プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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麗しのパートナー

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「日当たりの悪い部屋だ。満室にならなければ使用しない。好きなだけ使ってくれ」
 コックコートのポケットから、ルームキーを取り出して、ほらといってそれを投げて寄越す岸本。透明なアクリルのキー棒には、『アルプホルン二〇六号室』と掘られていた。
「経営が落ち込んでいるんだろう? 売上に貢献するよ」
 コック帽を取って、坊主頭をひと撫で。
「気にするなって。こっちで呼んで来てもらっているんだ。客人のつもりでいてくれ。それに早速葵について調べてもらっているしな」
 わたくしは厨房のドアに寄り掛かった。
「高田さんは天道と木原の心中に疑問をもっている。君と同じ意見だったよ。警察の対応にも不満を持っていた」
 あの後高田は煙草を二本も吸って帰った。
「うん。何だか警察の動きもおかしい。今回の焼死事件について事情聴取に来たかと思えば、やたら葵と木原の素性を聞いてくる。それに」
「それに?」
 コック帽の裏側を覗き込むように、
「何だか不機嫌だった」
 わたくしは眉を寄せた。
「素人の俺にはよく分からんが、電話越しに何度も相手に抗議している姿を見た。廊下から大きな声が聞こえるんだ。もしかしたらあの時の捜査員も、これは単なる心中事件ではない、何らかの事件の可能性があると、刑事の勘が働いていたのかも知れない。それなのに、彼らは何らかの命令に従わざるを得なかった」
 わたくしは二階へ上がって、部屋番号とルームキーを照合して回った。二階の廊下は真っ直ぐ奥に伸びていて、単純な構造ではあったが、部屋が無くて、頭を搔きながらもう一度引き返して、今度は注意深く周囲を見たら、階段を上がった右手、ぽつんと一部屋だけ、二〇六号室があった。
「確かに、日当たりは悪そうだ」
 部屋に入ると、ガスストーブがついていて、少し暑く感じるほどだった。手にしたバッグをベッドに投げ、トレンチコートをハンガーラックに掛ける。室内の様子を見回して、わたくしは、手早くスウェットに着替えた。そこで、入浴用のタオルを忘れた事に気が付いた。クローゼットの中を見たり、鏡台の引き出しを開けたり、した後で、何かしら、用意されたものがあるだろうと、わたくしはそのまま風呂場へと向かった。
 ここのお風呂は、加水加温なしのかけ流しの温泉、珍しい硫酸塩泉が味わえると、岸本から聞いていたので、わたくしは軽やかなステップで階段を下りた。談話室の前に出て、そこを横切った時、ドブレの重厚感ある薪ストーブの、気持ちの良い火力に目が留まった。外は極寒の世界だが、屋内はTシャツ一枚でも過ごせそうに思えた。
 受付を過ぎて、廊下の先を行くと、左手に浴場のドアが現れた。入口の『男湯』の木札を確認して、わたくしは、何となくノックをして中に入った。あらかたみんなの入浴が済んだと見え、足元のバスマットに使用感があった。
 脱衣所で服を脱いで、浴室に入ると、まずは岩風呂が目に飛び込んだ。露天風呂こそないが、毎分五百リットルもの豊かさで湧出する、温泉に、炭酸カルシウムが多く含まれ、湯船の縁や床に鍾乳石のような白い付着物があり、天然温泉独特の雰囲気があった。
「おお、これは良い」
 ごつごつした岩肌の感触を足のうらに受けて、わたくしは、ぬる目の湯船につま先を入れた。温泉臭く薬効の高そうな湯に肩まで浸かって、うあぁあとリラックスした声を上げた。
「確かに」
 広い岩風呂に足を伸ばした。
「腑に落ちない点はあるな、この一件」
 自殺した天道葵について、高田から幾つかの内情を仕入れた。それは敷島が喜びそうな情報だとわたくしは思う。今回の心中自殺に関して、高田も岸本も、同じ懐疑派だった。天道と交際相手の木原、この二人がよそよそしい様子だったというのも、実に引っ掛かる点だ。
 泉質・効能文に目を上げて、この温泉は飲泉として利用される事もあり、胆汁の分泌が促進されるというくだりを読んで、わたくしは、両手で湯を飲む振りなどをしている内に、脱衣所の磨りガラスに、何やら人影が動いた。仕事を終えた岸本が、最後に入って来るのだと思い、わたくしは、洗い場で体を洗いながら、待つともなしに彼の声を待った。ガラガラとアルミ戸が開いて、
「宗村さんですね」
 という女性の声を聞いて、わたくしは、驚いてシャワーの水を止めた。
「初めまして、わたしは椎名美咲と申します。突然ですが失礼します」
 シャンプーの泡の間から、声のする方を見て、洗髪の手が止まる。バスタオルに身を包んだ、二十代の女性が、こちらの返事も待たずに浴室に入って来る。
「わたしは敷島探偵グループの者です。今回は宗村さんと一緒にこの事件を調査するよう、敷島さんから言い付かって参りました」
 髪留めをほどき、長い黒髪を左右に振る。
「敷島?」
 湯をかぶって、そそくさと腰のタオルを巻き直す。
「はい。敷島さんは今回こちらには来られません」
 自然と彼女の胸元に目が行く。
「それはさっき、敷島から聞いたけど。あの、なんで君は、男湯に入って来たの?」
 男湯の札に間違いはなかったはずだ。
「宗村さんのお背中でも流そうかと。ご迷惑だったでしょうか?」
 むしろこっちが恥かしく思えるくらい、彼女は慣れた手つきで手桶を取った。
「迷惑というわけでもないが」
 わたくしは眉を顰めて、身体を小さくする。若い女性に背中を流してもらうというのは、正直初めての経験だった。
「敷島って、君の上司になるの? それとも社長? あいつは今、何をやっているの?」
 湯煙の中やたら声が反響した。
「敷島さんは敷島探偵グループの取締役です。ご存じなかったですか?」
 洗い場の鏡を通して、二人の目が合った。その顔は薄化粧でも分かるくらい、相当な美人だった。歳は二十六、七歳くらいか。
「あー、知らなかった。あいつは元々、学生の頃から探偵のような真似をやっていたが、その後は本当に探偵になってしまったのか」
 仕上げに背中を流してもらって、わたくしは、そそくさと逃げるように湯に入った。こっそり覗くというのであれば、話は別だが、若い娘と裸の付き合いともなれば、正直目のやり場に困った。美咲は少し離れた所で、バスタオルを取って、湯の中に入った。残念な事に、というか、当然バスタオルの中は、混浴でありがちなワンピースタイプの水着だった。
「それで君はその、探偵グループの社員なの?」
「はい。探偵グループと言ったところが、敷島さんは自由な発想の持ち主で、実質的な拠点は持たず、インターネットに仮想現実の職場を作って、各地に散らばった社員と連絡を取り合っています」
 ヤツの奇想天外な行動を思えば、そのような未来的な職場も作りかねないと思った。
「じゃあ君も、インターネットで連絡をもらって、こんな地方の山奥まで来たの?」
 天井からぴたりと水滴が落ちた。
「いいえ、わたしは今回、敷島さんと行動を共にしていました。別件で那覇市に滞在していたのです。そこへ突然敷島さんからここへ来るよう指示を受けました」
 敷島と行動を共にしていた、という言葉を聞いて、わたくしは、この美咲という女性に強い親近感を覚えた。彼女は少なくとも数日前には敷島と一緒にいたのだ。
「とにかく君は、敷島の会社の社員で、その敷島の指示によって、今回俺と一緒に天道葵の心中事件を調べるよう、送り込まれたって事でいいのかな?」
「ありていに言えばそうです」
 美咲は髪の毛をつむじの辺りでまとめて縛った。
「ところでさ、これから二人で調査って事は、やっぱり俺一人では役不足だったという事かな」
 実はわたくしも、今回一人で事件に当たるのには、相当心細かった。
「事件について聞き込みするには、一人でも三人でもなく、二人が理想であり、また育って来た環境が異なる方が、より多くの情報が収集できると、敷島さんは日ごろからおっしゃっていました」
 美咲は湯船に真面目な顔を浮かべていた。
「そう? まあ、その辺は君たちプロに任せるけど」
 溜め息の代わりに、大きく髪を掻き上げる、わたくし。こんな美女を送り込んでくれた敷島に感謝しないわけでもないが、一人仕事に慣れたわたくしにとって、この展開には戸惑う一方だった。
「それから今回、わたしと宗村さんは、恋人という役を申し付かっています」
 湯の底で足を滑らせた。
「何だって?」
「ですからこうして、わたしは(宗村さんと)お風呂をご一緒させて頂いています。恋人なのだから、当然ですよね。そしてこの行動は、周囲の目を欺く目的もあります」
 湯船に腕を伸ばして、肩にお湯をかける、美咲。
「だったら、なんで水着なんか」
「? なんですか?」
 わたくしは露出の少ない水着を恨めしそうに見つめた。
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