プルートーの胤裔

くぼう無学

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吹雪の朝はゆったりと

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 部屋を出て、廊下を歩いて、階段を下りると、そこには談話室があって、その談話室の前を通って、長い廊下へ出ると、右手がほうっと白くなった。よく見ると、そこには雪国らしい、二重扉の玄関があって、スキーウェアを着た親子二人が、外へ出ようと吹雪の弱まるタイミングを待っていた。
 細い指がわたくしの背中を突く。
「昨夜からの宿泊客は、わたしたちを含めて四組います。あそこにいるのは、その内の一組、久慈親子です」
 ヒソヒソ声が続く。
「父の久慈篤は、都内で薬品研究員をしていて、四年前に妻を亡くしています。骨肉腫という病気です。娘の久慈理穂は、現在中学一年生、都内の付属中学、S中学に通っているのですが、どうも最近は登校していないようです」
 わたくしはあきれた様子で、天を仰いだ。
「そんな感じで、(ここの)みんなの情報を握っているの?」
「必要な情報は入手してあります」
 ふり返ると、綺麗な二重まぶたがこちらを見ていた。
「それじゃあ、残りの二組がこの食堂にいるわけだ。何だか聞き込みする気が失せるね、ろくに会話もしないで相手の情報が入るというのは」
 ふぁあぁあと、間の抜けたあくびを噛んで、食堂へ向かうわたくし、その背中を再び細い指が突いた。
「情報は知識にあらず。情報を見極めるのが、私たちの仕事です」
 食堂に入ると、カチカチいう食器を片づける音や、人の話し声で、とてもにぎやかだった。自分たちのテーブルを探していると、すぐに高田が飛んで来た。
「おはようございます、宗村様、お待ちしておりました。さ、さ、どうぞこちらへ」
 と言って、わたくしをテーブルまで案内する、高田、同じように美咲も案内して、そこで、歓声にも似た声を出す。
「あらまあ! オーナーの言っていた通り! こんなモデルさんみたいな女性と二人きりでお泊りだったなんて、(昨夜は)探偵さんと聞いていましたから、てっきりあたしは一人淋しく夜をお過ごしかと思いました」
 高田の太い肘が、「このこの」とわたくしの肩を突く。複雑な表情で、席につくわたくし。
「それにしても、本当に、お綺麗ですねえ」
 やたら顔に食いつく高田、美咲は「とんでもないです」と、顔を隠すように席につく。
 朝食の説明が始まった。このペンションの朝食は、基本バイキング形式、カウンターの籐のバスケットに、焼き立てのパンが山と積まれ、取り放題の食べ放題。珈琲やミルクは、セルフサービスでお替り自由。最後にシェフお任せ料理となるが、これは、客がテーブルについてから、フライパンに酒を入れて火をつけるというので、その本格さから、わたくしは何だかワクワクして来た。
「ここの朝食は、ボリュームもあって、以前雑誌や番組でも紹介されました。テレビを観ていらっしゃったお客様からも、大変ご好評を頂いております。本日はこの通り、生憎の天候となっております、吹雪が落ち着くまで、ごゆっくりと食事を楽しんで下さい」
 こう言い残して、テーブルを後にする高田、それを社交的に見送った美咲は、二人きりになるのを待って、さっと顔を近づけて来た。
「宗村さん!」
「ん?」
 見ると、怖い顔をして、
「どうして探偵だなんて、見え透いた嘘をついたんですか? わたしたちは一般的なカップルとして、ここへ潜入捜査を行う使命があるのです。それを、探偵だなんて、デタラメな事を言って、従業員にウソがバレたら変に怪しまれるじゃないですか」
 返答に困って、ボリボリと頭を掻いて、
「だって、ほら、あれだよ。俺だってさ、岸本に頼まれてここへ来ている訳だし、事件について少しでも調べようと思って、てっとり早く、私立探偵のようなものって言ってしまったんだ。ようなものだよ? ようなもの。でも、そう言われてみれば、確かにやり過ぎだったと思うよ」
 目を閉じて、こめかみに指を当てる美咲。
「オーナーさんの知り合いとして、さりげなく事件について事情を聞けば良かったんです。下手な嘘をつくと、高度な記憶力が必要となります」
 この時わたくしは美咲の左手薬指の指輪に目が行った。
「言ってしまった事は仕方がありません。高田さんの前では宗村さんは私立探偵を通して下さい。でも、他の人の前ではわたしの恋人ですから」
 ハアとため息を吐いて、美咲、こちらから顔をそむける。そこでわたくしは思った。我われが恋人というのは、下手な嘘ではないのか?
「何か飲む?」
 立ち上がって、ドリンクバーを指差すわたくし、それを受けて、あごに指を置く美咲。
「んーと、そうですね、じゃあ、ミルクをお願いします」
「ミルク? ああ牛乳ね、OK」
 ドリンクバーに立って、ディスペンサーのプッシュレバーを押して、こぽこぽとカップにコーヒーを注ぎながら、わたくし、やはり昨夜の出来事を思い出していた。
『宗村さん、一つ聞いてもいいですか?』
 彼女は薄明りで大きな目を開けていた。
『わたしのこと、覚えていないんですか?』
 布団から顔を出した美咲はわたくしから目を逸らさなかった。
『わたしのこと、すっかり忘れてしまったんですね?』
 目は潤み、そして大粒の涙が枕に落ちる。
『バカ』
 これらの彼女の発言は、一体なにを意味するのだろうか? 急に涙を流すなんて、あの時はただ事ではないと思った。結局あの後、何事もなかったかのように、美咲は眠った。一方こちらはと言えば、とにかく動揺してしまって、戸惑いの中で、もんもんと眠れない夜を過ごした。もしかしたら、過去に美咲と会っていたのだろうか? それをこちらですっかり失念してしまっているのだろうか?
 考え事をしながら、飲み物を手にテーブルへ戻ると、美咲は白身魚のガルニチュールにフォークを刺していた。
「ありがとうございます」
「あの、さあ」
 椅子を引いて、わたくしは言いにくそうに切り出す。
「昨夜のこと、覚えている?」
 野菜を噛みながら、美咲は目を上げる。
「ほら、寝る直前のこと」
 言いながら、一口珈琲を飲んだ。強い酸味から、ハワイ島西岸の、コナコースト産だとすぐに分かった。
「寝る直前?」
 瞳がひときわ大きくなった。
「ベッドの中での会話」
「え? 敷島さんがわたしに、何でこんな事をさせるんだっていう、あの会話ですか?」
「じゃなくて、その」
 歯切れの悪い相手の質問に、ひたすらこちらの目を見る美咲。
「俺が君の事を覚えていないのかって、そんな質問?」
 じーっと、わたくしの顔を見つめた後、あっと言って美咲は手を叩く。
「それって、宗村さんに聞いちゃったんですか? わたし。覚えてないかって?」
「そうだよ」
 ミルクの入ったコップを両手でつかみ、それを見つめる美咲、そこからの、しばらくの沈黙。わたくしは珈琲を半分飲んだ所で、プラスチック製のコーヒーフレッシュを開けて、珈琲にミルクを垂らす。その様子が、夜空にキノコ雲が広がるように見えた。
「すみません宗村さん」
 美咲は正座でもするように、居住まいを正した。
「何でもないんです。ホント、何でもありません。昨夜の事は忘れて下さい。とにかくすみませんでした」
「は?」
 気まずそうに、その場を後にする美咲、そそくさと、カウンターのパンを取りに行く。
 一人になったわたくしは、無言で珈琲を啜る。隣のテーブルからは、大きな関西弁が聞こえてくる。なぜ、美咲は謝っているのか、なぜ、それを忘れろというのか、この時のわたくしにはそれらの見当さえつかなかった。
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