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「この方がグスタフ様の婚約者であるコーデリア様ですかぁ。色々とお噂はグスタフ様より聞かされております。わたくし、モールバラ子爵家の令嬢でバーバラと申します。取り立てて、後盾のない貧乏貴族でして、王立貴族学院にも通わせてもらえなかったので、不調法がありましたら平にご容赦を」

 バーバラと名乗った女性は、王太子妃候補であり、公爵令嬢でもあるコーデリアに対し、最大限のマナー違反である座ったままの挨拶を送って挑発をしていた。
 貴族の序列を考えるに、場所が場所であれば、コーデリアに打擲されてもおかしくないほどのマナー違反である。

「これは初めまして。わたくしがコーデリアと申します。今宵の酒宴に華を添えて頂いたバーバラ様には申し訳ありませんが、この辺りで酒宴はお開きにさせてもらうことにいたします。ご列席の方々もこれ以上のお酒は毒となりましょうから、今宵は自宅にお帰りになられ、酔いを醒まされた方がよろしいかと存じます」

 コーデリアは礼を失した上、自分の婚約者に媚を売って寝取ろうしているバーバラを一瞥すると、酒宴の参加者たちに向け表情を崩さずに酒宴の終わりを告げていく。

「グスタフ様ぁ~。怖い~。この楽しいひと時はもう終わりなのですかぁ~」

 だが、目の前のバーバラは隣にいるグスタフ王太子に身体を密着させ、甘えるような声を出して酒宴の継続をねだっていた。
 その声にグスタフ王太子の鼻の下が伸びるのをコーデリアは見逃さなかった。
 彼に対する愛はない。
 それはコーデリアも自覚していたが、仮初であったとしても結婚を約束している女の前で、他の女にうつつを抜かす男の思考が理解できないでいた。
 目の前の男は、本能の赴くままに生きる獣のような思考しか持ち合わせていないのかと、コーデリアは落胆を覚える。
 こんな男が次期国王かと思うと、父と王が懸命に守ったこの国の未来に暗い影が覆いつくしていく気がしてならない。

「皆の者、私はまだ酒宴を続けるぞ。この女の言葉に従う必要はない! コーデリア、今一度言う! この場より立ち去れ!」

 グスタフ王太子は傍らに立て掛けられていた佩刀を引き抜くと、コーデリアに対してなんら逡巡も見せずに刃先を突き付けた。
 さすがのコーデリアも酒の毒に目を濁らせたグスタフ王太子の刃先には恐怖を感じ、一歩二歩と後ろへたじろぐ。

「グスタフ様、お戯れはおやめください」
「うるさいっ! お前のような小うるさい女にはもうこりごりだ! フェルディナンド! この女との婚約は破棄だ! 実家で引き取れ! クソジジイとクソババアがちゃんと納得するそれらしい理由も付けておけよっ! バーバラ、これから王太子府で飲み直すからお前も来い」
「はぁ~い。わたくしは難しいことは分かりませんので、グスタフ様のご指示に従いまぁ~す」

 グスタフ王太子はバーバラの手を取ると、酒宴の会場にいた貴族たちと一緒に部屋から姿を消していった。
 残されたのは諦め顔のコーデリアと怒りに身体を震わすフェルディナンド。
 そして、怒りを露わにしたフェルディナンドの眼には栄達を約束するグスタフ王太子からの叱責を恐れる色や、昔から反りの合わない異母妹であるコーデリアへの憎しみ色を宿していた。

「コーデリア! お前はレンフォード公爵家を潰すつもりかっ! グスタフ王太子の不興を買えば、我が家などすぐに取り潰されてしまうのだぞ!」
「兄上こそ、国を潰すおつもりですか。このまま、グスタフ様が政務を担うことになれば世が乱れます。側近として諫言をすべき立場の兄上が率先して酒宴を催すとは……」
「馬鹿者っ! 女が政治の何が分かるのだっ! グスタフ様の機嫌を取ることのみに心を砕けば良いものを! いらぬ諫言をして不興を買うなど愚か者の所業だぞ!」
「ですが、王や王妃はそれをわたくしに臨んでおります。あの方たちの期待に背くわけには……」
「それこそ、愚かだというのだ。王も王妃も高齢だ。あと一〇年も生き延びまい。それに政務もそろそろお譲りになる時期なのだ。そうなれば、グスタフ様の思うがままになるのだぞ。それをお前が賢しい諫言などをしたおかげで……」

 フェルディナンドの顔には『だから小賢しい女は可愛げないのだ』と言いたげな表情が張り付いている。
 その顔を見たコーデリアは、もはや隠すことさえせずに盛大なため息を吐いた。

 フェルディナンドとその取り巻き貴族たちには、王と王妃がグスタフ王太子の行状を見ても、後継候補から外されるという選択肢がないと思っているのだろうと推測できたからだ。
 しかし実際のところ、王も王妃もグスタフ王太子の行状に心を痛め、廃嫡をして養子を迎えることも考え始めていることをコーデリアは知っていたのだ。
 そのことをフェルディナンドたちは知らないようで、すでに国家の舵取りをできる算段をして動いている様子であった。
 
「兄上……」
「もうよいっ! お前はグスタフ様から婚約破棄されたのだ。しばらくはこの屋敷で謹慎しておれ。外出も王宮に戻ることもまかりならん! 誰かおるか! この愚かな妹を幽閉しておけっ!」

 フェルディナンドは隣室に控えている家の者に対し、コーデリアを幽閉するように指示を出すと、グスタフ王太子を追いかけるように部屋から出ていった。
 その後、入れ替わるようにレンフォード公爵家の者がコーデリアを捕えると、邸宅の離れに連れて行き、幽閉されることとなってしまった。
 そんな事態に陥ったコーデリアは自分の力のなさに、再び深くため息を吐くことしかできないでいた。
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