【2章完結/R-18/IF】神様が間違えたから。

花草青依

文字の大きさ
99 / 103
2章 世界で一番嫌いな人

45

しおりを挟む
「失礼します。妃殿下がいらっしゃいました」
 扉越しに侍女が声をかけても返事はなかった。侍女は一拍置いてもう一度ノックをした。
「失礼します。入りますね」
 彼女はそう言って扉を開けると、素早く部屋の中に入った。直ぐ様扉を閉められたから、中の様子を窺い知る事はできなかった。

 扉の前で棒立ちで待っていると、侍女が戻って来た。
「お待たせしました。どうぞお入り下さいませ」
 彼女は私と入れ違いになる形で出て行った。

 ソファーに腰掛けるレイチェル妃は髪を下ろし、どこか気怠そうにしていた。
「すみません、眠っていたもので……。お待たせしました」
「いえ……それより」
 私は彼女の対面のソファーに腰をかけると言った。

「アーサー様に、話をしたのはあなたですよね?」
 彼女は眉を顰めて首を傾げた。
「何の事です?」
「とぼけないで!」
 私は思わず声を荒らげた。
「アーサー様が国王陛下に、私への求婚を申し込みました。あなたの提案通り、魔導技術の権益と引き換えに! 私のせいで、彼は……」
「待って下さい」
 レイチェル妃は静かな口調で窘めた。

「私は本当に何もしていません。そもそも、アーサー殿下と連絡を取れるはずがありませんから」
 私が疑いの目を向けると、彼女は苦笑した。
「親兄弟との連絡すら、滅多な事では許されないのに……。アーサー殿下に手紙の一枚でも書こうものなら、ニコラス殿下は激しく私を責め立てるでしょう」
 そう言われて、焦りと怒りがすんと鎮まった。

 レイチェル妃はきっと、嘘を言っていない。束縛の激しいニコラス殿下が彼女を監視し、自由を奪っているのだから。
 私は、思い違いをして、怒りをぶつけた自分が恥ずかしくなった。
「ごめんなさい」
「いえ。良いのです。自分の意図しない所で話が進めば、誰だって不快になるでしょうから」
 彼女はそう言うと、あごに手を添えて俯いた。

「それよりも……。私との話を誰かに話しましたか」
 私がそれを話したのは、ただ一人。ローズ王女殿下だけだった。それをレイチェル妃に伝えると、彼女は露骨なまでに顔を顰めた。
「悪意はないのでしょうけれど、お節介が過ぎますね。人の意志を無視して事を起こすだなんて」
 彼女のつぶやきには同意せざるを得なかった。

 レイチェル妃はふと、私に憐れみの目を向けた。
「色々と悩ましい事はあるのでしょうが、一先ず、アーサー殿下と連絡を取った方がよろしいかと」
「……そうね。そうしてみるわ」
「それから、これ以降は誰にも話をしない方がいいです。私は勿論の事、例え、どんなに信用をしている人でさえも」
 そう言われて、お父様やベッキーの顔が頭に浮かんだ。彼らを頼れないと思った途端、不安が込み上げてきた。

「あなたの人生を決めるのは、あなた自身です。エレノア様は、家のためでもなく、自分の地位や名誉のためでもなく、あなたとあなたを愛してくれる人のために生きるのでしょう?」
 私の心の内を見透かしたかのように、彼女は私を諭してくる。その言葉は、結婚して以来、胸の中を覆っていた深い霧を晴らしてくれた。
「これ以上、誰かによって、意図しない方向に話が進まないように。そして、自分自身で選択をできるように。しっかりと自分で考えて、アーサー殿下と話し合いをして下さい」
 そう言われて、涙が込み上げてきた。私はそれを誤魔化すためにも、すっと立ち上がった。

「ありがとう」
 私はレイチェル妃の顔も見ずに言った。そうしてしまったら、泣いてしまうような気がしたから。
「エレノア様の決めた未来が、どうか悪い物ではありませんように」
 彼女の静かな祈りの言葉を背に浴びて、私は部屋を後にした。

 部屋から出ると、侍女と護衛は心配そうな顔で私を見てきた。本当なら、フォローするような言葉をかけるべきなのだけれど、今はそんな余裕がなかった。私は何も言わずに急ぎ足で自分の部屋に戻った。

 そして、部屋に入ると、私は扉に鍵を閉めて、デスクへと向かった。引き出しを開けて、通信機を手に取る。私は迷いなくボタンを押した。数回のコール音の後に、アーサー様の声がした。
「はい……」
 いつもより緊張しているように聞こえるのは、気のせいじゃないはずだ。彼は、何の用件で私が連絡をしたのか分かっているのだろう。

「国王陛下から聞きました。魔導技術の特許権を引き渡すのを条件に、私との結婚を望まれたのですね」
「……そうだよ」
「なぜ、こんな事を? 私に一言の相談もなくしたんですか」
「そうしたら、君は反対すると思ったから」
「それが分かっていたのなら、どうして……」
「苦しむ君を、これ以上、放っておきたくなかったんだ!」
 強い口調でそう言われて、嬉しいと思ってしまう自分が腹立たしかった。

「私は、こんな形での離婚を望んでいませんでした!」
 溢れる涙のせいで、声が震えた。ちゃんと、私の意志を伝えなければいけないのに。
「あなたの大切な物を奪ってまで、自分だけが幸せになるなんて……。こんなの、間違ってる」
 涙が頬を伝った。そうだ、間違っている。こんな形の結末は、あっていいはずがない。自分勝手な理由で、愛する人と一緒にいようとするなんて、それこそ、悪役令嬢だ。私はそんな人間にはなりたくない。こんなエンディングは、間違っている━━

「幸せになるのは、君だけじゃない」
 アーサー様は静かに、けれど力強い声で言った。
「失う物は決して小さいとは言えないけれど……。それでも、君には代えられないと思った。俺は、君となら幸せになれるから。君となら、俺の夢は潰えないと思ったから……。だから、これから俺と一緒にいてくれ」
 誠実な彼の言葉は、痛いくらいに優しくて━━

「好きです。そんなあなたが好きで好きでたまらないんです」
 私は決して言ってはいけない事を口にしてしまった。

 ━━ああ、私は最低な人間だ。

 そう思う中、彼は言った。

「愛してるよ、エレノア」
 返事をしたくても、声は嗚咽になるだけで、言葉にならなかった。
「愛してる」
 彼はもう一度、囁いた。私は頷き、通信機を握りしめた。

 私は世界で一番大切な彼を、絶対に幸せにすると、心に誓った。



第二章「世界で一番嫌いな人」了
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

悪役皇女は二度目の人生死にたくない〜義弟と婚約者にはもう放っておいて欲しい〜

abang
恋愛
皇女シエラ・ヒペリュアンと皇太子ジェレミア・ヒペリュアンは血が繋がっていない。 シエラは前皇后の不貞によって出来た庶子であったが皇族の醜聞を隠すためにその事実は伏せられた。 元々身体が弱かった前皇后は、名目上の療養中に亡くなる。 現皇后と皇帝の間に生まれたのがジェレミアであった。 "容姿しか取り柄の無い頭の悪い皇女"だと言われ、皇后からは邪険にされる。 皇帝である父に頼んで婚約者となった初恋のリヒト・マッケンゼン公爵には相手にもされない日々。 そして日々違和感を感じるデジャブのような感覚…するとある時…… 「私…知っているわ。これが前世というものかしら…、」 突然思い出した自らの未来の展開。 このままではジェレミアに利用され、彼が皇帝となった後、汚れた部分の全ての罪を着せられ処刑される。 「それまでに…家出資金を貯めるのよ!」 全てを思い出したシエラは死亡フラグを回避できるのか!? 「リヒト、婚約を解消しましょう。」         「姉様は僕から逃げられない。」 (お願いだから皆もう放っておいて!)

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

義兄様と庭の秘密

結城鹿島
恋愛
もうすぐ親の決めた相手と結婚しなければならない千代子。けれど、心を占めるのは美しい義理の兄のこと。ある日、「いっそ、どこかへ逃げてしまいたい……」と零した千代子に対し、返ってきた言葉は「……そうしたいなら、そうする?」だった。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

処理中です...