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6.断ち切るッ(マエル)
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「綺麗……」
自然に私が呟くと、スティーブさんが「砂浜の方に降りて、もっと近くで見てみようよ!」と笑いかけてきた。
「うん!」
ものっすごいテンションが上がり、彼と一緒に丘から砂浜へと降りていく。段々と近づいてくる波打ち際。寄せては引いていく、心地の良い波音に癒される。
海に来たのなんていつぶりだろうか。多分10年以上前、お父さんに連れられてきた以来かも。
「やっぱ風が少し冷たいな。寒くないかい?」
「ううん……着込んできたから、大丈夫だよ」
しかし彼は、懐から銀製器のホッカイロを取り出して「はい」と手渡してきた。屋敷を出る前に暖炉から炭を拝借してたのは、ホッカイロに詰めるためだったみたい。
「あ、ありがとう」とお礼をして、握りしめる。
大丈夫だよって、言ったのに……でも、すごい嬉しい。
冷えた指先に、じんわりと染みるホッカイロの温かさに有り難みを感じつつ、隣で海を眺めるスティーブさんを見上げて尋ねる。
「どうして、海に連れてきてくれたの……?」
彼が視線をそのままに、口を開いた。
「ここ、気分が落ちた時によく来るんだ。どっちかというと、今日は俺が来たかったのもあるかな……」
思えば彼も財産を失ったばかり。その心中が穏やかでないのは解る。
「そっか……というか、スティーブさんも普段落ち込むことあるんだ」
「ははは、もちろんだよ! タクシーの仕事してると、嫌味なお客さんに結構当たっちゃったりすることもあってさ」
彼はリスドンで仕事をしていた時の、苦悩話をしてくれた。
酔っ払ったお客にシートへ嘔吐されたり。
無賃乗車で逃げられたり。
過度に“スピードを出せ”と後からシートを蹴飛ばされたり。
色々と無秩序なお客達のせいで心労が絶えない、と語るスティーブさん。
「酷い人達だね……」
「まぁな。でもこんな広い海を見てると、自分の悩みなんか、ちっぽけに思えたりするんだ」
「そうね……」
「マエルの悩みがちっぽけって言いたいわけじゃないんだけど、君の気分が“少しでも晴れてくれたらいいなぁ~”なんて思ってさ」
「ん……」
また返事が出来ないくらい、胸が締め付けられる。
満面の笑みを浮かべるスティーブさんから、再び海に視線を移して見渡す。夏は海水浴で賑わう浜辺も、この時期は人っこ一人いない。
薄らと横一線に伸びる地平線をじっと眺めてると、意識がぼーとしてくる。するとスティーブさんが、足元にあった小石へおもむろに手を伸ばした。
「ホントにむしゃくしゃしてる時なんかは、こんな風に転がってる石とか拾って、大声で叫びながら海へ投げたりするんだ!」
「へぇ~! 今なら誰もいないから気にせず叫べるし、何かスッキリしそう!」
そういうと、彼が上に投げていた小石をパシッと右手に握って「じゃあ、お手本見せてあげるよ!」と言い始める。さらに、何か思い付いたようにこちらを見てきた。
「じゃあ、ここでクイズです! 俺は何と叫ぶでしょーか? へっへっへ~、もし正解したら帰りにココア奢ってあげるよ!」
どこか挑発じみた出題に、私は頬に人差し指を添えた。
「え~、何だろ……って、今私が答えたらクイズにならなくない?」
彼が「へ?」と目を丸める。
「だって、答えと別なこと叫ぶだけでしょ? それだと勝負にならなくない?」
「あ~そっか! なら頭の中で想像しててよ! 俺が叫んだ後で答え変えるとかナシね!」
「う、う~ん」
何それ……私の勝ち確じゃん。
本当に天然なんだ――と、笑うのを堪えながらも、ひとまず彼が何と叫ぶか予想してみる。
何だろう?
やっぱ“株の馬鹿野郎”とかかな?
