2 / 13
第2話 ブラック世界よさようなら
しおりを挟む
小さい頃は幸せだった。両親もいたし、愛されて育ったと思う。けど、小学四年生の時、事故で帰らぬ人となった。それからまったく付き合いのなかった父方の伯父に引き取られた。それでもまだラッキーだったのかもしれない。積極的な虐待ではなく、ネグレクトや伯父達の子どもと差をつけるといった類のイジメで済んだから。
両親の保険金はいつの間にか使い込まれていた。伯父夫婦曰く、『住まわせてもらっているだけでも感謝しろ!』とのことだったので、専門学校は奨学金で行った。
しかし、この奨学金がまた重い。合計約二百万円だ。毎月約一万五千円を支払わなければならない。完済するのに十年以上。支払い終える頃には三十歳を過ぎている。もちろん順調に返済できればの話だし、借りたものは返さなければならないだろう。
しかし、正直、奨学金を初めて借りた時、ズシンとリアリティを持って感じたのだった。『奨学金って、ただの借金じゃね?』と。
見通しが甘かったと言えばそれまでだ。それならせめて、給料の高い仕事に就くなりなんなり、資本主義的キャリアを志向しなければならなかっただろう。亡き母のお腹に眠ったまま逝ってしまった妹のことなど考えず。
幸せな日々を思い出す。母のお腹に触れ、鼓動を感じ、『わたし、この子のために保育士さんになる!』と誓ったことを。それを聞いて微笑む母と父の姿を。
だが、母と父、そして妹は居眠り運転で突っ込んできたトラックにひかれ、あっけなく死んでしまった。当時は、そのトラックの運転手をそれはそれは憎んだものだ。
公衆の面前で、運転手はわたしに土下座した。白髪だらけの頭を、当時十歳だった女の子のわたしにふるえながら土下座し続けた。わたしは、当時の語彙力をフル回転させ、泣きながら罵倒し続けた。おじさんはそれでも土下座し続けた。
おじさんは何歳くらいだったのだろうか?おじさんというよりも、おじいさんだったかもしれない。もう、顔も思い出せない。
慰謝料が途切れた時に、伯母が鼻で笑いながら『アイツ、死んだってよ』ってわざわざ報告しに来た。慰謝料が払われていたことなど知らなかった。死ぬ直前まで、慰謝料は支払われていたそうだ。その時のわたしは中学三年生の受験期だった。
今では、おじさんのことは恨んでもいなければ、憎んでもいない。働きはじめて肌で感じてようやくわかったのだが、おじさんは事故を起こした時、とてもとても疲れていたのだろう。それはもう、筆舌に尽くしがたいほどに。シンプルに、そう思う。
なぜあんな事故を起こしたのだ?プロのドライバーだというのなら、有り得ないミスだ。そう思う時期もあった。けど、責任を個人だけの問題に回収していいだろうか?社会システム全体の問題なのではないか?働きはじめて、わたしはそう思うようになってきた。
というのも、はっきり言って、今の職場はなかなかのブラックだ。業界自体がかなりブラックな傾向があるが、友人の話を勘案するに、どうもヒドイ部類に入るようだった。
保育士が規定の人数いないのは当たり前だし、人はドンドン辞める。引き継ぎもなにもあったものではなく、疲弊し、また辞めていく。肉体的負荷の他に精神的ストレスがヤバかった。なにせオーナー園長の口ぐせは『何かあったら自分たちのせいだからねー。プロなんだから、責任感もってよー。私に迷惑かけないでねー』だった。責任をとる自分たちに、園長自身は入っていなかった。
だから、何かある前に辞めていくのは正常な判断だ。負の連鎖が止まらない。その上、薄給だ。家賃補助なんかもあるわけがない。
それでもわたしが辞めないのは、子どもが可愛いというシンプルな理由と親御さんたちもまた、疲弊していることを知っているからだった。
せめてわたしが頑張ることで親御さんたちの、子どもの幸せを下支え出来ればいい。そんな風に思う。けど、その一方でこれは終わりのない蟻地獄のような話にも思えた。いい加減この自己犠牲を賛美し、強要するシステムから抜け出さないといけないのかもしれない。
そんなことを薄々勘付き始めながら、職場の同僚と共に働いており、『みんなで一斉に辞めようか?』というのは最近の定番ガス抜きギャグだ。ギャグであり、半分以上、みんながマジの目をしているのがミソだった。また、残った人たちは大体がよい人というのもミソだった。保育士というのは、人の善意を食い物にして成り立っている職業でもあるのだ。
とにかく、この保育士という職業は、生涯働き続けられるようなキャリアは描けないのだ。そういう風にそもそも設計されていない。二十代くらいで結婚して、子どもが出来て、保育園に通える歳になったらその子どもを保育園に預ける。昔は専業主婦というルートもあったのかもしれないが、たいてい自分もまた保育園で働き始める。そのときにはキャリアは寸断されているし、ずっと勤めていたとしてもその組織の中で管理職になって得られる給料はたかが知れている。
あくまでもわたしの見聞きした範囲でしかないが、モデルとしては、こんなところだ。つまり、結婚ありきで制度設計されているとしか思えない。
園長のようにある意味経営に徹するという道もあるのかもしれないが、それはもはや保育士ではない。子どものためでも親御さんのためでもない。
探せばもう少しマシなところがあるのかもしれないが、傾向としては、社会全体からこの業界が軽んじられているということに尽きる。そして、そこで働くわたしたちも。いや、保育士だけでも、女だけでもないだろう。おじさんの白髪だらけの後頭部を思い出した。
わたしが世間知らずだったと言われればそれまでなのかもしれないが、実社会とやら、人を人扱いしなさすぎじゃあなかろうか?切にそう思う。
そこらへんの疑問が、ついポロッと、溢れるように先ほど見知らぬおばあさんに漏れてしまったのだろう。
『人間らしい暮らし』
憧れる。
頭の中をつらつらと駆け巡る物事が、暗いことばかり、しかも金にまつわることばかりで嫌になっても来る。
いつの間にか生活染みてしまったなぁ、なんて自嘲する。でも、よく考えたら、割と小さい頃からそうだよね。
給食は太っちょの田中くんが引くほど食べてたし。服に穴が開いたら必ずパッチワークだ。一駅分くらいの距離に用事があるなら、歩くのは当たり前だ。
贅沢な暮らしがしたいわけじゃない。衣食住に困らなくて、侘しい気持ちにもならないそんな暮らしが欲しい!
目の前に分かれ道が来た。老婆の声が脳内に響く『Have a nice trip!』。
わたしはついつい、左の道、老婆が言う非日常とやらに、足を一歩踏み出していた。
両親の保険金はいつの間にか使い込まれていた。伯父夫婦曰く、『住まわせてもらっているだけでも感謝しろ!』とのことだったので、専門学校は奨学金で行った。
しかし、この奨学金がまた重い。合計約二百万円だ。毎月約一万五千円を支払わなければならない。完済するのに十年以上。支払い終える頃には三十歳を過ぎている。もちろん順調に返済できればの話だし、借りたものは返さなければならないだろう。
しかし、正直、奨学金を初めて借りた時、ズシンとリアリティを持って感じたのだった。『奨学金って、ただの借金じゃね?』と。
見通しが甘かったと言えばそれまでだ。それならせめて、給料の高い仕事に就くなりなんなり、資本主義的キャリアを志向しなければならなかっただろう。亡き母のお腹に眠ったまま逝ってしまった妹のことなど考えず。
幸せな日々を思い出す。母のお腹に触れ、鼓動を感じ、『わたし、この子のために保育士さんになる!』と誓ったことを。それを聞いて微笑む母と父の姿を。
だが、母と父、そして妹は居眠り運転で突っ込んできたトラックにひかれ、あっけなく死んでしまった。当時は、そのトラックの運転手をそれはそれは憎んだものだ。
公衆の面前で、運転手はわたしに土下座した。白髪だらけの頭を、当時十歳だった女の子のわたしにふるえながら土下座し続けた。わたしは、当時の語彙力をフル回転させ、泣きながら罵倒し続けた。おじさんはそれでも土下座し続けた。
おじさんは何歳くらいだったのだろうか?おじさんというよりも、おじいさんだったかもしれない。もう、顔も思い出せない。
慰謝料が途切れた時に、伯母が鼻で笑いながら『アイツ、死んだってよ』ってわざわざ報告しに来た。慰謝料が払われていたことなど知らなかった。死ぬ直前まで、慰謝料は支払われていたそうだ。その時のわたしは中学三年生の受験期だった。
今では、おじさんのことは恨んでもいなければ、憎んでもいない。働きはじめて肌で感じてようやくわかったのだが、おじさんは事故を起こした時、とてもとても疲れていたのだろう。それはもう、筆舌に尽くしがたいほどに。シンプルに、そう思う。
なぜあんな事故を起こしたのだ?プロのドライバーだというのなら、有り得ないミスだ。そう思う時期もあった。けど、責任を個人だけの問題に回収していいだろうか?社会システム全体の問題なのではないか?働きはじめて、わたしはそう思うようになってきた。
というのも、はっきり言って、今の職場はなかなかのブラックだ。業界自体がかなりブラックな傾向があるが、友人の話を勘案するに、どうもヒドイ部類に入るようだった。
保育士が規定の人数いないのは当たり前だし、人はドンドン辞める。引き継ぎもなにもあったものではなく、疲弊し、また辞めていく。肉体的負荷の他に精神的ストレスがヤバかった。なにせオーナー園長の口ぐせは『何かあったら自分たちのせいだからねー。プロなんだから、責任感もってよー。私に迷惑かけないでねー』だった。責任をとる自分たちに、園長自身は入っていなかった。
だから、何かある前に辞めていくのは正常な判断だ。負の連鎖が止まらない。その上、薄給だ。家賃補助なんかもあるわけがない。
それでもわたしが辞めないのは、子どもが可愛いというシンプルな理由と親御さんたちもまた、疲弊していることを知っているからだった。
せめてわたしが頑張ることで親御さんたちの、子どもの幸せを下支え出来ればいい。そんな風に思う。けど、その一方でこれは終わりのない蟻地獄のような話にも思えた。いい加減この自己犠牲を賛美し、強要するシステムから抜け出さないといけないのかもしれない。
そんなことを薄々勘付き始めながら、職場の同僚と共に働いており、『みんなで一斉に辞めようか?』というのは最近の定番ガス抜きギャグだ。ギャグであり、半分以上、みんながマジの目をしているのがミソだった。また、残った人たちは大体がよい人というのもミソだった。保育士というのは、人の善意を食い物にして成り立っている職業でもあるのだ。
とにかく、この保育士という職業は、生涯働き続けられるようなキャリアは描けないのだ。そういう風にそもそも設計されていない。二十代くらいで結婚して、子どもが出来て、保育園に通える歳になったらその子どもを保育園に預ける。昔は専業主婦というルートもあったのかもしれないが、たいてい自分もまた保育園で働き始める。そのときにはキャリアは寸断されているし、ずっと勤めていたとしてもその組織の中で管理職になって得られる給料はたかが知れている。
あくまでもわたしの見聞きした範囲でしかないが、モデルとしては、こんなところだ。つまり、結婚ありきで制度設計されているとしか思えない。
園長のようにある意味経営に徹するという道もあるのかもしれないが、それはもはや保育士ではない。子どものためでも親御さんのためでもない。
探せばもう少しマシなところがあるのかもしれないが、傾向としては、社会全体からこの業界が軽んじられているということに尽きる。そして、そこで働くわたしたちも。いや、保育士だけでも、女だけでもないだろう。おじさんの白髪だらけの後頭部を思い出した。
わたしが世間知らずだったと言われればそれまでなのかもしれないが、実社会とやら、人を人扱いしなさすぎじゃあなかろうか?切にそう思う。
そこらへんの疑問が、ついポロッと、溢れるように先ほど見知らぬおばあさんに漏れてしまったのだろう。
『人間らしい暮らし』
憧れる。
頭の中をつらつらと駆け巡る物事が、暗いことばかり、しかも金にまつわることばかりで嫌になっても来る。
いつの間にか生活染みてしまったなぁ、なんて自嘲する。でも、よく考えたら、割と小さい頃からそうだよね。
給食は太っちょの田中くんが引くほど食べてたし。服に穴が開いたら必ずパッチワークだ。一駅分くらいの距離に用事があるなら、歩くのは当たり前だ。
贅沢な暮らしがしたいわけじゃない。衣食住に困らなくて、侘しい気持ちにもならないそんな暮らしが欲しい!
