ざまぁ代行いたします ―追放聖女の復讐録―

橘 あやめ

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第一章:何度でも癒して差し上げましょう

プロローグ

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 広間の蝋燭が、ひとつ、小さく弾けた。
 静まり返った空間に、その乾いた音だけが響く。

 床に崩れ落ちた女が、泣いていた。

 裂けたドレスの裾を引きずり、膝で這うようにして前へ進む。必死に伸ばした手は、目の前に立つ人影へと縋りつこうとして震えていた。宝石のはめられた指輪が、揺れる蝋燭の光を受けて、ちらちらと情けなく瞬く。

「お願い……お願いよ、許して!」

 女は床に額を擦りつけるようにして叫んだ。

「ねぇ、聞いて……! 私は、そんなつもりじゃなかったのよ! 本当に、ほんの少し、彼の手助けをするつもりだっただけで……!」

 しゃがれた声が震える。

「わ、私が悪かったわ……! ちょっとした、間違いだったのよ……!お金ならいくらでも出すわ! 私の屋敷も宝石も、全部あなたにあげる! だから……だから許して……!」

 震える指が、目の前の黒いドレスに触れようとした。

「お願いよ……こんなことで命まで取らなくてもいいでしょう……?」

 女の目の前に立っているのは、黒いドレスの人影だった。

 淡い金色の髪が、蝋燭の光を受けてやわらかく輝く。
 青みがかった紫色の瞳は、まるで宝石のように澄み、しかしどこまでも冷たい。

 その横顔は、息を呑むほど整っていた。

 床には銀食器の破片が散らばり、テーブルクロスには赤い染みが広がっている。
 だというのに、この女の周囲だけは不思議なほど静謐で――。

 まるで、汚れも混乱も近づくことを許されないかのように、彼女は一点の曇りもなくそこに立っていた。

「お金?」

 黒いドレスの女が、ゆっくりと口を開いた。

 低く、静かな声だった。
 その唇には、かすかな微笑みが浮かんでいる。

「お金で済むと、思っていらっしゃるの?」

 床の女は、半ば悲鳴のように言い募る。

「しゃ、借金があったの! 私だって追い詰められていたのよ! 私が破産したら、屋敷の使用人だって路頭に迷うのよ!? 皆を守るためだったの!……し、仕方なかったのよ!」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫ぶ。
 必死に、必死に言い訳を並べる。

「仕方なかった?」

 黒いドレスの女は、その言葉を静かに繰り返した。
 まるで、舌の上で転がすように。

「……彼らも、果たしてそう思っていたのかしら」

 一歩、近づく。靴音が、広間に小さく響いた。

「売られた先で、指を折られた時」

 さらに一歩。

「背中を焼かれた時」

 もう一歩。
 床の女の呼吸が乱れる。

「鞭で打たれ続けた時」

 そして、女の目の前で立ち止まる。

「きっと、こう思ったでしょうね」

 青紫の瞳が、まっすぐ見下ろした。

「――自分たちが、なぜ、こんな目に遭うのかって」

 床に崩れた女の顔が、恐怖で歪む。

「ひぃ……っ!」

 女は首を振った。

「私は……私はそこまで知らなかったのよ……! 本当よ! そんな酷い目に遭ってるなんて……!私はただ……契約書にサインしただけで……!」

 その言葉を言い終えた瞬間、女は自分の失言に気づいたように口を押さえた。
 後ずさろうとする。だが背中はすぐに壁へぶつかった。

 逃げ場は、もうどこにもない。

 黒いドレスの女が、ゆっくりと腰を下ろした。
 白い手が伸び、その指先から淡い金色の光が溢れ出す。温かく、澄んだ光だった。

 触れられた箇所から女の痛みが消えていく。裂けていた肌が静かに閉じ、青黒い痣が薄れ、折れかけていた指がゆっくりと元の形へ戻っていく。

「……え?」

 床の女が呆然と呟いた。

「治って……?」

 震える手で自分の体を確かめる。
 傷がない。痛みもない。

 まるで、先ほどまでの出来事など、噓だったかのように。

「こ、この力って……まさか……!」

 女の顔に、かすかな希望が浮かぶ。

「聖女……!?」

 声が震えた。

「ねぇ、そうなんでしょう!? だったら……だったら助けてくれるはずよね!? 聖女なんでしょう!?人を救うのが仕事なんでしょう!? ねぇ、お願い……!」

 必死に縋る。

 黒いドレスの女は、柔らかく微笑んだ。

「まぁ、何のことかしら?」

 穏やかで、優しく、そしてあまりにも美しい笑みだった。

「安心してくださいな。怪我をしても、一瞬で癒して差し上げますわ」

 その声は、驚くほど穏やかだった。

「――、ね」

 ――何度でも。

 その言葉の意味が、一拍遅れて届いた。
 床の女の目が、ゆっくりと見開かれる。

「ま、待って……!まさか……そんな……!」

 黒いドレスの女は立ち上がり、広間の影へと視線を向けた。

 そこには、五つ、六つの影が、壁際に並んで立っている。
 誰も動かない。誰も声を出さない。
 ただ、全員の視線が、床に崩れた女だけを、じっと見つめていた。

 黒いドレスの女が、微笑んだまま、小さくうなずく。

「――どうぞ」

「い、いや……待って……!」

 女は這って逃げようとした。
 しかし――。

「やめて……! お願……っ!いやぁああああああああああああっ!!!!!」

 次の瞬間、広間に、絶叫が響いた。
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