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後日談 黛先生の婚約者
(21)喧嘩の翌朝(★)
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(20)話の翌朝のお話です。
女性の生理現象についての描写がありますので、不安に思われる方は閲覧に注意願います。
※なろう版と一部表現を変更しております。
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目を覚ました七海の目に入って来たのは、見慣れぬ天井だった。
(……そうだ、ホテルに泊まって……)
ボンヤリとした頭が覚醒するに従って、苦い思いが呼び起こされる。
どうしても名前で呼んで欲しかったらしい黛が、彼女が彼の下の名前を呼ぶまで返事をしないと言う悪戯(?)を七海に仕掛けたのだった。
返事が返って来ない事が悲しくて怖くて……不安になってしまった七海だが、暫くしてやっと黛の無反応の理由に思い至った。
そして案の定、名前で呼んだ途端彼から反応が返って来た。
落ち着かない気持ちを抱えたままの七海が黛を見ると―――なんと彼は上機嫌にニコニコ笑っていた。よほど名前を呼ばれた事が嬉しかったのだろうかと呆れてしまった。
ホッとするやら腹が立つやら。
その顔を見ていたら―――涙腺が決壊してしまったのだ。
七海が黛のデリカシーの無さに怒って暴言を浴びせたり反撃に頭突きをお見舞いしたり突き飛ばしたり―――といった事は数多くあるのだが。
これまでそんなときに七海が涙を見せる事は無かった。
七海は忘れているが、彼女が過去黛の前で涙を見せたのは高校生の時一度だけある。
しかしそれは彼女自身に関するものでは無く、あくまで純粋に黛に同情しての事だった。
そんな滅多に涙を見せない七海の涙を目にした、昨日の黛の慌てぶりは酷かった。
悄然として頭を下げる黛は自分の仕出かした事を悔いると言うより、七海が泣いている光景に衝撃を受けていたようだった。
謝って貰ったものの七海の気持ちは簡単には収まらず、シャワーを浴びて備え付けのパジャマを身に纏った後、黛が浴室にいる間にふて寝してしまった。
ただし本当に眠ろうと思っていた訳では無い。
自分がうっかり泣いてしまったと言う事実が気まずくて、浴室でシャワーを浴びている内に少し気持ちが落ち着いて来たものの―――何と切り出して良いか分からず、少しの間ベッドの上掛けに隠れたいと思っただけだった。
しかし。
気が付いたら既に朝になっていた。
昼間歩き回った肉体的な疲れと、黛とのやりとりで溜まった精神的な疲れの所為か、昨夜七海の体はスルリと夢の世界に滑り込んでしまった。
恐る恐る隣を見ると―――ベッドの端でスヤスヤ眠っている七海好みの美男子が。
呑気な寝顔に思わず七海は安堵の息を漏らす。
自分でも何故あんなに気持ちが昂ぶってしまったのか不思議だった。
散々泣いて黛に当り、昏々と眠った後―――だいぶん頭がスッキリした気がして―――途端に昨日の出来事が客観的に見えてしまう。
黛に腹を立てて怒ったり泣いたりしてしまった事が、ひたすら恥ずかしく申し訳なくなってくる。
彼なら決してそんな事をしても七海を嫌いにはならないだろうと言う、安心感から来る甘えが前提となっているのだと―――自分自身でよく分かっているから。
スヤスヤ眠る恋人の顔を眺めつつそんな事を考えていると、目の前でそれが身じろぎし始めた。
体勢がごろりと変わり、うつ伏せ気味に七海の方を向いたので、七海はその顔にゆっくりと手を伸ばした。
少しこけた頬に触れる。
指でなぞると少し伸びた髭がチクリとした。
(せっかく、まるまるお休みだったのに)
研修医の黛は常に忙しい。
二人の休みを合わせるのも大変で、珍しく呼び出しも無い昨日の夜は―――本当に貴重なプライベートの時間だったのだ。
「ごめんね……黛君……」
口から洩れた言葉を合図にしたかのように、目の前の無精髭の男がモゾモゾと動き出した。
見守る七海の前でパチリと睫毛の長い涼し気な瞼が持ちあがる。
形の良い綺麗な瞳に見つめられると、慣れている筈なのにいつも七海はドキリとしてしまう。
頬を染めつつ七海は自分から口を開いた。
「おはよう……」
「……はよ」
寝惚け眼で瞬きをしつつ、黛はニコリと笑った。
七海は少し躊躇したが、素直に謝る事にした。
「昨日……寝ちゃったみたい。ゴメンね」
「うん」
「あと、泣いちゃって……ゴメン」
思い出すとウルリと目が潤んできてしまう。
違和感があった。こんなに直ぐに涙が出るなんて―――と七海は自分に戸惑ってしまう。
するとモゾモゾと上掛けとシーツの間を移動して、黛が七海の体に手を伸ばした。
抱き寄せられるままに七海が素直に力を抜くと、スッポリと大きな腕の中に収まるのを感じる。触れている処から体温が伝わって来て、徐々に気持ちが落ち着いて来た。
「七海お前さ……」
耳を付けている相手の胸板から声が響いてくる。優しい声音で黛がサラリと言った。
「もうすぐ生理なんだな?」
「え?」
七海は耳を疑った。
随分気軽に言われた為に、違う単語を聞き間違ったかと思ったくらいだ。
「PMSじゃないか?なんか胸が張ってる気がする」
そう言ってむにっと胸を掴まれた。
「ぴーえむえす……?」
「『PMS』つまり『月経前症候群』……ちょっと情緒不安定だろ。ゴメンな、体調悪い時に煽って悪かったよ」
「……」
確かに謝られている筈なのに、優しい声音で優しく抱き寄せられて気遣われている筈なのに。
冷静に診断されて触診のように胸を揉まれ―――七海はゲンナリしてしまった。
八つ当たりして申し訳ないと思ってしまった先ほどの謙虚な気持ちがスッカリ押し流されるのを感じる。
「そう言えばいつもより体温が高めだな?高温期だからか?」
引き続き胸を触られながら七海が脱力感に襲われていると、黛が嬉しそうにこう言った。
「『安全日』って言い方は語弊があるけど、オギノ式で言うと妊娠し難い時期だな。せっかくだから生でやってみるか?七海の周期は安定してるから」
「……黛君……」
「妊娠してもどうせ結婚するから問題ないし」
デリカシー無し男が機嫌好さげにこう言ったので。
七海は思った。
謝る必要、無かったな……と。
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両想いになっても、デリカシーが無いのは相変わらずでした。
喧嘩が深刻になり難いのが、救いでしょうか。
お読みいただき、有難うございました。
女性の生理現象についての描写がありますので、不安に思われる方は閲覧に注意願います。
※なろう版と一部表現を変更しております。
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目を覚ました七海の目に入って来たのは、見慣れぬ天井だった。
(……そうだ、ホテルに泊まって……)
ボンヤリとした頭が覚醒するに従って、苦い思いが呼び起こされる。
どうしても名前で呼んで欲しかったらしい黛が、彼女が彼の下の名前を呼ぶまで返事をしないと言う悪戯(?)を七海に仕掛けたのだった。
返事が返って来ない事が悲しくて怖くて……不安になってしまった七海だが、暫くしてやっと黛の無反応の理由に思い至った。
そして案の定、名前で呼んだ途端彼から反応が返って来た。
落ち着かない気持ちを抱えたままの七海が黛を見ると―――なんと彼は上機嫌にニコニコ笑っていた。よほど名前を呼ばれた事が嬉しかったのだろうかと呆れてしまった。
ホッとするやら腹が立つやら。
その顔を見ていたら―――涙腺が決壊してしまったのだ。
七海が黛のデリカシーの無さに怒って暴言を浴びせたり反撃に頭突きをお見舞いしたり突き飛ばしたり―――といった事は数多くあるのだが。
これまでそんなときに七海が涙を見せる事は無かった。
七海は忘れているが、彼女が過去黛の前で涙を見せたのは高校生の時一度だけある。
しかしそれは彼女自身に関するものでは無く、あくまで純粋に黛に同情しての事だった。
そんな滅多に涙を見せない七海の涙を目にした、昨日の黛の慌てぶりは酷かった。
悄然として頭を下げる黛は自分の仕出かした事を悔いると言うより、七海が泣いている光景に衝撃を受けていたようだった。
謝って貰ったものの七海の気持ちは簡単には収まらず、シャワーを浴びて備え付けのパジャマを身に纏った後、黛が浴室にいる間にふて寝してしまった。
ただし本当に眠ろうと思っていた訳では無い。
自分がうっかり泣いてしまったと言う事実が気まずくて、浴室でシャワーを浴びている内に少し気持ちが落ち着いて来たものの―――何と切り出して良いか分からず、少しの間ベッドの上掛けに隠れたいと思っただけだった。
しかし。
気が付いたら既に朝になっていた。
昼間歩き回った肉体的な疲れと、黛とのやりとりで溜まった精神的な疲れの所為か、昨夜七海の体はスルリと夢の世界に滑り込んでしまった。
恐る恐る隣を見ると―――ベッドの端でスヤスヤ眠っている七海好みの美男子が。
呑気な寝顔に思わず七海は安堵の息を漏らす。
自分でも何故あんなに気持ちが昂ぶってしまったのか不思議だった。
散々泣いて黛に当り、昏々と眠った後―――だいぶん頭がスッキリした気がして―――途端に昨日の出来事が客観的に見えてしまう。
黛に腹を立てて怒ったり泣いたりしてしまった事が、ひたすら恥ずかしく申し訳なくなってくる。
彼なら決してそんな事をしても七海を嫌いにはならないだろうと言う、安心感から来る甘えが前提となっているのだと―――自分自身でよく分かっているから。
スヤスヤ眠る恋人の顔を眺めつつそんな事を考えていると、目の前でそれが身じろぎし始めた。
体勢がごろりと変わり、うつ伏せ気味に七海の方を向いたので、七海はその顔にゆっくりと手を伸ばした。
少しこけた頬に触れる。
指でなぞると少し伸びた髭がチクリとした。
(せっかく、まるまるお休みだったのに)
研修医の黛は常に忙しい。
二人の休みを合わせるのも大変で、珍しく呼び出しも無い昨日の夜は―――本当に貴重なプライベートの時間だったのだ。
「ごめんね……黛君……」
口から洩れた言葉を合図にしたかのように、目の前の無精髭の男がモゾモゾと動き出した。
見守る七海の前でパチリと睫毛の長い涼し気な瞼が持ちあがる。
形の良い綺麗な瞳に見つめられると、慣れている筈なのにいつも七海はドキリとしてしまう。
頬を染めつつ七海は自分から口を開いた。
「おはよう……」
「……はよ」
寝惚け眼で瞬きをしつつ、黛はニコリと笑った。
七海は少し躊躇したが、素直に謝る事にした。
「昨日……寝ちゃったみたい。ゴメンね」
「うん」
「あと、泣いちゃって……ゴメン」
思い出すとウルリと目が潤んできてしまう。
違和感があった。こんなに直ぐに涙が出るなんて―――と七海は自分に戸惑ってしまう。
するとモゾモゾと上掛けとシーツの間を移動して、黛が七海の体に手を伸ばした。
抱き寄せられるままに七海が素直に力を抜くと、スッポリと大きな腕の中に収まるのを感じる。触れている処から体温が伝わって来て、徐々に気持ちが落ち着いて来た。
「七海お前さ……」
耳を付けている相手の胸板から声が響いてくる。優しい声音で黛がサラリと言った。
「もうすぐ生理なんだな?」
「え?」
七海は耳を疑った。
随分気軽に言われた為に、違う単語を聞き間違ったかと思ったくらいだ。
「PMSじゃないか?なんか胸が張ってる気がする」
そう言ってむにっと胸を掴まれた。
「ぴーえむえす……?」
「『PMS』つまり『月経前症候群』……ちょっと情緒不安定だろ。ゴメンな、体調悪い時に煽って悪かったよ」
「……」
確かに謝られている筈なのに、優しい声音で優しく抱き寄せられて気遣われている筈なのに。
冷静に診断されて触診のように胸を揉まれ―――七海はゲンナリしてしまった。
八つ当たりして申し訳ないと思ってしまった先ほどの謙虚な気持ちがスッカリ押し流されるのを感じる。
「そう言えばいつもより体温が高めだな?高温期だからか?」
引き続き胸を触られながら七海が脱力感に襲われていると、黛が嬉しそうにこう言った。
「『安全日』って言い方は語弊があるけど、オギノ式で言うと妊娠し難い時期だな。せっかくだから生でやってみるか?七海の周期は安定してるから」
「……黛君……」
「妊娠してもどうせ結婚するから問題ないし」
デリカシー無し男が機嫌好さげにこう言ったので。
七海は思った。
謝る必要、無かったな……と。
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両想いになっても、デリカシーが無いのは相変わらずでした。
喧嘩が深刻になり難いのが、救いでしょうか。
お読みいただき、有難うございました。
応援ありがとうございます!
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