プルートーの胤裔

ゆさひろみ

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岸本の不徳

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 部屋に戻ると、そこは、カップルの部屋になっていた。女物の服、ブランド物のバッグ、化粧品など、それら女の匂いが、この部屋の随所に見られた。我われは、恋人という設定なのだから、それは当然の事のようだった。
 鏡台に向かって、美容液を使い始める美咲、パンパンと、ハリのある肌をたたく音を聞いて、わたくしは、なんとなく気まずくなって、煙草を手に部屋を出た。階下の談話室で、一人さみしく煙草を吸っていると、食堂のガラス戸がうす明るくなっているのに気が付く。
「なんだ、もう始めているのか」
 食堂に入ると、暖炉に向かって 一人洋酒を楽しむ岸本の姿があった。
「おお宗村か。ちょうどいい所に来た。お前も一杯、やらないか」
 スコッチウイスキー『ザ・グレンリベット』を上げて見せる岸本。
「忘れたのか。俺は酒に弱い」
 嬉しそうにイスから立ち上がって、もう一つグラスを持って来る岸本。
「お前にあんな美人な恋人がいたなんて、正直驚いた。歳の差を考えたら、ほとんど犯罪じゃないのか」
「好きなこと言ってろ」
 一脚イスを持ち出して、同じように暖炉に当たるわたくし。さっそく背後からグラスを渡される。
 わたくしは改まった口調で、
「なあ ちょっと、いいか」
「なんだ」
 岸本は再び、暖炉の前の席に着く。
「その、君が最初に電話で言っていた、相談に乗って欲しい事、警察に言おうか迷っている事について、もう少し詳しく聞かせてくれないか? 四週間前、このペンションの従業員が焼身自殺をした、しかも男女の心中自殺という形で。新聞の記事にも、恋人同士の心中であり、事件性はなしと報道されている。にもかかわらず、君は一体、何を今さら警察に言おうか迷っているのだ?」
 ゆっくりとスコッチを呷って、岸本、その口元にやや笑みを浮かべる。
「お前もあらかた事情が分かってきただろう。ここの従業員だった天道葵は、当時宿泊中だった交際相手と一緒に心中をした」
 岸本の目に 暖炉の炎が揺らめいていた。
「それがただの従業員であれば、俺もここまで悩む必要はなかった。君や敷島に泣きつく事もなかった。まあ後味の悪い事件ではあるが、彼女の通夜に参列して、線香の一本でもあげてやればそれで義理は済んだかもしれない。
 しかしだ。しかし今回はそうはいかない。なぜならば、俺は、彼女とただならぬ関係にあったのだ。妻子ある俺がこんな事を言っては恥かしいのだが、俺と葵は確かに男女の関係にあった」
 岸本は立って行って、ウッドストッカーから薪を拾って、それを火の上に置いた。暗がりにぱあっと火花が舞った。
「いつから?」
 名入りのマッチを擦って、わたくしは煙草に火をつける。
「彼女との関係が始まったのは、ちょうど二ヶ月前。きっかけは向こうからだったと思う。まさにこの食堂で、俺と葵はテーブルクロスの張り替えをやっていた。彼女は突然手を休め、好きな男性ができた、それが既婚者だ、と こう打ち明けてきた。意外に思いながらも、これは若気の至りだと思い、俺はまあ相手の気持ちをなだめる気で話を聞いていた。だがそれがまさか俺の事を言われているのだと気が付いて、正直驚いた。それまで葵をそんな目で見た事がなかったし、こんなふうに従業員に告白を受ける事もなかった。
 それからというもの、俺は、彼女と距離を置くようにした。しばらくは二人きりの仕事を避けるようにもした。けれども俺は、その特別な状況に、だんだん慣れてきて、というか、俺の中に二人の関係を認めて当たり前のような心境になってきて、とうとう、葵のペースに流される形で、俺は彼女と深い関係になった」
 岸本の手の中でグラスの氷が鳴った。
「あの時の俺は、本当に舞い上がっていた。実を言うと、彼女と結婚まで考えていた。嫁と別れて、心機一転、葵と一緒にこのペンションを立て直すのも悪くはない、そこまで俺は自分自身を見失っていた。葵もまた、それを聞いて黙って頷くような、素直な態度を示してくれた」
「そんな中、突然彼女は心中してしまった」
 話の腰を折られ、ゆっくりと顔を上げる岸本。
「そうだ。俺は始め何かの間違いだと思った。交際相手がいただなんて、俺は事件の後になって初めて聞かされたのだし、当時その交際相手がこのペンションに宿泊していたのだって、葵は一言も言わなかった。ある日突然、俺の葵は、見知らぬ男と焼死体となったのだ」
 厨房の方から突然音がした。ふり返って、様子を窺ったが、どうも食器が崩れただけらしい。
「身元の確認は? 焼死したのは本当に」
「そんなのすぐに聞いたさ。俺だって人違いだと思っていたのだから。そうしたら警察は、葵の遺体はすぐに検死に回され、歯科診断結果、服装、身体的特徴、遺留品、彼女の部屋の髪の毛と遺体のDNA鑑定などから、天道葵と断定していると言った」
「ふむ」
「それにさっき君と話していた高田さんが、葵と木原という男が車で外出して行くのを目撃している」
 その件に関してわたくしは少し気になっていた事を口にした。
「そうそう、その日は何だって高田さんは夜中に二人を目撃しているんだ? 高田さんは住み込みの従業員ではないんだろう?」
 炎に火照ったような岸本の横顔を見つめた。
「ああその事か。その夜も確か 今夜みたいに雪がひどくてね。早出だと除雪が間に合わない道があるから、シーズン中の週末は朝食の準備に遅れないよう泊まり込む事があるんだ。あの夜も確か高田さんは泊まり込みだった」
「当時は住み込みのバイトの天道葵がいたんだろう?」
「まあな」
「ちょっと変だと思わないか?」
 わたくしはグラスの氷を回した。
「言われてみれば、そうかも知れないな」
 岸本はそう言って、のん気に酒を呷っただけだった。
「高田さんはこのペンションで古株なのか? 天道葵が入って二人になった従業員が、今はまた高田さんの一人になった?」
 わたくしは酒に弱く、ロックのウイスキーなど久し振りに飲んだものだから、暖炉の火で顔が熱いのか、酒で熱いのか、よく分からないくらい顔が充血していた。
「そうだな。高田さんは俺よりも、俺の嫁の方と付合いが長くて、それこそもう八年くらい勤めているかな。このペンションの事なら何でも知っているよ。一方の葵は、勤め出したのは昨年の六月だから、せいぜい一年半になる」
「八年と一年半か。ペンションの経営は何年前から始めたんだ?」
「まる十年、そういえば今年は、開業十周年記念だったな」
「結構な規模のペンションだが、ローンだってまだたんまり残っているんだろう?」
「いや、恥かしい話だが、ここは結婚前に嫁が建てた」
「はあ?」
 煙草の灰が落ちそうなって、慌てて近くのテーブルまで走った。
「二人とも学生時代からペンション経営をやりたかった口でね。だから意気投合して結婚までしちまった」
 岸本は食堂の天井をぐるっと見回した。
「だって、え? 君の嫁だって、十年前は二十代だろう? その歳でうん千万の買い物なんて」
「実のところ、このペンションに金を出したのは、嫁の祖母なんだと。詳しい事は俺にも分からない」
 そのとき食堂のガラス戸が開いた。何かと思ってふり返ると、美咲が小さく顔を出していた。わたくしの携帯電話を見せて、敷島から電話だと言った。
「しかし綺麗だなあ。どこであんな美人と知り合ったんだ? なあ、コソコソしてないでちゃんと紹介しろよ」
「コソコソとはなんだ」
 少し遠い所からわたくしを見る美咲。その顔は、まあ確かに、いま岸本が言ったような美人であるには違いなかった。
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