84 / 103
2章 世界で一番嫌いな人
30
しおりを挟む
※
ニコラス様の夜の誘いは、ある日を境にぱたりとなくなった。
何がきっかけでそうなったのかは分からないけれど、彼に触れられないで済むと思うと、その理由はどうでもよかった。
私達は、昼間は完璧な新婚夫婦を演じ、夜は別室で眠った。そして、それは、最後に訪れたリュミエール王国でも変わらなかった。
リュミエール王太子夫妻にもてなされた私達は、並び立って微笑んだ。
ニコラス様との結婚を祝う言葉は少しも嬉しくなかったけれど、彼らに他意はないのだ。彼らの善意を無碍にしたくなかったから、私は精一杯、喜んだふりをした。
四人での社交的な話が落ち着くと、エドワード様は、ニコラス様と散歩がてら二人で話がしたいと言った。ニコラス様は愛想笑いを浮かべながらそれを受け入れると、私に視線を送った。
「そっちは任せた」
彼は小声でつぶやくと、エドワード様と行ってしまった。
「エレノア様」
イザベラ様は柔らかな微笑みを浮かべて私を呼んだ。
“氷の令嬢”という不名誉なあだ名をつけられた悪役令嬢は、破滅ルートを回避し、王太子妃になった。彼女はゲームの中では見せなかった愛らしい笑顔が浮かんでいる。
「今日はお天気が良いので、庭園を散歩しませんか」
「ええ。いいですね」
私は彼女に案内されて、庭園に向かった。
そこで目に入ったのは、一面に乱れ咲く花々だった。見頃の花から季節外れのものまで、一様に咲いている。
「これは……」
「隣国から大切なお客様がいらっしゃると聞いて、庭師が張り切ってしまったのです」
イザベラ様は苦笑した。
「もしかして、魔法で?」
「そうなんです。魔法で花に適切な栄養を与える事によって、季節外れのものでも咲かせる事ができるんです」
「それを魔法使いではなく、庭師がやったのですか」
「ええ。この程度の事で魔法使いを呼ぶ必要はありませんから」
リュミエール王国の人々は、魔法を当たり前のように使えるとは聞いていたけれど、まさかこれ程までとは思わなかった。
「エレノア様はニコラス様に花を贈られた事はありますか」
「ええ。お誕生日の際には贈っていましたが……」
彼との関係を少しでも良い物に変えたくて贈っていた事もあったけれど。返ってくるのは、侍従に書かせたであろう形式的なお礼のメッセージだけだった。少しも喜んでくれず、お礼の一言すら自分で書かない彼に、私はいつしか、自分で花を選ぶ事をやめてしまった。
私の返事にイザベラ様は目を輝かせた。
「もうすぐ、エドのお誕生日なので、よければアドバイスをいただけませんか」
「アドバイス、ですか」
「恥ずかしながら、家族以外に花を贈る経験をした事がないのです。ですから、恋人や夫に何を贈れば良いのか私には分からなくて……」
しょんぼりとした様子で悩みを打ち明ける彼女は、やっぱり幸せな結婚生活を手に入れられたのだと思わされた。
「エレノア様ならどんな花を贈りますか」
「ニコラス様は秋生まれなので、秋の花を花束にしてもらいましたね。確か、コスモスやダリアの花が中心になっていたと思います」
「そうですか……。もし、季節関係なしに選べるとしたら、どうします?」
「そうですね……」
ニコラス様に贈る花を考えても、一向に答えは出てこなかった。彼は何を贈っても、きっと反応が返ってこないだろうから。
不意に、アーサー様の顔が頭に浮かんだ。彼なら、どんな花を贈っても、喜んでくれるような気がした。彼は真心を汲み取ってくれる優しさを持っているから━━
虚しさが込み上げてきて、私は小さく頭を振った。そして、微笑むと彼女に向かって言った。
「そんなに難しく考えなくていいと思いますよ? 家族の時と同じように相手の事を思って選んだらどうでしょう」
「エドの事……」
ピンと来ていない様子だったから、もう少し具体的にアドバイスをした。
「エドワード様の好きな花や、二人の思い出の花はありませんか」
イザベラ様は唇に手をあてて、目の前の花をじっと見つめた。そして、目を見開いたかと思うと、私を見た。
「初めてのデートで一緒に見た花でも、大丈夫でしょうか」
「ええ。ステキな贈り物になると思いますよ」
「……あ。でも、エドは初デートで見た花の事を覚えているかしら?」
「もし、覚えていなかったとしたら、教えてあげればいいんですよ。初デートで見た花を今でも覚えているくらい、大切な思い出だって」
イザベラ様ははにかんだ。その顔を見て、私はうらやましいと思ってしまった。
ニコラス様の夜の誘いは、ある日を境にぱたりとなくなった。
何がきっかけでそうなったのかは分からないけれど、彼に触れられないで済むと思うと、その理由はどうでもよかった。
私達は、昼間は完璧な新婚夫婦を演じ、夜は別室で眠った。そして、それは、最後に訪れたリュミエール王国でも変わらなかった。
リュミエール王太子夫妻にもてなされた私達は、並び立って微笑んだ。
ニコラス様との結婚を祝う言葉は少しも嬉しくなかったけれど、彼らに他意はないのだ。彼らの善意を無碍にしたくなかったから、私は精一杯、喜んだふりをした。
四人での社交的な話が落ち着くと、エドワード様は、ニコラス様と散歩がてら二人で話がしたいと言った。ニコラス様は愛想笑いを浮かべながらそれを受け入れると、私に視線を送った。
「そっちは任せた」
彼は小声でつぶやくと、エドワード様と行ってしまった。
「エレノア様」
イザベラ様は柔らかな微笑みを浮かべて私を呼んだ。
