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太っちょのポンちゃん 社会人編9

唯ちゃんと、シェアハウスの住人(14)

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「鈴木さんは、大学の帰りですか?」
「あ、はい……」

 近くまで歩み寄って来た唯さんは、俺に気が付いてニッコリと笑った。

「お疲れ様です」

 それからピョコリと香子さんの傍らに、寄り添うように立つ。その何気ない仕草からは二人の親しさが窺えた。そんな場合ではないのに、ついホッコリとさせられてしまう。

「おばあちゃん、入居者の鈴木さん。ホラ、この間収穫を手伝ってくれた……」
「あらあら、まぁ」

 香子さんは意味ありげに笑って、相槌を打った。
 妙な居心地の悪さを感じる。

 最初唯さんの収穫を手伝ったのは、決して下心があっての事じゃ無かった―――いや、自覚してはいなかったけれど、少しはそう言う気持ちはあったのかもしれない。しかしどちらにせよ香子さんには俺の気持ちはバレバレなので、そうとしか思われないだろう。
 でも最初から邪な気持ちで近づいたように思われたら困る。けれどもそれを今、大っぴらに否定できないのが辛い……!

 頼む、どうか唯さんに余計なことは言わないでくれ……!!

 無言かつ必死のメッセージが通じたのだろうか。意味ありげに笑いはしたものの、香子さんは俺の『取違い告白』の件については、その後おくびにも出さずにいてくれた。
 作業を手伝いながら聞くところによると、彼女は大きな家庭菜園を持っていて、このシェアハウスの菜園の監修のような仕事をしているということだった。時折、生育状況をチェックし管理人達に指示を出しているらしい。
 以前、三島君が『おばちゃんが菜園の世話をしている』と言うようなことを言っていた。だからこそ俺は唯さんをうっかり『おばちゃん』と呼んでしまった経験があるのだが、彼が以前見掛けたのは、もしかすると香子さんなのかもしれないと考えた。

 その日は引き続き二人の作業を手伝い、雑草を抜いたり重たい肥料の袋を運んだりした。作業を終えた後、菜園横にあるベンチで休憩する。唯さんは荷物から水筒を取り出し、紙コップに入れて手渡してくれた。

「鈴木さん。お忙しいでしょうに、手伝っていただいて有難うございます」
「いえ、良い気分転換になりました」

 日が傾き、さっきまで厳しめに降り注いでいた初夏の日差しが僅かに柔らいでいる。
 ああ、本当に気持ちがスッキリした。農作業って言うのも、良いな。ずっと就職の事ばかり考えて緊張していたから―――。
 とは言え、ここ数日は別の事に意識を捕らわれてしまった。でも日常から離れたようなこの空間で、再び頭を空っぽに出来た気がする。

 就職に関してはこの間、四次選考を受けた所だった。これを通過すれば、後は最終選考の個人面接と英語のコミュニケーションテストとなる。
 実はパーティで知り合った、大学で研究員をしているオーストラリア人に、面接の準備を手伝って貰えることになったのだ。代わりに試験後は俺が彼に付き合って、日本語を教える事になっている。どうやら英語に触れる機会を作ると言う、このシェアハウスに入居した当初の目的は果たせたみたいだ。
 そう―――だから後俺に出来ることは、全力を尽くすことだけなのだ。
 
 フッと肩の力が抜けて、同じようにお茶を飲む彼女の横顔に見入ってしまう。
 額がキラリと光って見えるのは、少し汗を掻いているからだろう。前髪が濡れて、僅かに白い肌にはりついている。
 ぼんやりその様に見入ってしまった俺の視線に気付いたらしい唯さんが、慌てたように顔に手を当てた。

「もしかして、土か何か付いてますか?」
「いえ、大丈夫ですよ」

 慌てる表情が可愛らしくて、思わず笑ってしまう。
 理由を言うと気持ち悪がられるかと思い、言い訳を口にした。

「……美味しそうに飲むなって思って」
「アハハ、喉乾いちゃって。今日、暑いですよね? もう夏みたい」

 屈託なく笑う彼女の笑顔に、心臓がキュッと音を立てた。

「……あの、俺―――」
「……」

 本能に突き動かされて、つい何かを口走りそうになった時。
 そこでやっと、俺と彼女の間にいる小柄な存在を思い出した。
 そうだ、今俺達はこのベンチに二人切りで座っているワケではないのだ。間に彼女のお祖母ちゃんを挟んでいるんだった……!

「はい?」

 上がったり下がったり大変なことになっている俺の心の中を知らない唯さんは、キョトンとした瞳で言葉に詰まった俺の続きを促す。俺はシドロモドロになって、またしても適当な言葉を探すのに躍起になった。

「あのっ……この間のゴミ箱の件、迅速に対応していただいて。有難うございます!」
「え? いいえ! 仕事ですから、当然です」

 思ってもいない話題だったらしく、僅かに目を丸くしたものの、そう謙虚に返す彼女。
 だが、何となく少し嬉しそうに見える。照れたようにはにかむ様子が可愛らしくて、つい目を細めてしまう。

「こちらこそ、指摘していただけて助かりました。また気付いたことがあったら教えていただけると有難いです」
「……」

 ふと、俺達の遣り取りを面白そうに見ている視線に気が付いて、口元を引き締める。そんなに俺はだらしない顔をしていただろうか? と、やや焦った。

「あの、香子さん」

 やはり口留めしなければ、と思いつつも何と言って良いか分からず逡巡していると、香子さんがポンポンと俺の背を優しく叩いてくれた。
 何となく、分かってくれたというサインのように思えて、ホッと胸を撫で下ろす。
その親し気な遣り取りを見て、唯さんが目を丸くした。

「おばあちゃん。今日会ったばかりなのに、随分鈴木さんと仲良くなったんだね」

 すると香子さんは、フフフと意味ありげに笑って―――こう発言したのだ。

「そうなの。さっきこの人ね、私のボーイフレンドなったのよ」
「え!」

 唯さんも驚いたが、俺も驚いた。
 思わず、お茶を噴き出しそうになったくらいだ。

「ね? 鈴木君?」
「っ……え? ええと……」

 口籠る俺を、ニヤニヤと見上げる香子さん。

「……はい……」

 俺は白旗を掲げつつ、頷くしか無かった。

 どうやら意思疎通は出来ていなかったようだ。俺の無言のメッセージは、正しく彼女に届いていなかった……!
 ここで否定したら何を言われるかわかったもんじゃない。俺は動揺しつつも、小さな声で肯定する道を選んだのだ。

「えー! じゃあ、伊藤のおじさんは?」
「あの人も『お友達』よ。男性の友達、つまり『ボーイフレンド』!」

 すると唯さんは、呆れたように首を振る。

「もー……紛らわしい言い方して……」
「唯は、真面目過ぎるのよ」
「そうかなぁ」

 そんな風に二人の女性が他愛無い遣り取りをしているのを聞きながら、香子さんの些細な言動に振り回されまくりの俺は、自分の心臓がドコドコと早鐘を打っている音を聞いていた。



 もうヤダ……やっぱり俺には女心は分かりそうもない。



 結局、唯さんに告白は出来なかった。
 が、もともとそれは当初の予定になかったのだからこれで良かったのだ。と思う事にした。

 取りあえず、前回の件のお礼を言えただけでも良しとするか。やはり未だ早いよな。神様は就職試験が終わるまでは、余所見などせず専念しろと言っているのだろう。

―――と、悠長に構えていた俺が、アッサリと彼女の真実を知る事になるのはこの後だ。
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