死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

文字の大きさ
42 / 74
第2部

#40 死が待っている

しおりを挟む
────見てはいけない物を見てしまった気がする。
 罪悪感から、この現実に目を背けたい、けれど誰かに伝えなければと僕は思った。
「至聖所で何をしているのですか……っ、ご主人様!?」
 僕の様子を心配したレイセン君が、真っ青な顔をしてこちらへ向かって来る。僕も同じように青々とした表情をしているのだろう。
「え? いや、なにも……」
「怯えた表情をしています。どうかなされたのですか」
 しかし、僕の本能は聖典に記された最後の一文を、ひた隠しにしたいようだ。
 理由は何もわからない。僕は悪いことをしたわけでもないし、神殿の一番奥に聖典があるということも知らなかった。
──それに、おそらくレイセン君には聖典の文字は読めないだろう。仮に読めたとしても、それは辞典を用いた文法的な翻訳でしかない。
 書かれてある文字通りに受け取ることができて、文章の真の意味を理解できる確率は二分の一。失敗した場合、解析という名の作業──すなわち、労力が無駄になってしまう。であるならば──。
「僕が、説明するよ」
 きっとそれが最も効率良い方法だから、と後から付け加える。レイセン君にはこれ以上、僕の焦燥を悟られまいと笑顔を作った。

 なるほどと相槌をうちながら、レイセン君は僕の話を聞いていた。
「──つまり、ここはポストアポカリプスの世界だということですか」
「ポスト……え、っと、なに?」
「……ポストアポカリプスとは、取りも直さず終末の後ということです。ご主人様の仰るとおりであれば、この世界は既に滅び、文明の発展も人類の生命も途絶えたと」
「それなら……」
 思いつく疑問は、一つしかない。
 なぜ──本来ならばあるはずのない、終末を越えた世界に、僕たちは存在しているのだろうか。
 いつもなら「少し変わった現象」だと素通りしていたが、よくよく考えてみればおかしいことばかりだ。
 瓦礫だらけの廃れた街。黒く塗り潰されて、シルエットしか見えない人影。殺意をむき出しにして襲いかかってくる魔獣。身内の仇だといって、僕の命を狙う──悪魔。
「すみません、少し、考えさせてください。憶測でさえうまく纏まりません。言葉にするのがためらわれます」
「君も……か。まぁ、こんなこと突然言われてもって感じだよね」
「…………」
 レイセン君は、僕とほとんど同じようなことを考えていた。
 壁に突き当たることがあれば、手探りで先に進もうとするのが普段の僕たち──ならば、今回だけは否定をしたい。
 僕は目隠しされた状態で、広大な迷路の真ん中に落とされたような孤独感に苛まれていた。更に、この迷路から自力で出口まで辿り着け、というような無理難題を押し付けられてしまったような気分だ。
 このままでは、永遠に迷路から抜け出すことなんてできない。最悪の場合、出口なんて用意されていないのかもしれないし、あったはずなのに誰かの手によって塞がれる、なんてことが起こり得るかもしれない。
「えぇっと、ヴェーダはここから持ち出しちゃ……だめ、だよねえ。きっと」
「やめておいたほうが懸命です。本来ならば、至聖所に入ることすら許されません。そのうえ身勝手にも宝座の上にある物を持ち出そうとすれば……何が起きるかわかりません」
 望みは薄いが、僕はこの聖典を宿に持ち帰り、そこでゆっくり時間をかけて読むことを提案する。が、やはり断固として拒否されてしまった。
 理由は、立って読むより座って見るほうがいいとか、宿にいるノアが心配になってきたとか、聖典とはかけ離れたものだった。
 けれど尤もらしい理由が一つ。
 この神殿から一刻も早く出たい。
 神殿の入口をくぐった瞬間から、胸の内に巣食うものが、この建物の在り方をひどく拒んでいる。精神的な拒絶が体にも反映されて、今にも気を失いそうなのだ。
 至聖所という場所に入ってからはなおさら顕著で、これ以上文字を読むことさえ億劫で仕方がないという気分に侵されている。
「そう、だよね……」
「ご主人様、本当に大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「う、うんちょっと……。少し、外に出てくるよ」
「承知しました。私はこの部屋を調べています」

 僕は額に手をあてがい足元を見たりしながら、ようやく来た道を辿ることができた。
「うーん、外に出てもあまり変わらないなあ」
 頭痛がする。頭の奥がまるで自然災害のように激しく揺れている。
 焦点も定まらない。視界がぼやけて、半歩先ですらよく見えていないような気がする。
「ん……? なんか……いる」
 神殿の階段を降りた先で、黒い物体が僕の目の前でゆらゆらと漂っている。
──否、その物体はきっと静止しているのだろう。おかしいのは僕の目のほうだ。
 黒く細長い糸のようなものが何であるのか、今の僕には判断できそうにない。
 これは一体なんだろう。
 目を細めて、その正体を確認しようとした刹那────。

「え……?」
 おかしい、どうして僕は浮いているのだろう。
 一体何が起きたんだ、想像もつかない。それでも、わかることが一つだけある。
 胸の真ん中を、何かが貫通している。
「あ────」
 青い二つの光が僕を見つめながら、笑うこともなくただ無表情でいた。
 赤く飛び散る液体は、僕の血なのかもしれない。こんなに出血したら、いくら何でも死んでしまうのではないだろうか。
 言葉も浮かばない。ただ、僕を貫いた黒いものが、言葉を発している。
『やはり、心臓はない……か』
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない

砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。 自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。 ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。 とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。 恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。 ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。 落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!? 最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。 12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

藤吉めぐみ
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

【完結】抱っこからはじまる恋

  *  ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。 ふたりの動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵もあがります。 YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。 プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら! 完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 BLoveさまのコンテストに応募しているお話を倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

処理中です...