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追跡者

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「もういっぺん言ってみろ! 俺の親父がなんだって⁉」
 屋上に、高木の怒声が響き渡る。
「おう、何度でも言ってやるよ。お前の親父は レイ・ヴォーンのパクリなんだよ!」
 韓国風ウルフヘアの男子が、相手の鼻先に顔を押し付ける。
「この野郎!」
 大きく高木がこぶしを振り上げた所で、「ダメ―!」とみんな一斉に走り出す。
「やめときや、高木! こんなおもんない事すんなて!」
 井岡が高木を羽交い絞めにする。
「放せー! 今日と言う今日は絶対に許さねえ! 親父のギターをバカにするやつは全員ぶちのめす!」
 ぶんぶん振り回す高木の腕に、八木がひっしと抱きつく。
「ダメーッ! 暴力はダメーッ! どんな事があっても暴力は絶対にダメ!」
 高木が取り押さえられたのを確認して、のしのしとウルフヘアの所へ歩いて行く金田、一触即発の相手と対峙して、
「おい。お前は確か、B組の雨笠だったな。高木と同じミュージシャン専攻の。なんでそんなに高木に突っかかるんだ?」
「はっ? てめーは関係ねーだろ、すっこんでろ!」
 ズボンのポケットに手を入れて、激しく相手を威嚇する雨笠。
「それが、すっこんでいられねえんだよ。高木は俺たちの仲間だからな。
 なあ雨笠、どうしてお前は高木の親父の事をそんなに悪く言うんだ? 高木の親父なんて、それこそお前には関係ないだろう」
 くわっと怒りの形相になって、雨笠は金田の胸ぐらを掴む。
「ごちゃごちゃうるせーぞお前! 関係あろうがなかろうが、この際どうでもいい! とにかくムカつくんだよ こいつ! ガキの頃からスター気取りで、周りからチヤホヤされて、雑誌にまで取り上げられて。誰も真似ができないギターテクだってぇ? は? あんなの誰でも弾けるんだよ! なんたってパクリだからな!」
「なんだと!」
 みんなの腕の中で一つ高木が暴れる。その様子から顔を戻して、金田、
「なあ雨笠、そういう事を言ったら、相手は気分が悪いだろう? それを聞いて高木は、どんな嫌な思いをするのかお前分かるか?」
 すると雨笠はポケットからライブのチケットを取り出し、メリメリとその紙の束を握りつぶす。
「こっちの気持ちはどうなるんだ! 週末のライブは、俺ら『ザ・フューズ』にとって絶好のチャンスだったんだ! 大勢の人たちに俺たちの実験的なバンドを知ってもらえるいい機会。それなのに、高木ただ一人出演しないってだけで、イベントは中止? はっ⁉ ふざけんじゃねーよ! こっちはどれだけ頭を下げてイベントに参加させてもらっていると思ってんだ! それを何もしないでこんな所で寝そべっているやつのせいで、何もかもがパーになるなんて、そんなの許されるわけねーだろう! みんなの将来がかかっているんだ! これはもう遊びじゃねーんだよ!」
 そのままライブのチケットを床へ投げつける。
 雨笠のうしろの二人も、同じ思いをして立っていた。
 金田は上下する雨笠の肩に手を置いて、
「なるほどな、雨笠、お前の気持ちはよく分かった。結果的に、お前らが残念な思いをした事も分かった。
 でもな 雨笠、高木だって、これが遊びだなんて思ってはいない。あいつだって真剣勝負でやっている。納得のいくサウンドが出せなかったから、中途半端なギタープレーは観せられないと思ったから、ギターを置いて、出場を取りやめた。誰にだって弾きたくても弾けない状況って、あるもんだろう?」
「ギターが弾けない状況って、なんだよ」
 そこでC組のみんながお互いの顔を見る。
「そんなの、はじめからねーんだろ? 参加するバンドを見て、メンツがしょぼかったから、どうでもいいと思ってサボったんだろ?」
「そんな事あれへん! ぎょうさんお世話んなった東さんが主催してはるんや、参加するバンドが誰やって関係あらへん」
「だったらなんで参加しねえんだよ!」
 鼻ピアスを空けた男子が、後ろから野次を飛ばす。
「なんでって」とみんなの頭に空っぽのギターケースが浮かぶ。
 金田はその場にしゃがみ込んで、床に落ちたチケットを拾い集め、それを雨笠の胸に押し当てる。
「分かった! よーし分かった! 雨笠、すぐにイベントの主催者に伝えてくれ。やっぱり高木はライブに参加すると」
「えーっ!」とC組の仲間が驚きの声を上げる。
「ちょっと ちょっとぉ」と雛形が走って来て 金田の腕をぶんぶん振る。
「そんな大事な事をあんたが勝手に決めちゃっていいわけ⁉」
 雨笠は胸のチケットをつかんで、じっと金田の顔を見つめる。
「本当に、いいのか?」
「ああ、男に二言はない」
 相手にそう言い置いて、金田は高木の所へ戻る。
「なあ高木、いいよな? 週末のライブまでに、絶対に俺がお前のギターを見つけてみせる。だから、そのギターを持って、週末のライブに参加してくれ」
 ムスッとした高木が、ゆっくりと顔を上げる。
「できんのかよ、そんなこと。あれだけ探しても見つからなかったギターだ、そう簡単には」
「できる!」と大きく胸を張って、自信満々の金田、その顔を間近に見て、なんだか調子が狂ったように、
「ふん、そこまで言われれば、俺には何も言えないが。だがこれだけは言っておく。
 週末のライブといっても、当日になってギターを渡されても困る。少なくともライブの前日、あさっての夕方までだ。それまでにあのギターが必要だ」
「分かった!」
「なにが分かったや、さっきまでぜんぜん分からんゆうて頭を抱えていたんはどいつや」
 井岡が腕を組んでその場に胡坐をかく。
 金田は大股で歩いて行って、再び雨笠たちと対峙する。
「本当にいいんだな、主催者にそう伝えて」
「構わねえ! 早く行って来い!」
 そそくさと屋上から立ち去る雨笠たち、その様子を見送って、八木はさっそく腰に手を当てる。
「ちょっと金田くん! あんな大口を叩いて本当に大丈夫なの⁉ 約束は、ちゃんと守れるの⁉」
「大丈夫! 二日もあればなんとかできる! 俺たちなら!」
「あー! こいつ『俺たち』に変えよった! 俺が見つけてみせるゆうて一人でカッコつけていたくせに」
「最悪だ、まさに最悪」と久遠がメガネに手を当てて、
「勢いだけで突っ走って、周りに迷惑をかける典型的なタイプだ」
 最後に屋上に現れた海老原が、スナック菓子を片手に近づいて来る。
「約束の日までにギターが見つからなかったらさ、ちゃんと責任をとるんだよ、金田くん。分かるよね、責任の取り方」
「ぬあー! みんなうるさい! あさってまでにギターを見つければいいんだろ!」


 下町の、風情しみ入る商店街、その二軒長屋の 狭い間口の店先を、一人とぼとぼとと歩く金田。
「とは言ってみたものの、あさってまでにギターを見つけるって、やっぱキツイよな」
 食品サンプルを並べた喫茶店や、行列が出来る博多ラーメン屋など、個店にぎわうアーケード街に、食べ歩きの客らがごった返す。
「なんとかしてあさってまでに、密室トリックの謎を解いて 高木のギターを見つけるってもんだな」
 言葉とは裏腹に、冴えない表情を見せる金田。
「でも、ギター泥棒の犯人が分かったとしても、すぐに捕まえられるかどうか分からないし、犯人を捕まえた所で、肝心の高木のギターが取り返せるとは限らないし。やっぱ、雨笠とあんな約束するんじゃなかったかな」
 通りかかった精肉店、『とんとん拍子』と書かれた暖簾に、割烹着姿のおばさんが顔を出す。
「あら カズちゃんじゃない、学校の帰り? 揚げたてのコロッケあるよ、お母さんにもって行きな」
「え! いいの おばちゃん?」
「いいよ いいよ、この間なんか、こーんなに毛蟹をもらっちゃったからさ。ほら、たくさんもっていきな。もうちょっとしたら行列ができちゃうから、今の内だよ」
『とんとん拍子』と書かれたビニール袋をぶら下げて、熱々でザックザクのコロッケを頬張る金田、
「うーん、うまい。今日も一日平和だ。なんか、すべてうまく行くような気がして来た」
 夕空に向かって腕を伸ばし、うぁーあとあくびを噛む金田、思わず涙目になって、片目で前方を見ると、通行人の背中にリボルチオーネの制服が混ざっていた。
「ん?」
 その制服はすぐに雑踏の中へ消える。
「あのうしろ姿は、確か」
 早足になって、たくさんの肩や背中を押しのける金田、迷惑そうにあちこちから見られながら、商店街から目抜き通りへと顔を出す。
「えーと、あっ、いたいた、道の向こうだ」
 目の前の信号が赤になって、走り出すバイクや乗用車やトラック、その排気くさい風をまともに受けて、
「チッ、タイミングが悪い」
 片側三車線の大きな道路の向こうを、リボルチオーネの制服が歩いて行く。
「あの赤い丸眼鏡、あの優等生っぽい歩き方、間違いない、八木だ」
 通学用のカバンを肩に掛け、スタスタと街路樹の向こうを歩いて行く八木。
「あっちの方向は確か、ゴルフ練習場か浄水場くらいしかなかったと思うけど」
 信号が青になって、横断歩道へ駆け出す金田、もう一つコロッケを口に入れて、
「そういえば 八木って、家はどこなんだろう。最近いっしょにいる事が多いけど、あの子のことって、実は俺なにも知らないんだよな」
 しばらく八木の後を追って ポプラ並木の歩道を行くと、突然 右手に曲がりくねった坂道が現れた。
「おっと、こっちか。ほえー、もうあんな所を歩いている」
 ミズナラの新緑が目に新しい小さな高台、そこを八木は脇目もふらずに登って行く。途中 市営バスが二人を追い越して行って、その行先表示器に『北城総合病院』と書いてあった。
「病院? 病院、あー そっか。この上には確か大きな病院があったな」
 車のタイヤが滑らぬよう、急こう配のコンクリート舗装にOリングが敷き詰まっている。その上を、道路標識の長い影が反対側の茂みにまで伸びていた。
 汗を拭い、長い坂道を登り切って、金田は総合病院の門に手を突く。
「やっぱりそうだ。子供の頃に一度だけ来た事がある病院だ。それにしても、病人にこんな坂を上らせるなんて」
 駐車場の向こうで自動ドアが開いて 八木の背中が中に消えた。
「学校の帰り道に、この病院に通っていたのか。あれ? 八木って さっきまでピンピンしていたけど、どこか体の具合でも悪いのか?」
 油っぽい光沢のある葉っぱが特徴の、アベリアの生垣、その花の横を通って金田は正面玄関へと移動する。
「クラスメートを追い掛けてここまで来ちゃったけど、俺、何をやっているんだろう。これってまるでストーカーだよな」
 自動ドアの前に立って、高々と地上八階建ての建物を見上げる金田、そのうしろで、先程のバスが空席のまま発車する。
「八木とばったり会って、金田くん どうしたのって聞かれたら、俺 なんて答えればいいんだ?
 あれ?」
 その時 正面玄関のガラス越しに 倉木アイスのポスターが目に付いた。医療スタッフの募集用のポスターで、貴重な倉木のナース姿のポスターだった。
「わーっ! 何だこれ、こんなポスター俺 知らないぞ!」
 次の瞬間 金田はもう病院の中に入っていた。上から下までなめるようにポスターを見て回って、
「こんなの、どこのファンサイトにも載っていなかった! へえー、病院かー、ノーマークだったな、来ねーもんなーこんな所」
 ポスターによく見られる紙の擦れやヨレ、巻跡などを、まるで質屋の鑑定のように細かくチェックする金田。
「状態も良いし、画鋲も使っていない。いいなー これ。非売品のポスターだよな。うーん、宣伝期限が終わったら、もらえないかなー。
 ん?」
 よく見ると、ポスターの下に付箋が貼ってあって、『予約済』との文字が見えた。
「ガーッ! 先約がいたーっ! こんな所にも倉木ファンがいるー!」
 舞台の上でピンスポを浴びた悲劇の演者のように、大きく頭を抱えて膝を落とす金田、そのすぐ横をピンクのスクラブを着た女性が通り掛かる。
「どうか、しましたか?」
「!」
 ポスターとスクラブを交互に見る金田、
「あ、いや、別に」
 手にした精肉屋の袋を見られて、
「ああ、お見舞いの方ですね」
「これはその」とコロッケの袋を上げて、
「これは差し入れとかそういうものではなくて、その、ただ八木のあとを追って」
「八木のあと?」
 何を言っているのか分からないといった様子で、相手は小首を傾げる。
「えーと、つまりそのう、八木里子さんがこの病院に来たから、俺もここへ」
 ぱちんと手を打ち鳴らして、
「やっぱりお見舞いの方じゃないですか。八木里子さんですね、少々お待ちください」
「ちょ、ちょっと」
 スクラブを着た女性は近くの受付へと向かった。そして中にいるスーツ姿の女性に手招きを見せる。
「やばい。なんか、妙な展開になっちゃった。見舞いだなんて、俺はそんなつもりじゃないのに。うーん、これ以上説明するのも面倒だから、このまま帰っちゃおうかな」
 とそこで周囲に人がいないのを確認してから、
「最後に一枚だけ、ポスターの写真を撮っておこう」
 携帯電話を取り出して、倉木アイスのポスターを何枚か撮影していると、すぐにスクラブの女性が戻って来て、
「あの、八木里子さんとは、どういったご関係ですか?」
「ご関係?」と金田は困惑した表情を見せながら、
「学校で、隣の席。委員長と副委員長の関係?」
 笑顔を絶やさず、いそいそとバインダーに何かを書き込むスクラブ、
「そうでしたか。んーと、学校のお友達でいいかな。それじゃ こちらへ。八木里子さんでしたら、現在八階の病棟に入院しています。この時間なら、まだ病室にいるはずです」
「は?」
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