86 / 103
2章 世界で一番嫌いな人
32
しおりを挟む
※
それから数日間は、私にとっては平和な一時だった。ニコラス様がレイチェル妃の部屋に籠もっていたからだ。
侍女達はそれを快く思わなかったようで、時折、彼女の悪口をこぼしていた。私は、その度に注意していたのだけれど……。
「妃殿下はこれで本当に良いんですか!?」
侍女の一人であるサーシアス男爵夫人は厳しい顔付きで問いかけてくると、近くにいた年配の侍女は慌てた様子でそれを咎めた。
「サーシアス男爵夫人、妃殿下に対してなんて口を利くの!? 出過ぎたマネはやめなさい」
彼女の言っている事も分かる。
しかし、サーシアス男爵夫人は、私を心配してくれての発言だった。彼女はニコラス様の同級生で、彼がレイチェル妃に入れ込んでいるのを見てきた人だったから。
「謝りなさい」
謝罪を促す年配の侍女を私は宥めた。
「しなくていいわ。私を思っての発言だと思うから」
「ですが……」
「でもね」
私が言葉を続けると、二人の顔に緊張が走った。
「夜の営みは、レイチェル妃に任せるって決めているの。その決め事に口を挟むのはやめてちょうだい」
そう言うと、二人は何とも言えない表情で私を見た。
━━そんなに、いけない事なのかしら?
レイチェル妃は、彼の事を嫌っていながらも、そういう事に耐性はあるみたいだったから。そういう役割は彼女に任せて、私は王太子妃として昼の仕事を全うすればいいのではないかしら。
今回の新婚旅行を経て、そう思うようになった。
サーシアス男爵夫人が口を開こうとした時、年配の侍女は、彼女を制止した。彼女は険しい顔付きで男爵夫人に向かって首を振る。どうやら、私のこの考えは他人には理解し難い物だったようだ。
私はこれ以上、その話をするのが嫌で、二人に下がるように命令した。
サーシアス男爵は、納得がいかなかったのか、悔しそうな顔をしていたけれど、私はそれから目を逸らした。
※
5日後の昼、レイチェル妃の侍女が手紙を渡しに来た。
中身を確認すると、新婚旅行前に送った手紙の返事だった。
予算の使い道は王太子妃である私が決める事だから、これからはレイチェル妃に教える必要はないと書かれていた。
予想していた反応ではあったけれど、ほんの少し寂しい気持ちになった。
私は手紙を処分するようにと、サーシアス男爵夫人に手渡した。彼女はそれを手に部屋を後にした。
それを見届けてから、私は出かける準備を始めた。ニュルンデル伯爵家で開催されるパーティーに参加するのだ。
久しぶりにアーサー様や伯爵に会えると思うと、長らく感じていなかった安心感が胸に満ちてきた。
それに、今日はベッキーもパーティーに来るのだという。私は明るい気分で支度を終えて、ニュルンデル伯爵家に向かった。
私がパーティー会場に到着した時、すでにベッキーは来ていた。
彼女は男の人に囲まれていて、困り顔で対応していたけれど。私を見つけるなり、話を切り上げて駆け寄ってきた。
「久しぶりね」
1週間程前に、王女殿下のもとで会っていたけれど。友人としてこうして会うのは久しぶりだった。
ベッキーは私の挨拶にツッコミを入れてくると思いきや━━
「ああ! 我が救世主よ……!」
そんな事を言って手を握った。
「どうしたの?」
「嫌なモテ期が来ちゃった!」
「え?」
ベッキーは小声で言った。
「私がローズ王女殿下に重用されてるって思われてるみたいで……。野心が見え見えな人達が近づいて来てたから、困ってたのよ」
「ああ……」
私も王太子妃になってからというもの、権力志向の強い人に囲まれる機会は格段に増えたけれど、まさかベッキーまでそうなっているとは思わなかった。
「でも、良い人も中にはいるんじゃない?」
「そうかな? 私の勘では理想の男の人はいないかな」
「ベッキーは理想が高いものね」
私が苦笑交じりに言うと、彼女は「えへへ」と笑った。
「それなりに顔が良くて、学もあって、お金に不自由のない、伯爵以上の爵位を持つ人。そんな人じゃないと、私はわざわざお付き合いしようとは思わないわ」
改めて聞いてみると、中々な条件だ。けれど、ニュルンデル伯爵はそれを満たしているのではないかと思った。
「どうしたの? 何か変な事、考えてない?」
図星を突かれて、私は笑って誤魔化した。
ベッキーが追及をしようとした時、アーサー様が来場するのが見えた。
彼は私達を見つけると、こちらに向かって来た。
「二人とも、久しぶりだね」
気さくに声をかけたアーサー様に、ベッキーは礼儀正しくお辞儀をした。
「ごきげんよう。アーサー殿下」
彼女の挨拶に対して、アーサー様は笑顔を向けた。
「今日はお仕事モードなのかな?」
「そういうわけではありませんが、公の場ですので、王女殿下の侍女として恥じない振る舞いをしようかと」
「それは賢明な判断だけど、ちょっと寂しいかな」
二人の自然な距離感と笑顔が、なぜか心に小さな針を刺したようだった。その胸のざわめきが何なのか、自分でも分からずに戸惑っていた。
それから数日間は、私にとっては平和な一時だった。ニコラス様がレイチェル妃の部屋に籠もっていたからだ。
侍女達はそれを快く思わなかったようで、時折、彼女の悪口をこぼしていた。私は、その度に注意していたのだけれど……。
「妃殿下はこれで本当に良いんですか!?」
侍女の一人であるサーシアス男爵夫人は厳しい顔付きで問いかけてくると、近くにいた年配の侍女は慌てた様子でそれを咎めた。
「サーシアス男爵夫人、妃殿下に対してなんて口を利くの!? 出過ぎたマネはやめなさい」
彼女の言っている事も分かる。
しかし、サーシアス男爵夫人は、私を心配してくれての発言だった。彼女はニコラス様の同級生で、彼がレイチェル妃に入れ込んでいるのを見てきた人だったから。
「謝りなさい」
謝罪を促す年配の侍女を私は宥めた。
「しなくていいわ。私を思っての発言だと思うから」
「ですが……」
「でもね」
私が言葉を続けると、二人の顔に緊張が走った。
「夜の営みは、レイチェル妃に任せるって決めているの。その決め事に口を挟むのはやめてちょうだい」
そう言うと、二人は何とも言えない表情で私を見た。
━━そんなに、いけない事なのかしら?
レイチェル妃は、彼の事を嫌っていながらも、そういう事に耐性はあるみたいだったから。そういう役割は彼女に任せて、私は王太子妃として昼の仕事を全うすればいいのではないかしら。
今回の新婚旅行を経て、そう思うようになった。
サーシアス男爵夫人が口を開こうとした時、年配の侍女は、彼女を制止した。彼女は険しい顔付きで男爵夫人に向かって首を振る。どうやら、私のこの考えは他人には理解し難い物だったようだ。
私はこれ以上、その話をするのが嫌で、二人に下がるように命令した。
サーシアス男爵は、納得がいかなかったのか、悔しそうな顔をしていたけれど、私はそれから目を逸らした。
※
5日後の昼、レイチェル妃の侍女が手紙を渡しに来た。
中身を確認すると、新婚旅行前に送った手紙の返事だった。
予算の使い道は王太子妃である私が決める事だから、これからはレイチェル妃に教える必要はないと書かれていた。
予想していた反応ではあったけれど、ほんの少し寂しい気持ちになった。
私は手紙を処分するようにと、サーシアス男爵夫人に手渡した。彼女はそれを手に部屋を後にした。
それを見届けてから、私は出かける準備を始めた。ニュルンデル伯爵家で開催されるパーティーに参加するのだ。
久しぶりにアーサー様や伯爵に会えると思うと、長らく感じていなかった安心感が胸に満ちてきた。
それに、今日はベッキーもパーティーに来るのだという。私は明るい気分で支度を終えて、ニュルンデル伯爵家に向かった。
私がパーティー会場に到着した時、すでにベッキーは来ていた。
彼女は男の人に囲まれていて、困り顔で対応していたけれど。私を見つけるなり、話を切り上げて駆け寄ってきた。
「久しぶりね」
1週間程前に、王女殿下のもとで会っていたけれど。友人としてこうして会うのは久しぶりだった。
ベッキーは私の挨拶にツッコミを入れてくると思いきや━━
「ああ! 我が救世主よ……!」
そんな事を言って手を握った。
「どうしたの?」
「嫌なモテ期が来ちゃった!」
「え?」
ベッキーは小声で言った。
「私がローズ王女殿下に重用されてるって思われてるみたいで……。野心が見え見えな人達が近づいて来てたから、困ってたのよ」
「ああ……」
私も王太子妃になってからというもの、権力志向の強い人に囲まれる機会は格段に増えたけれど、まさかベッキーまでそうなっているとは思わなかった。
「でも、良い人も中にはいるんじゃない?」
「そうかな? 私の勘では理想の男の人はいないかな」
「ベッキーは理想が高いものね」
私が苦笑交じりに言うと、彼女は「えへへ」と笑った。
「それなりに顔が良くて、学もあって、お金に不自由のない、伯爵以上の爵位を持つ人。そんな人じゃないと、私はわざわざお付き合いしようとは思わないわ」
改めて聞いてみると、中々な条件だ。けれど、ニュルンデル伯爵はそれを満たしているのではないかと思った。
「どうしたの? 何か変な事、考えてない?」
図星を突かれて、私は笑って誤魔化した。
ベッキーが追及をしようとした時、アーサー様が来場するのが見えた。
彼は私達を見つけると、こちらに向かって来た。
「二人とも、久しぶりだね」
気さくに声をかけたアーサー様に、ベッキーは礼儀正しくお辞儀をした。
「ごきげんよう。アーサー殿下」
彼女の挨拶に対して、アーサー様は笑顔を向けた。
「今日はお仕事モードなのかな?」
「そういうわけではありませんが、公の場ですので、王女殿下の侍女として恥じない振る舞いをしようかと」
「それは賢明な判断だけど、ちょっと寂しいかな」
二人の自然な距離感と笑顔が、なぜか心に小さな針を刺したようだった。その胸のざわめきが何なのか、自分でも分からずに戸惑っていた。
0
あなたにおすすめの小説
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜
abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。
シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。
元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。
現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。
"容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。
皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。
そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時……
「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」
突然思い出した自らの未来の展開。
このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。
「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」
全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!?
「リヒト、婚約を解消しましょう。」
「姉様は僕から逃げられない。」
(お願いだから皆もう放っておいて!)
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
義兄様と庭の秘密
結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
悪役令嬢の心変わり
ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。
7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。
そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス!
カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる