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俺のねーちゃんは人見知りがはげしい【俺の奮闘】
◆ 優しい男(2) <鴻池>
しおりを挟む「俺すごく楽しいんだ。一緒にいるだけでそれだけで嬉しくて―――姉貴に幸せな時間を貰っているって感じている。だから無駄な時間なんてひとつも無い。俺が今こうしている事は『無駄』なんかじゃないんだ―――鴻池に理解して貰えるか……わからないけど」
そう言って微笑む森の表情は凄く柔らかくて。私はその優しく慈愛に満ちた顔をそれ以上見続ける事はできず、目を逸らした。
分からない、分からないよ。
なんで森があの人の事を好きなのか、分からない。
どうして私の方を見てくれないの?
森の事こんなに好きで、森の事いっぱい考えているのは私なのに。
私達は気が合う、身長もちょうどいい。容姿も並ぶと似合っていると思う。
バスケに打ち込む森の事……色んな面でサポートできるよ。話していると、本当に楽しくて時間を忘れてしまう。森だって……そうでしょ?
押しの強い私に弱冠引き気味でも律儀に返事をしてくれて―――普段は多少ひ弱い所はあると思う。でもコートにいると王様みたいにアッと言う間にゲームを掌握して、強気で大胆で綺麗で……息を吸うのを忘れるほど、魅入ってしまう。
なんで、あんな地味な『お菊人形』が好きなの?
森が怒るかもしれないから、直接口には出して言う気は無いけど―――絶対森に似合っていない。
良く見れば多少可愛いかもしれない。でも流行も何も関係ないって言っているような重くて長い髪。化粧っ気の無い顔。見た目を磨く訳でもなければ、楽しい話題を提供する訳でもない。森が一番打ち込んでいるバスケにも興味なさそう。
それに―――それに森が執着するほど、あの人は森を大事に思っていない―――少しの時間だけど1週間近くにいて―――そう感じた。
森の気持ちはきっと通じない―――通じちゃいけない。
だって、2人は姉弟なんだから。そんな事、あっちゃいけない。
ずっとモヤモヤとしている。胸が……苦しい。
自分は嫉妬で冷静な判断ができていないかもしれない、そういった考えがふと頭を過ぎる瞬間がある。だけど、そんな筈無い!―――って頭を振って気の迷いを振り払った。
自分が間違っているかもしれないっていう考え方は自虐的で嫌いだ。非生産的でウジウジしていて暗くて―――悲劇のヒロインみたい。明確な抗議もせず泣いてばかりの母親みたいで―――嫌悪感が湧いた。
私はそんな『女』になりたくなかった。
** ** **
高坂先輩と試合観戦をしたその夜、自宅で鞄の中身を取出していたらルバンガ北海道の公式ファンブックが出てきた。
あちゃー。
高坂先輩が持ってきた本だ。選手のプロフィールをチェックしていて……うっかり自分の鞄にしまい込んでしまったんだ。フラッシュバックのようにその時の記憶が呼び覚まされた。
きっと違う事が気に掛かって上の空だったからだ。普段の自分がやらかさない失敗に思わず眉を顰めてしまう。
翌日の昼休み、ファンブックを返す為に3年のクラスがある階の廊下までやって来た。高坂先輩のクラスの扉を見た時、その隣のクラスの前に綺麗な男の子が立っているのが目に入った。
何年生だろう。私より少し大きいくらいの身長で、男子としては小柄だと思う。女性的に見えるくらい目がクリクリとしていた。
その美少年は高坂先輩のクラスのすぐ横のクラスで誰かを待っていた。やがて待ち人が来たのか、横顔をこちらに向けている美少年はニッコリと華が咲いたように微笑んだ。
そこに現れたのは―――彼よりもずっと小柄な、森の『お姉さん』だった。
私は思わず立ち止まってしまう。
良く見ると2人はそれぞれ手にお弁当を持っている。私には気付かず、何事かを話しながら肩を並べて去って行った。
2人が一緒にお弁当を食べるようとしているのは、明白だった。
なんなの。
なんなの、あの女。
「どした?」
突然背後から声が掛かって、ビクッと体が跳ねてしまう。高坂先輩だった。
「あの、これ。間違って持って帰っちゃって……すいませんでした」
私は高坂先輩に、ファンブックを手渡した。
「ああ。忘れていた」
