89 / 103
2章 世界で一番嫌いな人
35
しおりを挟む
※
やがて1年の時が経ち、ニコラス様との結婚記念日を迎えた。
その夜、体裁を重んじる彼は私と食事を摂った。公の場を除けば、何ヶ月ぶりだろうか。
侍女達は、それを喜んでいたけれど、私にとっては地獄の時間に他ならなかった。
私達は、一言も交わさず食べ続けた。折角、シェフが腕によりをかけて作った料理も、この雰囲気の中では台無しだ。
でも、この最悪な雰囲気をわざわざ変えたいとは思えなかった。私は彼のために、何かをしたいと思う気持ちはもうとっくの昔に消えていたのだから。
━━早く、私に失望してくれないかしら。
お父様の予想とは違って、国王陛下の私の評価は悪い物ではないらしい。依然として夜の営みを行わない事に対して気にする様子はない。それどころか、私が世継ぎを生まなくても良いとまで考えているそうだ。
お父様は水面下で離婚の交渉を推し進めてくれているけれど、国王陛下は乗り気ではないらしい。お父様いわく、「何かを企んでいる」ようで。私はすぐに自由の身になれそうにない。
目の前に座るニコラス様を見る。彼はテーブルの花をじっと見つめていた。もしかしたら、レイチェル妃に思いを馳せているのかもしれない。
侍女達は私の気も知らないで、レイチェル妃の事をよく話してくれた。侍女達が言うには、ニコラス様は、最近よく、レイチェル妃に花を贈るそうだ。それを受け取った彼女はとても嬉しそうに笑うのだという。
サーシアス男爵夫人なんかは、その事が気に入らないらしい。
「自分が特別扱いされて、愛されている事に悦に浸る嫌な女」
そんな事を大声で言って、他の侍女達に窘められていた。
そんな意見を聞く度に、私は内心、みんなレイチェル妃の演技に騙されているのだと思った。
レイチェル妃は、ニコラス様を愛していないし、むしろ嫌っている。彼女が彼と一緒にいるのは、政治的な意味合いが大きいからだ。花のプレゼントだって、彼の妻という立場から、喜んだふりをしているだけだろう。彼女は負の感情を隠し、笑顔を作れる人だから。
食事を終えた彼は、席を立った。侍女に向かい、夜はこっちで寝るからと言い残して━━
憂鬱な気分が一気に押し寄せて、私は残りの料理を食べる気が失せてしまった。
私はシェフに申し訳ないと思いながら、料理を残し、自室へと戻った。
そうして自室に戻ると、サーシアス男爵夫人は「夜の準備をしましょう」とはりきっていた。
「まだ寝るには早い時間よ?」
笑って誤魔化したけれど、内心不快で堪らなかった。
「王太子殿下と久しぶりに夜を共にされるのですから。念入りに準備をなさりましょう」
私は首を振った。
「そんな事はしなくていいわ。いつも通りの時間にお風呂に入るから」
「でも……」
「やらないといけない用事もあるから。悪いけど一人にさせて」
私がそう言うと、彼女は不服そうにしながらも、部屋から出て行った。
一人になった部屋で私は一息吐くとソファーに座った。そして、ぼんやり天井を見つめながら、これからの苦痛なやり取りを憂いた。
━━どうかニコラス様が私の身体に触りませんように。
そんな祈りが頭の中をぐるぐると回る。
押し寄せてくる不安のせいで、じっとしていられなくなり、私は無意味に立ち上がった。そして、当て所なく部屋の中をうろうろして、デスクの前で立ち止まった。
私は引き出しを開けて、例の通信機を取り出す。
━━今すぐ、アーサー様の声を聞きたい。
彼と何でもない日常の話をしたかった。それから、最近、身の回りで起こった楽しい話をして。それから、魔導具の事を聞いて……。
私は首を振って自分の考えを振り払った。
今、不用意に連絡をしてしまっては、彼に迷惑をかけてしまう。それに、私とニコラス様の問題をアーサー様に依存して助けてもらうのは違うような気がした。
私は通信機を撫でてそっと引き出しの中に戻した。引き出しを閉じた音が部屋の中に響く。それに物寂しさを感じてしまったせいだろうか。私は未練がましく、デスクの前から中々離れられなかった。
結局、デスクの前から離れる事はできたけれど……。サーシアス男爵夫人が再びやって来るまでの間、頭の中でずっとアーサー様の事を考えていた。
「妃殿下、入浴のお時間です」
サーシアス男爵は緊張した面持ちで声をかけてきた。その顔を見て、さっきの私の態度が悪かったのだと反省した。
私は微笑んで返事をすると、陰鬱な気持ちを押し隠して浴室へと向かった。
浴室では、平静を装って明るく振る舞った。私達の問題を侍女達にぶつけてはいけないと思ったから。
でも、寝室でニコラス様と対峙した時には、私の顔は強張って動かなくなった。
「遅いよ」
ベッドに腰掛けたニコラス様は静かにつぶやいた。
「……何をぐずぐずしているんだ。さっさとこっちに来て」
彼との行為はしないとしても、ドアの前で立ち尽くしているわけにはいかない。分かっている事だけれど、足が動かなかった。
ニコラス様は、立ち上がると私の所まで来た。そして、私の腕を掴むとベッドまで連れて行こうとする。
嫌だと訴えても彼は何の躊躇もなく、私をベッドに突き飛ばした。
「結婚して1年が経った。そろそろ覚悟を決めてくれ」