“氷の令嬢”という不名誉なあだ名をつけられた悪役令嬢は、破滅ルートを回避し、王太子妃になった。彼女はゲームの中では見せなかった愛らしい笑顔が浮かんでいる。
「今日はお天気が良いので、庭園を散歩しませんか」
「ええ。いいですね」
私は彼女に案内されて、庭園に向かった。
そこで目に入ったのは、一面に乱れ咲く花々だった。見頃の花から季節外れのものまで、一様に咲いている。
「これは……」
「隣国から大切なお客様がいらっしゃると聞いて、庭師が張り切ってしまったのです」
イザベラ様は苦笑した。
「もしかして、魔法で?」
「そうなんです。魔法で花に適切な栄養を与える事によって、季節外れのものでも咲かせる事ができるんです」
「それを魔法使いではなく、庭師がやったのですか」
「ええ。この程度の事で魔法使いを呼ぶ必要はありませんから」
リュミエール王国の人々は、魔法を当たり前のように使えるとは聞いていたけれど、まさかこれ程までとは思わなかった。
「エレノア様はニコラス様に花を贈られた事はありますか」
「ええ。お誕生日の際には贈っていましたが……」
彼との関係を少しでも良い物に変えたくて贈っていた事もあったけれど。返ってくるのは、侍従に書かせたであろう形式的なお礼のメッセージだけだった。少しも喜んでくれず、お礼の一言すら自分で書かない彼に、私はいつしか、自分で花を選ぶ事をやめてしまった。
私の返事にイザベラ様は目を輝かせた。
「もうすぐ、エドのお誕生日なので、よければアドバイスをいただけませんか」
「アドバイス、ですか」
「恥ずかしながら、家族以外に花を贈る経験をした事がないのです。ですから、恋人や夫に何を贈れば良いのか私には分からなくて……」
しょんぼりとした様子で悩みを打ち明ける彼女は、やっぱり幸せな結婚生活を手に入れられたのだと思わされた。
「エレノア様ならどんな花を贈りますか」
「ニコラス様は秋生まれなので、秋の花を花束にしてもらいましたね。確か、コスモスやダリアの花が中心になっていたと思います」
「そうですか……。もし、季節関係なしに選べるとしたら、どうします?」
「そうですね……」
ニコラス様に贈る花を考えても、一向に答えは出てこなかった。彼は何を贈っても、きっと反応が返ってこないだろうから。
不意に、アーサー様の顔が頭に浮かんだ。彼なら、どんな花を贈っても、喜んでくれるような気がした。彼は真心を汲み取ってくれる優しさを持っているから━━
虚しさが込み上げてきて、私は小さく頭を振った。そして、微笑むと彼女に向かって言った。
「そんなに難しく考えなくていいと思いますよ? 家族の時と同じように相手の事を思って選んだらどうでしょう」
「エドの事……」
ピンと来ていない様子だったから、もう少し具体的にアドバイスをした。
「エドワード様の好きな花や、二人の思い出の花はありませんか」
イザベラ様は唇に手をあてて、目の前の花をじっと見つめた。そして、目を見開いたかと思うと、私を見た。
「初めてのデートで一緒に見た花でも、大丈夫でしょうか」
「ええ。ステキな贈り物になると思いますよ」
「……あ。でも、エドは初デートで見た花の事を覚えているかしら?」
「もし、覚えていなかったとしたら、教えてあげればいいんですよ。初デートで見た花を今でも覚えているくらい、大切な思い出だって」
イザベラ様ははにかんだ。その顔を見て、私はうらやましいと思ってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜
abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。
シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。
元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。
現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。
"容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。
皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。
そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時……
「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」
突然思い出した自らの未来の展開。
このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。
「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」
全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!?
「リヒト、婚約を解消しましょう。」
「姉様は僕から逃げられない。」
(お願いだから皆もう放っておいて!)
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
義兄様と庭の秘密
結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる