ざまぁ代行いたします ―追放聖女の復讐録―

橘 あやめ

文字の大きさ
5 / 11
第一章:何度でも癒して差し上げましょう

04

しおりを挟む
 王都ランデルグの、中流貴族の屋敷。
 名のある家ではなかったが、主人は穏やかな人物で、使用人たちも互いに助け合いながら暮らしていた。
 食事は質素だが温かく、仕事は忙しいが理不尽ではない。ミラもまた、ささやかながら安定した日々を送っていた。

 だが、ある時期から屋敷の空気が変わった。

 きっかけは夫人だった。
 夫人は頻繁に外出するようになり、帰ってくるたび苛立った様子で使用人に当たり散らすようになった。些細な粗相で怒号が飛び、理由もなく仕事を取り上げられる者が出る。皿が割れる音が、以前よりずっと頻繁に廊下に響くようになった。

 帳簿係の侍女が、ある夜、ミラにこっそり耳打ちした。

「奥方様、かなりの額の借金を抱えていらっしゃるらしいの」

 どこで借りたのか、いくらなのか。
 詳しいことは分からない。
 ただ帳簿の数字がどう見ても合わないのだと、その侍女は声をひそめて言った。

 やがて使用人が、ひとり、またひとりと減り始めた。
 料理番の若い娘、庭師見習いの少年、そしてミラに借金のことを教えてくれた、あの帳簿係の侍女――。

 ある朝、気がつくといなくなっている。

 「夜のうちに逃げ出した」と夫人は言った。屋敷の環境が悪化していたのだから、逃げる者がいてもおかしくない。ミラはそう思っていた。

「まさか、自分が奴隷として売られるとは……思ってもいませんでした」

 ミラの声がかすれた。
 あの部屋の光景がよみがえる。脂ぎった男のねっとりした視線。夫人の乾いた声。帳簿に書き足されていく嘘の罪状。手首に食い込んだ縄の痛み。

「命からがら、逃げてきました。追手の声が聞こえて、足が血だらけになって、もうどこを走っているのかも分からなくて……それでも、止まったら終わりだと思って……」

 言葉が途切れる。ミラは唇を噛んだ。

 しばらくの沈黙が降りた。
 窓の外で、風が路地裏の木の葉を揺らす音がした。ランプの炎が一度だけ揺れ、ふたりの影が壁の上を這う。

 イレーネがワインの杯を静かにテーブルに置く。

「消えた使用人たち」

 声の温度が変わっていた。ミラを見る目も、先ほどまでの柔らかさとは別のものだった。氷を一枚、嵌め込んだような冷たさ。

「あなたと同じく、売られたのね」

 ミラは息を呑んだ。

「そ、そんな……! そしたら、もう、今頃は……!」

「奴隷として働かされているでしょう」

 ――運が良ければ五体満足。悪ければ欠けているか、あるいはもうこの世にいないかもしれない。

 ハッとミラは顔を上げた。

「まだ働いている仲間たちがいます! 彼らに、このことを伝えないと」

「そうね。でも、あなたの言葉を信じて、今ある働き口を、簡単に捨てることができるかしら?」

「そ、それは……」

 ミラは侍女長のことを思い出した。彼女が言いくるめてしまえば、ミラの言葉はきっと届かない。むしろミラ自身も危険に晒される。

 イレーネは窓辺から腰を上げた。
 ドレスの裾が音もなく床を撫でる。
 ミラの前まで歩み寄り、視線を合わせるように少しだけ身を屈めた。

「あなた、許せるの? 夫人のこと」

「ゆ……許せるわけがありません! けど……私には何も……。貴族でもない、力もない。ただの女が……」

 イレーネの唇が、ゆるやかに弧を描いた。

 微笑みと呼ぶには冷たく、残酷とも違う。
 何かを決めた人間の、覚悟のある笑みだった。

「力を持てばいい。簡単なことよ――私たちに依頼するの」

「依頼……?」

「えぇ。“私の代わりに、夫人に復讐してください”ってね」

 イレーネはティオのほうをちらりと見た。ティオが微かにうなずく。

「復讐代行」

 その一言が、薄暗い部屋の空気を変えた。

「不当な目に遭った方の代わりに、私がきっちりと報いを届ける。――それが月影亭の裏の商売ですわ」

 口調が変わった。
 柔らかさの中に別の質感が混じる。妖艶で、気品があり、そして刃物のように冷たい。

 ミラは、この女性の本当の顔を見た気がした。

「どうする? このままどこかへ逃げて、幸せに暮らす? それとも――私たちと共に、仲間の分も復讐しましょうか?」

 ミラはイレーネの目を見返した。

 そして――。

「します。依頼します。夫人に、復讐したいです!」

「よろしい!」

 パンと手を鳴らし、イレーネは頬に手を当てて首を少し傾げた。

「素敵な復讐を、果たしましょうね? ミラ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて

奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】 ※ヒロインがアンハッピーエンドです。  痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。  爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。  執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。  だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。  ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。  広場を埋め尽くす、人。  ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。  この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。  そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。  わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。  国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。  今日は、二人の婚姻の日だったはず。  婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。  王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。 『ごめんなさい』  歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。  無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。

冤罪で殺された聖女、生まれ変わって自由に生きる

みおな
恋愛
聖女。 女神から選ばれし、世界にたった一人の存在。 本来なら、誰からも尊ばれ大切に扱われる存在である聖女ルディアは、婚約者である王太子から冤罪をかけられ処刑されてしまう。 愛し子の死に、女神はルディアの時間を巻き戻す。 記憶を持ったまま聖女認定の前に戻ったルディアは、聖女にならず自由に生きる道を選択する。

婚約破棄された私は、処刑台へ送られるそうです

秋月乃衣
恋愛
ある日システィーナは婚約者であるイデオンの王子クロードから、王宮敷地内に存在する聖堂へと呼び出される。 そこで聖女への非道な行いを咎められ、婚約破棄を言い渡された挙句投獄されることとなる。 いわれの無い罪を否定する機会すら与えられず、寒く冷たい牢の中で断頭台に登るその時を待つシスティーナだったが── 他サイト様でも掲載しております。

「君は有能すぎて可愛げがない」と婚約破棄されたので、一晩で全ての魔法結界を撤去して隣国へ行きます。あ、維持マニュアルは燃やしました。

しょくぱん
恋愛
「君の完璧主義には反吐が出る」――婚約者の第一王子にそう告げられ、国外追放を命じられた聖女エルゼ。彼女は微笑み、一晩で国中の魔法結界を撤去。さらに「素人でも直せる」と嘘を吐かれた維持マニュアルを全て焼却処分した。守護を失いパニックに陥る母国を背に、彼女は隣国の軍事帝国へ。そこでは、彼女の「可愛くない」技術を渇望する皇帝が待っていた。

(完)聖女様は頑張らない

青空一夏
ファンタジー
私は大聖女様だった。歴史上最強の聖女だった私はそのあまりに強すぎる力から、悪魔? 魔女?と疑われ追放された。 それも命を救ってやったカール王太子の命令により追放されたのだ。あの恩知らずめ! 侯爵令嬢の色香に負けやがって。本物の聖女より偽物美女の侯爵令嬢を選びやがった。 私は逃亡中に足をすべらせ死んだ? と思ったら聖女認定の最初の日に巻き戻っていた!! もう全力でこの国の為になんか働くもんか! 異世界ゆるふわ設定ご都合主義ファンタジー。よくあるパターンの聖女もの。ラブコメ要素ありです。楽しく笑えるお話です。(多分😅)

欠席魔の公爵令嬢、冤罪断罪も欠席す 〜メイリーン戦記〜

水戸直樹
ファンタジー
王太子との婚約――それは、彼に恋したからでも、権力のためでもなかった。 魔王乱立の時代。 王も公爵も外征に出ている王都で、公爵令嬢メイリーンは“地味な婚約者”として王城に現れる。 だが、王太子は初顔合わせに現れなかった。 にもかかわらず、記録に残ったのは「公爵令嬢の欠席」。 抗議はしない。 訂正もしない。 ただ一つ、欠席という事実だけを積み上げていく。 ――それが、誰にとっての不合格なのか。 まだ、誰も気づいていない。 欠席から始まる、静かなるファンタジー戦記。

聖女を追い出しても平気だと思っていた国の末路

藤原遊
ファンタジー
聖女が国を去った日、神官長は分かっていた。 この国は、彼女を軽く扱いすぎたのだと。 「聖女がいなくても平気だ」 そう言い切った王子と人々は、 彼女が“何もしていない”まま国が崩れていく現実を、 やがて思い知ることになる。 ――これは、聖女を追い出した国の末路を、 静かに見届けた者の記録。

私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜

AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。 そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。 さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。 しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。 それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。 だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。 そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。 ※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。

処理中です...