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2章 世界で一番嫌いな人
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それから2週間、私は考え続けた。
ローズ王女殿下は、どこから聞き付けたのか、私がレイチェル妃を呼び付けてお茶をした事を知っていた。流石にその内容までは分からなかったらしく、質問をされた。私は、胸の中に残った後ろめたさを吐き出す意味も込めて、王女殿下に話をした。
酷い言葉を投げかけたあの日以来、レイチェル妃の様子はおかしくなっていった。
化粧をしていても顔色は青白く、彼女は見るからに体調を悪くしていた。
しかし、ローズ王女殿下はそれを重く受け止めなかった。それよりも彼女は、国王陛下に行う交渉に着目していた。
「ロズウェル王国王太子妃と引き換えに魔導技術の特許権を得る……か。多少の不名誉とスキャンダルは否めないけれど、それでもお父様からしてみれば悪くない条件ね」
王女殿下はつぶやくと、俯いて真剣な顔で考え込み始めた。いつもみたく、何か助言をくれるのかと思ったけれど、そんな事はなかった。やはりこの問題は私自身が決めるべき事なのだと改めて思い知らされた。
お茶が終わった後、私は自室に戻ってまた考え込んだ。
自由になりたいけれど、アーサー様に迷惑をかけたくない。彼の夢を奪い、今までの功績を台無しにするような事は絶対にしたくない。私は彼にそこまでしてもらえる程の価値のある人間じゃないから━━
心の奥に暗い影が落ちた時、扉がノックされた。
「妃殿下、お伝えしたい事がございます」
扉越しの侍女の言葉に、私は「どうぞ」と返事をした。老年の侍女は神妙な面持ちで部屋に入るとこう言った。
「サーシアス男爵夫人が、野盗に襲われて亡くなりました」
絶句する私に彼女は続けた。
「金品を強奪された上、遺体の目は抉り取られていたそうです」
ニコラス様の仕業だと、直感的に思った。
サーシアス男爵夫人が、レイチェル妃の裸を見たから、男爵夫人に報復をしたのだろう。レイチェル妃がそれを望んでいるかどうかは、彼にとっては重要な事ではなかったらしい。
自分勝手で残虐な彼の行いにめまいを覚える中、侍女は静かに言った。
「ニコラス殿下からの言伝なのですが。サーシアス男爵夫人は少し前まで妃殿下に仕えていた方ですので、お悔やみの手紙を出すようにと、おっしゃっていました」
━━わざとらしい事を……。
彼は彼女の主人である私を責め立てるために、侍女にこんな伝言をしたのだろうと思うと、吐き気がした。
「……そうね。後で書くから取りに来てちょうだい」
「かしこまりました」
侍女が部屋を後にすると、デスクの前に座った。
便箋に哀悼の意を綴ろうとした。けれど、胸の奥からじわじわと込み上げる感情のせいで、言葉が全く出てこない。
やがて、吐き気と怒りと悲しみが絡み合い、喉の奥を何度も内側から引き裂かれるようだった。思わず机の上のインク壺を払ってしまい、黒い液体が木の天板に広がった。それを拭き取ろうとしたら、手のひらがどす黒く濡れた。その汚れがニコラス様の心の淀みのように思えて、気持ち悪かった。
━━ここで生きていかなければならないのに。
苦しさのあまり目を閉じると、アーサー様の優しい笑顔が浮かんだ。
いつも穏やかで優しい愛おしい人。彼の夢を……。国を変えたいと願う、真っ直ぐなその信念を、私の自由のために犠牲にするわけにはいかない。
私は乱暴にインク汚れを拭うと、震える手で、手紙の用紙を引き寄せた。今はニコラス様の指示に従っていた方がいいから。反抗的と見做されたら、何をされるか分かったものじゃない。もし、他の侍女や、サーシアス男爵夫人の家族なんかに報復される事になったらと思うと、後悔してもしきれないから。
でも、頭では書くと決めたのに、ペンを取る手は一向に進まなかった。
━━書けない。……書きたくない。
サーシアス男爵夫人のためにも、心から冥福を祈りたいと思っているはずなのに。ニコラス様の顔が頭に浮かんで、そのたびに指が強張る。
そんな時だった。再びノックの音がしたのは━━
「……誰?」
「失礼します。レイチェル妃様より、手紙をお預かりしております」
扉の外から聞こえたその声に、鼓動が一瞬、跳ね上がった。
私は重たい腰を上げてゆっくりと席を立つと扉を開けた。そこにいたのはレイチェル妃の専属侍女で、彼女は静かに封筒を差し出した。
白くて上品な便箋。シンプルなそれはレイチェル妃らしくもあり、不思議と威厳を感じさせられた。
「では……」
侍女はそれだけを言うと、すぐに踵を返した。私はデスクに戻ると、息を呑んで封を開けた。
それから2週間、私は考え続けた。
ローズ王女殿下は、どこから聞き付けたのか、私がレイチェル妃を呼び付けてお茶をした事を知っていた。流石にその内容までは分からなかったらしく、質問をされた。私は、胸の中に残った後ろめたさを吐き出す意味も込めて、王女殿下に話をした。
酷い言葉を投げかけたあの日以来、レイチェル妃の様子はおかしくなっていった。
化粧をしていても顔色は青白く、彼女は見るからに体調を悪くしていた。
しかし、ローズ王女殿下はそれを重く受け止めなかった。それよりも彼女は、国王陛下に行う交渉に着目していた。
「ロズウェル王国王太子妃と引き換えに魔導技術の特許権を得る……か。多少の不名誉とスキャンダルは否めないけれど、それでもお父様からしてみれば悪くない条件ね」
王女殿下はつぶやくと、俯いて真剣な顔で考え込み始めた。いつもみたく、何か助言をくれるのかと思ったけれど、そんな事はなかった。やはりこの問題は私自身が決めるべき事なのだと改めて思い知らされた。
お茶が終わった後、私は自室に戻ってまた考え込んだ。
自由になりたいけれど、アーサー様に迷惑をかけたくない。彼の夢を奪い、今までの功績を台無しにするような事は絶対にしたくない。私は彼にそこまでしてもらえる程の価値のある人間じゃないから━━
心の奥に暗い影が落ちた時、扉がノックされた。
「妃殿下、お伝えしたい事がございます」
扉越しの侍女の言葉に、私は「どうぞ」と返事をした。老年の侍女は神妙な面持ちで部屋に入るとこう言った。
「サーシアス男爵夫人が、野盗に襲われて亡くなりました」
絶句する私に彼女は続けた。
「金品を強奪された上、遺体の目は抉り取られていたそうです」
ニコラス様の仕業だと、直感的に思った。
サーシアス男爵夫人が、レイチェル妃の裸を見たから、男爵夫人に報復をしたのだろう。レイチェル妃がそれを望んでいるかどうかは、彼にとっては重要な事ではなかったらしい。
自分勝手で残虐な彼の行いにめまいを覚える中、侍女は静かに言った。
「ニコラス殿下からの言伝なのですが。サーシアス男爵夫人は少し前まで妃殿下に仕えていた方ですので、お悔やみの手紙を出すようにと、おっしゃっていました」
━━わざとらしい事を……。
彼は彼女の主人である私を責め立てるために、侍女にこんな伝言をしたのだろうと思うと、吐き気がした。
「……そうね。後で書くから取りに来てちょうだい」
「かしこまりました」
侍女が部屋を後にすると、デスクの前に座った。
便箋に哀悼の意を綴ろうとした。けれど、胸の奥からじわじわと込み上げる感情のせいで、言葉が全く出てこない。
やがて、吐き気と怒りと悲しみが絡み合い、喉の奥を何度も内側から引き裂かれるようだった。思わず机の上のインク壺を払ってしまい、黒い液体が木の天板に広がった。それを拭き取ろうとしたら、手のひらがどす黒く濡れた。その汚れがニコラス様の心の淀みのように思えて、気持ち悪かった。
━━ここで生きていかなければならないのに。
苦しさのあまり目を閉じると、アーサー様の優しい笑顔が浮かんだ。
いつも穏やかで優しい愛おしい人。彼の夢を……。国を変えたいと願う、真っ直ぐなその信念を、私の自由のために犠牲にするわけにはいかない。
私は乱暴にインク汚れを拭うと、震える手で、手紙の用紙を引き寄せた。今はニコラス様の指示に従っていた方がいいから。反抗的と見做されたら、何をされるか分かったものじゃない。もし、他の侍女や、サーシアス男爵夫人の家族なんかに報復される事になったらと思うと、後悔してもしきれないから。
でも、頭では書くと決めたのに、ペンを取る手は一向に進まなかった。
━━書けない。……書きたくない。
サーシアス男爵夫人のためにも、心から冥福を祈りたいと思っているはずなのに。ニコラス様の顔が頭に浮かんで、そのたびに指が強張る。
そんな時だった。再びノックの音がしたのは━━
「……誰?」
「失礼します。レイチェル妃様より、手紙をお預かりしております」
扉の外から聞こえたその声に、鼓動が一瞬、跳ね上がった。
私は重たい腰を上げてゆっくりと席を立つと扉を開けた。そこにいたのはレイチェル妃の専属侍女で、彼女は静かに封筒を差し出した。
白くて上品な便箋。シンプルなそれはレイチェル妃らしくもあり、不思議と威厳を感じさせられた。
「では……」
侍女はそれだけを言うと、すぐに踵を返した。私はデスクに戻ると、息を呑んで封を開けた。
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