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2章 世界で一番嫌いな人
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私達は、飲み物を片手にテラスへと足を運んだ。
人気のないテラスは、会場とは違って静かな場所だった。アーサー様はベンチに座ると、深く息を吐いた。
「やっと落ち着ける」
彼はそう言うと、少し疲れた表情で髪をかきあげた。
「お疲れ様です」
そう言ってグラスを差し出すと、彼は軽くグラスを合わせた。そして、勢いよくお酒を飲んだ。
「すまないね、俺に付き合わせて。話したい人はもっといただろう?」
私は首を振った。
「実は私も疲れていたんです」
今日会った人達は学生時代のような“ただの友達”ではない。みんな良い人達だし、嫌いではないけれど、どうしても利害関係が絡んでくるから、気疲れをしてしまう。
「意外だな」
アーサー様は笑った。
「社交活動に熱心だし、笑顔の絶えない人だから。人付き合いは全然苦にならないタイプだと思ってた」
「そんな事は……。人とのおしゃべりは楽しいですけど、疲れる時は疲れますから。……それより、アーサー様こそ、こんな風に疲れてしまうなんて、意外ですよ?」
「ああ……」
彼は目線を下に落とした。
「令嬢達がしつこく言い寄ってくるのが、どうしても堪えてしまうんだよ」
さっきの情景が頭に浮かぶ。そんなに嫌がっているようには見えなかったけれど。それ程、彼が大人なのだという事だろう。
「……理想の女性は見つかりませんか」
ぽつりと漏らした言葉に、アーサー様は反応した。
「どうしたの、急に?」
彼は私の顔をじっと見つめた。
「ニュルンデル伯爵が言っていたんです。アーサー様の理想が高いって」
「俺自身は、そんなに高いとは思わないんだけどね」
アーサー様は苦笑いをした。
私は目を伏せて、彼から視線を外した。
「どんな人が、好みなんですか」
恐る恐る尋ねると、彼は穏やかな口調で答えた。
「優しくて、明るくて、俺の夢に理解のある人かな……」
「何だ……。全然普通の人ですね」
絶世の美女とか、世紀の天才発明家だとか、そんなものだと思っていたのに。彼の理想の人は、言ってしまえば“どこにでもいそうな人”だった。
「それが意外といないんだよ」
「そうなんですか」
「うん。俺に近付いてくる人は、“大公妃”の地位を意識する人がほとんどだから。それに、魔導列車が開通してからというもの、金銭目当ての人まで現れて……」
顔をあげて見ると、彼は寂しそうに笑っていた。そして、グラスに残っていたお酒を一気にあおった。
「……それ、強いお酒なんじゃ?」
「たまにはいいじゃないか」
彼はそういうと空のグラスをテーブルに置いた。
━━ヤケになってない?
彼は下心を見せてくる女性達に、ほとほと疲れさせられているのかもしれない。そう思ったから、私は言った。
「大丈夫ですよ。まだ出会っていないだけで、アーサー様の理想の女性はきっとどこかにいますから」
慰めの言葉をかけると、彼はふっと笑った。
「もう出会ってるよ……」
「え?」
━━どこの、誰と?
焦燥が私の身体を駆け巡る中、彼は静かに語った。
「ただ、彼女にはすでに伴侶がいて、俺が想いを寄せる事すら憚られる地位にいるから……」
既婚者であり、身分が高い女性。それに、彼の夢に理解のある人となると━━
━━まさか、私の事……?
そんなおこがましい考えを私自身が否定する前に、アーサー様はつぶやいた。
「今のは忘れてくれ」
私は何が起こったのか分からなくて、ただ黙ったまま、戸惑う事しかできなかった。
※
あの日、私達はギクシャクした空気のまま別れてしまった。
アーサー様の言った事の真意も分からず、私は胸にモヤモヤを抱えたまま王宮に帰った。けれど、はっきりと分かった事がある。それは、私がアーサー様を好きなのだという事━━
彼の理想の女性が「私のはずがない」と思う一方で、「そうであればいい」と思う自分がいる事に気付いたのだ。
思えば、優しくて気遣いのできるアーサー様は、私にとっても理想のパートナーだった。ニコラス様がくれないものを、アーサー様は自然に与えてくれた。
━━彼に好きだと言えたらどんなに楽だろう。
自分の気持ちに気付いてから何度そう思った事か。
しかし、そうしてしまったら、彼を困らせてしまう事が目に見えているから。私は自分の気持ちに蓋をして、今まで通りの関係でいると決めた。
自分では自然にやれているつもりだった。彼と会った時に特別な反応をしなかったから。
でも、私と親しい人の目は誤魔化せなかった。ベッキーは私の気持ちを、私よりも前に気が付いていた。そして、私の彼を慕う気持ちがどんどん大きくなっている事にも。
彼女にはすごく心配されて「もうアーサー様と会うのはやめたら?」と言われてしまった。
「それは難しいかな。社交活動や投資の話にも影響が出るし」
「でも、変な噂になったらエリーの立場が……」
「大丈夫だよ。この気持ちをアーサー様に伝えるつもりはないから」
もし伝えるなら、それは、王太子妃の座を降りた時だ。それまでは、絶対に彼には想いを告げない。
━━早く、ニコラス様との離婚が成立しますように。
そんな事を考えている最中、ベッキーは言った。
「でも、多分、ローズ王女殿下も気付いてるよ? 王女殿下は噂にしないと思うけど。他の人にバレたらどうなるか……」
「みんな不敬罪が怖いから言えないと思うよ?」
少しおどけてみても、ベッキーは笑ってくれなかった。
人気のないテラスは、会場とは違って静かな場所だった。アーサー様はベンチに座ると、深く息を吐いた。
「やっと落ち着ける」
彼はそう言うと、少し疲れた表情で髪をかきあげた。
「お疲れ様です」
そう言ってグラスを差し出すと、彼は軽くグラスを合わせた。そして、勢いよくお酒を飲んだ。
「すまないね、俺に付き合わせて。話したい人はもっといただろう?」
私は首を振った。
「実は私も疲れていたんです」
今日会った人達は学生時代のような“ただの友達”ではない。みんな良い人達だし、嫌いではないけれど、どうしても利害関係が絡んでくるから、気疲れをしてしまう。
「意外だな」
アーサー様は笑った。
「社交活動に熱心だし、笑顔の絶えない人だから。人付き合いは全然苦にならないタイプだと思ってた」
「そんな事は……。人とのおしゃべりは楽しいですけど、疲れる時は疲れますから。……それより、アーサー様こそ、こんな風に疲れてしまうなんて、意外ですよ?」
「ああ……」
彼は目線を下に落とした。
「令嬢達がしつこく言い寄ってくるのが、どうしても堪えてしまうんだよ」
さっきの情景が頭に浮かぶ。そんなに嫌がっているようには見えなかったけれど。それ程、彼が大人なのだという事だろう。
「……理想の女性は見つかりませんか」
ぽつりと漏らした言葉に、アーサー様は反応した。
「どうしたの、急に?」
彼は私の顔をじっと見つめた。
「ニュルンデル伯爵が言っていたんです。アーサー様の理想が高いって」
「俺自身は、そんなに高いとは思わないんだけどね」
アーサー様は苦笑いをした。
私は目を伏せて、彼から視線を外した。
「どんな人が、好みなんですか」
恐る恐る尋ねると、彼は穏やかな口調で答えた。
「優しくて、明るくて、俺の夢に理解のある人かな……」
「何だ……。全然普通の人ですね」
絶世の美女とか、世紀の天才発明家だとか、そんなものだと思っていたのに。彼の理想の人は、言ってしまえば“どこにでもいそうな人”だった。
「それが意外といないんだよ」
「そうなんですか」
「うん。俺に近付いてくる人は、“大公妃”の地位を意識する人がほとんどだから。それに、魔導列車が開通してからというもの、金銭目当ての人まで現れて……」
顔をあげて見ると、彼は寂しそうに笑っていた。そして、グラスに残っていたお酒を一気にあおった。
「……それ、強いお酒なんじゃ?」
「たまにはいいじゃないか」
彼はそういうと空のグラスをテーブルに置いた。
━━ヤケになってない?
彼は下心を見せてくる女性達に、ほとほと疲れさせられているのかもしれない。そう思ったから、私は言った。
「大丈夫ですよ。まだ出会っていないだけで、アーサー様の理想の女性はきっとどこかにいますから」
慰めの言葉をかけると、彼はふっと笑った。
「もう出会ってるよ……」
「え?」
━━どこの、誰と?
焦燥が私の身体を駆け巡る中、彼は静かに語った。
「ただ、彼女にはすでに伴侶がいて、俺が想いを寄せる事すら憚られる地位にいるから……」
既婚者であり、身分が高い女性。それに、彼の夢に理解のある人となると━━
━━まさか、私の事……?
そんなおこがましい考えを私自身が否定する前に、アーサー様はつぶやいた。
「今のは忘れてくれ」
私は何が起こったのか分からなくて、ただ黙ったまま、戸惑う事しかできなかった。
※
あの日、私達はギクシャクした空気のまま別れてしまった。
アーサー様の言った事の真意も分からず、私は胸にモヤモヤを抱えたまま王宮に帰った。けれど、はっきりと分かった事がある。それは、私がアーサー様を好きなのだという事━━
彼の理想の女性が「私のはずがない」と思う一方で、「そうであればいい」と思う自分がいる事に気付いたのだ。
思えば、優しくて気遣いのできるアーサー様は、私にとっても理想のパートナーだった。ニコラス様がくれないものを、アーサー様は自然に与えてくれた。
━━彼に好きだと言えたらどんなに楽だろう。
自分の気持ちに気付いてから何度そう思った事か。
しかし、そうしてしまったら、彼を困らせてしまう事が目に見えているから。私は自分の気持ちに蓋をして、今まで通りの関係でいると決めた。
自分では自然にやれているつもりだった。彼と会った時に特別な反応をしなかったから。
でも、私と親しい人の目は誤魔化せなかった。ベッキーは私の気持ちを、私よりも前に気が付いていた。そして、私の彼を慕う気持ちがどんどん大きくなっている事にも。
彼女にはすごく心配されて「もうアーサー様と会うのはやめたら?」と言われてしまった。
「それは難しいかな。社交活動や投資の話にも影響が出るし」
「でも、変な噂になったらエリーの立場が……」
「大丈夫だよ。この気持ちをアーサー様に伝えるつもりはないから」
もし伝えるなら、それは、王太子妃の座を降りた時だ。それまでは、絶対に彼には想いを告げない。
━━早く、ニコラス様との離婚が成立しますように。
そんな事を考えている最中、ベッキーは言った。
「でも、多分、ローズ王女殿下も気付いてるよ? 王女殿下は噂にしないと思うけど。他の人にバレたらどうなるか……」
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少しおどけてみても、ベッキーは笑ってくれなかった。
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