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2章 世界で一番嫌いな人
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※
やがて1年の時が経ち、ニコラス様との結婚記念日を迎えた。
その夜、体裁を重んじる彼は私と食事を摂った。公の場を除けば、何ヶ月ぶりだろうか。
侍女達は、それを喜んでいたけれど、私にとっては地獄の時間に他ならなかった。
私達は、一言も交わさず食べ続けた。折角、シェフが腕によりをかけて作った料理も、この雰囲気の中では台無しだ。
でも、この最悪な雰囲気をわざわざ変えたいとは思えなかった。私は彼のために、何かをしたいと思う気持ちはもうとっくの昔に消えていたのだから。
━━早く、私に失望してくれないかしら。
お父様の予想とは違って、国王陛下の私の評価は悪い物ではないらしい。依然として夜の営みを行わない事に対して気にする様子はない。それどころか、私が世継ぎを生まなくても良いとまで考えているそうだ。
お父様は水面下で離婚の交渉を推し進めてくれているけれど、国王陛下は乗り気ではないらしい。お父様いわく、「何かを企んでいる」ようで。私はすぐに自由の身になれそうにない。
目の前に座るニコラス様を見る。彼はテーブルの花をじっと見つめていた。もしかしたら、レイチェル妃に思いを馳せているのかもしれない。
侍女達は私の気も知らないで、レイチェル妃の事をよく話してくれた。侍女達が言うには、ニコラス様は、最近よく、レイチェル妃に花を贈るそうだ。それを受け取った彼女はとても嬉しそうに笑うのだという。
サーシアス男爵夫人なんかは、その事が気に入らないらしい。
「自分が特別扱いされて、愛されている事に悦に浸る嫌な女」
そんな事を大声で言って、他の侍女達に窘められていた。
そんな意見を聞く度に、私は内心、みんなレイチェル妃の演技に騙されているのだと思った。
レイチェル妃は、ニコラス様を愛していないし、むしろ嫌っている。彼女が彼と一緒にいるのは、政治的な意味合いが大きいからだ。花のプレゼントだって、彼の妻という立場から、喜んだふりをしているだけだろう。彼女は負の感情を隠し、笑顔を作れる人だから。
食事を終えた彼は、席を立った。侍女に向かい、夜はこっちで寝るからと言い残して━━
憂鬱な気分が一気に押し寄せて、私は残りの料理を食べる気が失せてしまった。
私はシェフに申し訳ないと思いながら、料理を残し、自室へと戻った。
そうして自室に戻ると、サーシアス男爵夫人は「夜の準備をしましょう」とはりきっていた。
「まだ寝るには早い時間よ?」
笑って誤魔化したけれど、内心不快で堪らなかった。
「王太子殿下と久しぶりに夜を共にされるのですから。念入りに準備をなさりましょう」
私は首を振った。
「そんな事はしなくていいわ。いつも通りの時間にお風呂に入るから」
「でも……」
「やらないといけない用事もあるから。悪いけど一人にさせて」
私がそう言うと、彼女は不服そうにしながらも、部屋から出て行った。
一人になった部屋で私は一息吐くとソファーに座った。そして、ぼんやり天井を見つめながら、これからの苦痛なやり取りを憂いた。
━━どうかニコラス様が私の身体に触りませんように。
そんな祈りが頭の中をぐるぐると回る。
押し寄せてくる不安のせいで、じっとしていられなくなり、私は無意味に立ち上がった。そして、当て所なく部屋の中をうろうろして、デスクの前で立ち止まった。
私は引き出しを開けて、例の通信機を取り出す。
━━今すぐ、アーサー様の声を聞きたい。
彼と何でもない日常の話をしたかった。それから、最近、身の回りで起こった楽しい話をして。それから、魔導具の事を聞いて……。
私は首を振って自分の考えを振り払った。
今、不用意に連絡をしてしまっては、彼に迷惑をかけてしまう。それに、私とニコラス様の問題をアーサー様に依存して助けてもらうのは違うような気がした。
私は通信機を撫でてそっと引き出しの中に戻した。引き出しを閉じた音が部屋の中に響く。それに物寂しさを感じてしまったせいだろうか。私は未練がましく、デスクの前から中々離れられなかった。
結局、デスクの前から離れる事はできたけれど……。サーシアス男爵夫人が再びやって来るまでの間、頭の中でずっとアーサー様の事を考えていた。
「妃殿下、入浴のお時間です」
サーシアス男爵は緊張した面持ちで声をかけてきた。その顔を見て、さっきの私の態度が悪かったのだと反省した。
私は微笑んで返事をすると、陰鬱な気持ちを押し隠して浴室へと向かった。
浴室では、平静を装って明るく振る舞った。私達の問題を侍女達にぶつけてはいけないと思ったから。
でも、寝室でニコラス様と対峙した時には、私の顔は強張って動かなくなった。
「遅いよ」
ベッドに腰掛けたニコラス様は静かにつぶやいた。
「……何をぐずぐずしているんだ。さっさとこっちに来て」
彼との行為はしないとしても、ドアの前で立ち尽くしているわけにはいかない。分かっている事だけれど、足が動かなかった。
ニコラス様は、立ち上がると私の所まで来た。そして、私の腕を掴むとベッドまで連れて行こうとする。
嫌だと訴えても彼は何の躊躇もなく、私をベッドに突き飛ばした。
「結婚して1年が経った。そろそろ覚悟を決めてくれ」
私は下唇を噛んで首を横に振った。
しかし、ニコラス様は意に返さずに襲いかかろうとしてくる。
「やめて!」
私は、彼の腕を振り払った。
「エレノア、いい加減にしてくれ。世継ぎを作る事はお前に課せられた重要な使命だ」
「そんなの、私じゃなくてもいいじゃないですか」
「お前じゃなければだめだ」
「どうして……。あなたにはレイチェル妃がいるでしょう? 愛する人との子供が後を継いだ方がいいに決まってるじゃないですか」
「それを世間が許すとでも? 正統性を持つ母親の方がいいに決まっている」
彼は冷たく吐き捨てるとまた私に触ろうとしてくる。
「いやっ!」
じたばたと必死になって抵抗しても、ニコラス様はやめてくれなくて……。
「アーサー様……」
恐怖と嫌悪感の中、気がつけば私は、彼の名前を呼んでいた。
やがて1年の時が経ち、ニコラス様との結婚記念日を迎えた。
その夜、体裁を重んじる彼は私と食事を摂った。公の場を除けば、何ヶ月ぶりだろうか。
侍女達は、それを喜んでいたけれど、私にとっては地獄の時間に他ならなかった。
私達は、一言も交わさず食べ続けた。折角、シェフが腕によりをかけて作った料理も、この雰囲気の中では台無しだ。
でも、この最悪な雰囲気をわざわざ変えたいとは思えなかった。私は彼のために、何かをしたいと思う気持ちはもうとっくの昔に消えていたのだから。
━━早く、私に失望してくれないかしら。
お父様の予想とは違って、国王陛下の私の評価は悪い物ではないらしい。依然として夜の営みを行わない事に対して気にする様子はない。それどころか、私が世継ぎを生まなくても良いとまで考えているそうだ。
お父様は水面下で離婚の交渉を推し進めてくれているけれど、国王陛下は乗り気ではないらしい。お父様いわく、「何かを企んでいる」ようで。私はすぐに自由の身になれそうにない。
目の前に座るニコラス様を見る。彼はテーブルの花をじっと見つめていた。もしかしたら、レイチェル妃に思いを馳せているのかもしれない。
侍女達は私の気も知らないで、レイチェル妃の事をよく話してくれた。侍女達が言うには、ニコラス様は、最近よく、レイチェル妃に花を贈るそうだ。それを受け取った彼女はとても嬉しそうに笑うのだという。
サーシアス男爵夫人なんかは、その事が気に入らないらしい。
「自分が特別扱いされて、愛されている事に悦に浸る嫌な女」
そんな事を大声で言って、他の侍女達に窘められていた。
そんな意見を聞く度に、私は内心、みんなレイチェル妃の演技に騙されているのだと思った。
レイチェル妃は、ニコラス様を愛していないし、むしろ嫌っている。彼女が彼と一緒にいるのは、政治的な意味合いが大きいからだ。花のプレゼントだって、彼の妻という立場から、喜んだふりをしているだけだろう。彼女は負の感情を隠し、笑顔を作れる人だから。
食事を終えた彼は、席を立った。侍女に向かい、夜はこっちで寝るからと言い残して━━
憂鬱な気分が一気に押し寄せて、私は残りの料理を食べる気が失せてしまった。
私はシェフに申し訳ないと思いながら、料理を残し、自室へと戻った。
そうして自室に戻ると、サーシアス男爵夫人は「夜の準備をしましょう」とはりきっていた。
「まだ寝るには早い時間よ?」
笑って誤魔化したけれど、内心不快で堪らなかった。
「王太子殿下と久しぶりに夜を共にされるのですから。念入りに準備をなさりましょう」
私は首を振った。
「そんな事はしなくていいわ。いつも通りの時間にお風呂に入るから」
「でも……」
「やらないといけない用事もあるから。悪いけど一人にさせて」
私がそう言うと、彼女は不服そうにしながらも、部屋から出て行った。
一人になった部屋で私は一息吐くとソファーに座った。そして、ぼんやり天井を見つめながら、これからの苦痛なやり取りを憂いた。
━━どうかニコラス様が私の身体に触りませんように。
そんな祈りが頭の中をぐるぐると回る。
押し寄せてくる不安のせいで、じっとしていられなくなり、私は無意味に立ち上がった。そして、当て所なく部屋の中をうろうろして、デスクの前で立ち止まった。
私は引き出しを開けて、例の通信機を取り出す。
━━今すぐ、アーサー様の声を聞きたい。
彼と何でもない日常の話をしたかった。それから、最近、身の回りで起こった楽しい話をして。それから、魔導具の事を聞いて……。
私は首を振って自分の考えを振り払った。
今、不用意に連絡をしてしまっては、彼に迷惑をかけてしまう。それに、私とニコラス様の問題をアーサー様に依存して助けてもらうのは違うような気がした。
私は通信機を撫でてそっと引き出しの中に戻した。引き出しを閉じた音が部屋の中に響く。それに物寂しさを感じてしまったせいだろうか。私は未練がましく、デスクの前から中々離れられなかった。
結局、デスクの前から離れる事はできたけれど……。サーシアス男爵夫人が再びやって来るまでの間、頭の中でずっとアーサー様の事を考えていた。
「妃殿下、入浴のお時間です」
サーシアス男爵は緊張した面持ちで声をかけてきた。その顔を見て、さっきの私の態度が悪かったのだと反省した。
私は微笑んで返事をすると、陰鬱な気持ちを押し隠して浴室へと向かった。
浴室では、平静を装って明るく振る舞った。私達の問題を侍女達にぶつけてはいけないと思ったから。
でも、寝室でニコラス様と対峙した時には、私の顔は強張って動かなくなった。
「遅いよ」
ベッドに腰掛けたニコラス様は静かにつぶやいた。
「……何をぐずぐずしているんだ。さっさとこっちに来て」
彼との行為はしないとしても、ドアの前で立ち尽くしているわけにはいかない。分かっている事だけれど、足が動かなかった。
ニコラス様は、立ち上がると私の所まで来た。そして、私の腕を掴むとベッドまで連れて行こうとする。
嫌だと訴えても彼は何の躊躇もなく、私をベッドに突き飛ばした。
「結婚して1年が経った。そろそろ覚悟を決めてくれ」
私は下唇を噛んで首を横に振った。
しかし、ニコラス様は意に返さずに襲いかかろうとしてくる。
「やめて!」
私は、彼の腕を振り払った。
「エレノア、いい加減にしてくれ。世継ぎを作る事はお前に課せられた重要な使命だ」
「そんなの、私じゃなくてもいいじゃないですか」
「お前じゃなければだめだ」
「どうして……。あなたにはレイチェル妃がいるでしょう? 愛する人との子供が後を継いだ方がいいに決まってるじゃないですか」
「それを世間が許すとでも? 正統性を持つ母親の方がいいに決まっている」
彼は冷たく吐き捨てるとまた私に触ろうとしてくる。
「いやっ!」
じたばたと必死になって抵抗しても、ニコラス様はやめてくれなくて……。
「アーサー様……」
恐怖と嫌悪感の中、気がつけば私は、彼の名前を呼んでいた。
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