百万回生きたデイジーは復讐にも飽きたので自由に生きることにした

Yapa

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第20話 デイジー、弟子を奪い返しに行く③

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「…ルーファス君になにをしている?」

部屋の奥に巨大な水晶があった。そのなかにルーファス君は眠っていた。



「…ほほ、弟子にフラれたのに往生際が悪いの。師匠失格じゃな」

セイフリッドが調子を取り戻そうとでもするかのように、余裕の笑みを向けてくる。



「るせー、脅して無理やり言わせたクセしやがって。そっちのほうが師匠失格だろ」

「ほほ、気づいておったのか。まるで愚鈍な師匠というわけではないようじゃの。じゃが、弟子は従わせなければならん。そこのところをわかっておらんようじゃのう」



「…口喧嘩しに来たんじゃないんだわ」デイジーは腕を前に出し、腰を低く落とし、構えをとった。「悪いけど行かせてもらうわ」



「おっほっほ、どこまでも愉快な嬢ちゃんじゃが、そう急くでない。ルーファスならすぐに返してやろう」

セイフリッドはそういうと、デイジーに背を向けた。



「はあ?うそつけ」

「うそではない。ルーファスと約束したからの」

「約束?」

「そうじゃよ。この世はすべて約束じゃ」



セイフリッドはルーファスの眠る水晶に干物のような手で触れた。

すると、その干物のような手が水気を得て、いつしかまるで若者の肌のようになった。



「な!?」

「ほほ、さすが我が弟子。天下の逸品」セイフリッドは満足げな様子で自分の手をながめた。「学園をやめたいのなら、今まで受けてきた奨学金をすべて返さねばならん。孤児のこやつが7回生まれ変わっても払いきれん莫大な額じゃ。肩代わりしてやるから、その偉大な魔力を置いていけと言ったら二つ返事で了承したんじゃよ」



