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2章 世界で一番嫌いな人
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「妃殿下……」
後ろをついてきた侍女達は困惑していた。サーシアス男爵夫人の目は怒りに燃えていた。彼女はレイチェル妃に対して思う所があるのだろう。しかし、それは、きっと私のそれとは違うものだと思う。
━━ 一人になりたい。
今の私は、サーシアス男爵夫人の出過ぎた発言を優しく窘める心の余裕はなかったから。それに、レイチェル妃の裏切りに対する憎悪と失望の気持ちを誰かに見せたくはなかった。
私は振り返ると、侍女達に向けて言った。
「疲れたから部屋に戻るわ。お昼寝をしようと思うから、誰も通さないでちょうだい」
精一杯の笑顔で取り繕うと、足早に自室へと戻った。
私は部屋に入るなり、ドアの鍵を閉めた。そして、デスクまで一直線に向かい、引き出しを開ける。大事に仕舞っていたアーサー様との通信機を手に取ると、じっと見つめた。
ずっと避けていた事の経緯の説明と謝罪を、今ならできそうな気がする。
━━必要な事だけを伝えるのよ。
ニコラス様との結婚生活が辛いとか、レイチェル妃に裏切られたとか。そんな私の事情を話したら、アーサー様を困らせてしまうから。
私は言うべき事を頭で復唱してから、通信機のボタンを押した。
数回の点滅の後、彼の声が聞こえた。
「こんにちは」
アーサー様は静かに言った。
「こんにちは。今、お話しても大丈夫ですか」
「うん……。どうしたの?」
心なしかその返答は、心配されているような気がして、申し訳ない気持ちになった。
「あの……。ごめんなさい。アーサー様に迷惑をかけてしまうかもしれないんです」
「……どういう事かな?」
「実は……」
ベッドの上で無理強いをさせられそうになって、誤ってアーサー様の名前を呼んでしまった事を伝えた。
「それは……」
アーサー様は返答に困っているようだった。
「本当にごめんなさい。誤解を招くような発言をしてしまって……。ニコラス様はこの事を言いふらさないでしょうが、これ以上は、変な疑惑を持たれるような発言はしないようにしますから」
「うん……」
アーサー様は怒っているのだろうか。いつもより低い声で短く返事をした。
「あの……。ごめんなさい」
「謝らないで」
「でも……」
「大丈夫。怒ってないから。俺はただ、君が心配なだけ」
━━この人は、どこまで私を思ってくれるのだろう。
疲れ切った私の心に彼の優しさが沁み込み、じんわりと涙が浮かんだ。
「ねえ、聞いてもいい?」
「……はい」
「君が俺の名前を呼んだのは、この間のパーティーで、俺が言った事が関係してる?」
違いますと言いたかったけれど、湧き出しそうな涙を堪えているせいで、声が出なかった。
「やっぱり……」
彼はつぶやくと黙ってしまった。
「エレノア妃、君は今、幸せ?」
突然の彼の問いに、私は鼻の奥がつんとなっているのに堪えながら答えた。
「いいえ……。私はこれからも、ニコラス様が夫であるうちは、幸せになれないでしょう」
言っていて、自分が馬鹿だと思った。あれ程、自分の話はしないでおこうと思っていたのに。こうやって、吐き出してしまえば、アーサー様に気を遣わせてしまう。
「ごめんなさい……。これ以上、迷惑を掛けたくないので、今のは聞かなかった事にして下さい」
嗚咽混じりになりながらも何とか言い切った。それで通話を切ろうとしたら、アーサー様は「それは無理かな」とつぶやいた。
「俺はどんな形であれ、君には幸せになって欲しいから。聞かなかった事になんてできないよ」
「アーサー様……」
「君がニコラスと離婚できるように、俺も便宜を図るから……。だから、どうか、悲しまないで欲しい」
喜ぶべき励ましの言葉なのに。私は心の奥底で不満が湧き出るのを感じた。それは、きっと、彼が私を「好き」と言ってくれないから。
仕方のない事だと頭では分かっている。彼には、エイメル大公という立場があるのだ。ロズウェル王国の王太子妃と不倫関係になるような台詞は発せられないだろう。
━━ないものねだりをしないで、感謝をしなくちゃ。
私は涙を乱暴に拭った。
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
「そんな事言わないで……」
「ダメです。私のせいで、アーサー様の国王陛下からの心象が悪くなったら……。アーサー様だけでなく、沢山の人に迷惑をかけてしまいますから」
アーサー様の唸る声がわずかに聞こえた。
「ごめん、頼りにならなくて」
「いいえ。……辛い王宮での生活を堪えられたのは、アーサー様のおかげです。私はずっと頼りにしていました」
「そうか……。一助になれているのなら、良かったよ」
「あの……。また、会ってくれますよね」
「勿論だよ。俺達は、……友人、だろう?」
「……はい」
「また何かあったら、こうやって話をしよう。辛い時に話を聞く事くらいならできるから……」
「はい」
「……それじゃ、切るね」
「はい。ありがとうございました」
通話が終わると、しんと部屋の中が静まり返る。心の内に溜め込んだ思いを吐き出したおかげだろうか。その静けさがほんの少しだけ心地良いものに感じられた。
後ろをついてきた侍女達は困惑していた。サーシアス男爵夫人の目は怒りに燃えていた。彼女はレイチェル妃に対して思う所があるのだろう。しかし、それは、きっと私のそれとは違うものだと思う。
━━ 一人になりたい。
今の私は、サーシアス男爵夫人の出過ぎた発言を優しく窘める心の余裕はなかったから。それに、レイチェル妃の裏切りに対する憎悪と失望の気持ちを誰かに見せたくはなかった。
私は振り返ると、侍女達に向けて言った。
「疲れたから部屋に戻るわ。お昼寝をしようと思うから、誰も通さないでちょうだい」
精一杯の笑顔で取り繕うと、足早に自室へと戻った。
私は部屋に入るなり、ドアの鍵を閉めた。そして、デスクまで一直線に向かい、引き出しを開ける。大事に仕舞っていたアーサー様との通信機を手に取ると、じっと見つめた。
ずっと避けていた事の経緯の説明と謝罪を、今ならできそうな気がする。
━━必要な事だけを伝えるのよ。
ニコラス様との結婚生活が辛いとか、レイチェル妃に裏切られたとか。そんな私の事情を話したら、アーサー様を困らせてしまうから。
私は言うべき事を頭で復唱してから、通信機のボタンを押した。
数回の点滅の後、彼の声が聞こえた。
「こんにちは」
アーサー様は静かに言った。
「こんにちは。今、お話しても大丈夫ですか」
「うん……。どうしたの?」
心なしかその返答は、心配されているような気がして、申し訳ない気持ちになった。
「あの……。ごめんなさい。アーサー様に迷惑をかけてしまうかもしれないんです」
「……どういう事かな?」
「実は……」
ベッドの上で無理強いをさせられそうになって、誤ってアーサー様の名前を呼んでしまった事を伝えた。
「それは……」
アーサー様は返答に困っているようだった。
「本当にごめんなさい。誤解を招くような発言をしてしまって……。ニコラス様はこの事を言いふらさないでしょうが、これ以上は、変な疑惑を持たれるような発言はしないようにしますから」
「うん……」
アーサー様は怒っているのだろうか。いつもより低い声で短く返事をした。
「あの……。ごめんなさい」
「謝らないで」
「でも……」
「大丈夫。怒ってないから。俺はただ、君が心配なだけ」
━━この人は、どこまで私を思ってくれるのだろう。
疲れ切った私の心に彼の優しさが沁み込み、じんわりと涙が浮かんだ。
「ねえ、聞いてもいい?」
「……はい」
「君が俺の名前を呼んだのは、この間のパーティーで、俺が言った事が関係してる?」
違いますと言いたかったけれど、湧き出しそうな涙を堪えているせいで、声が出なかった。
「やっぱり……」
彼はつぶやくと黙ってしまった。
「エレノア妃、君は今、幸せ?」
突然の彼の問いに、私は鼻の奥がつんとなっているのに堪えながら答えた。
「いいえ……。私はこれからも、ニコラス様が夫であるうちは、幸せになれないでしょう」
言っていて、自分が馬鹿だと思った。あれ程、自分の話はしないでおこうと思っていたのに。こうやって、吐き出してしまえば、アーサー様に気を遣わせてしまう。
「ごめんなさい……。これ以上、迷惑を掛けたくないので、今のは聞かなかった事にして下さい」
嗚咽混じりになりながらも何とか言い切った。それで通話を切ろうとしたら、アーサー様は「それは無理かな」とつぶやいた。
「俺はどんな形であれ、君には幸せになって欲しいから。聞かなかった事になんてできないよ」
「アーサー様……」
「君がニコラスと離婚できるように、俺も便宜を図るから……。だから、どうか、悲しまないで欲しい」
喜ぶべき励ましの言葉なのに。私は心の奥底で不満が湧き出るのを感じた。それは、きっと、彼が私を「好き」と言ってくれないから。
仕方のない事だと頭では分かっている。彼には、エイメル大公という立場があるのだ。ロズウェル王国の王太子妃と不倫関係になるような台詞は発せられないだろう。
━━ないものねだりをしないで、感謝をしなくちゃ。
私は涙を乱暴に拭った。
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
「そんな事言わないで……」
「ダメです。私のせいで、アーサー様の国王陛下からの心象が悪くなったら……。アーサー様だけでなく、沢山の人に迷惑をかけてしまいますから」
アーサー様の唸る声がわずかに聞こえた。
「ごめん、頼りにならなくて」
「いいえ。……辛い王宮での生活を堪えられたのは、アーサー様のおかげです。私はずっと頼りにしていました」
「そうか……。一助になれているのなら、良かったよ」
「あの……。また、会ってくれますよね」
「勿論だよ。俺達は、……友人、だろう?」
「……はい」
「また何かあったら、こうやって話をしよう。辛い時に話を聞く事くらいならできるから……」
「はい」
「……それじゃ、切るね」
「はい。ありがとうございました」
通話が終わると、しんと部屋の中が静まり返る。心の内に溜め込んだ思いを吐き出したおかげだろうか。その静けさがほんの少しだけ心地良いものに感じられた。
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