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第2話 ブラック世界よさようなら
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小さい頃は幸せだった。両親もいたし、愛されて育ったと思う。けど、小学四年生の時、事故で帰らぬ人となった。それからまったく付き合いのなかった父方の伯父に引き取られた。それでもまだラッキーだったのかもしれない。積極的な虐待ではなく、ネグレクトや伯父達の子どもと差をつけるといった類のイジメで済んだから。
両親の保険金はいつの間にか使い込まれていた。伯父夫婦曰く、『住まわせてもらっているだけでも感謝しろ!』とのことだったので、専門学校は奨学金で行った。
しかし、この奨学金がまた重い。合計約二百万円だ。毎月約一万五千円を支払わなければならない。完済するのに十年以上。支払い終える頃には三十歳を過ぎている。もちろん順調に返済できればの話だし、借りたものは返さなければならないだろう。
しかし、正直、奨学金を初めて借りた時、ズシンとリアリティを持って感じたのだった。『奨学金って、ただの借金じゃね?』と。
見通しが甘かったと言えばそれまでだ。それならせめて、給料の高い仕事に就くなりなんなり、資本主義的キャリアを志向しなければならなかっただろう。亡き母のお腹に眠ったまま逝ってしまった妹のことなど考えず。
幸せな日々を思い出す。母のお腹に触れ、鼓動を感じ、『わたし、この子のために保育士さんになる!』と誓ったことを。それを聞いて微笑む母と父の姿を。
だが、母と父、そして妹は居眠り運転で突っ込んできたトラックにひかれ、あっけなく死んでしまった。当時は、そのトラックの運転手をそれはそれは憎んだものだ。
公衆の面前で、運転手はわたしに土下座した。白髪だらけの頭を、当時十歳だった女の子のわたしにふるえながら土下座し続けた。わたしは、当時の語彙力をフル回転させ、泣きながら罵倒し続けた。おじさんはそれでも土下座し続けた。
おじさんは何歳くらいだったのだろうか?おじさんというよりも、おじいさんだったかもしれない。もう、顔も思い出せない。
慰謝料が途切れた時に、伯母が鼻で笑いながら『アイツ、死んだってよ』ってわざわざ報告しに来た。慰謝料が払われていたことなど知らなかった。死ぬ直前まで、慰謝料は支払われていたそうだ。その時のわたしは中学三年生の受験期だった。
今では、おじさんのことは恨んでもいなければ、憎んでもいない。働きはじめて肌で感じてようやくわかったのだが、おじさんは事故を起こした時、とてもとても疲れていたのだろう。それはもう、筆舌に尽くしがたいほどに。シンプルに、そう思う。
なぜあんな事故を起こしたのだ?プロのドライバーだというのなら、有り得ないミスだ。そう思う時期もあった。けど、責任を個人だけの問題に回収していいだろうか?社会システム全体の問題なのではないか?働きはじめて、わたしはそう思うようになってきた。
というのも、はっきり言って、今の職場はなかなかのブラックだ。業界自体がかなりブラックな傾向があるが、友人の話を勘案するに、どうもヒドイ部類に入るようだった。
保育士が規定の人数いないのは当たり前だし、人はドンドン辞める。引き継ぎもなにもあったものではなく、疲弊し、また辞めていく。肉体的負荷の他に精神的ストレスがヤバかった。なにせオーナー園長の口ぐせは『何かあったら自分たちのせいだからねー。プロなんだから、責任感もってよー。私に迷惑かけないでねー』だった。責任をとる自分たちに、園長自身は入っていなかった。
だから、何かある前に辞めていくのは正常な判断だ。負の連鎖が止まらない。その上、薄給だ。家賃補助なんかもあるわけがない。
それでもわたしが辞めないのは、子どもが可愛いというシンプルな理由と親御さんたちもまた、疲弊していることを知っているからだった。
せめてわたしが頑張ることで親御さんたちの、子どもの幸せを下支え出来ればいい。そんな風に思う。けど、その一方でこれは終わりのない蟻地獄のような話にも思えた。いい加減この自己犠牲を賛美し、強要するシステムから抜け出さないといけないのかもしれない。
そんなことを薄々勘付き始めながら、職場の同僚と共に働いており、『みんなで一斉に辞めようか?』というのは最近の定番ガス抜きギャグだ。ギャグであり、半分以上、みんながマジの目をしているのがミソだった。また、残った人たちは大体がよい人というのもミソだった。保育士というのは、人の善意を食い物にして成り立っている職業でもあるのだ。
とにかく、この保育士という職業は、生涯働き続けられるようなキャリアは描けないのだ。そういう風にそもそも設計されていない。二十代くらいで結婚して、子どもが出来て、保育園に通える歳になったらその子どもを保育園に預ける。昔は専業主婦というルートもあったのかもしれないが、たいてい自分もまた保育園で働き始める。そのときにはキャリアは寸断されているし、ずっと勤めていたとしてもその組織の中で管理職になって得られる給料はたかが知れている。
あくまでもわたしの見聞きした範囲でしかないが、モデルとしては、こんなところだ。つまり、結婚ありきで制度設計されているとしか思えない。
園長のようにある意味経営に徹するという道もあるのかもしれないが、それはもはや保育士ではない。子どものためでも親御さんのためでもない。
探せばもう少しマシなところがあるのかもしれないが、傾向としては、社会全体からこの業界が軽んじられているということに尽きる。そして、そこで働くわたしたちも。いや、保育士だけでも、女だけでもないだろう。おじさんの白髪だらけの後頭部を思い出した。
わたしが世間知らずだったと言われればそれまでなのかもしれないが、実社会とやら、人を人扱いしなさすぎじゃあなかろうか?切にそう思う。
そこらへんの疑問が、ついポロッと、溢れるように先ほど見知らぬおばあさんに漏れてしまったのだろう。
『人間らしい暮らし』
憧れる。
頭の中をつらつらと駆け巡る物事が、暗いことばかり、しかも金にまつわることばかりで嫌になっても来る。
いつの間にか生活染みてしまったなぁ、なんて自嘲する。でも、よく考えたら、割と小さい頃からそうだよね。
給食は太っちょの田中くんが引くほど食べてたし。服に穴が開いたら必ずパッチワークだ。一駅分くらいの距離に用事があるなら、歩くのは当たり前だ。
贅沢な暮らしがしたいわけじゃない。衣食住に困らなくて、侘しい気持ちにもならないそんな暮らしが欲しい!
目の前に分かれ道が来た。老婆の声が脳内に響く『Have a nice trip!』。
わたしはついつい、左の道、老婆が言う非日常とやらに、足を一歩踏み出していた。
両親の保険金はいつの間にか使い込まれていた。伯父夫婦曰く、『住まわせてもらっているだけでも感謝しろ!』とのことだったので、専門学校は奨学金で行った。
しかし、この奨学金がまた重い。合計約二百万円だ。毎月約一万五千円を支払わなければならない。完済するのに十年以上。支払い終える頃には三十歳を過ぎている。もちろん順調に返済できればの話だし、借りたものは返さなければならないだろう。
しかし、正直、奨学金を初めて借りた時、ズシンとリアリティを持って感じたのだった。『奨学金って、ただの借金じゃね?』と。
見通しが甘かったと言えばそれまでだ。それならせめて、給料の高い仕事に就くなりなんなり、資本主義的キャリアを志向しなければならなかっただろう。亡き母のお腹に眠ったまま逝ってしまった妹のことなど考えず。
幸せな日々を思い出す。母のお腹に触れ、鼓動を感じ、『わたし、この子のために保育士さんになる!』と誓ったことを。それを聞いて微笑む母と父の姿を。
だが、母と父、そして妹は居眠り運転で突っ込んできたトラックにひかれ、あっけなく死んでしまった。当時は、そのトラックの運転手をそれはそれは憎んだものだ。
公衆の面前で、運転手はわたしに土下座した。白髪だらけの頭を、当時十歳だった女の子のわたしにふるえながら土下座し続けた。わたしは、当時の語彙力をフル回転させ、泣きながら罵倒し続けた。おじさんはそれでも土下座し続けた。
おじさんは何歳くらいだったのだろうか?おじさんというよりも、おじいさんだったかもしれない。もう、顔も思い出せない。
慰謝料が途切れた時に、伯母が鼻で笑いながら『アイツ、死んだってよ』ってわざわざ報告しに来た。慰謝料が払われていたことなど知らなかった。死ぬ直前まで、慰謝料は支払われていたそうだ。その時のわたしは中学三年生の受験期だった。
今では、おじさんのことは恨んでもいなければ、憎んでもいない。働きはじめて肌で感じてようやくわかったのだが、おじさんは事故を起こした時、とてもとても疲れていたのだろう。それはもう、筆舌に尽くしがたいほどに。シンプルに、そう思う。
なぜあんな事故を起こしたのだ?プロのドライバーだというのなら、有り得ないミスだ。そう思う時期もあった。けど、責任を個人だけの問題に回収していいだろうか?社会システム全体の問題なのではないか?働きはじめて、わたしはそう思うようになってきた。
というのも、はっきり言って、今の職場はなかなかのブラックだ。業界自体がかなりブラックな傾向があるが、友人の話を勘案するに、どうもヒドイ部類に入るようだった。
保育士が規定の人数いないのは当たり前だし、人はドンドン辞める。引き継ぎもなにもあったものではなく、疲弊し、また辞めていく。肉体的負荷の他に精神的ストレスがヤバかった。なにせオーナー園長の口ぐせは『何かあったら自分たちのせいだからねー。プロなんだから、責任感もってよー。私に迷惑かけないでねー』だった。責任をとる自分たちに、園長自身は入っていなかった。
だから、何かある前に辞めていくのは正常な判断だ。負の連鎖が止まらない。その上、薄給だ。家賃補助なんかもあるわけがない。
それでもわたしが辞めないのは、子どもが可愛いというシンプルな理由と親御さんたちもまた、疲弊していることを知っているからだった。
せめてわたしが頑張ることで親御さんたちの、子どもの幸せを下支え出来ればいい。そんな風に思う。けど、その一方でこれは終わりのない蟻地獄のような話にも思えた。いい加減この自己犠牲を賛美し、強要するシステムから抜け出さないといけないのかもしれない。
そんなことを薄々勘付き始めながら、職場の同僚と共に働いており、『みんなで一斉に辞めようか?』というのは最近の定番ガス抜きギャグだ。ギャグであり、半分以上、みんながマジの目をしているのがミソだった。また、残った人たちは大体がよい人というのもミソだった。保育士というのは、人の善意を食い物にして成り立っている職業でもあるのだ。
とにかく、この保育士という職業は、生涯働き続けられるようなキャリアは描けないのだ。そういう風にそもそも設計されていない。二十代くらいで結婚して、子どもが出来て、保育園に通える歳になったらその子どもを保育園に預ける。昔は専業主婦というルートもあったのかもしれないが、たいてい自分もまた保育園で働き始める。そのときにはキャリアは寸断されているし、ずっと勤めていたとしてもその組織の中で管理職になって得られる給料はたかが知れている。
あくまでもわたしの見聞きした範囲でしかないが、モデルとしては、こんなところだ。つまり、結婚ありきで制度設計されているとしか思えない。
園長のようにある意味経営に徹するという道もあるのかもしれないが、それはもはや保育士ではない。子どものためでも親御さんのためでもない。
探せばもう少しマシなところがあるのかもしれないが、傾向としては、社会全体からこの業界が軽んじられているということに尽きる。そして、そこで働くわたしたちも。いや、保育士だけでも、女だけでもないだろう。おじさんの白髪だらけの後頭部を思い出した。
わたしが世間知らずだったと言われればそれまでなのかもしれないが、実社会とやら、人を人扱いしなさすぎじゃあなかろうか?切にそう思う。
そこらへんの疑問が、ついポロッと、溢れるように先ほど見知らぬおばあさんに漏れてしまったのだろう。
『人間らしい暮らし』
憧れる。
頭の中をつらつらと駆け巡る物事が、暗いことばかり、しかも金にまつわることばかりで嫌になっても来る。
いつの間にか生活染みてしまったなぁ、なんて自嘲する。でも、よく考えたら、割と小さい頃からそうだよね。
給食は太っちょの田中くんが引くほど食べてたし。服に穴が開いたら必ずパッチワークだ。一駅分くらいの距離に用事があるなら、歩くのは当たり前だ。
贅沢な暮らしがしたいわけじゃない。衣食住に困らなくて、侘しい気持ちにもならないそんな暮らしが欲しい!
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