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結婚するまでのお話 <大谷視点>
8.一息つきます。
しおりを挟む社食を出てグングン私の手を引いて歩いていた吉竹さんがピタリと止まった。いつの間にか行き止まり、自販機の前まで来ていたようだ。
彼女は呆然としている私の肩を無言でグイッと押すと、ベンチに座らせる。それからガコンと音がして、目の前に赤い缶が差し出された。
『ホットケーキ味』
「これ、奢りだから」
「何でこんなの自販機にあるの……初めて見た」
その名の通りホットケーキの絵が印刷されている缶。吃驚しちゃって思わず受け取ってしまった。しかもライバル他社のもの。……と言っても業界売上ランキング上位三位に入るメーカーだから、ライバルって言えるのかどうか分からないけれど。
「企画課の提案。スイーツ系の珍しい飲み物、月替わりで入れるようになったんだ」
「もしかして、中務さん?」
吉竹さんが私の横に腰を下ろし、プシッと手にしている缶のプルタブを開けた。あっずるい。珈琲だ!私もそっちの方が良かった……!
「そう、元はと言うと私がお願いしたんだけどね。ホラ、結婚しちゃったからもう企画課移れないと思うし、アイデア預けちゃおうと思って」
そう言えば吉竹さんは企画課希望だった。小説も書いてるのに、仕事も……って貪欲だなぁ。吉竹さんって変わっているけど、彼女のやる気って言うかエネルギーの濃さには本当に恐れ入るよ。
「夫婦で同じ課って難しいの?やっぱり」
「うん、まず前例は無いね。まあ企画課って言っても一から六まであるから、ゼッタイでは無いかもしれないけど。私の希望している部署は難しいかな」
「それで結婚に気が進まなかったの?」
籍を入れたと言うのに他人事のように話す吉竹さんを見て、中務さんが可哀想だって思ったけど、そう言う事情があったなら何となく見方は変わって来る。
「うーん、今小説が忙しいからね。色々手掛けたいアイデアはあるけど、もう自分で手掛ける時間確保するの難しいから、そっちの方はもう中務さんに任せようかなって思ってる。総務課の方が休み易いから小説に専念できるし」
「そっか」
吉竹さんも色々譲歩しているんだな、好きな人と一緒に生きる為に。そう思うとちょっとしんみりする。
話している内に泡立った気持も落ち着いて来たようだ。せっかくだからとプルタブを開けて一口飲んでみる。が、直ぐに後悔した。
「うっ……あま」
「やっぱり?」
「せめてお腹空いている時に飲みたかった……」
これ、カロリー滅茶苦茶高さそうだな。あ、ミルクセーキなんだね。ホットケーキ味の……『なんじゃそりゃ』って改めて思う。これ、世間で売れてるのかなぁ?
「『独身』って言ってもバツイチなんだよ。だからあの部長が結婚に焦って亀田課長に迫るとかは無いんじゃないかな?」
唐突に。何でも無い事のように吉竹さんは話を戻した。
「……知ってるの?」
口調から推測して、好意的な言い方に聞こえた。
「うん。新人研修の時、講師やっていただいたんだ。気さくで良い人だよ、だから婚約者のいる相手に今更チョッカイ掛けたりなんてしないハズ」
『良い人』と聞いて複雑な気分になる。ホッとする部分もあるんだけど『良い人』って聞くと、丈さんが『やっぱり元カノの方が良かった』なんて言い出さないかって不安になる。いや、信じるって決めたばかりなんだけど……不安になっちゃうのはしょうがないよな。だって失いたくないんだもん。
「バツイチって……丈さんと別れた後に結婚したの?」
「ううん、旦那さんと離婚した後、部下の亀田課長と付き合っていたらしいよ。そんなに長い期間じゃ無かったって聞いているけど」
「そうなんだ……何で別れたんだろ」
「旦那さんと?」
「いや、亀田課長と」
「さあ……色々噂はあるけど、確か五歳くらい年上だったからなかなか難しかったんじゃない?年の差が」
グッと色んな意味で胸が痛かった。
年上の女の人と付き合ってたんだ。
それに年齢差で続かなかったって聞くと、年の離れている私としては妙に複雑な気分になる。それにそうか……その人、丈さんの上司、だったんだ。
色々な感情がせめぎ合って、ウルッと涙が滲みそうになる。ああなんだって……先週末からこっち、涙腺が緩みっぱなしなのかもしれない。
するとギョッとした吉竹さんが慌ててフォローし始めた。
「だ、大丈夫だよ!たぶん。ホラ、ウチだってさ。中務さん学生時代モッテモテでさ!女を千切っては投げ、千切っては投げしていたけど、今は仕事ばっかりで全然落ち着いてるし」
そうなんだ。中務さん『モッテモテ』だったんだ……言われてみると分かる気がする。もの凄いイケメンって訳じゃないけど、男らしくて頼りがいある感じがするし。じゃあ吉竹さんも結構苦労したのかな……?付き合う経緯、全く話してくれないから初めて聞いた。意外や意外でモテモテの中務さんに密かに片思いしていて―――それが漸く叶ったとか?それにしては中務さんの扱い、酷いよな。もしかしてツンデレってヤツで家ではデロデロに甘いとか……?目の前の彼女からは想像もつかないけど。
「モテる彼氏がいると、大変だね」
「いやーでも色々ネタ提供して貰ったから!それに学生の時は彼氏じゃ無かったし!思えば良い情報ソースだったなー……すっかり真面目になっちゃって、逆に面白く無いわ」
何の話だ。
夫が遊び人だったら、普通は困る所でしょ?
ちゃんと彼女である吉竹さん一筋になったんだから、此処は喜ぶ所じゃないの?
吉竹さんが珍しく私を慰めてくれる気になったのは有難いけど、一般人の感覚とずれが有り過ぎて、結局何がなんだか分からなくなってしまった。
でもまあ―――少しだけ気は紛れたかな……。
そんな風に色んな事が有耶無耶になった所で昼休みが終わった。私達は慌てて飲み物を飲み干して、総務課へと急いだのだった。
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