26 / 63
日向の香り
しおりを挟むあの後、イアンは大人しくなり、静かに書類にサインをした。そして邸内で待っていた父に連れられてハネス家に帰っていった。
これから父とハネス伯爵の間で正式に婚約破棄の手続きが行われる。
既に夫人は逮捕された後だろうから、これからきっと修羅場が待っているだろう。
ハネス伯爵がイアンにどんな処遇をするのかはわからない。
彼の中に、血は繋がらなくとも今まで共に暮らしてきたイアンに対して、父親としての感情が残っていると信じたい。
彼にだってイアンを救う事はできたのだから。
唯一あの母親を何とかする事が出来たのは夫であるハネス伯爵だけだ。
彼にだけはイアンを責める資格はない。
『リジー・・・・、君は最後まで否定して信じてくれなかったけど、僕は本当に君を愛してたよ───でも・・・、だからこそ僕の醜さを、君にだけは知られたくなかった・・・っ』
去り際に、イアンが吐露した嘆きが耳にこびりついている。
『傷つけてごめんね・・・、さよなら、リジー』
泣き笑いの表情が、目の奥にこびりついている。
やっと婚約破棄出来たのに、全然スッキリしない。
裏切られたのは私なのに、後味悪すぎて胸が詰まる。
イアンは、本当に私の事が好きだった・・・?
それを信じて私も同じ思いを返せていれば、こんな事にはならなかった───?
真っ暗な執務室で机に突っ伏していると、ゆっくりと扉が開けられ、廊下の明かりが部屋に差し込む。
「ブリジット───」
「……………」
「───大丈夫か?」
「…………大丈夫じゃない」
「…………入るぞ」
部屋にワゴンが運びこまれる。
エゼルは明かりをつけて応接セットのテーブルにお茶と軽食のセッティングを始めた。
「—————あまり食欲ないんだけど…」
「甘いものだけでもいいから少し腹に入れておけ。ほら、お前の好きなフルーツティー持ってきたぞ」
フルーティな香りが鼻腔をくすぐる。
口に含むと、ずっとダルくて重かった体が緩んだ気がした。
「レンス様が戻ってきたぞ。落ち着いたら話したいそうだ」
「————そう。手続きがすべて終わったのね」
これで私は、傷物令嬢になった。
私はもう18歳だ。家の為を思うなら、カーライルの後継を産むためにまた誰かと婚約を結ぶべきなんだろうけど、今は何も考えられない。
—————イアンの覗き行為と、影の仕事になんの違いがあるのだろう。
人のプライベートを覗いて秘密を暴く事になんら変わりない。
「………私ね、影の仕事って、国に仇なす悪い奴をやっつける正義のヒーローみたいに思ってた。そんな仕事をしている両親のことを、かっこいいってずっと尊敬してたの。お母様とお父様が、どんな気持ちで仕事してるかなんて想像もしなかった。ホント、おめでたいよね私。資質を試されて当然だわ」
前世の記憶も相まって、影の仕事を必殺仕事人か何かだと勘違いしていた。実際の影の仕事はこんなに泥臭くて負の感情に塗れているのに。
今両親から受けた忠告を、この身に受けている。
こういうことは、この先何度でもある。影の仕事をする限り一生ついてまわる。
それでも私は、当主を継ぐ覚悟があるのか————。
「今日、私はイアンの未来を潰したわ」
「……ブリジットのせいじゃない。アイツのやった事が跳ね返っただけだ。これはなるべくしてなった結果だよ」
「……ふふっ、エゼルの方がよっぽど影に向いてるかもね」
「そうか?それは嬉しい誉め言葉だな」
「—————嬉しいの?」
「ああ。お前の隣に並び立つことが出来るからな」
「………そ…そっか……」
エゼルの優しい笑顔に、思わず声がどもってしまう。
普段はいつも小言ばかりだから、何だか調子が狂うわ。
「お前には俺がいる」
「………え?」
「俺がお前を一生支えてやるから、影の仕事が辛くなったら泣けばいい。お前の弱さは俺が引き受けてやる」
「……言うようになったじゃない。昔は泣き虫の引きこもりだったくせに」
「ちゃかすなよ………ったく、母娘して何年前の話を持ち出してんだ」
お母様にも似たようなこと言われたんだ?
「……ふふっ。ちゃかしてごめん。ありが……と…っ」
途中で声が震えて詰まり、堪えていた涙がこぼれた。
—————重い。
影の仕事は、人の人生を潰す仕事だ。
対象は必ずしも犯罪者だけではない。
キャサリン様達をけしかけておいて、私が怖気づいてどうするの。
私は、————私達はこれから、彼らの人生も潰すのだ。
自分たちが犯した行いの責任を取ってもらうのだから。
これが仕事だと自分にそう言い聞かせていると、日向の香りが私を包んだ。
「———お前には、俺がいる」
「……ふっ……っ」
「辛かったな」
「ふっ……うぅぅぅ~っっ」
イアンとは違って、エゼルは香水をつけない。
服に染み付いた太陽の香りと、エゼルの匂いが混じって私を包む。
とても落ち着く香りで、私は気が緩んで涙腺が決壊してしまった。
「何よ…っ、エゼルが急に甘やかすから、我慢できなくなったじゃないよぉ~…っ」
「じゃじゃ馬のお前を甘やかしてやれるのなんて、お前の親以外で言ったら俺くらいだろ。気にせず大いに泣くがいい」
「アイメイク落ちる…っ、目の周り黒くなる!…目が腫れる!」
「大丈夫だ。そうなったら指さして笑ってやる」
「笑うな!!」
「はははっ」
「ううぅぅぅ~っっ」
一度決壊した涙腺はなかなか元に戻らなくて、私はエゼルの腕の中で泣き続けた。私の頭をなでる彼の手が心地よくて、私はそのまま泣き疲れて寝入ってしまった。
「———————だから、俺の前で無防備になるなよ。……はあぁ、ったく。…………落ち着いたら全力で口説くから覚悟しとけよ」
その翌朝、鏡の前には目が腫れ上がったブサイクな私がいて、悲鳴をあげたのは言うまでもない。
352
あなたにおすすめの小説
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
貴方が側妃を望んだのです
cyaru
恋愛
「君はそれでいいのか」王太子ハロルドは言った。
「えぇ。勿論ですわ」婚約者の公爵令嬢フランセアは答えた。
誠の愛に気がついたと言われたフランセアは微笑んで答えた。
※2022年6月12日。一部書き足しました。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。
史実などに基づいたものではない事をご理解ください。
※話の都合上、残酷な描写がありますがそれがざまぁなのかは受け取り方は人それぞれです。
表現的にどうかと思う回は冒頭に注意喚起を書き込むようにしますが有無は作者の判断です。
※更新していくうえでタグは幾つか増えます。
※作者都合のご都合主義です。
※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。
※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
【完結】お飾りの妻からの挑戦状
おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。
「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」
しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ……
◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています
◇全18話で完結予定
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる