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2章 世界で一番嫌いな人
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※
次の日の朝、珍しい事にレイチェル妃から面会を求められた。
私達は“ニコラス様の妻”という立場だから、公務に関する事で定期的に話し合いをしていた。けれど、誘うのはいつも私の方で、彼女から「会おう」と言われた事はなかった。
━━どういう風の吹き回しなのかしら?
そう思ってしまう自分に嫌気が差した。私は軽く頭を振ると、「しばらくは忙しいから会えない」と断った。今、彼女に接触すれば、彼女に酷い事をしてしまいそうな気がしたからだ。
それ以来、レイチェル妃は直接的に接触を持とうとしなかった。いつものように声をかけられるのを待っていたのかもしれない。
1ヶ月以上の時が経っても私は相変わらず、彼女と話をしたいと思わなかった。だから、彼女の要請など忘れたふりをして過ごしていた。けれど、彼女は、ローズ王女殿下を通して、私に接触を図ろうとしてきた。
「レイチェル妃があなたの事を心配していたわ」
お茶の席でローズ王女殿下は静かに言った。
珍しく、ベッキーがいないと思ったけれど……。私と込み入った話をするつもりでいるらしい。
「心配されるような事は何も……」
私は湧き上がってくる不快な気持ちを押し込めるようにお茶を飲んだ。
「そう……。彼女は会いたがっているけど、彼女とは話をするつもりはないのね」
王女殿下は苦笑した。
「ええ。忙しいので時間に余裕がないのです」
「あらあら……。エレノア妃に嫌われるだなんて。やっぱりあの子は悪人ね」
彼女はそう言って笑う。思わぬ評価に、カップを持つ手が止まった。
「意外です。ローズ王女殿下はレイチェル妃の事をお好きなのだと思っていました」
「あら? 好きよ?」
王女殿下は満面の笑みで言った。
「え……? でも、悪人だって……」
「悪人との会話は腹の読み合いができて楽しいの。レイチェル妃は特に素直じゃないから……」
そうやってコロコロと笑って話せるのは、彼女が「社交界の薔薇」の異名を持つからだろうか。私にはそんなコミュニケーションはとてもじゃないけれど、堪えられない。
ローズ王女殿下は一通り笑うと、私を見据えた。
「勿論、エレノア妃の事も好きよ。あなたの真心と純真さには、癒されるから」
「はあ……」
「だから、私はどちらの妃の事も大切に思っているし、片方に肩入れする事もないわ」
「そうですか……」
薄々感じ取っていたけれど、彼女のスタンスを宣言されるのは初めての事だった。
「だから、『レイチェル妃に会うように』とは、言わない。私はあの子への義理を果たしたのだから、後はあなたの意志に委ねるわ」
「はい」
難しい話はそれで終わったと思ったのも束の間。王女殿下はお茶を一口飲むと真剣な眼差しを私に向けた。
「ここからは、私とあなたの内緒話なのだけれど……。レイチェル妃と会いたくないのは、アーサーお兄様が関係している?」
「……」
その質問には、答えたくなかった。ローズ王女殿下とは、親しくさせてもらっているけれど、その話をするには、数々の秘密を打ち明けなければならない。
━━何て誤魔化そう。
そう考えている間に、王女殿下はふっと笑った。
「エレノア妃は“悪人”ではないから、答えが顔に出ているわ」
レイチェル妃なら隠し通せたと言われているような気がして、嫌な気持ちになった。
「この間、アーサーお兄様にお願いされたの。エレノア妃を助けてあげて欲しいって。『何を?』って聞いたら、『ニコラスから守って』って言ったのよ?」
人一倍、言葉に気を付けているアーサー様にしては踏み込んだ発言だと思った。親しい間柄とはいえ、私のために王女殿下にそんなお願いをするだなんて……。一歩間違えれば、国王陛下から顰蹙を買ってしまうかもしれないのに。
「王女殿下は、その話を聞いて、どうするつもりなのですか」
「“助けられる事は助ける”。言える事はこのくらいね。私にも立場があるから」
彼女はそう言うと、静かにお茶を飲んだ。
━━離婚をしたいと素直に言えば、協力してくれるかしら?
そんな考えが頭に過ったけれど、彼女は立場を守るために明言を避けたのだ。親切な人ではあるけれど、私のために面倒事を起こす真似はしないだろう。
ローズ王女殿下がティーカップを受け皿に戻した。
「今、私にできる事は些細な忠告だけ」
「はい」
「ニコラスとの関係はこれ以上、悪くしないようにしてね。あの子は我慢強いけれど、その分、溜め込んだストレスが謀略に変わるかもしれないから」
“バッドエンド”が思い浮かんで、鳥肌が立った。
「もしかして、あの子の本性を知ってる?」
「ええ……、はい。学生時代に、ニコラス様にとって都合の良いタイミングで変な噂を流された同級生がいましたから……」
「まあ、気付いてたの」
ローズ王女殿下は軽く受け流すと、話を本題に戻した。
「それから、あなたの評判は上げすぎても下げ過ぎても駄目」
それは何となく分かる。周囲の評判を上げ過ぎれば、王太子妃の座から降ろしてくれなくなるし、下げ過ぎればモニャーク家に大きな迷惑をかけてしまいそうだ。
「後は水面下で交渉をしつつ、機を窺う事ね。今言えるのはこれくらいね」
「はい」
「私にできる事は少ないけれど……。悩みを聞く事くらいはできるから。頼ってくれると嬉しいわ」
そう言ってはにかむ彼女は、やっぱり良い人なのだと思った。
次の日の朝、珍しい事にレイチェル妃から面会を求められた。
私達は“ニコラス様の妻”という立場だから、公務に関する事で定期的に話し合いをしていた。けれど、誘うのはいつも私の方で、彼女から「会おう」と言われた事はなかった。
━━どういう風の吹き回しなのかしら?
そう思ってしまう自分に嫌気が差した。私は軽く頭を振ると、「しばらくは忙しいから会えない」と断った。今、彼女に接触すれば、彼女に酷い事をしてしまいそうな気がしたからだ。
それ以来、レイチェル妃は直接的に接触を持とうとしなかった。いつものように声をかけられるのを待っていたのかもしれない。
1ヶ月以上の時が経っても私は相変わらず、彼女と話をしたいと思わなかった。だから、彼女の要請など忘れたふりをして過ごしていた。けれど、彼女は、ローズ王女殿下を通して、私に接触を図ろうとしてきた。
「レイチェル妃があなたの事を心配していたわ」
お茶の席でローズ王女殿下は静かに言った。
珍しく、ベッキーがいないと思ったけれど……。私と込み入った話をするつもりでいるらしい。
「心配されるような事は何も……」
私は湧き上がってくる不快な気持ちを押し込めるようにお茶を飲んだ。
「そう……。彼女は会いたがっているけど、彼女とは話をするつもりはないのね」
王女殿下は苦笑した。
「ええ。忙しいので時間に余裕がないのです」
「あらあら……。エレノア妃に嫌われるだなんて。やっぱりあの子は悪人ね」
彼女はそう言って笑う。思わぬ評価に、カップを持つ手が止まった。
「意外です。ローズ王女殿下はレイチェル妃の事をお好きなのだと思っていました」
「あら? 好きよ?」
王女殿下は満面の笑みで言った。
「え……? でも、悪人だって……」
「悪人との会話は腹の読み合いができて楽しいの。レイチェル妃は特に素直じゃないから……」
そうやってコロコロと笑って話せるのは、彼女が「社交界の薔薇」の異名を持つからだろうか。私にはそんなコミュニケーションはとてもじゃないけれど、堪えられない。
ローズ王女殿下は一通り笑うと、私を見据えた。
「勿論、エレノア妃の事も好きよ。あなたの真心と純真さには、癒されるから」
「はあ……」
「だから、私はどちらの妃の事も大切に思っているし、片方に肩入れする事もないわ」
「そうですか……」
薄々感じ取っていたけれど、彼女のスタンスを宣言されるのは初めての事だった。
「だから、『レイチェル妃に会うように』とは、言わない。私はあの子への義理を果たしたのだから、後はあなたの意志に委ねるわ」
「はい」
難しい話はそれで終わったと思ったのも束の間。王女殿下はお茶を一口飲むと真剣な眼差しを私に向けた。
「ここからは、私とあなたの内緒話なのだけれど……。レイチェル妃と会いたくないのは、アーサーお兄様が関係している?」
「……」
その質問には、答えたくなかった。ローズ王女殿下とは、親しくさせてもらっているけれど、その話をするには、数々の秘密を打ち明けなければならない。
━━何て誤魔化そう。
そう考えている間に、王女殿下はふっと笑った。
「エレノア妃は“悪人”ではないから、答えが顔に出ているわ」
レイチェル妃なら隠し通せたと言われているような気がして、嫌な気持ちになった。
「この間、アーサーお兄様にお願いされたの。エレノア妃を助けてあげて欲しいって。『何を?』って聞いたら、『ニコラスから守って』って言ったのよ?」
人一倍、言葉に気を付けているアーサー様にしては踏み込んだ発言だと思った。親しい間柄とはいえ、私のために王女殿下にそんなお願いをするだなんて……。一歩間違えれば、国王陛下から顰蹙を買ってしまうかもしれないのに。
「王女殿下は、その話を聞いて、どうするつもりなのですか」
「“助けられる事は助ける”。言える事はこのくらいね。私にも立場があるから」
彼女はそう言うと、静かにお茶を飲んだ。
━━離婚をしたいと素直に言えば、協力してくれるかしら?
そんな考えが頭に過ったけれど、彼女は立場を守るために明言を避けたのだ。親切な人ではあるけれど、私のために面倒事を起こす真似はしないだろう。
ローズ王女殿下がティーカップを受け皿に戻した。
「今、私にできる事は些細な忠告だけ」
「はい」
「ニコラスとの関係はこれ以上、悪くしないようにしてね。あの子は我慢強いけれど、その分、溜め込んだストレスが謀略に変わるかもしれないから」
“バッドエンド”が思い浮かんで、鳥肌が立った。
「もしかして、あの子の本性を知ってる?」
「ええ……、はい。学生時代に、ニコラス様にとって都合の良いタイミングで変な噂を流された同級生がいましたから……」
「まあ、気付いてたの」
ローズ王女殿下は軽く受け流すと、話を本題に戻した。
「それから、あなたの評判は上げすぎても下げ過ぎても駄目」
それは何となく分かる。周囲の評判を上げ過ぎれば、王太子妃の座から降ろしてくれなくなるし、下げ過ぎればモニャーク家に大きな迷惑をかけてしまいそうだ。
「後は水面下で交渉をしつつ、機を窺う事ね。今言えるのはこれくらいね」
「はい」
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そう言ってはにかむ彼女は、やっぱり良い人なのだと思った。
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