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2章 世界で一番嫌いな人
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張り詰められた無音の中で、私はさっきの態度を謝るべきだと分かっていた。けれど、そうしてしまえば、彼女に言いくるめられてしまって、ニコラス様との離婚が遠ざかってしまう。
引くに引けない状況の中で、私は重い沈黙を誤魔化すためにお茶を飲んだ。
━━やっぱり、心が休まらないわ。
レイチェル妃はこれでリラックスしているのが、とても信じられなかった。
そんな中、レイチェル妃が重い口火を切った。
「“バッドエンド”とおっしゃいましたよね?」
「ええ……。今の日々はそう言っても過言じゃないくらい、私にとって辛いのです」
人をこんなにも嫌いになるとは思わなかった。
他人の幸せを見て、苦しくなるなんて生まれて初めてだった。
「このままだと、私はもっとおかしくなってしまいそうで……。一刻も早く別れたいんです」
━━そうしないと、私はニコラス様とレイチェル妃の幸せを壊してしまいそうな気がする。
それは、言葉にはできなかったけれど、彼女には伝わったような気がした。
レイチェル妃は俯き、またしばらく黙った。私が何を言えばいいのかと迷い始めた時、彼女は再び口を開いた。
「仮にニコラス殿下との離婚が成立したとしても、あなたの行き着く先がハッピーエンドではない可能性の方が遥かに高いですよ」
「構いません」
「別の形のバッドエンドでも?」
「例えそうだったとしても、ニコラス様のもとにいるよりかはマシです」
言い切るとレイチェル妃は苦笑した。
「そう。それなら、妃殿下には船を降りてもらいます」
意味ありげなそれを私が指摘する前に、彼女は話を始めた。
「モニャーク公爵は国王陛下に離婚の申し出をしたけれど、反応は芳しくないのでしょう?」
「どうして、それを?」
「そうじゃなければ、私の所にまでやって来ないでしょうから」
レイチェル妃は笑うとお茶を飲んだ。目を閉じて一息吐くと彼女は私を見た。
「陛下はきっと、モニャーク家が提示した慰謝料に満足されていないのでしょう。私の時がそうでしたから」
「そうかもしれませんが、これ以上はモニャーク家としては支払えない金額なのです」
「おそらく、お金では解決できないでしょうね。ロズウェル王国の王太子であるニコラス殿下の名誉は、決して安くはありませんから。それに、陛下からしてみれば、隅に追いやった王弟にこれ以上、何かを与えるのも面白くないのでしょう」
「……では、陛下は私達の離婚を認めて下さる事はないと?」
「いいえ。そんな事はないと思いますよ。陛下は優れた統治者ですから」
彼女はそう言うと、私をじっと見つめた。
「妃殿下は陛下に……、いいえ。ロズウェル王国に莫大な富を与える事を約束するのです」
「え、でも……。モニャーク家のお金では満足されないと、言ったじゃないですか」
レイチェル妃は私をからかっているのかと思ったけれど、彼女の目は真剣だった。
「渡せる物はお金だけではないですよ? それに、あなたの物である必要もない」
それが何なのか考えあぐねていると、彼女は続けた。
「妃殿下がこのままニコラス殿下の妻でいるより、アーサー殿下の妻になる事の方がこの国に利益をもたらすと、国王陛下を説得するのです」
私がアーサー殿下の妻になったとして、ロズウェル王国に何のメリットがあるのだろう?
「まだ分かりませんか」
レイチェル妃は、嘲笑とも苦笑ともいえるような表情を作った。
「アーサー殿下に、魔導技術の権益を差し出させるのです。そして、モニャーク家からもそれ相応の慰謝料を提示すれば……。陛下はきっと納得されるでしょう」
穏やかにそう言った彼女を見つめながら、私は絶句してしまった。
━━魔導技術の権益を差し出す?
それは、アーサー様が10年以上に渡って育てて来た物だ。彼がエイメル大公となれたのも、魔導技術のおかげだと言っても過言ではない。
アーサー様は、これまでの交流で、沢山の話をしてくれた。彼は魔導技術を使って国を発展させるのだと。国力をもっと付けることで、下々の人々の暮らしをより良いものにしたいと夢を語っていた。
それなのに、それを国王陛下に、……ロズウェル王国に譲れと言うの?
「そんなの、できないです……」
「アーサー殿下からの援助は望めないと?」
「違います!」
むしろアーサー様は、頼めばあっさりと差し出してくれるはずだ。彼は、優しくて、いつでも私を思ってくれているから。
そんな人から、大切な物を奪うだなんて。私は━━
「現状を変えたいのなら、今言った事を陛下に訴えて下さい。そうする事でしか、あなたの望む未来は起こり得ませんよ」
「でも……」
「アーサー殿下が妃殿下の事を心から愛しているのなら、魔導技術の権益を譲る事なんて、安い物でしょう。例え今持っている物を失っても、また作る機会はいくらでもあるのですから」
「そんな風に、簡単に言わないで下さい!」
私が怒鳴ると、彼女はキッと睨み付けてきた。
「愛する人が暗い檻の中に閉じ込められていて、出ていきたいと望んでいるのなら、それを叶えてあげたいと思うのは当然ではないでしょうか。そして、もし、出ていくチャンスがあるのなら、私はそれを見逃さない。私財を全て投げ売ってでも、助けるでしょう。本当に愛しているならね!」
愛を否定し、政治的な意図に沿って生きてきた人から出るとは思えない発言。彼女はニコラス様を愛し、変わった事に自分自身で気付いているのだろうか。
でも、それを伝える気にもならなくて。私は、お礼を言って、話し合いを終わらせた。
引くに引けない状況の中で、私は重い沈黙を誤魔化すためにお茶を飲んだ。
━━やっぱり、心が休まらないわ。
レイチェル妃はこれでリラックスしているのが、とても信じられなかった。
そんな中、レイチェル妃が重い口火を切った。
「“バッドエンド”とおっしゃいましたよね?」
「ええ……。今の日々はそう言っても過言じゃないくらい、私にとって辛いのです」
人をこんなにも嫌いになるとは思わなかった。
他人の幸せを見て、苦しくなるなんて生まれて初めてだった。
「このままだと、私はもっとおかしくなってしまいそうで……。一刻も早く別れたいんです」
━━そうしないと、私はニコラス様とレイチェル妃の幸せを壊してしまいそうな気がする。
それは、言葉にはできなかったけれど、彼女には伝わったような気がした。
レイチェル妃は俯き、またしばらく黙った。私が何を言えばいいのかと迷い始めた時、彼女は再び口を開いた。
「仮にニコラス殿下との離婚が成立したとしても、あなたの行き着く先がハッピーエンドではない可能性の方が遥かに高いですよ」
「構いません」
「別の形のバッドエンドでも?」
「例えそうだったとしても、ニコラス様のもとにいるよりかはマシです」
言い切るとレイチェル妃は苦笑した。
「そう。それなら、妃殿下には船を降りてもらいます」
意味ありげなそれを私が指摘する前に、彼女は話を始めた。
「モニャーク公爵は国王陛下に離婚の申し出をしたけれど、反応は芳しくないのでしょう?」
「どうして、それを?」
「そうじゃなければ、私の所にまでやって来ないでしょうから」
レイチェル妃は笑うとお茶を飲んだ。目を閉じて一息吐くと彼女は私を見た。
「陛下はきっと、モニャーク家が提示した慰謝料に満足されていないのでしょう。私の時がそうでしたから」
「そうかもしれませんが、これ以上はモニャーク家としては支払えない金額なのです」
「おそらく、お金では解決できないでしょうね。ロズウェル王国の王太子であるニコラス殿下の名誉は、決して安くはありませんから。それに、陛下からしてみれば、隅に追いやった王弟にこれ以上、何かを与えるのも面白くないのでしょう」
「……では、陛下は私達の離婚を認めて下さる事はないと?」
「いいえ。そんな事はないと思いますよ。陛下は優れた統治者ですから」
彼女はそう言うと、私をじっと見つめた。
「妃殿下は陛下に……、いいえ。ロズウェル王国に莫大な富を与える事を約束するのです」
「え、でも……。モニャーク家のお金では満足されないと、言ったじゃないですか」
レイチェル妃は私をからかっているのかと思ったけれど、彼女の目は真剣だった。
「渡せる物はお金だけではないですよ? それに、あなたの物である必要もない」
それが何なのか考えあぐねていると、彼女は続けた。
「妃殿下がこのままニコラス殿下の妻でいるより、アーサー殿下の妻になる事の方がこの国に利益をもたらすと、国王陛下を説得するのです」
私がアーサー殿下の妻になったとして、ロズウェル王国に何のメリットがあるのだろう?
「まだ分かりませんか」
レイチェル妃は、嘲笑とも苦笑ともいえるような表情を作った。
「アーサー殿下に、魔導技術の権益を差し出させるのです。そして、モニャーク家からもそれ相応の慰謝料を提示すれば……。陛下はきっと納得されるでしょう」
穏やかにそう言った彼女を見つめながら、私は絶句してしまった。
━━魔導技術の権益を差し出す?
それは、アーサー様が10年以上に渡って育てて来た物だ。彼がエイメル大公となれたのも、魔導技術のおかげだと言っても過言ではない。
アーサー様は、これまでの交流で、沢山の話をしてくれた。彼は魔導技術を使って国を発展させるのだと。国力をもっと付けることで、下々の人々の暮らしをより良いものにしたいと夢を語っていた。
それなのに、それを国王陛下に、……ロズウェル王国に譲れと言うの?
「そんなの、できないです……」
「アーサー殿下からの援助は望めないと?」
「違います!」
むしろアーサー様は、頼めばあっさりと差し出してくれるはずだ。彼は、優しくて、いつでも私を思ってくれているから。
そんな人から、大切な物を奪うだなんて。私は━━
「現状を変えたいのなら、今言った事を陛下に訴えて下さい。そうする事でしか、あなたの望む未来は起こり得ませんよ」
「でも……」
「アーサー殿下が妃殿下の事を心から愛しているのなら、魔導技術の権益を譲る事なんて、安い物でしょう。例え今持っている物を失っても、また作る機会はいくらでもあるのですから」
「そんな風に、簡単に言わないで下さい!」
私が怒鳴ると、彼女はキッと睨み付けてきた。
「愛する人が暗い檻の中に閉じ込められていて、出ていきたいと望んでいるのなら、それを叶えてあげたいと思うのは当然ではないでしょうか。そして、もし、出ていくチャンスがあるのなら、私はそれを見逃さない。私財を全て投げ売ってでも、助けるでしょう。本当に愛しているならね!」
愛を否定し、政治的な意図に沿って生きてきた人から出るとは思えない発言。彼女はニコラス様を愛し、変わった事に自分自身で気付いているのだろうか。
でも、それを伝える気にもならなくて。私は、お礼を言って、話し合いを終わらせた。
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