ニヤける口元を両手で隠しながら見ていると、息を吸った彼は大きく振りかぶり――。
「こんのぉ、株の馬鹿野郎ぉぉぉおおッ!!」
と、引くくらい叫んで小石を投げた。
遠くの方までピュ~と飛んでいった小石が、ポチャンッと海に沈む。
「あはは、ちょっとやめてよ~!」
あまりのドンピシャさに、思わず吹き出してしまう。お腹を抱える私を見たスティーブさんがキョトンとする。
「そ、そんなに笑われるほど、変なこと叫んだか俺?」
「違う違う、想像通り過ぎて笑っちゃったの!」
「えーッ! まさか当たっちゃった感じ!?」
目頭を押さえながら「うん、笑い過ぎて涙出ちゃいそう……」と返したら、スティーブさんが苦笑いで首の後ろに手を回した。
「なんだよチクショ~。タクシー客のこと想像してると思ってたのになぁ。仕方ないからココア奢るよ!」
「え、本当にいいの?」
「何で? 全然いいよ?」
負けを認めちゃうところが純粋というか、可愛いというか。
「よし、次はマエルの番だね!」
「うそ? 私も叫ぶの? えーやだやだ、恥ずかしいよ」
「恥ずかしいも何も、誰もいないじゃん」
貴方の前で叫ぶのが恥ずかしいんだって。
「そうじゃなくて……あ、ほら! もう投げるモノも見当たらないし!」
きめの細かい砂浜には小石や貝殻が殆どなく、さっきスティーブさんが投げた小石を最後に、周辺には何も落ちていなかった。
「投げるものなら、ここにあるよ」
と、彼が差し出してきたのは――私があげたティアラとネックレスだった。
「石なんかより、これ投げる方がスッキリするっしょ」
「ちょっと待って、それはダメだよ! スティーブさんの損を埋めてもらうために私が上げたんだから」
一歩後退りする私に、彼は真剣な面持ちで首を横に振った。
「いいんだっつの、そんなこと気にしなくて! マエルの気持ちの方が大事なんだから」
と、私の手を取ったスティーブさんが、ティアラとネックレスを強引に手のひらへ置いてくる。
トクン……トクン……。
「ほら早く、一思いに投げちゃえって」
「……う、うん」
スティーブさんは後ろに下がると、どこか未練を感じさせるように、大きく深呼吸して空を仰いだ。
「や、やっぱりやめようよ……他に石とか探せば――」
「いいって、それじゃなきゃダメなんだ! 自分を苦しめてくる想いをここで断ち切るんだ。精一杯叫ぶんだよ? いいね?」
「……うん……わかった」
後押しされた私はゴクリと唾を飲み込み、手のひらに乗る2つのアクセサリーを見つめてたら、キリアンの言葉が脳裏に蘇ってきた。
『素敵なティアラありがとう! 結婚式でこれ付けるの、すっごい楽しみ!』
『そうだろ。愛してるよ……マエル――』
そして――思い出したくない記憶まで。
『俺が大学で必死に勉強してた時に、お前は抜けぬけと他の男に抱かれてた訳だ。そんなにこの男と身体の相性が良かったのか? 心底失望した――』
『はぁ~、往生際の悪い女だな。写真は嘘を吐かないだろ? ――』
あの日、応接間を出る際に私が惜しむように振り返っても、キリアンは黙ってまま目すら合わせてくれなかった。
それからは、毎日が虚無感に蝕まれる、地獄のような日々を送り続けた。
腹の底から込み上げてくる、深い混沌とした悲しみ。それを怒りへ変えるように、深呼吸する。
私は……浮気なんてしてない!
「キリアンなんか……キリアンなんか、汽車に轢かれてくたばっちゃえーッ!」
渾身の力を込めて投げたティアラとネックレスは――大きな放物線を描いてパシャンと海面に飛沫をあげて消えていった。
「はぁ……はぁ……」
落ちた場所は、スティーブさんが投げた半分にも満たない距離。それでも、今の私が投げられる限界だったと思う。
途端に涙が溢れ出てきて、目の前の風景がどんどん滲んでいく。力尽きたように、その場にペタンと座り込む。
気付けば、自分でもビックリするくらい声をあげて泣いていた。拭いても拭いても、涙が止まらない。
人前で泣けない私ですら、一人でここまで泣いたことなんて、あっただろうか。
すると――しゃがみ込んだスティーブさんが、私の横にぴったりと寄り添って、背中を摩り始めた。
「……」
何か声をかけられるのかと思ってたけど、彼は黙ったまま……ひたすらに優しく、ゆっくりと摩り続けてくれた――。
自然に私が呟くと、スティーブさんが「砂浜の方に降りて、もっと近くで見てみようよ!」と笑いかけてきた。
「うん!」
ものっすごいテンションが上がり、彼と一緒に丘から砂浜へと降りていく。段々と近づいてくる波打ち際。寄せては引いていく、心地の良い波音に癒される。
海に来たのなんていつぶりだろうか。多分10年以上前、お父さんに連れられてきた以来かも。
「やっぱ風が少し冷たいな。寒くないかい?」
「ううん……着込んできたから、大丈夫だよ」
しかし彼は、懐から銀製器のホッカイロを取り出して「はい」と手渡してきた。屋敷を出る前に暖炉から炭を拝借してたのは、ホッカイロに詰めるためだったみたい。
「あ、ありがとう」とお礼をして、握りしめる。
大丈夫だよって、言ったのに……でも、すごい嬉しい。
冷えた指先に、じんわりと染みるホッカイロの温かさに有り難みを感じつつ、隣で海を眺めるスティーブさんを見上げて尋ねる。
「どうして、海に連れてきてくれたの……?」
彼が視線をそのままに、口を開いた。
「ここ、気分が落ちた時によく来るんだ。どっちかというと、今日は俺が来たかったのもあるかな……」
思えば彼も財産を失ったばかり。その心中が穏やかでないのは解る。
「そっか……というか、スティーブさんも普段落ち込むことあるんだ」
「ははは、もちろんだよ! タクシーの仕事してると、嫌味なお客さんに結構当たっちゃったりすることもあってさ」
彼はリスドンで仕事をしていた時の、苦悩話をしてくれた。
酔っ払ったお客にシートへ嘔吐されたり。
無賃乗車で逃げられたり。
過度に“スピードを出せ”と後からシートを蹴飛ばされたり。
色々と無秩序なお客達のせいで心労が絶えない、と語るスティーブさん。
「酷い人達だね……」
「まぁな。でもこんな広い海を見てると、自分の悩みなんか、ちっぽけに思えたりするんだ」
「そうね……」
「マエルの悩みがちっぽけって言いたいわけじゃないんだけど、君の気分が“少しでも晴れてくれたらいいなぁ~”なんて思ってさ」
「ん……」
また返事が出来ないくらい、胸が締め付けられる。
満面の笑みを浮かべるスティーブさんから、再び海に視線を移して見渡す。夏は海水浴で賑わう浜辺も、この時期は人っこ一人いない。
薄らと横一線に伸びる地平線をじっと眺めてると、意識がぼーとしてくる。するとスティーブさんが、足元にあった小石へおもむろに手を伸ばした。
「ホントにむしゃくしゃしてる時なんかは、こんな風に転がってる石とか拾って、大声で叫びながら海へ投げたりするんだ!」
「へぇ~! 今なら誰もいないから気にせず叫べるし、何かスッキリしそう!」
そういうと、彼が上に投げていた小石をパシッと右手に握って「じゃあ、お手本見せてあげるよ!」と言い始める。さらに、何か思い付いたようにこちらを見てきた。
「じゃあ、ここでクイズです! 俺は何と叫ぶでしょーか? へっへっへ~、もし正解したら帰りにココア奢ってあげるよ!」
どこか挑発じみた出題に、私は頬に人差し指を添えた。
「え~、何だろ……って、今私が答えたらクイズにならなくない?」
彼が「へ?」と目を丸める。
「だって、答えと別なこと叫ぶだけでしょ? それだと勝負にならなくない?」
「あ~そっか! なら頭の中で想像しててよ! 俺が叫んだ後で答え変えるとかナシね!」
「う、う~ん」
何それ……私の勝ち確じゃん。
本当に天然なんだ――と、笑うのを堪えながらも、ひとまず彼が何と叫ぶか予想してみる。
何だろう?
やっぱ“株の馬鹿野郎”とかかな?
