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【第二章】
30 アイリスの述懐
しおりを挟む――その姿を見た瞬間から、彼があの人だと気付いていた。
□
翌日。学園への登校前に屋敷でアイリスの姿を探す。
先日のナイアによるアルメリア学園への襲撃からは既に数日が経過している。
校舎の修復は魔術によって即座に終了し、学園を覆う防護結界は更に強化された上で、学園は昨日から再開した。
あの日に学園にいた教師たちは、ナタリアを除いて一人残らず洗脳されていたらしい。洗脳自体はすでにナイアが解除済みだ。
しかし、どうやら洗脳されていた奴らは、洗脳されていた最中の記憶は失っているようで、ナイアが犯人だとは判明しなかったようだ。
また、魔術によって教師たちに施された洗脳の痕跡も確認されたため、教師たちが犯罪者として捕まることもなかった。
しかし、ここまで早く学園が再開した一番の理由は、ナイアがあくまでも学園の制圧とリリーの誘拐を目的としていたため、幸いなことに死者がいなかったためだろう。
「おい、アイリス。いるか?」
アイリスの部屋をノックする。
反応はない。居留守を使っている可能性も考えてみたが、気配が感じられないので本当に部屋にはいないようだ。
しかし、登校する時間にはまだ早い。
やはり……避けられているようだ。
避けられている理由は分からない。
だがまあ、避けられているのなら無理に関わらなくてもいいかと思わなくもない。
しかし――このままではリリーによって屋敷から追放されてしまう。
できれば野宿は勘弁したいところだ。やはりアイリスを探さなくては。
そう思い、アイリスを探してエントルージュの屋敷を散策していると、一階の隅で、扉が開いたままになっている空き部屋を発見する。
中を覗いてみると、アイリスがベッドに仰向けになっていた。
横になっているだけで、眠っているわけではなさそうだ。
部屋の窓からは光が差し込んでいて、アイリスを照らしている。
その光景はまるで絵画のように美しい。
思わず見蕩れたが、すぐに我に返る。
俺はアイリスに声を掛けた。
「アイリス」
「ッ、ノア、さん……」
声を掛けられてようやく俺の存在に気付いたのか、驚いたように飛び起きたアイリス。
アイリスが起き上がり、姿勢を整えるのを待ってから訊ねる。
「ちょっと話があるんだが、いいか?」
「……はい」
「俺が数日前からこの屋敷の部屋を借りてるのは知ってるよな?」
「ええ」
アイリスとは既に屋敷内でも何度か顔を合わせている。
「それで、端的に言うならこの屋敷にしばらくの間住まわせてくれないか? って話なんだが。一応、リリーの方からは許可を取ってる」
「そうですか……」
アイリスが何だか困ったような表情になる。
「けど、どうして私たちの屋敷に?」
「家が……吹き飛んだんだ」
「吹き、飛んだ……?」
「ああ」
頭に疑問符が浮かんでいるアイリスだが、しかし細かい事情について説明するつもりはない。
説明してしまうと、リリーに関するあれこれまで話さざるを得ないからだ。
リリーも姉には心配をかけたくないようで、『牢獄世界』関連のあれこれについては絶対に話すなと命令されている。
俺としても同意見だ。アイリスを物騒な話に巻き込みたくはない。
「そ、それは災難でしたね……」
「よくあることだがな」
「えぇ……? 家が吹き飛ぶのはよくあることではない気がしますけれど……」
若干引いている様子のアイリス。
まあ、家が吹き飛ぶことなんて『牢獄世界』ならともかく、地上では早々起こらないからな。その反応も無理はない。
『牢獄世界』の場合は挨拶代わりの如く、毎日のようにどこかの家が吹き飛んでいたけれど。
アインの奴はそのノリで俺の家を吹き飛ばしたのだろうが……いつか奴の本体と会うことがあったら弁償させてやる、と俺は決意を新たにした。
「それで家がなくなったから、この屋敷の一室を貸してくれって話なんだが」
「そういう事情なら――はい、分かりました」
俺としてはもっと粘られることを想定していたのだが。
意外にも、アイリスはあっさりとそう言ったのだった。
□
ノアが部屋から出て行ったのを見届けた後。
アイリスはふう、と息を吐いた。
頭からベッドに倒れこむ。何も考えず眠ってしまいたい気分だった。
「アークさん……」
生きていた。
死んだとばかり思っていたのに。
それが嬉しくて、嬉しくて……しかし、悲しい。
アーク・オルブライトは既に死んだとされている。
五年前にアークとアイリスの間に結ばれていた婚約は既に解消されていて、今ではアイリスの婚約者はその兄であるジュリアンだ。
今更になってアークが生きていることが分かったところで、もう五年だ。ジュリアンとの婚約が取り消しになることはないだろう。
それに、そもそもアークは死んだと他ならぬオルブライト公爵家自体から宣言されている以上、ノアがアークであると認められる保証もない。
「こんなことになるなら、あのとき……ちゃんと断っていれば」
深く後悔する。
オルブライト公爵がジュリアンとアイリスの婚約を提案した際、アイリスたち娘に甘い国王は、アイリスに「本当に婚約を結んでもいいのか?」と訊ねてきた。
当時は何も考えたくない心境だったのだ。
だから、アークの訃報を耳にして沈んでいたアイリスは、それを拒む気力すらなく頷いた。
頷いて――しまった。
今更になって婚約を解消して欲しいだなんて話は通用しないだろう。
アイリスが泣いて頼み込んだならば、娘に甘い国王は強引にでも婚約を解消するだろうが、しかし、それでは王国とオルブライト公爵家の関係が悪化することを意味する。
自分なんかのためにそんなことをさせるわけにはいかない、と。
アイリスはそう思う。
――我侭になることができない謙虚さは、アイリスの美点であると同時に、欠点でもあった。
「やっと、諦めることができそうでしたのに……」
正直、アイリスはジュリアンのことが嫌いだった。
その気持ちは今でも変わっていない。
だから、パーティなどの、婚約者として出席する必要のある場所以外では、アイリスはジュリアンのことをできる限り避け続けていた。
ジュリアンはアークの魔術の才能の欠落が判明した後、弟のルイと一緒になってアークを虐げていた張本人だ。好きになれるはずがない。
だが、たとえ好きになることができなくても、婚約者となった以上はなんとか上手く折り合いを付けていこう――と。
アークの訃報から五年が経過して、ようやく考えられそうになったその矢先。
――学園の中庭で、ノアと名乗る彼と出会った。
話していて分かったが、彼――ノアは、もうアーク・オルブライトという名を捨てたのだろう。
会話の中で、再び名乗り出るつもりはないのだと理解してしまった。
五年越しに蘇った恋心は、その瞬間に打ち砕かれた。
だから、ノアと顔を合わせるのは辛かった。
アーク・オルブライトの名を捨てるということは――過去の思い出も捨てるということだ。
私のことを忘れないで欲しいと言ってしまいたい。
ジュリアンとの婚約など破棄してしまいたい。
だけど――アイリスは婚約を破ってまで自分の思いを貫く勇気も、積極性も持ち合わせていなかった。
これがリリーなどならば、自分の思いに正直になれるのだろうけれど……と、アイリスは強く、凛々しい自慢の妹のことを思い浮かべる。
そして、ふと思った。
「けど、リリーちゃんとはどうして仲良くなったんだろう? リリーちゃん、学園だとずっと刺々しい雰囲気になのに」
疑問を呟く。
もやもやとした感情がアイリスの胸中に生まれる。
恐らくこの気持ちは……嫉妬だ。
だが、アイリスは首を横に振ってその感情を打ち消した。
妹に嫉妬をするのは良くない。
「この屋敷に、アークさんが……」
結局のところ。
ノアの頼みをアイリスが断れなかったのは、未練を断ち切れなかったからなのだろう。ノアが自分を探しに来たとき、嬉しかった。
本当に――どうしようもない。
だから、ノアのことをこの屋敷から平和裏に追い出す方法もアイリスの頭に浮かんでいたけれども、結局その言葉が口から出ることはなかった。
「ふふ、アークさん……学生寮のこと、忘れてましたね」
恐らくは忘れていたのだろうが、アルメリア学園には――学生寮があるのだ。
その存在を伝えれば、ノアはあっさりとこの屋敷から出て行っただろう。
それが分かっていて、言わなかったということは。
アイリスはベッドに顔を埋め、小さく呟いた。
「ああ、やっぱり私――まだ好きなんですね、アークさんのこと」
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