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本編1
7 誤解
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※
どんよりとした雰囲気は、道中ずっと続いた。
それから解放されたのは、日が落ちる直前。宿に着いた時だった。
私は馬車から降ろされると、みんなより一足先に部屋へと案内された。
宿はとても古めかしくて汚れも目立った。廊下は埃っぽい上、天井や戸棚に蜘蛛の糸が見えた。掃除が行き渡っていないのがあからさまだった。
不衛生な場所で寝泊まりすることに抵抗はあったものの、贅沢は言っていられない。
だから、覚悟を決めたのだけれど、案内された部屋は比較的、綺麗だった。
ほっとした私は、ベッドに上がるとそのまま横になった。シーツやマットレスは質のいいものではないけれど、お日様の匂いがして心地良い。
━━疲れた。
緊張の糸が解けたせいか、どっと疲れが押し寄せて来る。今日は精神的に、参ってしまった日だった。
けれど、あの何とも言えない居心地の悪い空間からようやく解放されたのだ。
そう思って息を吐いたのも束の間。アンドリュー卿が部屋に入って来たのだ。私は慌てて起き上がった。
「楽にしていてくれ」
彼はそう言うなり、着替えを始めた。
私はすぐに彼から背を向ける。
━━まさか、同じ部屋じゃないよね?
これから一晩、また息が詰まる思いをしないといけないのかしら?
そんなことを思いつつ、彼をちらりと見たら、軽装に着替え終わっていた。
「食事は1時間後だそうだ。時間があるから身体を洗ってくればいいんじゃないか」
「……そうですね」
そう言って、はっとした。口調のことで散々揉めたのに、また敬語で接している。慌てて言い直した。
「そうね。そうさせてもらうわ」
私は荷物から着替えを取り出すと、浴室へと向かった。
小さな宿にも関わらず、意外にもバスタブは設置されていた。
城の中では侍女に世話をされるのが当たり前で、一人で入浴するのは生まれて初めてのことだった。
私にできるものかと思っていたけれど、やってみれば案外簡単だった。
「はあ……」
温かいお湯に浸かっていると、自然と溜め息がこぼれた。
「どうしたの?」
耳元での囁き声。
驚いて身体を大きく揺らすと、水がじゃぼんと跳ねた。
「きゃっ!」
声の主であるフェイは、水しぶきをとても嫌がった。
「びっくりした……」
フェイの呟きに、それはこっちのセリフだと思った。
突然、浴室にまで現れて、一体どうしたんだろう?
そもそも、これは現実なのかしら? 私は知らぬ間に居眠りをしたんじゃ……。
「私、また夢を見ているのかな」
思っていることを口に出すと、フェイは首を傾げた。
「急にどうしたの? まさか、私を見て現実を疑ってる?」
頷くとフェイは不服だと言わんばかりに頬を膨らませた。怒っている姿も美しくて私は彼女の頬を指でつついた。
「こんなに綺麗でかわいらしい生き物が世の中に存在していて、しかも私の友達だと言うのよ。夢だと思うのは当然じゃないかしら?」
「シアは褒めるのが上手ね」
フェイは私の指先にハグをした。褒めたつもりはないのだけれど、機嫌よくする彼女にそれを言う必要はないだろう。
「それはそうと、何で溜め息なんか吐いていたの? 幸せが逃げちゃうじゃない」
フェイは心配そうに私を見つめていた。
「ああ……。うん。実はね」
「うん」
「夫と上手くいっていないの」
「どうして?」
「どこから話せばいいのかしら……」
考えた末に、私はアンドリュー卿との結婚の経緯から、今日に至るまでの全てを話しきった。
アンドリュー卿と気が合いそうにないことや、彼のいる部屋に帰りたくないことも。
話を始めた時には、ここまで詳しく言うつもりはなかったのだけれど、気がついたら言葉が止まらなくなっていた。
洗いざらい胸のうちを話してしまうなんて、自分が思っている以上にストレスが溜まっていたのかもしれない。
「つまり、シアにとってアンドリューは、大嫌いな人なの?」
「そこまでじゃないかな」
彼はお父様のように暴力的でもなければ、支配的な人間でもない。英雄として人々から認められるのだから、根は悪い人ではないのだろう。
「でも、一緒にいると居心地が悪いの。それに、アンドリュー卿は、きっと私と結婚したことを後悔することになるわ」
「何でそう思うの?」
「私が、彼の理想とする妻の像とは程遠いから」
アンドリュー卿は“ジョルネスの娘”を望んでいた。彼が求めていたのは、ジェシカのような力を持った聖女のはずだ。
歴代のジョルネスの聖女達は、戦闘においても力を発揮した。傷ついた仲間を癒やしたり、モンスターを神聖魔法で追いやったりと数々の功績を残している。アンドリュー卿はその話を聞いて、自身をサポートしてくれる聖女を求めたに違いない。
でも、何の能力もない私は彼の役には立てない。
おまけに、私は妻としての振る舞いもなっていなかったようだ。
アンドリューにとって私の口調は、堅苦しくて不愉快らしい。
それに、時折、私のことを“お姫様”と揶揄する。まるで、我儘で面倒な女だと嘲るかのように。
「程遠いなんてものじゃないわね。私は彼の理想の妻の条件と、何一つ合致していないもの。だから、もし、アンドリュー卿が私に聖女としての力がないと知ったら、怒りに身を任せて嬲るでしょうね」
そうなっても文句は言えない。だって、私が“ジョルネスの娘”と騙したのは事実なんだから。
「うーん?」
フェイは唸り声をあげた。
顎に手を当てて真剣な顔で俯いている。それだけで慰めの言葉一つかけてくれない。
━━本音を打ち明けたのに何も言ってくれないなんて……。何だか損をした気分。
頭の中で私が文句を言っていると、フェイはぱっと顔を上げた。
「ねえ、シア。あなたはきっとアンドリューを誤解しているわ」
「どうして?」
「だって、そうじゃない? 久しぶりに再会して、ほとんど何も喋ってないんでしょう? シアもアンドリューも、離れていた時のことをお互いに知らなさ過ぎるわ」
確かに1年半もの間、彼が何をしていたのか未だに聞けていない。
そもそも、結婚をした当初から私は彼のことを何も知らない。平民の出身で、ブラックドラゴンを倒した英雄くらいしか、聞いていないのだ。
「もう少し、お話をしましょうよ。話をしないと自分のことを分かってもらえないし、相手のことだって理解できないわ」
「そうね」
フェイの言っていることが正論だってことは分かる。
でも、もし話をして嫌われたら? そう思わずにはいられない。
私は何の才能もない上に、美しくもなくて、性格だって「辛気臭い」と陰で罵られていた。
そんな私のことを彼が好意的に受け止めてくれるとは思えない。むしろ、鬱陶しい女だと思われて、離婚を要求されたら━━
不意にフェイは私の眉間をつついた。
「大丈夫! シアの夢はきっと叶うわ」
「夢?」
突然、何を言うのだろう。
首を傾げたらフェイはにこりと笑った。
「昔、私に教えてくれたじゃない? 『素敵な騎士様と結婚して世界で一番幸せなお姫様になるんだ』って」
それは、私がまだ小さくて、自分が聖女になれると信じていた頃。確かにそんなことを言っていたような気がする。
大人になった今となっては小っ恥ずかしい私の夢。それを思い出したら顔が赤くなった。
「ちょっと、からかわないで!」
「からかってなんかいないわ。私は友人の願いを叶えるためなら何でもするつもりよ! だから、シアはアンドリューと幸せになるの」
私の幸せを祈って自信満々に言うフェイを咎めることはできなかった。
━━それより、どうしてフェイは子供の頃の夢を知っているんだろう。
本当に昔、彼女と会ったことがある?
じっくりと考えてみても思い出せない。むしろ、考えれば考える程、頭がクラクラする。それに、吐き気も込み上げて……。
のぼせたのだと気付いた時には遅かった。
私は何とかバスタブから出たものの、めまいを起こして意識を失った。
どんよりとした雰囲気は、道中ずっと続いた。
それから解放されたのは、日が落ちる直前。宿に着いた時だった。
私は馬車から降ろされると、みんなより一足先に部屋へと案内された。
宿はとても古めかしくて汚れも目立った。廊下は埃っぽい上、天井や戸棚に蜘蛛の糸が見えた。掃除が行き渡っていないのがあからさまだった。
不衛生な場所で寝泊まりすることに抵抗はあったものの、贅沢は言っていられない。
だから、覚悟を決めたのだけれど、案内された部屋は比較的、綺麗だった。
ほっとした私は、ベッドに上がるとそのまま横になった。シーツやマットレスは質のいいものではないけれど、お日様の匂いがして心地良い。
━━疲れた。
緊張の糸が解けたせいか、どっと疲れが押し寄せて来る。今日は精神的に、参ってしまった日だった。
けれど、あの何とも言えない居心地の悪い空間からようやく解放されたのだ。
そう思って息を吐いたのも束の間。アンドリュー卿が部屋に入って来たのだ。私は慌てて起き上がった。
「楽にしていてくれ」
彼はそう言うなり、着替えを始めた。
私はすぐに彼から背を向ける。
━━まさか、同じ部屋じゃないよね?
これから一晩、また息が詰まる思いをしないといけないのかしら?
そんなことを思いつつ、彼をちらりと見たら、軽装に着替え終わっていた。
「食事は1時間後だそうだ。時間があるから身体を洗ってくればいいんじゃないか」
「……そうですね」
そう言って、はっとした。口調のことで散々揉めたのに、また敬語で接している。慌てて言い直した。
「そうね。そうさせてもらうわ」
私は荷物から着替えを取り出すと、浴室へと向かった。
小さな宿にも関わらず、意外にもバスタブは設置されていた。
城の中では侍女に世話をされるのが当たり前で、一人で入浴するのは生まれて初めてのことだった。
私にできるものかと思っていたけれど、やってみれば案外簡単だった。
「はあ……」
温かいお湯に浸かっていると、自然と溜め息がこぼれた。
「どうしたの?」
耳元での囁き声。
驚いて身体を大きく揺らすと、水がじゃぼんと跳ねた。
「きゃっ!」
声の主であるフェイは、水しぶきをとても嫌がった。
「びっくりした……」
フェイの呟きに、それはこっちのセリフだと思った。
突然、浴室にまで現れて、一体どうしたんだろう?
そもそも、これは現実なのかしら? 私は知らぬ間に居眠りをしたんじゃ……。
「私、また夢を見ているのかな」
思っていることを口に出すと、フェイは首を傾げた。
「急にどうしたの? まさか、私を見て現実を疑ってる?」
頷くとフェイは不服だと言わんばかりに頬を膨らませた。怒っている姿も美しくて私は彼女の頬を指でつついた。
「こんなに綺麗でかわいらしい生き物が世の中に存在していて、しかも私の友達だと言うのよ。夢だと思うのは当然じゃないかしら?」
「シアは褒めるのが上手ね」
フェイは私の指先にハグをした。褒めたつもりはないのだけれど、機嫌よくする彼女にそれを言う必要はないだろう。
「それはそうと、何で溜め息なんか吐いていたの? 幸せが逃げちゃうじゃない」
フェイは心配そうに私を見つめていた。
「ああ……。うん。実はね」
「うん」
「夫と上手くいっていないの」
「どうして?」
「どこから話せばいいのかしら……」
考えた末に、私はアンドリュー卿との結婚の経緯から、今日に至るまでの全てを話しきった。
アンドリュー卿と気が合いそうにないことや、彼のいる部屋に帰りたくないことも。
話を始めた時には、ここまで詳しく言うつもりはなかったのだけれど、気がついたら言葉が止まらなくなっていた。
洗いざらい胸のうちを話してしまうなんて、自分が思っている以上にストレスが溜まっていたのかもしれない。
「つまり、シアにとってアンドリューは、大嫌いな人なの?」
「そこまでじゃないかな」
彼はお父様のように暴力的でもなければ、支配的な人間でもない。英雄として人々から認められるのだから、根は悪い人ではないのだろう。
「でも、一緒にいると居心地が悪いの。それに、アンドリュー卿は、きっと私と結婚したことを後悔することになるわ」
「何でそう思うの?」
「私が、彼の理想とする妻の像とは程遠いから」
アンドリュー卿は“ジョルネスの娘”を望んでいた。彼が求めていたのは、ジェシカのような力を持った聖女のはずだ。
歴代のジョルネスの聖女達は、戦闘においても力を発揮した。傷ついた仲間を癒やしたり、モンスターを神聖魔法で追いやったりと数々の功績を残している。アンドリュー卿はその話を聞いて、自身をサポートしてくれる聖女を求めたに違いない。
でも、何の能力もない私は彼の役には立てない。
おまけに、私は妻としての振る舞いもなっていなかったようだ。
アンドリューにとって私の口調は、堅苦しくて不愉快らしい。
それに、時折、私のことを“お姫様”と揶揄する。まるで、我儘で面倒な女だと嘲るかのように。
「程遠いなんてものじゃないわね。私は彼の理想の妻の条件と、何一つ合致していないもの。だから、もし、アンドリュー卿が私に聖女としての力がないと知ったら、怒りに身を任せて嬲るでしょうね」
そうなっても文句は言えない。だって、私が“ジョルネスの娘”と騙したのは事実なんだから。
「うーん?」
フェイは唸り声をあげた。
顎に手を当てて真剣な顔で俯いている。それだけで慰めの言葉一つかけてくれない。
━━本音を打ち明けたのに何も言ってくれないなんて……。何だか損をした気分。
頭の中で私が文句を言っていると、フェイはぱっと顔を上げた。
「ねえ、シア。あなたはきっとアンドリューを誤解しているわ」
「どうして?」
「だって、そうじゃない? 久しぶりに再会して、ほとんど何も喋ってないんでしょう? シアもアンドリューも、離れていた時のことをお互いに知らなさ過ぎるわ」
確かに1年半もの間、彼が何をしていたのか未だに聞けていない。
そもそも、結婚をした当初から私は彼のことを何も知らない。平民の出身で、ブラックドラゴンを倒した英雄くらいしか、聞いていないのだ。
「もう少し、お話をしましょうよ。話をしないと自分のことを分かってもらえないし、相手のことだって理解できないわ」
「そうね」
フェイの言っていることが正論だってことは分かる。
でも、もし話をして嫌われたら? そう思わずにはいられない。
私は何の才能もない上に、美しくもなくて、性格だって「辛気臭い」と陰で罵られていた。
そんな私のことを彼が好意的に受け止めてくれるとは思えない。むしろ、鬱陶しい女だと思われて、離婚を要求されたら━━
不意にフェイは私の眉間をつついた。
「大丈夫! シアの夢はきっと叶うわ」
「夢?」
突然、何を言うのだろう。
首を傾げたらフェイはにこりと笑った。
「昔、私に教えてくれたじゃない? 『素敵な騎士様と結婚して世界で一番幸せなお姫様になるんだ』って」
それは、私がまだ小さくて、自分が聖女になれると信じていた頃。確かにそんなことを言っていたような気がする。
大人になった今となっては小っ恥ずかしい私の夢。それを思い出したら顔が赤くなった。
「ちょっと、からかわないで!」
「からかってなんかいないわ。私は友人の願いを叶えるためなら何でもするつもりよ! だから、シアはアンドリューと幸せになるの」
私の幸せを祈って自信満々に言うフェイを咎めることはできなかった。
━━それより、どうしてフェイは子供の頃の夢を知っているんだろう。
本当に昔、彼女と会ったことがある?
じっくりと考えてみても思い出せない。むしろ、考えれば考える程、頭がクラクラする。それに、吐き気も込み上げて……。
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