私は下唇を噛んで首を横に振った。
しかし、ニコラス様は意に返さずに襲いかかろうとしてくる。
「やめて!」
私は、彼の腕を振り払った。
「エレノア、いい加減にしてくれ。世継ぎを作る事はお前に課せられた重要な使命だ」
「そんなの、私じゃなくてもいいじゃないですか」
「お前じゃなければだめだ」
「どうして……。あなたにはレイチェル妃がいるでしょう? 愛する人との子供が後を継いだ方がいいに決まってるじゃないですか」
「それを世間が許すとでも? 正統性を持つ母親の方がいいに決まっている」
彼は冷たく吐き捨てるとまた私に触ろうとしてくる。
「いやっ!」
じたばたと必死になって抵抗しても、ニコラス様はやめてくれなくて……。
「アーサー様……」
恐怖と嫌悪感の中、気がつけば私は、彼の名前を呼んでいた。
やがて1年の時が経ち、ニコラス様との結婚記念日を迎えた。
その夜、体裁を重んじる彼は私と食事を摂った。公の場を除けば、何ヶ月ぶりだろうか。
侍女達は、それを喜んでいたけれど、私にとっては地獄の時間に他ならなかった。
私達は、一言も交わさず食べ続けた。折角、シェフが腕によりをかけて作った料理も、この雰囲気の中では台無しだ。
でも、この最悪な雰囲気をわざわざ変えたいとは思えなかった。私は彼のために、何かをしたいと思う気持ちはもうとっくの昔に消えていたのだから。
━━早く、私に失望してくれないかしら。
お父様の予想とは違って、国王陛下の私の評価は悪い物ではないらしい。依然として夜の営みを行わない事に対して気にする様子はない。それどころか、私が世継ぎを生まなくても良いとまで考えているそうだ。
お父様は水面下で離婚の交渉を推し進めてくれているけれど、国王陛下は乗り気ではないらしい。お父様いわく、「何かを企んでいる」ようで。私はすぐに自由の身になれそうにない。
目の前に座るニコラス様を見る。彼はテーブルの花をじっと見つめていた。もしかしたら、レイチェル妃に思いを馳せているのかもしれない。
侍女達は私の気も知らないで、レイチェル妃の事をよく話してくれた。侍女達が言うには、ニコラス様は、最近よく、レイチェル妃に花を贈るそうだ。それを受け取った彼女はとても嬉しそうに笑うのだという。
サーシアス男爵夫人なんかは、その事が気に入らないらしい。
「自分が特別扱いされて、愛されている事に悦に浸る嫌な女」
そんな事を大声で言って、他の侍女達に窘められていた。
そんな意見を聞く度に、私は内心、みんなレイチェル妃の演技に騙されているのだと思った。
レイチェル妃は、ニコラス様を愛していないし、むしろ嫌っている。彼女が彼と一緒にいるのは、政治的な意味合いが大きいからだ。花のプレゼントだって、彼の妻という立場から、喜んだふりをしているだけだろう。彼女は負の感情を隠し、笑顔を作れる人だから。
食事を終えた彼は、席を立った。侍女に向かい、夜はこっちで寝るからと言い残して━━
憂鬱な気分が一気に押し寄せて、私は残りの料理を食べる気が失せてしまった。
私はシェフに申し訳ないと思いながら、料理を残し、自室へと戻った。
そうして自室に戻ると、サーシアス男爵夫人は「夜の準備をしましょう」とはりきっていた。
「まだ寝るには早い時間よ?」
笑って誤魔化したけれど、内心不快で堪らなかった。
「王太子殿下と久しぶりに夜を共にされるのですから。念入りに準備をなさりましょう」
私は首を振った。
「そんな事はしなくていいわ。いつも通りの時間にお風呂に入るから」
「でも……」
「やらないといけない用事もあるから。悪いけど一人にさせて」
私がそう言うと、彼女は不服そうにしながらも、部屋から出て行った。
一人になった部屋で私は一息吐くとソファーに座った。そして、ぼんやり天井を見つめながら、これからの苦痛なやり取りを憂いた。
━━どうかニコラス様が私の身体に触りませんように。
そんな祈りが頭の中をぐるぐると回る。
押し寄せてくる不安のせいで、じっとしていられなくなり、私は無意味に立ち上がった。そして、当て所なく部屋の中をうろうろして、デスクの前で立ち止まった。
私は引き出しを開けて、例の通信機を取り出す。
━━今すぐ、アーサー様の声を聞きたい。
彼と何でもない日常の話をしたかった。それから、最近、身の回りで起こった楽しい話をして。それから、魔導具の事を聞いて……。
私は首を振って自分の考えを振り払った。
今、不用意に連絡をしてしまっては、彼に迷惑をかけてしまう。それに、私とニコラス様の問題をアーサー様に依存して助けてもらうのは違うような気がした。
私は通信機を撫でてそっと引き出しの中に戻した。引き出しを閉じた音が部屋の中に響く。それに物寂しさを感じてしまったせいだろうか。私は未練がましく、デスクの前から中々離れられなかった。
結局、デスクの前から離れる事はできたけれど……。サーシアス男爵夫人が再びやって来るまでの間、頭の中でずっとアーサー様の事を考えていた。
「妃殿下、入浴のお時間です」
サーシアス男爵は緊張した面持ちで声をかけてきた。その顔を見て、さっきの私の態度が悪かったのだと反省した。
私は微笑んで返事をすると、陰鬱な気持ちを押し隠して浴室へと向かった。
