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第5章

⑥ アスピドケローネとの対峙

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 翌朝、アスピドケローネはラブホテルの宿泊代を支払っていた。

「あのお客さん、結局ひとりのままだったね。いつもいろんな女の人連れてくるのに。相手の人に振られたのかな?」

「こら、お客様の余計な詮索なんてするんじゃないよ!」

 こそこそと受付のささやき声が聞こえる。

 これ以上ない屈辱だった。

「おのれ、仙崎のくせに! 仙崎のくせに! 仙崎のくせに!」

 どうしてくれよう、この屈辱を。

 残るは、勇者の従者の巫女しかいないか。

 しかし、勇者の従者は女神の加護を受けているため、催眠は効かないだろうし、迂闊に近づけば自分が浄化されないとも限らない。

 あの女はダメだ。



 どうする?

 予定を変更してまともに戦うか?

 しかし、アスランは四将軍の中の三人を同時に相手して勝っているのだ。

 もちろん、奇策を絡めながらであれば勝てると思うが、リスクは小さくない。



 となると……やはり秋穂だ!!

 秋穂には催眠がかかっている。

 しかし、秋穂は仙崎とは仲がいいのは間違いないが、パーティーの仲間ではないしそもそも人妻だ。彼女をあの男の前で犯したところで、大きな精神的ダメージを与えることができるだろうか?



 ――いや、待て。

 何のためにせっせと三〇年前から勇者アスランを仙崎幸弘として育ててきたんだ。

 優柔不断で生ぬるく、負け犬根性の底辺人間となるように仕向けてきたんだ。

 ああいう性格は優しくしてくれる女に対し、それが人妻であっても清純さを求めてしまうのだ。

 なのに秋穂が奴のことなど忘れてセックスに没頭する姿を見ればどうだ?

 奴の中の秋穂のイメージはガタガタに崩れてしまうはずだ。

 いける! いけるぞ!



 いづなたちのおかげで街の騒ぎは一時間もかからず収まった。

 魔族に襲われた人々の中には大けがを負わされた人や建物が破壊されたりなどもあったが、いづなの時間再生のスキルによって元に戻すことができた。

 一安心できたところで、私は真純の待つ家に帰った。

「あれ、アスピドケローネからは結局連絡なかったの?」

「なかったわね、アスピドケローネ様はどうされたのかしら」

「早く情報をくれないことには困るんだがな。まさか、これも罠だったのかな」

「きー! アスピドケローネ様はこんなこざかしい嘘などをつく小者ではない!」

 真純も当てが外れたようで、やや困惑気味だった。



 電話がかかってきたのは騒ぎがあった翌日の午前だった。

 ――午後一時に○○公園へ来い。

 ついにきたか。

 指定された公園へ真純とともに向かう。

 公園はきれいに整備されており落ち着いている。

 全く人がいないわけではないがかなり閑散としている。

 まあ、公園なんてこんなものだろう。

 ほどなくすると、スーツ姿の一人の男が現れた。

 彼がアスピドケローネだろうか?



「…………?」

「ききききき……」

 不審に思った私の横で真純がほくそえむ。

「あれは、北亀部長か?」

「きききき! あの北亀部長の真の正体こそが、アスピドケローネ様なのだ!!」

「なんだって?」

「久しぶりだね、仙崎くん……いや、勇者アスラン……」

 両手をポケットに突っ込んで妙に肩をいからせて……

 北亀部長ってこんな感じの人だったけな?

 もっと上品で柔和な人だと思ってたから、顔が見えても本人だって気づくのにずいぶんかかってしまった。

 敵として相見えるわけだから、警戒しているのかな?



『くくくくく……お前には絶望を見せてやるからな』

 仙崎の気づいてないところでたくさんの屈辱を味わわせてしまったがゆえに、アスピドケローネの敵意が全身からあふれていたのだ。

「いいことを教えてあげよう、アスラン。きみがこの世界に封印されたとき、きみの祖父母やそこの真純くんを宛がって世話するように指示したのはこの私なのだよ」

「え?」

 仙崎はにわかに動揺した。

 それを見て北亀はニヤリとした。

「すべてはきみを監視下に置き、勇者としての目覚めを妨げるためにだ!!」

『くくくく……どうだ、ショックを隠せまい。ここに精神波動を打ち込んでやる』



「そうだったんですね」

 仙崎はとくに驚く様子もなかった。

 その反応に驚いたのはアスピドケローネだった。

「どうした、驚かないのか?」

「え? 驚くも何も、そんなことは知ってましたし。それにじいちゃんもばあちゃんも敵だったのかもしれませんが、私にはすごくよくしてくれました。真純も妻として冷たかったかもしれないけど、家事はきちんとやってくれましたから感謝していますよ」

「きぃ?」

 その言葉を聞いて頬を赤らめたのは真純だった。

『くう! しまった! 生ぬるい性格に育てたことで敵に対してでもいいところはいいと判断するようなお人好しになってしまっていたとは!』



「ところで部長。最後のかけらのことについてご存知だということですが」

「あ、ああ……要件はそれだからな、伝えねばなるまい。だが、その前に君に伝えねばならないことがるのだよ」

「はい?」

 仙崎はこの先のことをかけらも予測できていないようだ。

『くくくくく……知らないというのは幸せなことだな!』

「さあ、来たまえ!」

 北亀は公園の入り口のほうへ声をかけた。

「?」

 やはり仙崎は何もわかっていない。

 お前の生ぬるい精神をズタズタに斬り裂いてやるぜ!



 声を向けたほうから一人の女性が歩いてくる。

 それは仙崎のよく知る人物だった。

「秋穂さん!?」

 会社の制服に身を包んだ秋穂が心許ない足元で歩いてくる。

 どうも目線が定まらない。

 様子がおかしい。

 そのまま北亀の横までくると、なぜか彼の腕にそっと手を回した。

「くくくくくく! そうだよ、秋穂くんだよ。今は私の部下として会社で働いている」

「会社に戻ったのかい?」

「はい……北亀部長に誘われたので……」

 口ぶりもなんだか覚束ない。

 何かがおかしかった。
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