ニヤける口元を両手で隠しながら見ていると、息を吸った彼は大きく振りかぶり――。
「こんのぉ、株の馬鹿野郎ぉぉぉおおッ!!」
と、引くくらい叫んで小石を投げた。
遠くの方までピュ~と飛んでいった小石が、ポチャンッと海に沈む。
「あはは、ちょっとやめてよ~!」
あまりのドンピシャさに、思わず吹き出してしまう。お腹を抱える私を見たスティーブさんがキョトンとする。
「そ、そんなに笑われるほど、変なこと叫んだか俺?」
「違う違う、想像通り過ぎて笑っちゃったの!」
「えーッ! まさか当たっちゃった感じ!?」
目頭を押さえながら「うん、笑い過ぎて涙出ちゃいそう……」と返したら、スティーブさんが苦笑いで首の後ろに手を回した。
「なんだよチクショ~。タクシー客のこと想像してると思ってたのになぁ。仕方ないからココア奢るよ!」
「え、本当にいいの?」
「何で? 全然いいよ?」
負けを認めちゃうところが純粋というか、可愛いというか。
「よし、次はマエルの番だね!」
「うそ? 私も叫ぶの? えーやだやだ、恥ずかしいよ」
「恥ずかしいも何も、誰もいないじゃん」
貴方の前で叫ぶのが恥ずかしいんだって。
「そうじゃなくて……あ、ほら! もう投げるモノも見当たらないし!」
きめの細かい砂浜には小石や貝殻が殆どなく、さっきスティーブさんが投げた小石を最後に、周辺には何も落ちていなかった。
「投げるものなら、ここにあるよ」
と、彼が差し出してきたのは――私があげたティアラとネックレスだった。
「石なんかより、これ投げる方がスッキリするっしょ」
「ちょっと待って、それはダメだよ! スティーブさんの損を埋めてもらうために私が上げたんだから」
一歩後退りする私に、彼は真剣な面持ちで首を横に振った。
「いいんだっつの、そんなこと気にしなくて! マエルの気持ちの方が大事なんだから」
と、私の手を取ったスティーブさんが、ティアラとネックレスを強引に手のひらへ置いてくる。
トクン……トクン……。
「ほら早く、一思いに投げちゃえって」
「……う、うん」
スティーブさんは後ろに下がると、どこか未練を感じさせるように、大きく深呼吸して空を仰いだ。
「や、やっぱりやめようよ……他に石とか探せば――」
「いいって、それじゃなきゃダメなんだ! 自分を苦しめてくる想いをここで断ち切るんだ。精一杯叫ぶんだよ? いいね?」
「……うん……わかった」
後押しされた私はゴクリと唾を飲み込み、手のひらに乗る2つのアクセサリーを見つめてたら、キリアンの言葉が脳裏に蘇ってきた。
『素敵なティアラありがとう! 結婚式でこれ付けるの、すっごい楽しみ!』
『そうだろ。愛してるよ……マエル――』
そして――思い出したくない記憶まで。
『俺が大学で必死に勉強してた時に、お前は抜けぬけと他の男に抱かれてた訳だ。そんなにこの男と身体の相性が良かったのか? 心底失望した――』
『はぁ~、往生際の悪い女だな。写真は嘘を吐かないだろ? ――』
あの日、応接間を出る際に私が惜しむように振り返っても、キリアンは黙ってまま目すら合わせてくれなかった。
それからは、毎日が虚無感に蝕まれる、地獄のような日々を送り続けた。
腹の底から込み上げてくる、深い混沌とした悲しみ。それを怒りへ変えるように、深呼吸する。
私は……浮気なんてしてない!
「キリアンなんか……キリアンなんか、汽車に轢かれてくたばっちゃえーッ!」
渾身の力を込めて投げたティアラとネックレスは――大きな放物線を描いてパシャンと海面に飛沫をあげて消えていった。
「はぁ……はぁ……」
落ちた場所は、スティーブさんが投げた半分にも満たない距離。それでも、今の私が投げられる限界だったと思う。
途端に涙が溢れ出てきて、目の前の風景がどんどん滲んでいく。力尽きたように、その場にペタンと座り込む。
気付けば、自分でもビックリするくらい声をあげて泣いていた。拭いても拭いても、涙が止まらない。
人前で泣けない私ですら、一人でここまで泣いたことなんて、あっただろうか。
すると――しゃがみ込んだスティーブさんが、私の横にぴったりと寄り添って、背中を摩り始めた。
「……」
何か声をかけられるのかと思ってたけど、彼は黙ったまま……ひたすらに優しく、ゆっくりと摩り続けてくれた――。
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