言祝ぎの子 ー国立神役修詞高等学校ー

三坂しほ

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帰らず

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「こんのバカ慶賀ッ、勝手に動いて何やってんだよ! どんだけ心配したと思ってんだよ!!」


合流できたことに安心したのか半泣きの来光くんが慶賀くんに抱き着く。

悪ぃ悪ぃと頬を掻きながら肩を竦めた慶賀くんは「でもほら、持ってきた」と誇らしげに筆を差し出した。


「今抱きつくな! 後でやれバカ共!」

「バカバカうるせぇ!」


みんな揃って夜道を駆け抜ける。周りは田畑しかないせいで遮蔽物がなく隠れる場所がない。

振り返るとちょうど門からぬらりひょん達が出てきたところだった。


「背後に気をつけろよ! 後ろ見ながら前見て走れ!」


恵衣くんがそう叫ぶと同時に足元に伊也の怪し火が落ちて弾ける。


「んな無茶な!」

「走れ走れ走れッ!」


嘉正くんが叫ぶ。

必死に足を動かした。息が詰まる。喉がひりつく。肺が痛い。それでも必死に走った。

背後で怪し火がごうごうと燃える音がする。暗闇の先に分社の表の鳥居が見えた。

ヒュンッ、と何かが風を切る音がした。ハッと振り向くも、顔を顰めて必死に走る慶賀くんがいるだけで何も無い。

暗闇でよく見えないけれど、伊也とぬらりひょんはその場で立ち止まっているように見えた。ぬらりひょんの口が大きく横ににぃと開く。不気味な笑みにぞわりと体が震える。前を向いて必死に走った。


リュックに入れていた予備の迎門の面を被って鬼門に飛び込んだ。直ぐに宿場町へ出る。時刻は丑三つ時、店のあちこちにあかりが灯り沢山の妖たちで賑わっていた。


「こっちだ!」


先頭を進む恵衣くんが表通りから一本逸れた路地に飛び込んだ。一気にあたりは静かになって、賑やかな表通りの声も遠くなる。複雑に入り組んだ裏道を何度も何度も曲がる。


「恵衣、これからどうする?」

「八瀬童子の里に行く。一晩だけ匿ってもらおう」

「今の状況じゃそれが一番だね。みんな、もう少しだけ頑張ろう」


嘉正くんの励ましの声に、息を詰まらせながら頷く。八瀬童子の里ならここから一時間とかからない。事情を話せばきっと匿ってくれるはずだ。

よし、と気合いを入れ直して走り出したその時。


「────皆、ごめん」


突然そんな声が聞こえて「え?」と振り返った。一緒に走っていたと思っていた慶賀くんが随分後ろの方で足を止めている。


「慶賀? 何してるんだよ、早く来なよ!」


来光くんがそう声をかけるも、慶賀くんは俯いたまま顔を上げない。

どうも様子がおかしい。


「慶賀? どうした?」


嘉正くんが数歩歩み寄ったその時、膝から崩れ落ちた慶賀くんはそのまま地面の上にドサリと倒れ込む。

ばくん、と心臓が大きくはねた。


「慶賀!?」


勢いよく駆け寄って、慶賀くんを取り囲む。倒れた慶賀くんを嘉正くんが抱き起こした。


「……は?」


戸惑うように嘉正くんが声を上げた。慶賀くんを抱いていた片方の手をゆっくりと顔まで持ち上げる。月明かりに照らされた右手は、手首まで真っ赤に染まっていた。

目を見開いた嘉正くんが震える手で慶賀くんを前かがみにさせた。白衣の背中は真っ赤に染まっていて、その真ん中には包丁が突き刺さっている。


「な、んだよ。これ」


ゴホッ、と苦しげに咳き込む慶賀くんにハッと我に返った。慌てて抱え直すと、口の周りは鮮血で真っ赤に汚れている。私たちを見上げる目は虚ろで、瞳は涙の幕が張って大粒の雫がこぼれ落ちる。


「み、んな。ごめ……ッ、俺、もう、はしれない」


息絶え絶えにそう伝える慶賀くんに心臓が凍りつく感覚がした。

何かを探し求めるように伸ばされた手を掴んだ。氷のように冷たい。必死に両手で温める。温めても温めても、どんどん冷たくなっていく。

あの時だ、鳥居を通る前だ。風を切る音がしたのは、ぬらりひょんが念動で包丁を投げた音だったんだ。


「何やってんだよ慶賀! なんだよこれ、ふざけんなよ!」


来光くんが顔をぐしゃぐしゃにして膝を折った。


「掛けまくも畏き 八百万の神等の前に 恐み恐みも白さく ここに在す志々尾慶賀が身に 不慮の障りによりて負ひし 傷と痛みと穢れとを 速やかに祓ひ清め 元の健やかなる姿に 立ち還らしめ給ひ……ッ」


恵衣くんが青白い顔で早口に祝詞を奏上する。平癒祝詞だ。慌てて私もあとを追いかけるようにして祝詞を唱える。

祈るように血だらけの手を額に当てた。


「ごめ、これ、もう……ダメなやつ、たぶん」


ごふ、と血の混じった唾を吐き出した慶賀くんが息絶え絶えにそう言う。誰もその言葉に耳を貸さなかった。必死に平癒祝詞を唱え続ける。終わればすぐ頭から、何度も何度も繰り返し、声がかすれても唱え続ける。


「なんで、なんで血止まらないんだよぉ……ッ!」


来光くんが限界を迎えたかのようにそう叫んだ。


「諦めるな! 全員で唱えれば間に合うからッ!」


泣き叫ぶように嘉正くんが怒鳴った。顔を顰めた来光くんが眼鏡を投げ捨て袖で目を擦り胸の前で手を合わせる。


「もう、いい。もういい、から……」

「いい訳ないだろバカなのかッ!」


恵衣くんが叫んだ。頬には大粒の涙が流れている。クソッ、と悪態を着いてそれを脱ぐって奏上を続けた。


「あー……やっぱり、な。いつかは……こうなると、思ってたッ……」


はは、と力なく笑った慶賀くん。

もう喋るなと皆が叫ぶ。慶賀くんは小さく首を振って続けた。


「帆負命に、神祝き、もらったろ。みんな、喜んでるとき、おれなんにも、感じなかったんだ……おれ、やっぱり、許されて、なかったんだなって。神さまから、見放されちゃった、んだって」

「そんな事ない! 慶賀くんのことはもうみんな許してる! 間違ったことをしたなら、これからやり直せばいいんだよ!」


どんどん力が抜けていく手を必死に握りしめる。慶賀くんの顔はふと穏やかな顔をして私達を見た。


「さいごに泰紀と、仲直り、したかったなぁ……」

「今からでもできるだろッ! 全部が終わって土下座しろ!」


来光くんが必死に傷口を抑えた。指の隙間からポタリポタリと血が滴り落ちる。止まる様子はない。


「ああ、しぬの、こわいな。どうなるんだろ、さみしいな」

「慶賀は死なない! 言祝ぎを口にしろッ!」


恵衣くんが名前を呼ぶ。慶賀くんのことを名前で呼んでいるのは初めて聞いた気がした。

どんどん力が抜けていく。唇は白く頬も土色だ。目からは力が抜けていき、光がどんどん小さくなっていく。


「さみしくは、ないか。あのしゃしん、もってるし」


帆負命の家でみんなで撮った写真のことを言っているのだろう。慌ててリュックを探った。前ポケットにコピー紙にくるんで大切にしまってあった。

冷たいその手に握らせる。慶賀くんは嬉しそうに頬を緩めた。


「ちょっと、さきいくな。おまえらは、もうちょっと、ゆっくりこいよ」

「馬鹿なこと言うなよ! 慶賀は僕らとおじいちゃんになるまで馬鹿やって笑うんだよ! それで巫女頭に叱られて、罰則食らうんだろ!」

「はは……それ、ちょっと、いやかも」


自然と皆の祝詞奏上の声が止まっていく。嫌でも気付いてしまった。もう、これ以上は手の施しようがないんだ。

私の手に恵衣くんが手を重ねた。反対の手を来光くんが握りしめる。嘉正くんが背中から慶賀くんを抱きしめた。

慶賀くんの苦しげな息遣いと、私たちの鼻をすする音だけが響いている。


「慶賀、大好きだ。一生、僕の唯一無二の親友だよ」


来光くんが必死に涙を堪えて微笑んだ。


「大丈夫だよ、慶賀。俺らはここにいるから。ずっとお前のそばにいる」


嘉正くんが笑う。血だらけになった慶賀くんの口元を袖でそっと拭った。


「お前は、馬鹿じゃない。最高の神職だ」


恵衣くんが大粒の涙を落としながら慶賀くんの涙を拭った。

胸が張り裂けそうだった。漏れそうになる嗚咽を必死に飲み込む。


「慶賀くん、あの日私に声をかけてくれてありがとう。友達になってくれてありがとう」


強く手を握りしめる。僅かに笑った慶賀くんが答えるように握り返してくれた。

すぅ、と深く息を吸った慶賀くん。眠たそうに目を細めて私達をぼんやりと眺める。


「あ……がと、な」


風に吹かれれば消えてしまいそうなか細い声は確かに「ありがとな」とそう言った。ふぅ、と深く息を吐きながら目を閉じた。身体中の力が抜けていくのがわかった。


「慶賀!? 慶賀! 慶賀!」

「起きろよ慶賀!」


二人が必死に肩を揺らす。私の手から、するりと力なく慶賀くんの手が抜け落ちる。そこで、もうこの身体には魂が宿っていないのだと悟った。

ただ身を割くような激しい痛みと、息もできないほどの喪失感が喉を締める。

あああッ、と慟哭が響いた。自分が叫んでいるのか、誰かが叫んでいるのか分からなかった。


そして私たちは、昨日と同じ笑い合った夜は、もう二度と来ないんだと悟った。

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