恋が温まるまで

yuzu

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#6 残業の後で

#1

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 残業を終えたのは、日付が変わる少し前。

 時計を見た瞬間、まっさきに浮かんだのは——電車、もうないかもしれない、という現実的な心配。

 「送るよ、車で来てるから。」

 田上さんのそのひと言に、私は素直に甘えることにした。

 残業を手伝ってもらったうえに送迎まで頼むのは気が引けたけれど、タクシーを探す元気も残っていなかった。

 車内は静かで、少し乾いた夜の空気が心地いい。

 ほどよく流れるBGMのせいか、沈黙も自然に思える。

 ——が、家の最寄り駅をあっさり通過したあたりで、違和感が芽を出した。

 「……あの、私この辺で大丈夫ですが?」

 意を決して尋ねると、ハンドルを握ったまま、田上さんが淡々と答える。

 「寄りたい小料理屋があったんだけど、この時間閉まってるし」

 「……?」

 「で、近いからうちでいいかなって。」

 「いや、"うちでいい"って言われましても……」

 "困ります"と、言いかけたところで——お腹が鳴った。

 無音の車内に、妙に明瞭に響く音。
 会話の続きが、綺麗に霧散する。

 「……まさかのタイミング」

 田上さんが笑いをこらえる気配もなく、楽しそうに吹き出した。

 私は恥ずかしさを誤魔化すように、後毛を耳にかけたり、メガネを掛け直したりした。

 「食べていきなよ。遠慮しなくていいから。ちゃんと家まで送るし。誓う」

 言いながら、彼はハンドルに片手をかけて、軽く右手を挙げてみせる。

 「運転手兼コック、今夜はサービスだよ」

 ……なんだか、もう断るタイミングを逸してしまった。

 空腹という現実的な欲求に敗北するかたちで、田上さんの申し出を受け入れることにした。

 到着したマンションは、エントランスに控えめな照明と水の音が漂う静かな建物だった。

 エレベーターで上階へ向かう間も、どこかホテルのような空気が漂っている。

 そして部屋の扉が開くと、思わず足を止めてしまった。

 ウッド調のフローリング、空間の抜け感を意識した間接照明。
 そして、奥に伸びるキッチンには、雑誌で見たようなスタイリッシュな器具が整然と並んでいる。

 「……カフェ、経営してます?」

 思わず口をついた私の問いに、田上さんは冷蔵庫を開けながら、肩越しに笑った。

 「趣味。ストレスは炒めて飛ばす派」

 手際よく鍋を出し、まな板をセットする様子を見ているだけで、こちらの緊張が少しずつ和らいでいくのを感じた。

 ……でも、警戒心ゼロはどうかと思う。
 それを忘れないようにしながら、私はそっとスーツのジャケットを脱いだ。

 
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