死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#30 雪の降る学び舎

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「は…………はっくしょん!!」
 思えば、外套を羽織らなかった理由が思いつかない。アーチの外は寒い場所だと、レイセン君から教わっていたにも関わらず。
「うう……さむい!!」
 僕の言葉が、白い煙と共に吐き出された。
 露出した肌が、寒さ過剰反応を起こしているようにさえ感じてしまう。
「ご主人様、一刻も早くこれを着てください。見ているこちら側も寒いです」
 レイセン君が僕の正面に立つ。
 掛け布団程もありそうな布を広げ、弧を描くように僕の背中へ腕を回した。
 体が熱を取り戻していく。あったかい。僕を包み込む織物特有のぬくもりを噛み締めた。
「まさか、本当に一瞬で……転移装置とか、そういう類いの物なのかな」
 ノアは上着を握りしめて頭の天辺から爪先まで震えている。
「そういう難しいことは、一切合切抜きにして!! お陰で楽ができたのですから」
 フィリアは僕やレイセン君よりも短い、上半身が隠れる長さのローブを着ただけだが、この中では一番寒がらず、活気にあふれていた。
 寒くはないのか。指摘しようとして人差し指を向けると、「これはコートですわ」と教えてくれた。
「流石、子どもは風の子だ。フィリアは見ているだけで暖かそうだね、そこの寒そうな人と違って」
「いまあたたかくなりましたー」
 ノアが調子に乗って僕をからかう。歯を見せて笑うノアは珍しい、と思うと同時に少しだけ苛ついてしまった。
「ああ、ご主人様、見てください。雪が降ってきましたよ」
「え……? ゆきってどれ?? ……ほわー」
 白くて柔らかそうな綿が、空から落ちてきた。一つや二つではなく、幾つも無数に。
「これ、何?」
「今、貴方の足元に広がる白い床そのものですよ。この雪が、時を経てまさに純白の絨毯に……」
「え、こんなに小さい粒が……」
 親指ほどの大きさしかないこの雪が、辺り一面を覆う白い地面だなんてとても思えない。けれど理屈と、目の前で繰り広げられる光景が、それを僕に知らせてくれる。
「……ご主人様、私の手を見ていてください。雪には一粒ひとつぶ、結晶という形があるのです」
 レイセン君は左手をローブから出すと、掌を上にして静止する。
──掌に、一つの雪がふわりと落ちる。
「……!」
 雪は青白い光を放つと、透明な花を咲かせた。
「光った……すごく、綺麗……。ねえ、なんで光ったの?」
「それは……『貴方に見つけてもらったことが嬉しかったから』ではないでしょうか」
 雪の結晶は、手の熱に溶かされて消えてしまった。
「えっ、今の、もしかして推測……?」
「どちらでしょうね」
「教えてくれないんだ……」
 僕はレイセン君を見上げた。彼が僕をからかって、クスリと微笑う。
 レイセン君の雪のような白い肌に思わず目を惹かれた。僕は即座にその場を動くことができなかった。もしかすると、この人は雪なんかよりもずっと綺麗かもしれない。
「あの人、さ──」
 綺麗だよね。とノアが言った。
 確かに、僕もそう思う。と、返したつもりだった僕は、ノアが不思議そうに僕の顔を覗き込んでいることに、暫く気が付かなかった。
「ああ、うん、そうだね」
 ノアは遅れてやってきた返答に困惑していた。
「ひあっ!? ちべたっ」
 水色の毛髪に、弾け飛ぶような音を立てて雪玉が当てられた。僕が顔をずらすと、丁度ノアの影に隠れていたフィリアがにしし、と笑っていた。
「もーー! フィリア!!」
「きゃーっ!! ノアの逆襲ですわーーー!!」
 雪玉をぶつけられて嬉しいはずがない。だけどその顔は穏やかだった。
 ノアはいざ反撃を、と地面の雪を掻き集め、フィリアに向けて投擲する。しかし、少女には命中しない。寧ろわざと外しているような気さえする。
「私たちも後を追いましょう」
「うん。あの二人は目を離すとすぐどこかへ行っちゃいそうだからね」
 徐々に小さくなっていくノアとフィリアを見失わないように歩く。
「……ご主人様、どうかされました?」
 僕はぼうっと立ち竦んだまま、銀髪の青年に見蕩れていたらしい。
「う、ううん。何でもないよ」
 レイセン君は立ち止まり、斜め後ろの僕を振り返った。
「少し、失礼します」
「えっ?! な、なにどうしたのレイセンく……」
 青年の腕が僕の方に伸びて、後ずさる。けれどその腕の動きの方が早く、細い指が僕の前髪をかき分け、額を覆った。
「熱があるようですね、僅かではありますが」
「熱かあ……。僕でも前後するくらいの体温はあるんだね」
 言葉に宿る静けさ。レイセン君は僕に背を向けた。
「……から、何だと……」
「……え……?」
 僕は唖然とした。青年が想像もつかないような言葉を発したから、ではない。
「心臓がないから、何だというのです」
 繰り返された言葉によって、僕に伸し掛かる重荷が、いくらか軽くなったような気がした。
「そもそも、この世界には魔獣などという、心臓もなく動く輩が無数にいるではありませんか」
「僕を魔獣と一緒にしたぁ!?」
「いいえ。いいえ、そうではありません。この世界において、心臓の有無は然程重要ではない。と言いたかったのです」
 僕は、慰められているのだろうか。或いは貶されているのだろうか。
「な、なるほど……? 君の言いたいことはわかった、ような……そうでもないような……」
「受け止められなくて当然です。寧ろ素直に認めていたら、それこそ心配します」
「あはは……そっか、そうだよねー……」
「……いずれ、笑い話にでもなれば……と思って言ってみたのですが。やはり、性に合わないようですね」
「……そんなことない、ありがとう」
 ともあれ、励ましてくれているということがわかっただけでも僕は嬉しかった。
「……!! あれは……」

「きゃああああ!! お二人、早くこちらに──」
 僕とレイセン君は、少女の叫び声が途切れる前に駆けつけた。
「なに、あれ……」
 銀世界を汚す赤、朱、紅、緋。
 まるで母親の腹から出たばかりの胎児の如く血を被り、それでいて異様に長い手足、先端が二つに別れた舌──魔獣だ。
 魔獣は何かを中心に輪を作り、そこに向かって攻撃を繰り返している。
 円の中央にはノアが。敵と交戦していた──。
「見ていてあまり良い気分はしませんね」
「今までの敵なんて、まだ可愛いものだったってことかな……?」
「敵の感想は後にしてください! フィリアは後方支援しますわ、皆さんノアを手伝ってくださいまし!」
「わかった。行くよ、レイセン君!!」
 背中の矢筒から矢を一本。僕は声を張りながら、地面に片膝をつき、弓を引き絞る。
 雪の冷たさは、外套のおかげでそれほど気にならない。
「はっ」
 短く返答したレイセン君が、ローブを翻して敵陣へ疾走した。鋭い刃を光らせ、鉈剣を構えながら。
 しかし、数が多すぎる。ざっと見たところ……少なくとも十体以上という所か。
「動きが早い! これじゃあ狙いが付けられないよ」
「あ、アクアさん、こっちに来ます!!」
 群れから外れた一匹が、僕たちを目掛けて飛び跳ねた。
「そっちだね。よっと!」
 狙いを右にずらしたところで、もう一度魔獣の位置を確認し、放つ。
 矢は化物の身体を貫き、一回転して地面に伏した。
「す、すごい……ですわ」
「まだ終わってない!」
「わ、わかってますわよ!」
 僕は再び矢筒に手を掛けた。
「……ウ、ウウアアアアアッ!!」
