嫌な気持ちで溢れ返った。
━━このまま朝までニコラス様が来なければいいのに。
友達と話が弾んで、朝まで飲んでいてくれれば……。そう思っていたけれど、無情にも扉が開かれた。
私は、ベッドの上で身を硬くして、寝たふりを決め込んだ。靴音が近づき、隣りに彼の気配が落ちてくる。
「寝たふりはいいから……」
ニコラス様のつぶやきを無視して、なおも狸寝入りを決め込んでいると、彼はシーツを引き剥がした。そして、ネグリジェの上から胸を揉まれた。
「いやっ!」
私は叫び声をあげて彼の手を振り払った。
「何するんですか!?」
「は?」
ニコラス様は眉間に皺を寄せて私を睨みにつける。
「初夜が何なのか、知らないのか」
「知ってますよ。でも私はニコラス様とそういう事をしたくないんです」
「御託はいい。これは君に課せられた義務だから、さっさと終わらせるぞ」
ネグリジェを脱がせようとする彼の手を叩いた。
「嫌です。絶対に嫌!」
「安心しろ。すぐに終わらせる。痛くもしない」
「そういう問題じゃないんです!」
「うるさいな。いちいち叫ばないでくれ」
彼は面倒臭そうに髪をかきあげる。
「どうして愛する人がいるのに、私とそういう事ができるんですか。私の事なんて少しも好きじゃないくせに」
ニコラス様は鼻で笑った。
「愛なんてなくったって、セックスはできるんだよ。男なんて、そんなものだから」
嘲笑を浮かべた彼は、私の上に覆い被さろうとしてきた。だから、私は衝動的に彼の腹を蹴り上げた。
「っ……!」
そんなに勢いをつけていなかったのだけれど、相当な痛みを与えたらしい。彼は顔を苦痛に歪ませてお腹を押さえた。
逆上され、殴られるかと思った。けれど、彼は、睨みつけるだけで、暴力に訴えかける事はしなかった。
「……もういい」
彼はつぶやくとベッドから降りた。そして、彼の寝室へと続く扉を開けて部屋に入ると、そのまま向こう側から鍵を閉めた。
私はベッドから出ると、こちら側からも鍵を閉めた。体面を重んじる彼が、廊下から回り込んでくることはないはず。これでもう大丈夫だ。
そう思うと、自然と息が漏れた。
※
次の日の朝、朝の支度に訪れた侍女達は、あからさまに困惑の表情を浮かべていた。
ニコラス様が部屋にいない上、シーツにはシミ一つないのだ。初夜が行われなかったのは、誰がどう見ても分かるだろう。
彼女達は、各々の仕事をしつつ、互いに目配せをしていた。
それから、半日も経たないうちに、話が伝わったらしい。血相を変えてやって来た王妃様は、了承もなく部屋に入って来ると、怒鳴り付けて来た。
「どういうつもり!?」
彼女の剣幕に、侍女達は肩を震わせた。
私が何も反応しないでいると、王妃様は対面のソファーに脚を組んで座った。
「弁明の言葉すらないの? 夫に恥を搔かせておいて」
「はい。どうしてもしたくなかったんです」
そう言うと、彼女は酷く顔を歪ませた。
「出来の悪い女だとは思っていたけれど、まさかここまでとはね」
「……」
「あの子の役に立つ行動をできないどころか、穴としての役割すら、満足にできないんですもの」
下品な言葉に顔を歪めると、彼女は嘲笑した。
「あなたには期待していないから、さっさとやる事をやって子供を産んでちょうだい。それも満足に行えないなら、あなたは悲惨な末路を辿るわ」
「……」
「ピンと来てない顔ね。馬鹿だから説明しないと分からない? ニコラスはね、レイチェルに絆されてるの。あの女、見かけによらず、身体を使ってニコラスを支配しているのよ」
「ニコラス様が王妃様よりレイチェル妃を優先する事がそんなに気に入りませんか。それとも、“道具”が思うように扱えなくて不満なのです?」
「今日は随分と生意気なのね。馬鹿の癖に私に噛み付こうだなんて」
「失礼な人に対して尽くす礼節もありませんから。生意気にもなりますよ」
「本当に馬鹿ね。あなたはこのままじゃ、あの女に負ける事が間違いないわ」
「勝つつもりもないので構いません」
王妃様はふんっと鼻で笑った。
「本当に想像力のない子。あの女に負けるという事は、生涯この王宮で幽閉されたも同然の生活を送るという事よ?」
━━その前に何としてでも出て行くわ。
そう思いながら王妃様を見つめると、彼女は甲高い声をあげて笑った。
「ここから逃げられると思ってる? 何か勘違いしていない? 国王陛下が生きている限りあなたとニコラスの離婚を許可しない。陛下が亡くなったとしても、レイチェルはそれを許さないでしょうね」
「レイチェル妃がそんな事をするとは思いません」
国王陛下はともかく、レイチェル妃はそんな事をしないだろうと思った。彼女は無理やり愛人の立場に追いやられた人だから。王太子妃や王妃になれるのなら、家門のためにその身分を手に入れるだろう。けれど、王妃様はそう思わないらしい。
「あの女は生易しくないわ。あなたを王太子妃として可能な限り利用するわよ? あなたを陰で使い倒して、美味しい所だけ持って行って、あなた自身には何の褒美もあげない。あなたが彼女の意向に逆らおうものなら、ニコラスを使って酷い目に合わせようとするでしょうね」
これは、王妃様の妄言だ。私を惑わすためにありもしない事をそれらしく言っているだけ。
そう分かっているのに、心の奥で「そうかもしれない」と思う自分がいた。
0
あなたにおすすめの小説
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜
abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。
シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。
元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。
現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。
"容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。
皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。
そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時……
「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」
突然思い出した自らの未来の展開。
このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。
「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」
全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!?
「リヒト、婚約を解消しましょう。」
「姉様は僕から逃げられない。」
(お願いだから皆もう放っておいて!)
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
義兄様と庭の秘密
結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる