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2章 世界で一番嫌いな人
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それからしばらくして、ニコラス様とエドワード様は帰って来た。
「ニコラス様とのお話はいかがでしたか」
イザベラ様が穏やかに語りかけると、エドワード様は、「とても有意義な時間だったよ」と微笑んだ。それから、彼はちらりとニコラス様を見た。視線の合ったニコラス様は、作り笑いを浮かべる。
「そうですか。楽しい時間を過ごせたようで良かったです」
純真に喜ぶ彼女に対して、ニコラス様は貼り付いた笑顔を崩す事はなかった。私はそれが意味深だと思いながらも、指摘する気は全く起こらず、黙って見過ごした。
※
リュミエール王国での2週間の滞在を終えて、私達は、ロズウェル王国に帰還した。
ニコラス様は馬車を降りると、私をエスコートする事なく去って行った。彼がどこに行くのかは、考えるまでもなかった。
「あんな女のどこがいいんだか……」
侍女の一人がつぶやいたのを私はそっと窘めた。
「そんな風に悪く言わないで。彼女もニコラス様の妻なのよ」
私の言葉に侍女は不服そうにしていたけれど、それ以上、何も言わなかった。
私は自室に戻ると、侍女達を下がらせて一人になった。
そうして、私はようやく一息吐けた。
━━疲れた。
ロズウェル王国の王太子妃として、対外的にニコラス様の良き妻を演じる日々がようやく終わった。そう思うと、嬉しさが込み上げてくる。
私はごろんとソファーに寝転ぶと部屋の中をぼんやりと眺めた。風に揺らめくカーテン、日に照らされたデスク。そして、視線は引き出しへと移った。
その中にある通信機の魔導具が、最後に会った日のアーサー様を思い浮かばせる。
レイチェル妃との関係を心配しつつも私の意見を尊重してくれた時の真剣な眼差し。開発した魔導具について説明をして、これからの夢を熱く語っていた無邪気な笑顔。
目を閉じても、脳裏に焼き付いているかのように、彼の顔が消える事はなかった。
━━会いたい。
きっと、すごく疲れているせいだ。大嫌いな人とずっと一緒にいたから。冷たくて、自分勝手な人と仲の良いふりをしていたから。
だから、アーサー様の優しさに触れたいと思うんだ━━
私は、起き上がるとデスクへと向かった。そして、引き出しを開けて、通信機を手に取った。
そのボタンを押そうとした瞬間、コンコンと扉がノックされた。
「エレノア様、ローズ王女殿下からお茶のお誘いがございました。いかがなさいますか」
扉越しに侍女がそう言う中で、私は通信機を慌てて引き出しに戻した。
「今行くわ」
そう言うと、私は足早に扉を開けた。
※
ローズ王女殿下の待つ温室に向かうと、彼女は椅子に腰掛けて優雅に読書をしていた。ベッキーが声をかけると、王女殿下は本に栞を挟んだ。
「久しぶりね」
彼女は笑うと、私に席に着くようにと促した。私が座ると、早速お茶が出される。
「新婚旅行はどうだった?」
正直に「最悪な旅だった」と答えるわけにもいかず。私は、各国の文化や要人の印象を話した。
王女殿下は、相槌を打ちながら、笑顔で話を聞いてくれた。私が話を終えると、彼女は言った。
「外交行事としては大成功だったのね」
「はい。新婚旅行の中で、新たな協定の取り決めや、国際交流の兆しも見え始めましたから」
「それは良い事だわ」
ローズ王女殿下はそう言うとカップのお茶をじっと見つめた。
「……ニコラスとは相変わらずなの?」
その質問に、顔が強張りそうになった。
「はい」
喉の奥がつっかえて、短い返事しかできなかった。そのせいで、深くツッコまれるかと思ったけれど。王女殿下は、一瞬、難しい表情をしてこう言った。
「ニコラスとの関係が改善できないのなら、今まで通り、社交活動を頑張らないとね」
彼女はそう言うと、ベッキーに視線を向けた。ベッキーは頷くと、封筒と資料を王女殿下に手渡した。
「エレノア妃の投資した魔導具の開発事業に進展があったみたいなの。まだ正式には発表されていないけれど、内々に報告があったのよ」
ローズ王女殿下は資料をめくり、私にそれを見せてくれた。
新たな技術者を他国から引き抜いた事。機体部分の素材を変更した所、走行スピードに安定性が増した事。そして、これからはエンジンの改良に取り組むと書かれていた。
「すごいですね。たった数ヶ月でこんなに進展があるだなんて」
「ええ、そうね。投資した王太子妃の先見の明も評価されるでしょう」
ローズ王女殿下はそう言って封筒の中からカードを取り出した。
「今度、ニュルンデル伯爵が新たな魔導技術のお披露目を兼ねたパーティーをするそうなの。アーサーお兄様は、エレノア妃も誘って良いものか悩んでいるそうなのだけれど……。参加するのよね?」
「できれば、そうしたいのですが……」
久しぶりにアーサー様と会いたいし、魔導具の開発の話だって聞きたい。
でも、彼が私を呼ぶ事に戸惑いを感じているのなら、行かない方が良いのではないかと躊躇ってしまう。
「何か予定があるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「それなら、参加すべきよ。変な遠慮はいらないわ」
ローズ王女殿下は「ライオネルには、参加する意向を伝えておくから」と言ってお茶を飲んだ。それを強引と思いつつも、胸の奥に湧いた小さな喜びを、否定できなかった。
「ニコラス様とのお話はいかがでしたか」
イザベラ様が穏やかに語りかけると、エドワード様は、「とても有意義な時間だったよ」と微笑んだ。それから、彼はちらりとニコラス様を見た。視線の合ったニコラス様は、作り笑いを浮かべる。
「そうですか。楽しい時間を過ごせたようで良かったです」
純真に喜ぶ彼女に対して、ニコラス様は貼り付いた笑顔を崩す事はなかった。私はそれが意味深だと思いながらも、指摘する気は全く起こらず、黙って見過ごした。
※
リュミエール王国での2週間の滞在を終えて、私達は、ロズウェル王国に帰還した。
ニコラス様は馬車を降りると、私をエスコートする事なく去って行った。彼がどこに行くのかは、考えるまでもなかった。
「あんな女のどこがいいんだか……」
侍女の一人がつぶやいたのを私はそっと窘めた。
「そんな風に悪く言わないで。彼女もニコラス様の妻なのよ」
私の言葉に侍女は不服そうにしていたけれど、それ以上、何も言わなかった。
私は自室に戻ると、侍女達を下がらせて一人になった。
そうして、私はようやく一息吐けた。
━━疲れた。
ロズウェル王国の王太子妃として、対外的にニコラス様の良き妻を演じる日々がようやく終わった。そう思うと、嬉しさが込み上げてくる。
私はごろんとソファーに寝転ぶと部屋の中をぼんやりと眺めた。風に揺らめくカーテン、日に照らされたデスク。そして、視線は引き出しへと移った。
その中にある通信機の魔導具が、最後に会った日のアーサー様を思い浮かばせる。
レイチェル妃との関係を心配しつつも私の意見を尊重してくれた時の真剣な眼差し。開発した魔導具について説明をして、これからの夢を熱く語っていた無邪気な笑顔。
目を閉じても、脳裏に焼き付いているかのように、彼の顔が消える事はなかった。
━━会いたい。
きっと、すごく疲れているせいだ。大嫌いな人とずっと一緒にいたから。冷たくて、自分勝手な人と仲の良いふりをしていたから。
だから、アーサー様の優しさに触れたいと思うんだ━━
私は、起き上がるとデスクへと向かった。そして、引き出しを開けて、通信機を手に取った。
そのボタンを押そうとした瞬間、コンコンと扉がノックされた。
「エレノア様、ローズ王女殿下からお茶のお誘いがございました。いかがなさいますか」
扉越しに侍女がそう言う中で、私は通信機を慌てて引き出しに戻した。
「今行くわ」
そう言うと、私は足早に扉を開けた。
※
ローズ王女殿下の待つ温室に向かうと、彼女は椅子に腰掛けて優雅に読書をしていた。ベッキーが声をかけると、王女殿下は本に栞を挟んだ。
「久しぶりね」
彼女は笑うと、私に席に着くようにと促した。私が座ると、早速お茶が出される。
「新婚旅行はどうだった?」
正直に「最悪な旅だった」と答えるわけにもいかず。私は、各国の文化や要人の印象を話した。
王女殿下は、相槌を打ちながら、笑顔で話を聞いてくれた。私が話を終えると、彼女は言った。
「外交行事としては大成功だったのね」
「はい。新婚旅行の中で、新たな協定の取り決めや、国際交流の兆しも見え始めましたから」
「それは良い事だわ」
ローズ王女殿下はそう言うとカップのお茶をじっと見つめた。
「……ニコラスとは相変わらずなの?」
その質問に、顔が強張りそうになった。
「はい」
喉の奥がつっかえて、短い返事しかできなかった。そのせいで、深くツッコまれるかと思ったけれど。王女殿下は、一瞬、難しい表情をしてこう言った。
「ニコラスとの関係が改善できないのなら、今まで通り、社交活動を頑張らないとね」
彼女はそう言うと、ベッキーに視線を向けた。ベッキーは頷くと、封筒と資料を王女殿下に手渡した。
「エレノア妃の投資した魔導具の開発事業に進展があったみたいなの。まだ正式には発表されていないけれど、内々に報告があったのよ」
ローズ王女殿下は資料をめくり、私にそれを見せてくれた。
新たな技術者を他国から引き抜いた事。機体部分の素材を変更した所、走行スピードに安定性が増した事。そして、これからはエンジンの改良に取り組むと書かれていた。
「すごいですね。たった数ヶ月でこんなに進展があるだなんて」
「ええ、そうね。投資した王太子妃の先見の明も評価されるでしょう」
ローズ王女殿下はそう言って封筒の中からカードを取り出した。
「今度、ニュルンデル伯爵が新たな魔導技術のお披露目を兼ねたパーティーをするそうなの。アーサーお兄様は、エレノア妃も誘って良いものか悩んでいるそうなのだけれど……。参加するのよね?」
「できれば、そうしたいのですが……」
久しぶりにアーサー様と会いたいし、魔導具の開発の話だって聞きたい。
でも、彼が私を呼ぶ事に戸惑いを感じているのなら、行かない方が良いのではないかと躊躇ってしまう。
「何か予定があるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「それなら、参加すべきよ。変な遠慮はいらないわ」
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