「高坂先輩、あの男の子……知っていますか?」
私は用事が終わるや否や、高坂先輩に詰め寄った。
彼は私の剣幕に驚いたのか少し息を呑んだけれども、直ぐにデフォルトの魅力的なやんわりとした笑顔に戻って言った。
「男の子?……ああ、アイツ地学部の3年生だよ。確か変わった名前だったな……そうだ、『王子』って名前だった」
「『王子』?渾名ですか?……森のお姉さんと、すごく仲良さそう」
「お前さ、」
高坂先輩がスッと表情を凍らせた。
その真剣な声音に、私はギクリとした。
「……いい加減、そういうの止めたら?」
ドキンと心臓が跳ねた。
いつも女の子に甘い話し方しかしない、高坂先輩の真剣な声。
部活で男子相手にしか出さない、鋭い叱責を思い出させた。
これ以上ここにいたらヤバイと、本能が警告した。
正論なんか聞きたくない。
そう頭の奥で叫び声が聞こえ―――私は咄嗟にに身を引いた。
「本、すいませんでしたっ!―――じゃ、また!」
更に続けようとした高坂先輩の言葉を遮って、クルリと反転して逃げる。
聞きたくない。
悪いのは、私じゃない。
悪いのは―――あの女だ。
そのまま私は2人の後を追った。
2人は談笑しながら、旧校舎へ繋がる廊下を歩いている。
こうしてみると―――すごくお似合いだ。
小柄で日本人形のような森のお姉さんと、女の子のように可愛い中背の男の子。
2人は『地学部』と表示された古い会議室に入って行った。
一緒に楽しくお昼ご飯を食べるのだろう。
私の心臓はドキドキと早鐘を打っている。
お姉さんの弱みを握った!―――そう、思った。脈を刻むたび、歪んだ悦びが心臓から体中に拡がって行き―――満足感が胸を支配する。
森は悲しむだろう。
彼女は悪い女だ。
森の純情な想いに胡坐をかいて―――自分は別の男と楽しく時を過ごしている。
もしかしたら、森の気持ちに気付いているかもしれない。だから、手なんか握らせてアイツの気持ちを引き留めているんだ。
優しい森は―――本当は気付いているかもしれない。
自分の事を弟としか思っていないと知っているって、辛そうだった。本当はその執着を引き剥がしたいに違いない。離れようと他に目を向けようと頑張った時期がある……と言っていた。
だけどできないから、傍にいるって。
『幸せだ』って言っていたけど、きっと強がりだ。報われない想いにしがみ付いている彼を見ているのは―――もう耐えられない。
私が手助けしなければ、と思った。
使命感で……再び体が熱くなった。
** ** **
用事があるからと言って、初めて部活を休んだ。
いつも真面目に仕事をしているから、こういう時はすんなりと受け入れて貰える。
そうして下駄箱の近くで待ち伏せて……彼女に声を掛けた。
「森の事で話があるから、ファーストフードに行きませんか?」と誘うと、了解してくれた。相変わらず何を考えているか判らない無表情で、彼女は頷いたのだった。
私はホットのストレートティー、お姉さんはアップルパイとチャイを頼んだ。
黙って温かい紅茶を飲む私。言いたい事は後から後から湧いて来て、胸の中で渦を作る。だからすぐに切り出す気にはなれなかった。
相手を弾劾するって、勇気がいる事だ。
私は思った事を比較的ポンポン口に出す方だと思う。
けれどもそんな私にとっても、相手自身が自分が悪いと認識していない行動に対して責める形を取る事に……躊躇いを抱いてしまうのかもしれない。好意のカケラも抱いていない相手なのに。
口の重い私に、お姉さんは何も言わずチャイに口を付けた。私はそんなお姉さんをジッと観察する。すると彼女は―――無表情にアップルパイにパクリと齧り付いた。
「……!」
思わず息を呑む。
いつも表情が変わらない彼女が、ほんのりと微笑んだからだ。
何となく目が離せなくなって、私はアップルパイを幸せそうに食べる彼女から目を離せない。
モグモグぱくり、モグモグぱくり―――とアップルパイを咀嚼し呑み込む。
彼女は私の剣呑な目線を物ともせずマイペースにアップルパイに集中していた。そしてペロリと平らげた後、チャイをこくりこくりと飲んだ。そして、フーッと満足げに温かい息を吐く。
「……」
おい。
もしかして、私の存在忘れていたんじゃないだろうな?