目の前に分かれ道が来た。老婆の声が脳内に響く『Have a nice trip!』。
わたしはついつい、左の道、老婆が言う非日常とやらに、足を一歩踏み出していた。
0
あなたにおすすめの小説
ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします
未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢
十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう
好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ
傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する
今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった
ひきこもり娘は前世の記憶を使って転生した世界で気ままな錬金術士として生きてきます!
966
ファンタジー
「錬金術士様だ!この村にも錬金術士様が来たぞ!」
最低ランク錬金術士エリセフィーナは錬金術士の学校、|王立錬金術学園《アカデミー》を卒業した次の日に最果ての村にある|工房《アトリエ》で一人生活することになる、Fランクという最低ランクで錬金術もまだまだ使えない、モンスター相手に戦闘もできないエリナは消えかけている前世の記憶を頼りに知り合いが一人もいない最果ての村で自分の夢『みんなを幸せにしたい』をかなえるために生活をはじめる。
この物語は、最果ての村『グリムホルン』に来てくれた若き錬金術士であるエリセフィーナを村人は一生懸命支えてサポートしていき、Fランクという最低ランクではあるものの、前世の記憶と|王立錬金術学園《アカデミー》で得た知識、離れて暮らす錬金術の師匠や村でできた新たな仲間たちと一緒に便利なアイテムを作ったり、モンスター盗伐の冒険などをしていく。
錬金術士エリセフィーナは日本からの転生者ではあるものの、記憶が消えかかっていることもあり錬金術や現代知識を使ってチート、無双するような物語ではなく、転生した世界で錬金術を使って1から成長し、仲間と冒険して成功したり、失敗したりしながらも楽しくスローライフをする話です。
[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?
シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。
クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。
貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ?
魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。
ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。
私の生活を邪魔をするなら潰すわよ?
1月5日 誤字脱字修正 54話
★━戦闘シーンや猟奇的発言あり
流血シーンあり。
魔法・魔物あり。
ざぁま薄め。
恋愛要素あり。
【完結】貧乏令嬢の野草による領地改革
うみの渚
ファンタジー
八歳の時に木から落ちて頭を打った衝撃で、前世の記憶が蘇った主人公。
優しい家族に恵まれたが、家はとても貧乏だった。
家族のためにと、前世の記憶を頼りに寂れた領地を皆に支えられて徐々に発展させていく。
主人公は、魔法・知識チートは持っていません。
加筆修正しました。
お手に取って頂けたら嬉しいです。
異世界ママ、今日も元気に無双中!
チャチャ
ファンタジー
> 地球で5人の子どもを育てていた明るく元気な主婦・春子。
ある日、建設現場の事故で命を落としたと思ったら――なんと剣と魔法の異世界に転生!?
目が覚めたら村の片隅、魔法も戦闘知識もゼロ……でも家事スキルは超一流!
「洗濯魔法? お掃除召喚? いえいえ、ただの生活の知恵です!」
おせっかい上等! お節介で世界を変える異世界ママ、今日も笑顔で大奮闘!
魔法も剣もぶっ飛ばせ♪ ほんわかテンポの“無双系ほんわかファンタジー”開幕!
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」
イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。
ある日、夢をみた。
この国の未来を。
それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。
彼は言う。
愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる