あやかし神社へようお参りです。

三坂しほ

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以津真天の待ち人

拾壱

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 賀茂くんの家の近くまで来た。人の姿に化けてもらっているかげぬいは、ふと動きを止める。


「巫女さま。彼女はあの家にいるんでしょうか」

「うん、間違っていなければ」


 そう答えると、かげぬいは眉を下げて申し訳なさそうな顔で笑った。


「では、私はこれ以上近付くことができません」

「え、どうして」

「巫女さまはお気づきではないみたいですが、あの屋敷は何十にも魔を避ける結界が貼ってあります」

「結界……?」

「薄い膜のようなものです。これより先、悪しきものは入ることができません」


 力なく首を振ったかげぬいに「そんな」と呟く。折角ここまで来て、もうすこしであえるかもしれないというのに。

 諦めたように微笑み、かげぬいは私に頭を下げた。


「こんな私にまでよくして下さり、ありがとうございました。やはり、結守の巫女さまなんですね」

「ま、待って。まだ諦めないで。すこしだけ考えさせて」


 かげぬいは目を瞬かせながらもひとつ頷く。私は深く息を吐き、静かに目を閉じた。


「大丈夫、私なら分かる」


 ゆっくりと片腕を前に差し出す。すると手首のあたりに、ひんやりとした感覚を感じた。


「かげぬい、これが結界?」

「ええ、そうです。今巫女さまが触れておられる物が」


 湧き水のように澄み切った水に触れているような感覚だった。清らかで、穢れのないものだ。

 すぐにこれを破るのは無理だろうと察しがついた。


「あの、巫女さま。申し上げにくいのですが、三門さまでもこれを破るのは苦戦なさるかと……」

「そう、だよね。ああ、“どこかに穴が開いていたりしないかな“」


 そう呟いたその瞬間、背筋がぞわりとしてお腹の底がかっと熱くなった。突然の変化に小さな悲鳴を上げる。その場に尻もちを付いた。

 かげぬいが驚いたように宙を見たまま固まっている。


「……驚いた、巫女さまは底知れぬ力をお持ちのようだ」

「え?」


 かげぬいは私に手を差しだして立ち上がらせた。そして宙を指さして見せる。


「穴が、開きました」

「あ、開いたの? どうして急に……。でも幸運だ、かげぬい、そこから入れそう?」


 かげぬいは一つ頷いた。そして頭を下げて身をかがめると、トンネルをくぐるようなしぐさで前に進む。一定の所まで歩いていって、そして状態を起こし振り返った。


「もう大丈夫みたいです」


 よし、と小さく拳を作って、急いでかげぬいに追いついた。

 昨日屋敷に入った時、五つあった部屋の内その二つに入った。ひとつは応接間のような所、もう一つは客間だった。もうひとつはエプロンを付けたお手伝いさんが手を拭いながらでてきたから、きっとキッチンやダイニングに繋がっているのだろう。

 おばあさんは車いすを使っていたから、二階の部屋を使っているとは考えにくい。となると、残されたもう一つの部屋がおばあさんの部屋だ。

 そこまで検討を付けて、屋敷の塀沿いを進む。

 推測を付けていた部屋の前まで来て、私たちは木陰に隠れながらほっと息を吐いた。

 隠れながら様子を窺う。部屋の明かりは消えているようだったが、奥から読書ランプくらいの小さな灯りが漏れている。もしかしたら、まだ起きているのかもしれない。


「かげぬい、窓を叩いてみよう」


 そう言って木陰から抜け出した時だった。


「我は雷公の旡、雷母の以威をうけ 五行六甲の兵を成し 百邪を斬断し 万精を駆逐せん 急急如律令ッ────」


 雷が落ちる轟音が響いた。激しい光線を成して真っ直ぐにこちらに向かって伸びてくる。

 かげぬいの方がわずかに早かった。私の脇に手を入れて宙に飛び上がる。それと同時に人形を解いて、鳥の姿に戻った。翼を羽ばたかせ宙に浮かぶ。

 見下ろした元居た場所には雷が落ちた後のように稲妻の焦げ跡が残った。

 どどど、と鼓動が驚くほど速く波打つ。驚く暇もない一瞬の出来事だった。

 かげぬいが少し距離を取ったところに私を下ろした。直ぐに人形にもどると、私を背に庇うようにして前に出る。


「結界が破られ、妖の気配を感じたから来てみれば、────またお前か」


 淡々とした声に、はっと息を飲む。暗闇からゆっくりと歩いて来た賀茂くんは、面倒くさそうに顔をしかめた。


「まって、お願い。話を聞いてほしいの。かげぬいは悪い妖じゃないの。今も私を守ってくれたでしょう!」

「陰陽師の屋敷と知ったうえで結界を破り、中へ入ってきた。それだけでも判断材料は十分だ」

「聞いて、賀茂くん! かげぬいは、あなたのおばあさんに」


 私が言い切る前に、賀茂くんは親指と人差し指を立てて胸の前で構えた。


「臨む兵 闘う者 皆 陣烈きて前に在りッ!」


 無意識に服の上から円禾丸の切羽を握りしめていた。身を固くして歯を食いしばる。目の前で激しい爆発音が響いた。


「なっ」


 覚悟していた衝撃は来ず、賀茂くんの驚いたような焦りが混じった声が聞こえた。恐る恐る顔をあげると、私たちを囲うようにして半円形の薄い膜が浮かんでいるのが分かった。

 ドーム型のそれのてっぺんに白い紙が張り付いている。よく見ると、見慣れた字で何かがかいってある。三門さんの御札だった。いつの間にそんなものが、と驚くも、そのおかげで助かったらしい。


「賀茂くん、お願い、話を聞いて! 妖はわるいものばかりじゃないのっ」

「だまれ!」


 噛みつくようにそう叫んだ賀茂くんが一瞬だけ泣き出しそうな顔をした。思わず言葉に詰まる。

 その時だった。


「忠敬さん……? そこにいらっしゃるの?」


 閉め切られていた部屋の窓がゆっくりと開いた。

 ストールを肩にかけ、部屋の中から顔を覗かせたおばあさんに賀茂くんは顔の色を変える。


「窓を閉めて下さい、屋敷に妖が入り込んでいますッ」

「だから違うんだってば!」


 私がそう声を張り上げると、おばあさんは驚いたように目を丸くして私を見る。


「貴方は、忠敬さんのお友達の」

「おばあさんに会わせたい人がいるんです……っ」


 そう叫んでかげぬいの背中を思い切り押した。よろめきながらおばあさんのいる窓の前へ出たかげぬい。おばあさんは少し戸惑うように私とかげぬいの顔を交互に見た。

 血相を変えて走ってくる賀茂くんを体当たりするように止めた。離すものかとその腕を掴むと、目を吊り上げた賀茂くんが振りほどこうと容赦なく暴れる。


「お願い、少しでいいから邪魔しないでっ」


 両腕に力を入れたその時、「忠敬さん」とおばあさんが賀茂くんの名前を呼んだ。ひどく顔を顰めながら視線を向けた賀茂くん。力が少しだけ緩む。


「この屋敷の門は、本当に歓迎しないものは入ることができません。けれど、この方は入ってくることができた」

「それは、こいつが結界を破ったからっ」


 きっと私を睨みつけた賀茂くん。一瞬怯んでしまったが、かまうものかと手に力を籠める。


「いいえ、この門をくぐったということは、彼もまたお客さまです」


 凛とした声でそう言い切ったおばあさん。かげぬいに向かって微笑みかけると、少しだけ身を乗り出してストールを肩にかけ直す。


「私にご用でしょうか、妖怪さん」


 かげぬいは茫然としたままおばあさんの顔を見上げていた。ぴくりとも動かないかげぬいに、おばあさんは少し困ったように眉を下げ笑いかける。

 固唾をのんでその様子を見守る。私の間違いでなければ、かげぬいが待っていたのはあの頃はまだ少女だった賀茂くんのおばあさんなんだ。

 おばあさんはかげぬいのことを、もうちっとも覚えていないのだろうか。

 お互いの瞳を覗き込むように、ふたりはじっと見つめ合っている。先に沈黙を破ったのは、おばあさんの方だった。


「貴方、どこかでお会いしたことがあるような────。貴方のような目を、随分と昔見たことがある気が。夜空を閉じ込めたような、不思議な七色に光る素敵な目……」


 かげぬいの瞳が揺れた。


「────貴方に、名を頂きました」

「名前は……」

「私は、かげぬい」


 風が吹き抜ける。

 おばあさんが噛み締めるようにその名前を呼んだ。「ああ、ああ」そういって徐々に声を弾ませる。


「かげぬい、怪鳥のかげぬい。木陰を縫うように空を飛び回る、自由な妖」


 おばあさんは身を乗り出して手を伸ばした。かげぬいの頬に触れる。かげぬいは壊れ物を扱うようにその手を上から包み込んだ。


「待っていました、あの木の上で」

「ああ、随分と待たせてしまったのね……」

「いいえ、昨日のことのようです。妖の一生は長い」


 おばあさんは反対の手で自分の目じりを拭った。


「お互いに、年を取りましたね」

「ええ……そうね」

「でも貴方の瞳は変わらない。太陽のように輝いている。あの頃の私を照らしてくれた瞳のままだ」

「かげぬいは変わったわね。随分と優しくなったわ」


 かげぬいは苦笑いを浮かべた。


「また、貴女を描いてもいいかしら」

「────今度は私が会いに来ます」


 強く頷いてそう言ったかげぬい。その瞳は水面のようにきらきらと輝いていた。

 ふと、賀茂くんがすっかり力を抜いているのに気が付いた。恐る恐る腕を解く。賀茂くんは戸惑うように眉根をよせて目を伏せた。彼の前に回り込んだ。どうしてもちゃんとつたえたいことだったから。


「どの妖もかげぬいと同じように誰かを大切に思ったり、大事にしている思い出があるんだよ。私たちと一緒なの。もしかしたら私たちよりも、もっと純粋なのかもしれない」

「……でも、妖は憎むべきものだと、祓うことが正しいことだと。俺はそう、だからすべてを犠牲にしてこれまで、」


力なくその場に腰を下ろした賀茂くんは蹲るように頭を抱えた。


「私、この町の妖もこの町の人も温かくて大好き。賀茂くんにも好きになってほしい」


賀茂くんはいつもどこか退屈そうで、不満げで、寂しそうな目をしていた。ここへ来る前の私に、どこか似ているような気がしたのだ。


「今度、結守神社においでよ」


賀茂くんの返事はなかった。少しの気まずさを感じながら「じゃあ、またね」と手を振ると、かげぬいの傍へ駆け寄った。




朝日が昇る少し前に社へ帰ってきた。

誰にもばれないように社頭は通らず本殿の裏から自宅へ侵入する。無事に屏風覗きの弥太郎と入れ替わることに成功し、布団にもぐると直ぐに眠気が襲ってきた。

そして次の日の朝。何ともない顔をして朝食の席に着いた私は、身を縮ませて正座する羽目になる。


「そう言えば麻ちゃん」


お味噌汁を啜りながら、三門さんがにっこりと笑った。


「昨日は僕の御札が大活躍したみたいで良かったよ」


畳の上にぽろりと箸を落とし固まる。


「力がまだ不安定な麻ちゃんに、何かあった時のために書いた御札なんだけどね。まさかコートのポケットに忍ばせたその日に役立つとは」


顔は笑っているはずなのに、目が笑っていない。優しい声が今はかえって恐ろしかった。


「あ、あの」

「“妖には関わり過ぎないで”“危険なことはしないで”って何度言ったんだろうね、僕」


全身からどっと冷や汗が噴き出た。心臓がうるさい。手足の先が驚くほど冷たくなっていた。三門さんはにっこりと微笑んだ。思わず背筋が伸びる。


「たぶん僕が何度言っても麻ちゃんは、忘れてしまうと思うので、代理の方を呼んでおきました」

「……代理の方?」


三門さんは私の後ろの障子を指さした。

締め切られた障子があるだけで何もない。ほっと胸をなでおろし前に向き直ったその時、廊下からずずっずずっと何か床をひきずる音が聞こえた。その音は徐々にこちらへ近づいてきている。私は壊れたロボットのようにぎぎぎ、と首を回した。障子の端に人影が写る。普通のものではない。

髪はぼさぼさにみだれ、その隙間からは人間にはないはずの尖ったものが生える。腰は曲がっており、その手には鋭利な刃物が握られていた。

ひっと息を飲んだ。逃げるように身を引いたが、腰が抜けたらしくそこから動くことができない。

助けを求めるように振り返ったが、三門さんはもくもくと食事を続けていた。

影は障子のど真ん中で止まる。


「あっ、あの、ごめんなさい、違うんです……! ほんとは、ちゃんと」

「それは僕じゃなくて、彼女に伝えてね」


全く助ける気がないらしい。三門さんはそれだけ言うと、食器をまとめて立ち上がり、台所へと消えていく。

その日の私の悲鳴は裏山の反対まで響いたらしい。


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