私は心の中で突っ込みを入れた。
そんな内心の私の呟きに反応するように、彼女が目を上げる。私の視線に気付きハッと息を呑む様子が見て取れた。―――どうやら、本当に忘れていたらしい。
私は胸の中に、言い表す事のできないモヤモヤがまた湧き上がるのを感じていた。
「え……と、清美の事で話って……何?」
取り繕うようにほんのり頬を染めて、お姉さんが言った。
彼女の緊張感の無さに、苛々した。
なんで私が苛々しなきゃならないんだろうって、更に腹立たしくなる。お姉さんのあまり崩れない表情からは―――私に対する何の感情も感じられ無い。あれだけ私が邪険にしたのに、動揺を欠片も見せない彼女の態度が……森に大事にされている余裕から来ているもののような気がして、ムカムカしてくる。
「お姉さん、あの『王子』っていう人と付き合っているんですか?」
「は?」
「この間、お昼ごはん一緒に食べていましたよね」
「……ああ、うん。たまにお弁当は一緒に食べているけど……付き合ってはいないよ。ただの友達……あの『話』って清美の事じゃなかったっけ?」
「『友達』ねぇ……そのお友達と付き合っちゃったら、どうですか?」
お姉さんはポカンとしていた。
「は?」
「ね、そうしましょう!お似合いですよ。ぴったりです」
私は満面の笑みで勧めた。台詞に少々威圧感が籠っていただろう。それは仕方が無い。
俗にいうスクールカーストで私は上の方、彼女は下の方に位置するタイプだと思う。
こういう大人しめの相手は、強く言えば引いてくれるのが常だった。森の幸せのためにもお姉さんにサッサと片付いて貰うのは妙案だと思う。多少強引に押し切っても彼女の為になることだし、結果森が無駄な恋に終止符を打つ切っ掛けにもなるだろう。
「……」
それなのにお姉さんは、ムッツリと黙り込んでしまった。
地味な真面目ちゃんのくせに……いっぱしに反抗的な態度を取るんだ。
私は内心焦れてイラッとした。
するとお姉さんはスッと無表情に戻って、立ち上がった。
「あの。……清美の話じゃ無いのなら、帰るから」
私は咄嗟にトレーを持ち上げようとした彼女の手首を掴んだ。
「森の話をしているんです。もう森を惑わすのは止めて欲しいって、言っているんです」
お姉さんは僅かに目を見開いたが、私の言っている意味が伝わっていないように見えた。
「もう、森を苦しめないで下さい。森の気持ちを踏みにじらないで」
「……何を言っているの?」
お姉さんは無表情のまま、私の顔を凝視していた。
「分からないんですか?本当に?……森は―――お姉さんの事、好きなんですよ」
彼女はゆっくりと首を傾げて、頬を僅かに染めた。
「……え、まあ、それは……知ってる。シスコンが過ぎるとは思うけど……」
と少し言い難そうに、声を潜めて認めた。
「……それが、私の友達と何の関係があるの?」
チリッと胸に、痺れのようなものが走った。
それが苛立ちだと気付くのに―――時間は掛からなかった。
何をとぼけた事を言っているんだ、この人は。私は憤然と捲し立てた。
「森は、シスコンじゃないですよ。お姉さんの事、女の人として好きなんです。分かっていて無視しているんですか?」
「……はぁ?」
お姉さんは間抜けな声を出した。しかし、表情は変わらない。
私はその感情が出ない顔を、思い切り歪めてやりたい衝動に駆られた。
「いやいや……何言っているの?私達、姉弟だよ?」
表情を変えないながらも、ブンブンと首を振って否定するお姉さん。
「でも、血は繋がってないでしょ」
「そうだけど……清美も、自分の事『シスコン』って言っているよ。鴻池さんの勘違いだから」
私は一呼吸おいて、はっきりと言い放った。
「私は直接、森に聞いたんです」
「………はぁ?……えぇ!?」
お姉さんは激しく動揺していた。
今度は私の目にも分かるくらい―――顔色が変化した。
どうやら私がぶつけた事実は、彼女には思いも寄らなかった事らしい。
一瞬思った。
……気付かせないままの方が良かっただろうか……?
……でも気付かないうちは、きっとお姉さんから森の傍を離れる事は無いだろう。私は一瞬浮かんだ自分の後悔を押し潰す。そう……私の中には確信があった。
「そうやって、森の気持ちを振り回して来たんですね……いい加減、森を解放してください。森にはやらなければならない大事な事がいっぱいあるんです。あなたと無駄な時間を過ごしているのは勿体無い」
「……えっと……」
私は更に目に力を込めて、彼女を睨み付けた。
「あなたに彼氏ができれば、森もきっと諦めます。『友達』なんていって王子さんをキープしないで、早く付き合ってください。そしてなるべく早く、森の前から消えて下さい。」
「……あの……」
「そうだ!……遠くの学校を受験して家を出て行けばいいんじゃないですか?」
良い事を思い付いて、胸が弾んだ。
そうだ、そうだ。彼氏が出来ただけじゃ、森の気持ちは収まらないかもしれない。
お姉さんは、独り立ちして遠くに行くべきだ。
―――森のために。
自分の考えが素晴らしく思えて、満面の笑みになってしまう。
お昼休みにほとんど発言しないお姉さんはこれまで、私の多少失礼に当たるかもしれない助言に怒ったり、反論したりする事も無かった。
そういう押しの弱い人っている。
私は、それは信念が無いからだと、考えている。
強い気持ちが無いから―――強い思いがあって強い発言をする人の意見に流される―――それは自然な事だ。
それに私は薄々、気付いていた。
お姉さんは本当に『森のため』になる事であれば―――折れてくれるだろうと。
私の中では、大人しいお姉さんが私の意見に折れるのは既に決定事項だった。
最初森は怒るかもしれない。寂しくて辛いかもしれない。
でも大丈夫。これが正しい事なんだから、きっと最後には森も判ってくれる筈。森に私の思いが通じる筈。森はお姉さんの呪縛から自由になり―――目を覚ましてもっと周りを見る余裕ができるだろう―――そんな未来が予想できた。
「お姉さんも、森の事……大事でしょう?」
「大事だよ」
「だったら―――」
「できない」
「―――え?」
「王子とも付き合えないし、清美と距離を置く事もできない」
「何、言っているの?」
「もし結果的にそうなるとしても―――少なくとも鴻池さんに言われて『はいそうですか』って受け入れる事はできない―――これは私と清美の問題だし、私と王子の問題だから―――鴻池さんには関係ないことだから」
「意外と、言うじゃない……いっつも無表情で大人しいくせに。―――それが本性って訳?」
私は地の底から這い出てきたように、低く唸った。
しかし目を上げて彼女と視線が合った時―――グッと押し黙ってしまった。
彼女は元の無表情に戻って、冷たく私を見ていた。
「……離してくれる?」
思わず手の力が緩んでしまう。
見た目が幼いから、なんだか年下のように錯覚していたことに気付いた。実際は2歳上の先輩だ。少しくらい迫力があっても―――おかしく無いのだ。
怯んで力の抜けた手の平が、じんじんと痺れて来た。
お姉さんはそんな私の頭の上で溜息を吐いて、トレーを持って去って行った。
どれほど時間が過ぎたのだろう―――暫くして、私は我に返った。
そして先ほどの遣り取りが、鮮明に思い出される。
頭の中に映像として勝手に写し出されてくると―――頬が怒りでカッと熱くなった。
格下だと―――ひ弱だと思って侮っていた相手に、怯んでしまった事が口惜しかった。
しかも、私は悪くない。
悪いのは、はっきりしないあの女なのに。
それなのに妙な迫力に負けて―――攻撃の手を緩めてしまった事が恥ずかしかった。
ダンッ
私は両拳を握りしめて、思わずテーブルを叩いていた。
途端に周囲のおしゃべりが止んだ。こちらに注目する空気がビシビシと伝わって来る。
そこでまた我に返り―――私は自分のトレーを持ってそそくさと席を立ったのだった。
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