君が天使じゃありませんように

おつきさま。

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「友達にさ、一回なっちゃうともうそれを恋にするのは無理だっていうじゃん」
「あーそうっすね」
「やっぱ無理なのかな、お前も、友達は恋にならない?」
「さあ、人によるでしょうけど。まあ俺は好きになるなら最初に好きになるんで、後からとかはあんまりないっすね」
「やっぱむり、かぁ」

俯いた拍子にぱた、と水滴がテーブルの上に落ちた。ティッシュですぐに拭いたけど、後からすぐに落ちてきてまた拭く羽目になる。

「瑞季さーん、それもう自分の目抑えてた方が早いから」
「ああ、うん。ごめん」
「今日は落ち着くまで話聞くんで。まあでも、友達から恋人ってよくある話じゃないですか?」
「…10年でも?」
「友達歴?」
「そう」

頷くと松倉はわかりやすく渋い顔をした。
そりゃそうだ。
それだけ一緒にいて無理ならもう無理だろって、俺でも思う。

「長いっすね、どんだけ一途なんですか」
「もはや一途っていえるほど綺麗な感情でもない気がするけどな」

執着とか盲愛とか依存とか。
そういうのに近いのかもしれない。
最初はどういう感情だっただろう。好きになった瞬間なんて覚えてないからわからない。
気づいたら一緒にいることが当たり前になって、気づいたら好きになってた。

「…いいんだ。もう、諦めるつもりだったから」
「そうなんですか?」
「そう。踏ん切りつかなくて、だから自分の中で色々きっかけを待ってた」

いつからか左耳を触るのが癖になった。
たまにグッと爪を立てて、早く穴が塞がればいいと思いながら、同時に広がれとも思った。
だけど、唯とお揃いのピアスはきっともう入らない。

「じゃあ、新しい恋でもします?」
「恋はもういい。恋がしたいわけじゃなくて、あいつが好きだっただけだから」

そうだ、俺はただ、唯が好きなだけだった。
自分で言った言葉に泣きそうになって慌ててビールを呷る。

「…そうですか。まあいいですよ、今はね」
「なにが」
「いえ。先輩俺ね、自分は最初に好きになるタイプだけど、相手がそうじゃなかったとしてもそこは関係なく落としに行きますよ」

頬杖をついて何故か見せ付けるように笑う松倉の顔は、唯ほどではないけど何処かのアイドルのように整っている。
イケメンで仕事もできて優しいと女性社員からの人気も高い期待の若手だ。
そんなにガツガツ行かなくてもこいつなら相手の方から寄ってきそうだけどな、と思う。

「お前なら誰でも落とせそうだもんな」
「ほんと?瑞季さんも俺なら落ちる?」
「落ちる落ちる」

笑いながら答えたら松倉は目を細めて「じゃあ頑張ります」と言った。
へー、こいつも片思い中なんだ。




何本か缶を空けて、思考がそれなりに溶けてきた頃部屋のインターホンが鳴った。
こんな時間に誰だよ、とスマホを見れば時刻は23時過ぎ。

「まつくら、でてきて」
「え?俺?別にいいですけど」
「よろしく」

だいぶ酒が回っている俺とは違って、松倉はまだまだ余裕そうな顔をしている。
俺はもう眠いし顔もあっついし、立ち上がるのがめんどくさくて仕方なかった。
玄関の方で声がして誰が来たのかを知る。
てかまあ、こんな非常識な時間に来る奴なんてお前以外いないんだけど。

「瑞季さーん、お友達ですって」
「あー、ゆいだろ」
「瑞季?なに、めっちゃ酔ってんじゃん」
「酔ってねーけど?」

近づいてくる唯とは反対に、気を利かせてくれたらしい松倉が荷物を持って立ち上がる。
さすがに見送りはするか。

「じゃあ終電もあるんで、そろそろ俺帰りますね。」
「ごめん松倉、今日愚痴聞かせただけになった」
「全然?先輩の貴重な表情が見られて役得でした」

にっこりと笑って、示唆するように指先でそっと目元をなぞられた。

「忘れろ…」
「無理です。じゃあまた月曜に、お邪魔しました」
「ああ、ありがとう。気をつけて帰れよ」

ひらひらと手を振って、ドアが閉まる。
部屋に戻ると唯が勝手にビールを開けて飲んでいた。

「それ、松倉と飲むために買ったやつなんだけど」
「いいじゃん残ってんだから」
「よくねー。てか、なにしにきたんだよ。女といたんじゃねーの?」
「なんで知ってんの?」

お前がキスしてるところを見たからだよ、なんて正直に言う勇気はなかった。

「…香水くさい」
「ああ、ごめん。なんか急に瑞季に会いたくなって来ちゃった」

平然と、ほんとうに平然と。
お前はいつもそういう言葉を俺に吐く。
ねえそれ、どういうつもりなわけ?
なんて気にする方が馬鹿なのか。

「さっきの誰?」
「会社の後輩」
「珍しいな、瑞季が家に人呼ぶの」
「まーね」
「すげえイケメンじゃん。仲良いの?」
「まあ普通に。イケメンだよな、社内でもモテてるよ」

ふーん、と聞いてきたくせに気のない返事をする唯に首を傾げる。なにがと聞かれたら上手く答えられないけど、唯の様子がいつもと少し違う気がした。

「唯?」
「俺と、その松倉くん。瑞季はどっちの顔が好き?」
「…は?」

俺の手を取って自分の頬へと持って行った後、唯は静かに笑った。少し冷たい色を宿した瞳が試すように俺を見つめる。

「意味わかんな」
「どっち」

そんなの、迷うまでもなく唯に決まってた。
だけどさっき見た光景がチラついて、別に俺が選ばなかったところでどうにかなるわけでもないし、松倉って答えてやるのも面白いなと思った。
でも結局、


「ゆい」


嘘でも俺はお前を選ばないなんてできない。

「唯のほうがすき。おれは、唯がすきだよ」
「うん」

俺の手のひらに頬を押し当てて唯がうつくしく微笑む。
魔法か、そうじゃないなら呪いだと思った。
この身体も心も、命だって。
全てを捧げてもいいと思う、この男に。
とろけるようなその表情に引き寄せられてゆっくりと顔を近づけた。
好きだよ唯、俺にはお前だけだ。だからお前にだって俺だけであって欲しいって、そう思うのは当たり前なんだ。なのにどうして。


「だーめ」


キスをしようとした。
あの女がそうしたように、あの女が許されたように。俺も唯に許されたくて、触れたくて、ほんとうの特別が欲しくて。
だけど後少しで触れるという距離の中でそれを阻んだのは唯の手だった。

「……なんで、」
「ダメだよ、お前は友達だもん」
「俺にとっての唯は友達じゃない」
「ひど」

お前のことを友達だと思えたのは最初だけだ。
詰めていた息を吐き出して距離を戻す。
友達の距離、俺に許された距離まで。

「…唯にとっての俺ってなに?俺は、唯にとって友達でしかないの」

そうじゃないだろ。
なあ、違うって言え。
お前が俺にだけ見せる顔とか、俺にしか言わないこととか、そういう特別なら余るくらいあるのに。その中に俺の望むものがないことが不思議でたまらない。だってそれ以外のものなら全部、ここにあった。

「みぃ」

緩やかな唇の動きを見ていた。
甘やかすように、甘えるように。唯はたまに俺をそう呼ぶ。


「俺、この世界も自分自身も、他の奴らも全部、くだらねえなーって思ってる。全部なくなればいいのにって」


伸ばされた指先が未練のように俺の左耳を撫でて、それから頬に触れた。
やわい力でそっと包み込まれる。


「瑞季以外の人間がみんな、死んでくれたら。俺はしあわせになれるのかもって、そう思う。俺にとっての瑞季はそういう存在」


泣きそうにわらってみせるその意味も、言ってる言葉の意味も全然わかんねえ。
お前の言うことはいつも俺にはわからないことばっかりで、やっぱり唯は一人だけ別の世界を生きているのだなと思う。
だからいつか、俺の知らないどこかへと飛んで行く。


「じゃあ一緒に死んでやるよ」


何かを考えるまでもなく、初めからそうと決まっていたように言葉はすんなりと口をついた。

「答え合わせしよう、唯。羽があったら俺を一緒に連れて行けよ。それで、羽がなかったら俺も一緒に落ちてやるから」

いつかお前が俺の前からいなくなるのが怖かった。
お前を失くすのが怖かった。
それならお前が飛び立つその前に、一緒に飛んでしまえばいい。
お前の枷になれないなら、お前を繋ぎ止めておけないなら。いっそ。


「ばーか」


ふっ、と。
表情を緩めたかと思えば、十分に加減された力でこつりと額を弾かれた。
大して痛くもないその場所に思わず手を宛てがう。

「お前の命はそんなに軽くねーよ、だから一緒に飛んでやらない」

馬鹿はお前だ。
なに笑ってんの?お前の命だって軽くねーんだよ。
むしろ重すぎてずっと苦しい。

「……そーかよ、」

月の光を溶かし込んだような淡い瞳の中に俺だけが映っていた。
それが特別じゃないならなんだっていうんだろう。
これ以上なんて、きっともうないのに。
最後の賭けだったのかもしれない。
全部を投げ打てば手に入るような気もした。

唯、俺の負けだ。


「わかった。もう言わねーよ」


ピアスの穴はもうとっくに塞がってた。

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