サイカイのやりかた

ぎんぴえろ

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一章 神童

5.こうきゅうっていいよね 果物もらえるし

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「……はい、お母さんがこれ持って行けって」

「おぉ! 果物がいっぱい! サンキューマフユ!」

 その日は曇天の、小雨が降る肌寒い日であった。アルコール臭漂う4人部屋の一つで、手渡されたフルーツバスケットに目を輝かせるイチに、マフユは目を伏せた。

 神経圧迫骨折。重症とまではいかないが折れた骨が神経を抑えてしまっている状態でイチは今足の指を動かすことが出来なくなっている……といっても永遠に動かないと言うことはなく時間と共に少しずつ動くようになるとのことらしいが、一週間ほどは入院するらしい。

 早速とばかりに果物を取りだし嚙りつくイチにマフユは未だ顔を上げられずにいた。

「イチ、ごめんね」

ふぁふぃふぁほなにがよ?」

「あのとき変なこと聞くんじゃなかった。イチがちゃんと木から降りてから聞けば、こんなことにならなかったのに」

 罪悪感があった。自分勝手に苛立ち、自分勝手にそれを彼にぶつけ、挙げ句の果てに怪我をさせてしまった。自分の行いが人に被害を与えたのは初めてのことだった。その直前も彼女は自分の好き放題に言いたいことを言ったのだ。彼にもう二度と会わないと、もう二度と遊ばないと言われても仕方が無いと、

「いや、別にいいよ?」

「……え」

「だから、別にいいよ~って。最初は痛かったけどもう大丈夫だし、むしろ学校休めてラッキーって感じだから!」

「……学校、休めるの?」

「そうだぞ、こうきゅう?ってやつ! 入院したらタダで学校お休みなの!」

「そう、なんだ」

 あっけらかんと答える彼に、少しだけ肩が軽くなったように感じる。その気楽な感じに、心底気にしてなさそうに笑う感じに助けられた。しかしまだ、それでも彼女は顔を上げられない。

「それよりさ、それよりさ! 今日なんでこんなに早いの? いつもより早いじゃん」

「それは。イチが、こんなだし」

「そっか! じゃあ今日はいっぱい遊べるな! 記憶戻さないとね!」

「……いい、のかな」

「大丈夫だって、横のおじぃちゃんは気にしないでいいって言ってくれたし他に入院してる人はいないよ! 騒いでも大丈夫!」

「そっちじゃ無いんだけど。……でも」

「でもでもって、お前結構めんどくさいな!」

「……。」

 二度目の絶句。最初に出会った時の「馬鹿」に始まり、この男はどこまで彼女を驚かせれば気が済むのだろうか。

「うじうじうじうじと、僕がそんなマフユを見たいと思ってるわけ? 遊ぼうって言ってるんだからいつまでもそういうのやめよ!」

「……う、うん。ごめんなさい、遊ぼ」

「おう!」

 また彼特有の曲解が始まったが、もういいやと彼女は自分の悶々とする思考を取り払った。彼がそう言っているのだ、今更またとでも言おうものなら何を言われるか分かったものじゃない。

 さてとばかりにイチは顎に手を当ててうーむと無い頭を働かせる。彼女はそれをじっと見て待っていた。

「質問、追いかけっこ、勉強、ゲーム……マフユの記憶が戻りそうなことは大体試したね。このままじゃ記憶が戻るのは難しいと僕は考えます!」

「ゲーム、面白かったよ」

「本当!? ……じゃなくて、記憶を戻すには今までのゲームとかやってちゃダメなんだ。こうなんか斬新な、新しい発想をだね」

「斬新?」

「そう。僕たちじゃむしろ話さない感じの、でも昔のマフユが話してそうな、クラスの友達が話してるみたいな内容を、うーん」

「……。」

「あ、じゃあ恋愛話とかどうよ?」

「え」

 思わず、ぽかんと口を開けてしまった。彼女にも無理な話はあるものだ。

「恋愛話、恋話だよ! こないだ学校で話してたんだよね『好きな人いるの~?』とか、あれやってみたい」

「……イチと、私で?」

「そう! 僕とマフユで!」

 無理だろ。彼女は真顔でそう思った。彼女は恋愛は愚か、そもそも学校にすら通えていない状態なのだ。友達すら出来なかったら彼女に恋愛話など、本当に記憶が無かったとしても思い出すための話題としては不適切である。対してイチは発明家が画期的な何かを思いついたかのように目をキラキラさせてマフユへと顔を近づける。

「それで、好きな人いるの~?」

「いない」

「え、あ、そうですか。……え、終わり?」

「終わり、イチは好きな子いるの?」

「いないです」

「終わり」

 言葉のキャッチボール、計2回。マフユの言う通り終わりである。当然だろう。目を点にして固まるイチに、マフユはため息混じりに付け加えた。

「イチ。私、そういうのよくわからない。……恋愛の記憶は絶対にないと思う」

「寂しい人生を送ったのね、マフユさん」

「好きとか、よくわからない。イチはわかるの?」

「え? そうだな、好きな人ってのはこう、あれじゃない。 いつも一緒にいたいとか、一緒にいて楽しいとか、困ってたら頼れるとか?」

「……それ、友達じゃダメなの?」

「多分えっと、ちょっと違う? その人だけがいればいいとか、その人のためなら面倒くさいことでも全然平気だったりとか? 毎日会いたいと思ったり、おじいちゃんおばぁちゃんになってもずっと一緒にいたいと思う、とか?」

「なんで疑問形なの」

「だってこれじゃなくての話だもん! ばぁばが家族はこんな感じって言ってたから、言ってみた!」

「……ダメじゃん」

「ダメですね」

 観念、もうダメだと2人で頭を伏せた。ずーんと落ち込んでしまうイチ、どうやら恋愛の話が上手くいかなかったことよりクラスで盛り上がっていた話を上手く話せないことに落ち込んでいるらしい。

「もういいんだぁ、僕なんてやっぱり教室の隅でみんなの話を聞きながらいいなって指加えて見てるくらいしか出来ないんだ」

「……イチもうだうだ言ってる」

「うだうだうだうだうだうだうだうだ~うだうだ星人イチだぞぉ!!」

「……星人、悪者? イチはヒーローになりたいんじゃないの?」

「そうでした。じゃあ僕ヒーローね、うだうだヒーロー見参!」

「どっちもうだうだしてるんだね」

 それでも、楽しかった。最近はこれが日常になってきたからこそ思う。ここは撮影場所から山を降り、通学路を通ってすぐの病院だ。いつも集まっていた古屋よりは遠くなったが、なんてことはない。集まる場所など些細なことだった。それに、

「イチ、他の友達は来ないの?」

「まだ一回も来てない。まぁ、来てくれるとは思ってないからいいけど」

「……そうなの?」

「うん、僕一回も遊びに誘われたことないもん。今は少し遊んでくれるけど、病院まで来てはくれないよ」

「そっか」

「おい、なんで少しだけ嬉しそうなんだ」

「……私、嬉しそうだった?」

 思わず。彼のツッコミに驚いてしまった。口元を抑え、少しだけ頬が上がっていることに気づく。どうして、彼が一人ぼっちだと聞いて頬が上がるのか、マフユは自身の頬を撫でながら考える。

「マフユなぁ! 僕が友達の輪に入れてないのを喜ぶなんて酷いぞ! 流石に僕も泣いちゃうからね!」

「違う。そんなのじゃなくて、喜んでなんか」

「喜んでるだろうが、僕はわかるぞ酷いや!!」

「……どうして、なのかな」

 プスプスと怒り他所を向いてしまった彼、彼を見ながらマフユは思考を巡らせた。

 確かに、彼が入院してくれたことに少しだけ喜びがあったのは事実だ。かといって彼が怪我してよかっただとか、一人ぼっちなことに喜んでいるわけではない。自分が何に喜んでいるのか、まったく分からない。

 彼が何かしらのトラブルに気づき助けに行くとがなくなったから喜んでいる? そう考えたとしても、どうして助けにいかなくなれば喜ぶのかが理解出来ない。喜んでしまう自分を素直に受け取っていいものか彼女も考えたが、

「……イチ、ごめんね。機嫌直して?」

「ふんだっ。マフユも僕をいじめるんだい、どうせ勝手にトッポとか食べてるんだろう、酷いや!」

「お母さんのお見舞いとは別に私もトッポ買ってきたよ。食べる?」

「食べる! マフユお前はほんっっとにいい奴だなぁ!!」

 たったお菓子一つですぐに上機嫌に戻るイチの様子にほっとしつつ、考えても分からないことは時間をかけても仕方ないと割り切った。

 きっとこれから先彼と一緒にいれば分かるはず、自分の気持ちも、

 こんな毎日が、ずっと続けばいいのにとーー



#####



「え……東京に、帰る?」

 その夢は、あっさりと母親の言葉で否定された。

「そう、来週の月曜日。元々2ヶ月の予定だったけど貴方があまりにも早く撮影を終わらせちゃうから日付がどんどん短縮されたの、流石よ!」

「……。」

 彼女の聞きたかった母親の褒め言葉も耳に入らない。撮影が順調に進み、予定よりかなり好調に進みすぎてしまったためむしろ期間を短くしてしまった。早く会いたい、早く終わらせたいと思ってしまったがあまり、長崎に滞在できる時間すら縮めてしまったらしい。

「……早く終わったら、早く、帰るの?」

「そうよ。学校行ける時に行っておかないと、出席日数が足りなくなっちゃうわ」

「……。」

 母親は手元のパソコンを見ながらそう言った。母親の言っていることは正論だ。撮影のためにここにいる、それが終われば帰る。当然だ、当然だが、

「ねぇ、おかあさん」

「なにかしら?」

「…………。」

 初めて彼女は言い淀み、母親はタイピングをやめ目を向ける。綺麗なスカートを両手で握り、俯く彼女は口を閉じては開き、閉じては開く。

「どうしたの、何かあるのかしら?」

 彼女の様子に、母親は椅子から立ち上がり彼女の前にしゃがむ。震える彼女の頬に手を当て、心配そうに見つめる母親に、彼女は俯いたまま、

「……まだ、ここにいちゃ、ダメ?」

 か細く、呟くよりも小さな声で、気持ちを伝えた。

「ここって、佐世保にいたいってことかしら。急にどうしたの?」

「私、ここで、友達が出来たの。初めて出来た、友達。みんな、いい人だった。私が、って伝えなくても、みんな遊んでくれたの、だから、まだみんなと一緒に……遊び、たい」

 初めてのわがままは、震える口から発せられた。今まで、全てに遠慮していた。生まれた時から、ベビーパウダーも、遊ぶことも、お金も、全てを母親のために遠慮していた彼女にとってこのお願いわがままがどれだけの圧力の上で言葉として出たのか、母親には伝わったのか。

 震える彼女の頬に当てられていた手が、彼女の頭へと移る。

「ダメじゃないわよ。あなたからお願いなんて珍しいし、叶えてあげたい……けどお仕事はどうするの? 帰っても映画撮影のスケジュール分が終われば、その後すぐに次の撮影が決まってるわ」

「……おし、ごと」

 仕事をしていたのは、お金のためでも知名度のためでもない。それは母親のため。母親の笑顔を見るため、そのためだけにやってきたことだ。

 しかしそれはもう、なにも感じられないものになってしまった。理由はわからないが、それを求めてまで仕事をする必要は、感じられない。

 優先したいのは、自分の気持ちは。鎖でガチガチに固められ、なにを叫ぼうが誰にも届かなかった心の壁に空けられた、友達が開けてくれた細い細い穴。彼女はその小さな穴から、叫ぶ。

「私……仕事、辞めたい」

「そう。わかったわ、私から事務所に伝えておくわね」

「あっ……」

 その答えは、あっさりだった。彼女が言わんとしていることを先に分かっていたかのようにすぐに。思わず顔を上げた彼女の前には、

 大好きな母親の笑顔があった。

「今日中に事務所に連絡を入れておくわ。先の仕事も全部キャンセルしましょ、色々なところから電話が来るでしょうけど貴方には何もさせないから安心して。お母さんに任せていいから」

「……ほんとうに? ほんとうに、いいの?」

「本当よ。お疲れ様」

「お母さんっありがとう!!」

 母親に抱きついた。目の前の母親は、今までの何かが違うものではなく、間違いなく、昔から大好きな母親の顔だった。久々といえば違和感が残るが、それでも暖かい母親の胸に抱かれ、彼女久々の母親との再会を喜んだ。

「でも今回の撮影だけはちゃんと終わらせるからね。明日だけでいいわ、予定を先にして全部終わらせられるようにしましょう」

「わかった、私頑張る!」

 こうして、天才子役真冬としての彼女は終わりを告げた。これから彼女は普通の、1人少女として生活していくのだ。














 そうなるわけがないだろう。心に巻きついた鎖は、あくまで小さな穴を許したに過ぎないのだから。
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