「あっそ」

デイジーは突っかけた。



「な!?」今度驚いたのはセイフリッドのほうだった。



デイジーは容赦のない一発をセイフリッドの腹にお見舞いした。



セイフリッドはその場にくずおれた。



「は、話…聞いて…た?」セイフリッドは弱弱しく抗議した。

「聞いてた」

「なじぇ…?」

「そんな約束はわたしには関係ないからだ」

めちゃくちゃだった。



「ぷふっ」クロがデイジーの肩で噴き出した。「やっぱりこう来なくちゃ!だから退屈しないんだよな!」

「んで?これどうやったらルーファス君出せるんだ?」

デイジーは適当に水晶をバンバン叩いた。



デイジーの目にはルーファスから水晶に力が流れていっているのがよく見える。

このヒル爺はルーファス君から力を奪って若返ろうとでもしたのだろう。もしかしたら最古の魔法使いというのは、そういうことを繰り返してきた連中なのかもしれない。



デイジーは気に食わなかった。なにせルーファスは5000回以上も自分を殺した相手だ。その偉大な力がこんなところで失われていいわけがない。

ここでルーファスの力が失われれば、デイジーへの脅威はなくなる。好都合のはずだ。



しかし、デイジーは気に食わなかった。



「…デウス・エクス・マキナ」セイフリッドがデイジーに憎悪の目を向けて唱えた。



瞬間、水晶は蒸発したように消えた。

空気が冷え込む。



「ルーファスく」

様子がおかしい。



「くく…、そやつは今や儂の人形よ。これも約束のうちじゃ」

どうせ騙したに決まっている。



ウチの純粋なルーファス君をよくも…!と思っている間にキンキンキンキン!と警戒音のように空気が凍ってきていた。

絶対零度魔法だ。



「くはは!やれ!ルーファス!」

いつの間にやらセイフリッドはルーファスの背後にずり下がっていた。



「…〈ノール〉」

絶対零度魔法が唱えられる。

時さえ凍らせる魔法。それがデイジーに向かって放たれた。



今回の生はここで終わるのか!?と思われたその時、デイジーは「ていっ」と軽く腕をふり、絶対零度魔法を跳ね返していた。



「え?」

心底驚いたのはセイフリッドだった。

跳ね返された魔法は凝縮した形にデザインし直され、セイフリッドだけを凍らせていった。手足が床にはりつき、もう寸分も動けない。



「あがが…」

何が起こったのかわからないといった様子だった。

「正直、一発くらいなら余裕なんだわ。これが何千、何万発って来たら無理だけどね」

大人のルーファスはその無理なことを余裕でやってのけるから厄介なのだった。



セイフリッドはデイジーに向かって「き…さま!何者だ?」と言った。最後の力をふりしぼっていた。



デイジーは「デイジーだ。ただのデイジー。わたしがルーファス君のお師匠さまだ」と言った。



セイフリッドは最後に唇の端を歪ませた。

「かかった…」



瞬間、セイフリッドの最後の魔法が発動した。



セイフリッドの魔法の本質は呪い。正確には魔法使いですらなかった。

相手の名前を知ることで、相手を意のままに操ることを本懐とする。



セイフリッドはデイジーのなかに自分の意識を入り込ませようとした。

いままであまりにリスクが高かったため、理論だけで実践したことのない技術だった。




「やっ、やった!」

セイフリッドはデイジーのなかで快哉を叫んだ。

さっきまでの意識まで凍てつきそうな状態とはちがい、意識が明瞭としていた。



「ん?しかし、真っ暗だな…?こういうものなのか?」

突然の光がセイフリッドを襲った。

次いで、約100万回の生が降り注いできた。

「な…!?なんだ、これは…!?」

それは膨大な量の苦しみだった。悲しみだった。



数百年以上を生きてきたセイフリッドにとっても、はるかに膨大な量であり、苦痛だった。



「いひっ、ひひひひひひひ」

セイフリッドの意識は生身の状態で、意識の津波を一身に受けてしまい発狂してしまった。

「うひっ?」

セイフリッドが最後に見たもの。それは一際古い記憶だった。

「見たな…」

「はぎゃ!?」

何者かの黒い影がそこにはいた。

セイフリッドがそれを見たことを咎め、その何者かはセイフリッドを羽虫の如く磨り潰してしまった。

最古の魔法使いの一人、“凶兆のセイフリッド・アームストロング”は永遠に消滅した。





現実世界では、セイフリッドの体は永遠に溶けない氷の彫刻として存在していた。

「う、うう…」

「あ、ルーファス君、目を覚ましたね」

「お師匠さま…?」

「相手方がいなくなったら、約束は破談だろう。帰ろう」

デイジーは手を伸ばした。



ルーファスはぼんやりとした意識のままだったが、だからこそ安心するようにすべてを委ね「はい」と手を握ったのだった。

デイジーがアレキサンダーから飛び降りて、セイフリッドの家に乗り込んでからわずか数分の出来事だった。




デイジーたちは降りてきたアレキサンダーにのせてもらい、家路についた。

道中なにがあったのか当然聞かれたので、セイフリッドはルーファスを使って怪しげな実験をしていたようだが、失敗してすでに氷漬けになっていたと言っておいた。

「このことは内密に」デイジーがそういうと、みんな神妙にうなずいた。ルーファスに嫌疑がかかるといけないという暗黙の了解があったと思う。




アベルを学園の寮で降ろし、シャロワとベニマルをシャロワの家の前で降ろし、ルーファスを孤児院の前で降ろした。

「あの、お師匠さま」

ルーファスに呼び止められた。



「なんだい?」

「…ごめんなさい。また迷惑かけちゃいましたね」

「べつにいいよ」

「よくないですよ!ボクは自立しなきゃいけないのに!だれかの負担になっちゃいけないのに!」ルーファスはなにか爆発したように話し始めた。ルーファスの背後には孤児院が建っていた。「学校に行けば、みんなを楽させてやれるかなって思ったら、結局孤児の子供は戦争くらいしか出世の道はなくて!だけど、戦争に行くなんて怖くて!たまたま会ったすごい女の子に弟子入りしてあわよくば働かせてもらおうと思う小ズルい奴なんですよ…!」

「助かってたよ」

「…弟子、やめさせてもらいます」



デイジーはショックだった。

でも、そのことはとても良いことのように思えた。

冷え切った人生で、だれかとの別れがさみしいと思うことはなかった。

いつもただ辛いだけだった。

さみしさとは、温かくもあるのだと知った。

別れても、幸せでいてほしいと願えることだと知った。



「…そっか。いままでありがとう。こんなに人間を好きになれたのは初めてだよ」

デイジーは幸せだった。

それが過去自分を5000回以上も殺した男からもたらされるとは思わなかった。

デイジーは思わず苦笑した。

ルーファスは息を呑んだ。デイジーを美しいと思った。



「…実はボク、さっき意識あったんです」

「ん?」

「お師匠さまって実は強いですよね。男二人をラリアット一発で吹っ飛ばしたり、冒険者を投げ飛ばしたり」

「んんっ?なんのことかな?」

「いえ、もうそういうのいいんで!ボク、強くなります!それこそ絶対零度魔法何千、何万発って撃てるように!」

「いやいやいやいやいや!よせ!なんでそうなるっ!?お前はアイスクリーム屋さんになれっ!!」

「はい!アイスクリーム屋さんになって、絶対零度魔法何千、何万発撃てる男になりますっ!」

「うぉぉぉぉぉっぉい!!!!」

これまでの努力よ!デイジーは大いに頭を抱えた。



「あーあ、ほら、やっぱりコイツ闇深えっていうか、一筋縄じゃいかねえよ」クロが呆れたようにつぶやいたのだった。





五年後、デイジーは15歳になっていた。

〈どうぶつの歯医者さん〉は街にはなくてはならない存在になっていた。



「デイジーさん、次のお客様入りまーす」

12歳に成長したベニマルが手伝ってくれていた。なんでもフルリエール家からの給金でない金でシャロワにプレゼントしたいものがあるそうな。



そのシャロワは今も毎日アレキサンダーの面倒を見に来ている。最近ではアレキサンダーの背に乗って、諸外国の空を巡るのが楽しいらしい。予想通りなかなかのおてんば娘になった。ベニマル、がんばれ!



「はーい、どうぞー」

「お師匠さま!」

「…ルーファス君じゃないか。もうわたしはお師匠さまじゃないだろう」

「お師匠さまはボクの人生のお師匠さまですから」

そこには予想以上の美少年に成長している15歳のルーファス・カレイドスがいた。手足がすらりとしており、歩いているだけで数多の女子が振り返らずにはいられない。そんな美貌をすでに備えていた。



「なんだい?ポーちゃんの健診かい?」

「はい!おねがいします!」

そんな美少年がニッコニコで子犬のような笑顔を向けてくる。



「どれ?」

デイジーは仕事に集中しようとポーちゃんの入っているカゴを開けた。出会った時と同じカゴだ。

ポーちゃんは五年たっても変わらずに美猫だった。

口内のコンディションも良し。

一応魔法をかけておく。



ルーファスがじっーと見つめている。

デイジーは圧に負けた。

「…なに?」

「お師匠さまは毎日お美しくなるなあと思いまして」

そう言って、ニコッと余裕の笑みを向けてくる。



デイジーは赤面せずにはいられない。照れずにはいられない。

そして、なぜか胸が甘酸っぱい感じになってしまう。

最近、いつもこうなのだ。

ルーファスは子犬だとばかり思っていたら、なにやら狼度が上がっている気がするのである。



「…お前、出禁にするぞ」デイジーの肩にのっていたクロがすかさず言う。



「デイジーちゃ~ん!スターが新しいポーズ覚えたんだよー、見てやってくださいっスー!」アベルまで乱入してきた。



「はあ…」

デイジーは思わずため息をついた。

デイジーは自ずから微笑んでいた。

それは幸せなため息だった。
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