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 そんなアイリスが、だ。大胆かつ積極的にハインリヒに好意を示している。婚約者のいるハインリヒに対して、彼女は無邪気にも語りかけ、愛らしく微笑むことに抵抗はないようだった。
 ゲームの中のアイリスはお淑やかで大人っぽい人だった。婚約者のいる男性とは誤解を受けるような行動をする人ではなかったのに。

 それに、原作では接点がなかったはずのフドウとも交流しているらしい。噂によるとトウコクの呪術に興味があって、アイリスが魔法を教えるかわりにそれを見せてもらっているそうだ。
 まるでゲームのエマとフドウのイベントそのものだ。



 今、アイリスはカフェテリアでハインリヒと同じ席についている。ハインリヒに対して親しげに話しかけて、彼の頼んだお茶を味見させて欲しいとおねだりしている。平民生まれのエマならまだしも、公爵令嬢の彼女がそれをするのはいささか無作法に見えた。

「おや、珍しいこともあるね」
 ヴェルナーはアイリスの振舞いを面白がっていた。
 私は何も言わず微笑を浮かべた。
 私が一人で一服している所に許可もなしに相席してきたヴェルナーも小公爵らしからぬ行動だ。

「君はアイリス嬢とは同じクラスなんだろう?」
「ええ。そうですね」
「悔しくないのか」
「何が、でしょうか?」
「ハインリヒを盗られてだよ」
 ヴェルナーは私に少し顔を近づけて小さな声で「君の方がハインリヒとお似合いだと思うよ」と囁いた。また私を焚きつけようとしている。
「まぁ」
 小首を傾げてできる限り愛らしくとぼけてみせる。
「殿下にはアンナ様がいらっしゃるではありませんか」
 ヴェルナーは、私の返答を無視して遠くを見ていた。私も彼に倣って視線の先に目をやる。本当は見なくてもそこにいる人が誰かは分かっているけれど。

 ヴェルナーの視線の先、つまり、カフェテリアの入口にはアンナがいた。彼女はお菓子をつまみ、ハインリヒのお茶を飲むアイリスの姿を凝視している。怒りか、それとも悲しみからか、アンナは拳を握りしめ体はわずかに震えていた。
 アンナからしてみれば、婚約者が待ち合わせ先で別の女と堂々とお茶しているわけで。おまけに間接キスまでしているとなると怒って当然だろう。
 
 ハインリヒを見つめて固まっていたアンナと不意に目があった。
 彼女は怪訝そうに私を見つめている。私は気まずくなって目を逸らした。

 ゲームと同じなら、アンナはハインリヒたちのもとへ行くはずだ。現に彼女は私達の席を通り過ぎてハインリヒの席へ向かっている。

「これは、修羅場になるかな?」
 ヴェルナーは微笑を浮かべて言った。悪趣味な男だ。

 ゲームの展開なら、アンナはエマに「平民の出の方は卑しくて嫌ですわ。マナーを学び直してはいかがかしら?」と言い放つ。そして、ハインリヒに窘められて一人でカフェテリアを出ていくはずなのだけれど。
 相手はアイリスで自分と同じく公爵家の令嬢。どうするんだろう。

「ごきげんよう」
 アンナはぎこちない笑みを浮かべてアイリスに話しかけた。それに対してアイリスは何も言わない。不思議そうにアンナを見つめるだけだ。

「アンナ。待っていたよ」
 ハインリヒは席を立ち、アンナに寄り添った。
「顔色が悪いね。大丈夫かい?」

 "アンナの気分が悪いのはあんたのせいでしょ"と、言いたいけれど勿論そんなことはできない。

「ご心配に及びません。少し疲れただけですから」
 アンナは気丈に振る舞っているけれど、今にも倒れてしまいそうなほどひどい顔色をしていた。
「アイリス嬢、私達はこれで失礼するよ」
 挨拶もそこそこにハインリヒはアンナの手を引いてカフェテリアを後にしていく。
 儚げな美女とそれに寄り添う優雅な美男。さっき見た不誠実な光景さえなければ、絵になる光景だと誰もが思ったことだろう。
 そんな二人を尻目にアイリスは険しい顔つきで爪を噛んでいる。とても貴族の子女とは思えない。

「彼女、随分と変わってしまったみたいだね」
 ヴェルナーが言った。
「ヴェルナー様はアイリス様とお知り合いなのですか」
「知り合いってほどではないけど、公爵家同士、多少の付き合いはあったかな」
 それは初耳だ。ゲームは勿論、小説にすら描かれていなかった二人の接点。すごく興味があるけれど、どう聞いていいか分からない。
「おや?興味があるのかい」
「え、ええ。まあ」
 ヴェルナーは笑った。いったい何が面白いんだろう?
「あれはまだ俺が7歳くらいだったかな。我が家主催のお茶会にアイリスもたまに来ていたんだ。母親と一緒にね」
「そうでしたか。一緒に遊んだこともあるのですか」
「あるにはあるよ。でも、正直言ってつまらなかったな。彼女、堅苦しいかったから。クッキーのカスがほんの少し溢れたくらいで下品だと罵られたよ。彼女まだ、5歳だよ?顔はそれなりにかわいかったけど、あれはないね」
 どうやら小さい頃からアイリスは貴族の子女としての振舞いができていたらしい。

「それが今じゃあんな風になって。まるで人が変わったみたいだ」
 そう言いながらヴェルナーはアイリスを盗み見た。それから私の耳元に顔を近づけて彼はこう囁いた。
「彼女、10歳の時に高熱を出してから性格が変わってしまったそうなんだ。一時期は記憶まであやふやで親のことも認識できなかったらしい。もしかしたら、誰かと中身が入れ替わったのかもしれないねぇ」
「まあ。そんなわけ、ありませんわ」
 口では否定したものの、そうかもしれないと思っていた。

 アイリス・ヴィットは『ルクツェン物語』を知る転生者かもしれない。だって、私がエマ・マイヤーになれたんだから。彼女がそうであっても何らおかしくはない。
 もしもだ。アイリスが転生者だったとして、これからどう生きるのかを決めるのは彼女自身の問題だと思う。そう。無作法であろうとも、ハインリヒと結ばれようとも私には関係のない話だ。
 でも、彼女がエマの役どころを演じるというなら話は別だ。そんなことをされたら、彼女は私の平和な学園生活を脅かす存在になるかもしれない。私が面倒ごとに巻き込まれることになるなんて、ごめんだもの。
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