 雄叫びにも似た声は、魔獣のあげる奇声とも異なる。人が出せる音域だ。
「アァ!! アアアアア!!」
──ノアだ。魔獣の数が減ると、その隙間から血だらけになった少年が見えた。
「何だ、ノアの様子が……?」
「…………」
 様子がおかしいのはノアだけではなかった。レイセン君もまた、魔獣以外の何かを気にして、思うように剣を振るえない様子だった。魔獣の群れとその中心にいるノアから、大分距離をとっている。
「レイセンさん!! ノアの視界に入らないようにして、きゃあ──!!!!」
 フィリアの警告は、間に合わなかった。
「──ッアア!!」
「……っ」
 レイセン君は、寸でのところでノアの突進をかわしたかに思えた。反射的に伸ばした腕を、スタンガンの電流が掠め──剣を、落としてしまう。
──スタンガンを改造した。
 以前会った時、ノアが自慢げに語っていたのを思い出す。
「レイセン君大丈夫?!」
 分が悪い青年に襲いかかったノアは、積もった雪山に埋もれてしまった。
 ──魔獣どもの狙いが、一点に集る。
「暫く、利き手が使い物にならなそうです」
 レイセン君の左腕は、棒のように肩からぶら下がっていた。
「とにかく攻撃を躱して!! 僕がなんとかする……!!」
 フィリアの忠告か、または僕の声に振り向いた三つの顔が近づいてきた。
「っ……フィリア! 後ろに下がってて!!」
「フィリアだって……フィリアだって、戦えますのよおーーーー!!」
「えっ!?」
 半歩後ろのフィリアを振り返る。
 賽の目が、薄暗い寒空の下でさえ輝くダイス。
 少女は、その顔よりも一回り大きいサイコロを、頭上に浮かせていた。
 高く掲げた右手の先で、四角形の物体が幾度も幾度も回転して──。
「結果はダイスの神様のみぞ知り得る……どうかフィリアに、力を貸して──!!」
 えいっ、と三歩先に転がり落ちたダイスの目は──六。
「やりましたわ!! さあ、あなたの輝く所をフィリアに見せて!!」
 六つの青い賽の目から、魂を具現化したような円状の光が幾つも放出される。
 光は青白い炎を纏い、魔獣たちだけを追尾し、命中すると何事もなかったかのように消えた。
「……? なに、今の??」
「すぐにわかりますわよ! さあ、アクアさんは弓を構えてくださっても良い頃合いですわ?」
「わ、わかった……!! って、もうすぐそこじゃん!!」
 赤にまみれた怪物が、すぐそこまで接近していた。
「…………」
「──キ舎AaアアAAA亜AkkキキkKKKkk来kKaAAkkK奇k──!??! ???!!!」
 魔獣の動きが鈍くなる。ならば、今のうちに────。
「喰らえーー!」
 僕の得技──三本の矢を同時に構え、素早く射る。
 速度の鈍くなった敵なら命中率は──急所とはいかなくても、まあどこかしらには当たるだろう。
 放たれた矢は、額、胸部、それから腹部にそれぞれ突き刺さり、魔獣は動かなくなった。
「よし! あと何体!?」
「数は減ったはずですわ……!!」
──あと五体。だが、僕たちの囮を引き受ける流れとなってしまったレイセン君とは距離がある。
 青年の背後は、門と壁で進行を阻まれているようだった。
「あの距離かぁ……でも、動きが遅くなってる今なら──」
 僕が三度目の矢を取り出そうとした瞬間、甲高い声が周囲に響き渡った。
「ウオオオオオオオオオ──!!!!」
「ノア!? いつの間に──」
 空色の髪の少年は、電流を帯びた凶器を握りしめた。
 オッドアイであったはずの両眼は、爛々と緋色に燃えていた──。
 銃を象ったスタンガンを逆手に持った右手で、次々と魔獣を蹂躙していったのだ。
 目にも留まらぬ一撃に、自分だったらどう避けるべきかと何通りも策を練ったが、全て失敗した。
「ウウ……アアア……」
 気づけば辺りは文字通り、静寂と化していた。
 初めは白一色だった地面も、今となっては魔獣から滴る体液で赤く染まり果ててしまった──。
「フーーッ……フー……」
「ノア……!」
 レイセン君は足跡で凸凹になった赤い雪の中から鉈剣を拾い上げると、すぐさま膝から崩れ落ちた少年の元へと駆け寄った。
「僕たちも行こう……」
「ええ……」
「ハァ……ハァ……ああ、良かった、終わったみたいだね……」
 自らの胸に手を押し当て、呼吸を整える少年の傍へ行き、足を下ろす。
 閉じた目蓋をゆっくりと開いた少年は、青と赤の瞳で仲間を見つめていた。
「ごめん、言い訳にしか聞こえないかもしれないんだけれど、僕……その、襲いかかってくる敵を見ると自分でも制御できなくなって……」
「敵か味方かさえも区別が付かなくなるくらい?」
「……!! そ、そう。その通りだよアクア。……本当にごめん」
「レイセン君がきみのスタンガンに当って利き手を……なんとかならない?」
「あ、あぁ。やっぱり味方を傷つけて……。僕の調合薬を使って。やっぱりこういう時のために、作っておいて正解だった」
 ノアは鞄の中から注射器を取り出した。
「本当に、ごめんなさい、レイセンさん。一緒に戦っていたあなたまでも襲うなんて……僕はどうかしてる……」
「…………」
 レイセン君の右腕を手に取り、透明に近い橙色の液体が入った注射器の針をその腕に穿刺した。
「アクアさん、何も、そこまで仰らなくていいではありませんの……」
「ん、さっきの事?」
「あんなバケモノを見て、平気でいられる人なんて……いませんわよ。フィリアが言っても説得力ありません、けど……」
 僕にはフィリアが言わんとする事はわからない。けれど僕の言葉に、否定的な雰囲気を醸し出しているのは事実だ。
「どうしてフィリアは先にノアの事を教えてくれなかったの?」
──問題なのは、味方であるはずの人が、仲間を傷つけたことだ。
「……今迄も、何度か二人で戦う機会がありましたわ。だけどノアがわたくしに襲いかかったことなんて、一度も…………」
「だけど今回は違った。フィリアにとってはノアの方が大事かもしれないけど、今後また同じような事があったら──」
「そんな……! フィリアは、大切な人の優劣なんて決めたりしませんわ……」
「アクア。お願いだからフィリアを責めないで。……悪いのは僕なんだ」
 ノアが苦しくも笑ってみせた。これじゃあ、また、僕が悪いみたいじゃないか。
「うん……ちょっと言い過ぎたよ」
 寒いからだろうか、急に頭が冷えて、僕は冷静さを取り戻した。
──グレイと言い争った時のように、激情してはいけない。と、記憶の片隅で僕は学んでいたのかもしれない。
「……薬なら、私も持ち合わせがありますので、貴方の調合薬を使わずとも問題はなかったのですが……」
「ううん、僕のせいでこうなってしまったんですから。どうですか? 腕、動きますか……?」
 ノアがレイセン君の腕から手を離す。
 僕は安堵した。治療する側とされる側。──たったそれだけの事だ、と。
「ええ、先程よりもよく動いています」
「そ、それはお世辞……ですか? 何にせよ、治って良かったです……」
 少年はほっとしたように溜息を吐いた。
「フィリアは畏まったノアが見られて、とても有意義な時間でしたわよ?」
「それ面白くないんですけどぉ……と、兎も角、早く門の中に入ろう。この先は建物の多い住宅街だ」
「目的地まであと少しってわけか……」
「この気温では、体力の消耗すら惜しいです。早く休める場も設けなくてはなりません」
「そうだね……じゃあ、行こうか」
 雪の降る仄暗い空に、鉄扉の軋む音だけが鳴り響いた。
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