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結婚するまでのお話 <大谷視点>
24.そして春になりました。【最終話】
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今度こそ、本当に最終話です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
時間貸しの有料パーキングに停めた車の助手席で待っていると、丈さんが戻って来た。
「お疲れ様、やっぱり混んでた?」
「ああ、まあでも朝イチだから思っていたより早く買えたな」
公園に向かう前に立ち寄ったのは五ッ橋通りに面する御餅屋さん。仙台市で創業百四十年『づんだ餅』で有名なお店。暖かくなってきた五月の休日、私も丈さんも脱ぎ着出来るように半袖Tシャツの上に長袖のシャツを羽織っている。
春になって、うータンと私はママと入れ替わるように仙台駅に到着した。その頃東京は暖かい日が続いていたので、油断していた。JR仙台駅前の空中歩廊と言うか建物を縦横無尽に結ぶペデストリアンデッキに降り立った時、思った以上に寒くてすぐに回れ右で駅ビルに飛び込んだっけ。アウトドアショップで暖かいアウターを手に入れて、少し前まで肌寒い夕方なんか手放せなかった。けれど桜が咲き終わって暫くするとそれも玄関脇のコート掛けに掛かったまま、そろそろ出番もなくなって来た。
引越の片付けも終わりうータンも第三の城に慣れ始めた頃、桜が散って花見客も訪れなくなった公園で『うさんぽ』を決行する事とした。抱っこがあまり好きでは無いうータンにリードに慣れて貰うのはかなりの労力を要したけれど……嫌がった時用の美味しいオヤツとリードを引いて歩く計画が不発になった場合に備えた小さな仮設サークルも積み込んで、二人と一匹の公園デビューにいざ出陣!
改めて公園の近くの駐車場に車を停め、うータン入りの移動用キャリーを丈さんが抱える。私は飲み物や先ほど確保した『づんだ餅』、それから敷物などを入れたトートバックを肩に掛けて車を降りた。
比較的ひと気が少なく、散歩中の犬も見当たらないような芝生に辿り着いた所で敷物を敷いて陣地を確保。荷物を置いて慎重にキャリーの中のうータンの様子を伺いながら、既にうータンの体に固定済みのバンドにリードをパチリと付けて持ち手をしっかりと握り、キャリーの扉を開けてうータンが自主的に出て来るのを待った。
「やはり緊張しているようだな」
丈さんが私の隣にしゃがみ、キャリーの中を覗き込んで囁いた。
案の定キャリーの中はシーンと静まっている。奥を覗き込むと最大警戒の形で丸まったうさぎの、鼻先だけがヒクヒクと動いているのが見える。今うータンは必至に匂いや音の情報を収集しているのだろう……危険はないか?嫌な臭いはしないか?自分を脅かす大きな音はしないか?などなど。それこそ慎重に状況を見極めているに違いない。
「今日は駄目かもしれないね」
「まあ、もともとダメ元で連れて来たからな。うータンの気が向かなければ仕方が無い」
「せっかく空気の良い場所に来たんだから、外の雰囲気を存分に味合わせてやりたいんだけどなぁ」
それに一緒にうさんぽ、してみたいなぁ……。
長く親しんで行けば、うさぎとの意思疎通は可能だ。うさぎは慣れた相手に甘えるのも上手だし、トイレも覚えるし簡単な言葉にも反応する。だけど犬みたいに芸を仕込んだり、命令で気の向かない事をさせるのは難しい。ようはうさぎの気持ち次第。そう、女王様が快適に過ごせるように、私達侍女や執事が取り計らって彼女の気持ちを汲まなければ全ては進まないのだ。
憧れだった『うさんぽ』。雑誌やネットで見る度、うータンと一緒に散歩出来たらきっと楽しいだろうな~って想像していたけれども、うさぎ一匹一匹、性格も性質も違うから、幾ら私達がお膳立てしたって、彼女がその気にならなければ無理なんだよね。
「ちょっと放って置いて、買って来た餅でも食べないか?それでも出て来なかったらサークルを取りに行こう。リードを付けている事自体が嫌なのかもしれないしな」
「そうだね、うん。そうしよう!」
リードを片手にしっかりと握ったまま、敷物に並んで腰かける。丈さんが袋からづんだ餅の入ったパックを取り出した。
ふふふ……この淡~いパステルグリーンが良いのよね~。
丈さんはパックを開けて三個入りの餅の一つを割り箸で掴み、無言で私の口元に差し出した。
おっ、これはもしかして……食べさせてくれるって事なのかな?ちょっと恥ずかしいけど、リードを持ったままだから厚意に甘えさせて貰いましょう!
パクリ、もぐもぐもぐ。
「ん!」
これは美味しい……!
丈さんも私に続いてパクリと一口。勿論色や香りをじっくり恐ろしい眼力で観察した後だ。難しい表情のまま無言で味わい、飲み込んでからやっと口を開いた。
「うん、ウマいな」
「枝豆の香りがするね」
「優しい甘みだな、薄皮を取り除いているから滑らかで……確か味付けは砂糖と塩だけなんだよな」
「砂糖控えめ?」
「そうだな。うーん、やはり作り立てが一番だな……」
お仕事の事を考えていると、丈さんはちょっとだけ上の空になる。新しい役職は責任も重いけれど、やりがいもあるのだろう。本当は現場にいる方が合っているんだけどな、と笑う丈さんだけれど、そう言う気持ちを持ったままの上司がいてくれる職場って良いもんだと思う。
まぁ真剣過ぎて妥協の無い上司って、実際目の前にすると本当に恐ろしいけどね……うん、支店の部下の人達は、丈さんの威圧感とか迫力に慣れるまでが大変だろう。実体験した身としては安易に『良い上司』って口にしづらいくらい。ただ新しい職場の人達にこの情熱が早く伝わると良いなって願うばかりだ。
「お仕事は順調?」
「……」
あまり聞いてはいけない話題だったかもしれない。前任の桂沢部長はあの可愛らしい当たりの柔らかい風貌で、それでいて必要な時には思い切った剛腕も振るうと言う……部下から絶対的な信頼を受けるリーダーだったそうだ。丈さんは彼女より四つ年下、親しみやすい見た目でも性格でも無く―――どちらかと言うと近寄り難い雰囲気がある。上司のタイプがガラッと変わってしまって、戸惑う人も多いだろうと言う事は容易に想像できる。
凶悪な真顔で黙然と空を見つめていた丈さんが、いきなり「うわっ」と驚きの声を上げて、下に視線を落とした。
グイグイグイっ!
と、敷物に落ちた彼の掌の隙間に鼻づらを突っ込む白い毛玉が。いつの間にか私達の後ろに回り込んでいたのだ。
「うータン!出て来たんだ」
「すっかり忘れていた……」
考えに沈む彼の事情なんかお構いなし。うータンは自分のペースでしか動かない。私達が深刻な話をしようと、甘い気分でいちゃつこうと―――彼女は撫でて欲しいと感じた時、遠慮なくそれを要求するのだ。
「ふふ、うータンは何処でもマイペースだね」
おかしくなって思わず笑うと、丈さんもフッと肩の力を抜くように微笑んだ。
「全くだな」
そして満更でも無いような表情をして、彼女に使える下僕のように柔らかにその毛並みを撫で付ける。愛しそうにうータンを眺めながら、口元を緩めた。
「昔思ったもんだ。俺の代わりにミミが課長の席に座っていれば―――『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』なんて言われて恐れられる俺よりずっと人気になるだろうなって。俺だって上司がミミだったらヤル気を出してバリバリ働くだろうなって想像してみたり、な」
実際ミミとは対面した事は無いのだけれど―――ふわふわの黒ウサギが営業課長の席にチョコンと丸くなっている所が難なく想像できてしまう。頭の中にリアルに浮かぶその可愛らしい絵に、思わずニンマリと口角が上がる。
「確かに!私もミミ課長だったら、怖がらないで最初から楽しく仕事出来たかも」
「……」
あっ、マズイ。『亀田課長』批判みたいになっちゃった……!
「あっでも、丈さんも良いと思うよ?ホラ上司は可愛いばかりじゃ、ね。厳しく現場を引き締める事も必要だし……」
私がシドロモドロ弁解すると、丈さんは薄く微笑んで首を振った。
「有難う」
「えっ?」
ここで感謝をされる意味が分からなくて、聞き返してしまう。
「ミミの事をこんな風に穏やかな気持ちで思い返せるようになるなんて、あの時は思わなかった」
丈さんは撫でられてうっとりしているうータンを見下ろし、それから顔を上げて、私の目をまっすぐに見つめた。
穏やかな瞳。そう言えば私の家に初めて押し掛けて来た彼の瞳は殺気立って血走っていたな、と思い出す。それ以前も暫くひどくイライラしていて―――課の雰囲気は最悪と言う表現が合っていたかもしれない。
「あの頃の俺は自分が孤独だって思い込んでいた。ミミさえいれば何もいらないと考えていた事もある―――そのミミを自分の過失で失ってしまって……目の前が真っ暗になった。周りの人間が能天気に見えて、自分ばかり苦しんでいるなんて傲慢に思い込んだりして……今思うと最悪の上司だったな」
自嘲気味にわらう彼をジッと見返し、私は首を振った。
「大事な存在を失ったら正気でいるのは大変だよ。それに丈さん、ミミは病気だったんだよ、もともと弱かったのかもしれないしそれが寿命だったのかもしれない。うさぎは多産だから長生き出来ない子も多いって聞いた事があるし……丈さんはうさぎの事、私以上に詳しいよね。出来る限りミミの為に尽くしたって事、見てなくても私には分かるよ」
丈さんは悲し気に、そっと瞼を伏せた。
伝わって欲しい、そう願って私は心を込めてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ミミは絶対幸せだった。だから彼女の死に責任を感じるんじゃなくて―――丈さんはミミと過ごした楽しい事ばかり思い出してあげて」
多分こんなコト、私に言われなくたって丈さんは十分分っているのだろう。
けれども何度も思い返してしまうんだ、ミミの死を。そして自分に何が出来たんだろうって、その度に考えてしまうのだろう。
彼にとって、苦い記憶を思い出す事はかなり苦痛を伴う事なんだと思う。だけどそんな苦い後悔を繰り返し思い出す事が―――彼には必要な事なのかもしれない。そうして辛い記憶を何度も呼び覚まして行く内に、それは徐々に擦り切れて痛みが和らいで行く筈だから。そうして痛みが薄れて行けば、その奥に押し込められていた優しい大事な記憶が顔をのぞかせるようになるのだと思う。
辛いのはしょうがない。
だけど思い出してあげて。
ミミと暮らした優しくて楽しい記憶を。
それがきっと―――ミミの本当の供養になるんだと思う。
うータンを撫でていない方の腕が伸びて来て、私の肩を抱き寄せる。触れ合う体温がそのまま私の心にトロリと流れ込んで来て……柔らかく私の心を満たして行く。
彼は大きく息を吐いて、こう呟いた。
「幸せ過ぎて怖いな」
これは多分―――彼の精一杯の愛の言葉だ。
いつか『好きだ』とか『愛している』とか恋愛小説みたいな台詞を口に出してくれる事があるのだろうか?
彼と関わる切っ掛けになった壁ドンの時の告白で、そう言う言葉を耳にした事はある。けれどもそれは結局うータンに対する告白だった……。
人間の私に対しても、彼の口からそんな告白を聞けたら嬉しいだろうな。
だけど直接聞けなくても―――今ではもう確信している。彼が疑いも無く私の事を大事に思ってくれて、必要としているんだって。こんなにも態度で伝わって来るから。
私はクスッと笑ってこう返した。
「じゃあ、これからもっと恐ろしい目に合わせてあげる!」
「……」
彼の愛の言葉に、最上級の返答を返したつもり。
だけど婉曲過ぎて伝わっていないかもしれない。丈さんの表情が少し強張ったように見えたから。
【結婚するまでのお話・完】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『結婚までのお話』最終話となりました。
何とか最終話まで辿り着きました。次話こそ、と何度も予告しつつここまで伸びてしまってスイマセン。
うさぎ島新婚旅行、うータンネタ、仙台話などなど……書き漏れエピソードが多々ありますが、小波乱は落ち着いたので切りの良い所で完結といたします。その内おまけ話として書き漏れ分は追加投稿できれば、と考えています。
今回の章でおそらく二人の間の迷いみたいなモノは大体払拭出来たと思います。今後追加されるお話は波瀾ナシのお気楽展開ばかりになると思いますので、気楽に読んでいただけることと思います。
アッと言う間に191話!おまけ話がここまで長くなるとは、短編を投稿した当初は考えもしませんでした。
最終話までお付き合いいただいた方、完結後一気読みされた方、お気に入り登録していただいた方、ご訪問有難うございました。ポイント数が増えるとやる気が出ました。感想をいただいた方々にも感謝しかありません。継続の燃料投下、大変助かりました('ω')ノ!
ではまた機会がありましたら、おまけ話でお会いできると嬉しいです。お読みいただき、誠に有難うございました!
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時間貸しの有料パーキングに停めた車の助手席で待っていると、丈さんが戻って来た。
「お疲れ様、やっぱり混んでた?」
「ああ、まあでも朝イチだから思っていたより早く買えたな」
公園に向かう前に立ち寄ったのは五ッ橋通りに面する御餅屋さん。仙台市で創業百四十年『づんだ餅』で有名なお店。暖かくなってきた五月の休日、私も丈さんも脱ぎ着出来るように半袖Tシャツの上に長袖のシャツを羽織っている。
春になって、うータンと私はママと入れ替わるように仙台駅に到着した。その頃東京は暖かい日が続いていたので、油断していた。JR仙台駅前の空中歩廊と言うか建物を縦横無尽に結ぶペデストリアンデッキに降り立った時、思った以上に寒くてすぐに回れ右で駅ビルに飛び込んだっけ。アウトドアショップで暖かいアウターを手に入れて、少し前まで肌寒い夕方なんか手放せなかった。けれど桜が咲き終わって暫くするとそれも玄関脇のコート掛けに掛かったまま、そろそろ出番もなくなって来た。
引越の片付けも終わりうータンも第三の城に慣れ始めた頃、桜が散って花見客も訪れなくなった公園で『うさんぽ』を決行する事とした。抱っこがあまり好きでは無いうータンにリードに慣れて貰うのはかなりの労力を要したけれど……嫌がった時用の美味しいオヤツとリードを引いて歩く計画が不発になった場合に備えた小さな仮設サークルも積み込んで、二人と一匹の公園デビューにいざ出陣!
改めて公園の近くの駐車場に車を停め、うータン入りの移動用キャリーを丈さんが抱える。私は飲み物や先ほど確保した『づんだ餅』、それから敷物などを入れたトートバックを肩に掛けて車を降りた。
比較的ひと気が少なく、散歩中の犬も見当たらないような芝生に辿り着いた所で敷物を敷いて陣地を確保。荷物を置いて慎重にキャリーの中のうータンの様子を伺いながら、既にうータンの体に固定済みのバンドにリードをパチリと付けて持ち手をしっかりと握り、キャリーの扉を開けてうータンが自主的に出て来るのを待った。
「やはり緊張しているようだな」
丈さんが私の隣にしゃがみ、キャリーの中を覗き込んで囁いた。
案の定キャリーの中はシーンと静まっている。奥を覗き込むと最大警戒の形で丸まったうさぎの、鼻先だけがヒクヒクと動いているのが見える。今うータンは必至に匂いや音の情報を収集しているのだろう……危険はないか?嫌な臭いはしないか?自分を脅かす大きな音はしないか?などなど。それこそ慎重に状況を見極めているに違いない。
「今日は駄目かもしれないね」
「まあ、もともとダメ元で連れて来たからな。うータンの気が向かなければ仕方が無い」
「せっかく空気の良い場所に来たんだから、外の雰囲気を存分に味合わせてやりたいんだけどなぁ」
それに一緒にうさんぽ、してみたいなぁ……。
長く親しんで行けば、うさぎとの意思疎通は可能だ。うさぎは慣れた相手に甘えるのも上手だし、トイレも覚えるし簡単な言葉にも反応する。だけど犬みたいに芸を仕込んだり、命令で気の向かない事をさせるのは難しい。ようはうさぎの気持ち次第。そう、女王様が快適に過ごせるように、私達侍女や執事が取り計らって彼女の気持ちを汲まなければ全ては進まないのだ。
憧れだった『うさんぽ』。雑誌やネットで見る度、うータンと一緒に散歩出来たらきっと楽しいだろうな~って想像していたけれども、うさぎ一匹一匹、性格も性質も違うから、幾ら私達がお膳立てしたって、彼女がその気にならなければ無理なんだよね。
「ちょっと放って置いて、買って来た餅でも食べないか?それでも出て来なかったらサークルを取りに行こう。リードを付けている事自体が嫌なのかもしれないしな」
「そうだね、うん。そうしよう!」
リードを片手にしっかりと握ったまま、敷物に並んで腰かける。丈さんが袋からづんだ餅の入ったパックを取り出した。
ふふふ……この淡~いパステルグリーンが良いのよね~。
丈さんはパックを開けて三個入りの餅の一つを割り箸で掴み、無言で私の口元に差し出した。
おっ、これはもしかして……食べさせてくれるって事なのかな?ちょっと恥ずかしいけど、リードを持ったままだから厚意に甘えさせて貰いましょう!
パクリ、もぐもぐもぐ。
「ん!」
これは美味しい……!
丈さんも私に続いてパクリと一口。勿論色や香りをじっくり恐ろしい眼力で観察した後だ。難しい表情のまま無言で味わい、飲み込んでからやっと口を開いた。
「うん、ウマいな」
「枝豆の香りがするね」
「優しい甘みだな、薄皮を取り除いているから滑らかで……確か味付けは砂糖と塩だけなんだよな」
「砂糖控えめ?」
「そうだな。うーん、やはり作り立てが一番だな……」
お仕事の事を考えていると、丈さんはちょっとだけ上の空になる。新しい役職は責任も重いけれど、やりがいもあるのだろう。本当は現場にいる方が合っているんだけどな、と笑う丈さんだけれど、そう言う気持ちを持ったままの上司がいてくれる職場って良いもんだと思う。
まぁ真剣過ぎて妥協の無い上司って、実際目の前にすると本当に恐ろしいけどね……うん、支店の部下の人達は、丈さんの威圧感とか迫力に慣れるまでが大変だろう。実体験した身としては安易に『良い上司』って口にしづらいくらい。ただ新しい職場の人達にこの情熱が早く伝わると良いなって願うばかりだ。
「お仕事は順調?」
「……」
あまり聞いてはいけない話題だったかもしれない。前任の桂沢部長はあの可愛らしい当たりの柔らかい風貌で、それでいて必要な時には思い切った剛腕も振るうと言う……部下から絶対的な信頼を受けるリーダーだったそうだ。丈さんは彼女より四つ年下、親しみやすい見た目でも性格でも無く―――どちらかと言うと近寄り難い雰囲気がある。上司のタイプがガラッと変わってしまって、戸惑う人も多いだろうと言う事は容易に想像できる。
凶悪な真顔で黙然と空を見つめていた丈さんが、いきなり「うわっ」と驚きの声を上げて、下に視線を落とした。
グイグイグイっ!
と、敷物に落ちた彼の掌の隙間に鼻づらを突っ込む白い毛玉が。いつの間にか私達の後ろに回り込んでいたのだ。
「うータン!出て来たんだ」
「すっかり忘れていた……」
考えに沈む彼の事情なんかお構いなし。うータンは自分のペースでしか動かない。私達が深刻な話をしようと、甘い気分でいちゃつこうと―――彼女は撫でて欲しいと感じた時、遠慮なくそれを要求するのだ。
「ふふ、うータンは何処でもマイペースだね」
おかしくなって思わず笑うと、丈さんもフッと肩の力を抜くように微笑んだ。
「全くだな」
そして満更でも無いような表情をして、彼女に使える下僕のように柔らかにその毛並みを撫で付ける。愛しそうにうータンを眺めながら、口元を緩めた。
「昔思ったもんだ。俺の代わりにミミが課長の席に座っていれば―――『コワモテ冷徹銀縁眼鏡』なんて言われて恐れられる俺よりずっと人気になるだろうなって。俺だって上司がミミだったらヤル気を出してバリバリ働くだろうなって想像してみたり、な」
実際ミミとは対面した事は無いのだけれど―――ふわふわの黒ウサギが営業課長の席にチョコンと丸くなっている所が難なく想像できてしまう。頭の中にリアルに浮かぶその可愛らしい絵に、思わずニンマリと口角が上がる。
「確かに!私もミミ課長だったら、怖がらないで最初から楽しく仕事出来たかも」
「……」
あっ、マズイ。『亀田課長』批判みたいになっちゃった……!
「あっでも、丈さんも良いと思うよ?ホラ上司は可愛いばかりじゃ、ね。厳しく現場を引き締める事も必要だし……」
私がシドロモドロ弁解すると、丈さんは薄く微笑んで首を振った。
「有難う」
「えっ?」
ここで感謝をされる意味が分からなくて、聞き返してしまう。
「ミミの事をこんな風に穏やかな気持ちで思い返せるようになるなんて、あの時は思わなかった」
丈さんは撫でられてうっとりしているうータンを見下ろし、それから顔を上げて、私の目をまっすぐに見つめた。
穏やかな瞳。そう言えば私の家に初めて押し掛けて来た彼の瞳は殺気立って血走っていたな、と思い出す。それ以前も暫くひどくイライラしていて―――課の雰囲気は最悪と言う表現が合っていたかもしれない。
「あの頃の俺は自分が孤独だって思い込んでいた。ミミさえいれば何もいらないと考えていた事もある―――そのミミを自分の過失で失ってしまって……目の前が真っ暗になった。周りの人間が能天気に見えて、自分ばかり苦しんでいるなんて傲慢に思い込んだりして……今思うと最悪の上司だったな」
自嘲気味にわらう彼をジッと見返し、私は首を振った。
「大事な存在を失ったら正気でいるのは大変だよ。それに丈さん、ミミは病気だったんだよ、もともと弱かったのかもしれないしそれが寿命だったのかもしれない。うさぎは多産だから長生き出来ない子も多いって聞いた事があるし……丈さんはうさぎの事、私以上に詳しいよね。出来る限りミミの為に尽くしたって事、見てなくても私には分かるよ」
丈さんは悲し気に、そっと瞼を伏せた。
伝わって欲しい、そう願って私は心を込めてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ミミは絶対幸せだった。だから彼女の死に責任を感じるんじゃなくて―――丈さんはミミと過ごした楽しい事ばかり思い出してあげて」
多分こんなコト、私に言われなくたって丈さんは十分分っているのだろう。
けれども何度も思い返してしまうんだ、ミミの死を。そして自分に何が出来たんだろうって、その度に考えてしまうのだろう。
彼にとって、苦い記憶を思い出す事はかなり苦痛を伴う事なんだと思う。だけどそんな苦い後悔を繰り返し思い出す事が―――彼には必要な事なのかもしれない。そうして辛い記憶を何度も呼び覚まして行く内に、それは徐々に擦り切れて痛みが和らいで行く筈だから。そうして痛みが薄れて行けば、その奥に押し込められていた優しい大事な記憶が顔をのぞかせるようになるのだと思う。
辛いのはしょうがない。
だけど思い出してあげて。
ミミと暮らした優しくて楽しい記憶を。
それがきっと―――ミミの本当の供養になるんだと思う。
うータンを撫でていない方の腕が伸びて来て、私の肩を抱き寄せる。触れ合う体温がそのまま私の心にトロリと流れ込んで来て……柔らかく私の心を満たして行く。
彼は大きく息を吐いて、こう呟いた。
「幸せ過ぎて怖いな」
これは多分―――彼の精一杯の愛の言葉だ。
いつか『好きだ』とか『愛している』とか恋愛小説みたいな台詞を口に出してくれる事があるのだろうか?
彼と関わる切っ掛けになった壁ドンの時の告白で、そう言う言葉を耳にした事はある。けれどもそれは結局うータンに対する告白だった……。
人間の私に対しても、彼の口からそんな告白を聞けたら嬉しいだろうな。
だけど直接聞けなくても―――今ではもう確信している。彼が疑いも無く私の事を大事に思ってくれて、必要としているんだって。こんなにも態度で伝わって来るから。
私はクスッと笑ってこう返した。
「じゃあ、これからもっと恐ろしい目に合わせてあげる!」
「……」
彼の愛の言葉に、最上級の返答を返したつもり。
だけど婉曲過ぎて伝わっていないかもしれない。丈さんの表情が少し強張ったように見えたから。
【結婚するまでのお話・完】
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『結婚までのお話』最終話となりました。
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うさぎ島新婚旅行、うータンネタ、仙台話などなど……書き漏れエピソードが多々ありますが、小波乱は落ち着いたので切りの良い所で完結といたします。その内おまけ話として書き漏れ分は追加投稿できれば、と考えています。
今回の章でおそらく二人の間の迷いみたいなモノは大体払拭出来たと思います。今後追加されるお話は波瀾ナシのお気楽展開ばかりになると思いますので、気楽に読んでいただけることと思います。
アッと言う間に191話!おまけ話がここまで長くなるとは、短編を投稿した当初は考えもしませんでした。
最終話までお付き合いいただいた方、完結後一気読みされた方、お気に入り登録していただいた方、ご訪問有難うございました。ポイント数が増えるとやる気が出ました。感想をいただいた方々にも感謝しかありません。継続の燃料投下、大変助かりました('ω')ノ!
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