浴室では、平静を装って明るく振る舞った。私達の問題を侍女達にぶつけてはいけないと思ったから。
でも、寝室でニコラス様と対峙した時には、私の顔は強張って動かなくなった。
「遅いよ」
ベッドに腰掛けたニコラス様は静かにつぶやいた。
「……何をぐずぐずしているんだ。さっさとこっちに来て」
彼との行為はしないとしても、ドアの前で立ち尽くしているわけにはいかない。分かっている事だけれど、足が動かなかった。
ニコラス様は、立ち上がると私の所まで来た。そして、私の腕を掴むとベッドまで連れて行こうとする。
嫌だと訴えても彼は何の躊躇もなく、私をベッドに突き飛ばした。
「結婚して1年が経った。そろそろ覚悟を決めてくれ」
私は下唇を噛んで首を横に振った。
しかし、ニコラス様は意に返さずに襲いかかろうとしてくる。
「やめて!」
私は、彼の腕を振り払った。
「エレノア、いい加減にしてくれ。世継ぎを作る事はお前に課せられた重要な使命だ」
「そんなの、私じゃなくてもいいじゃないですか」
「お前じゃなければだめだ」
「どうして……。あなたにはレイチェル妃がいるでしょう? 愛する人との子供が後を継いだ方がいいに決まってるじゃないですか」
「それを世間が許すとでも? 正統性を持つ母親の方がいいに決まっている」
彼は冷たく吐き捨てるとまた私に触ろうとしてくる。
「いやっ!」
じたばたと必死になって抵抗しても、ニコラス様はやめてくれなくて……。
「アーサー様……」
恐怖と嫌悪感の中、気がつけば私は、彼の名前を呼んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
兄様達の愛が止まりません!
桜
恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。
そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。
屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。
やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。
無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。
叔父の家には二人の兄がいた。
そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…
俺様上司に今宵も激しく求められる。
美凪ましろ
恋愛
鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。
蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。
ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。
「おまえの顔、えっろい」
神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。
――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。
**2026.01.02start~2026.01.17end**
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
婚約解消されたら隣にいた男に攫われて、強請るまで抱かれたんですけど?〜暴君の暴君が暴君過ぎた話〜
紬あおい
恋愛
婚約解消された瞬間「俺が貰う」と連れ去られ、もっとしてと強請るまで抱き潰されたお話。
連れ去った強引な男は、実は一途で高貴な人だった。
彼の巨大な体に覆われ、満たされ、貪られた——一晩中
桜井ベアトリクス
恋愛
妹を救出するため、一ヶ月かけて死の山脈を越え、影の沼地を泳ぎ、マンティコアとポーカー勝負までした私、ローズ。
やっと辿り着いた先で見たのは——フェイ王の膝の上で甘える妹の姿。
「助けなんていらないわよ?」
は?
しかも運命の光が私と巨漢戦士マキシマスの間で光って、「お前は俺のものだ」宣言。
「片手だけなら……」そう妥協したのに、ワイン一杯で理性が飛んだ。
彼の心臓の音を聞いた瞬間、私から飛びついて、その夜、彼のベッドで戦士のものになった。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
女の子がほとんど産まれない国に転生しました。
さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。
100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳
そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。
当面は2日に1話更新予定!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる